病気、老い──人間が安心して弱くなれるために。デンマークの家具アクティビストが提示する「尊厳のデザイン」

2026.08.03

社交的で近所の人々と話すことが大好きだった女性が、あるとき股関節をいため、政府から支給された道具を持った途端に、外を歩くのをやめてしまった。

その女性こそが、今回インタビューをしたデンマークの家具デザイナー、アンカー・バック氏の祖母である。アルミとプラスチックで作られた無機質な歩行器は、安全かもしれないが、同時に「あなたは病人であり、弱者である」というラベルを突きつけるものでもあった。彼の祖母が恐れたのは身体の衰えそのものではなく、その道具を使うことで自分のアイデンティティが削ぎ落とされ、周囲から憐れみの視線を向けられることだったのだ。

私たちは年齢を重ねたり、身体に障害を抱えたりした途端、「美しいものに囲まれて生きる権利」を諦めなければならないのだろうか。

現在のケアや福祉の現場において最優先されるのは、コストや管理のしやすさ、そして安全性や効率性であることが多い。しかし、その正しさの陰で、使う人の心が傷つき、自らの主体性を手放しているかという事実に、社会はあまりにも無自覚だったのかもしれない。

バック氏が目指したのは、人間の弱さを隠すことではない。その弱さも含めた人生のすべてを、最後まで誇り高く祝福すること。彼が提唱する「ディグニティ・デザイン(尊厳のデザイン)」という思想は、単に美しいプロダクトを作る試みを超えて、私たちが老いや弱さをどのように包摂していくかという、社会のあり方そのものへの問いかけだった。

話者プロフィール:Anker Bak(アンカー・バック)

Anker Bak家具デザイナー、家具職人(キャビネットメーカー)。デンマークおよび国際的なデザイン界において、伝統的な職人技と実験的なアプローチを融合させた独自の領域を切り拓く先駆者。ディスレクシア(読字障害)という自身の特性から手先でものを生み出すクラフトマンシップの道へ進み、のちにデザイン学校を卒業。カール・ハンセン&サンや、カリモク家具、宮崎椅子製作所をはじめとする日本のトップメーカーとも深く協働を重ねる。格調高い美学と高度な機能性を両立させたデザインを通じて、ケアや福祉、そして人生の最終フェーズにおける社会課題の解決に挑み続けている。

福祉用具を「美しい家具」へと再定義する

バック氏が導き出した解決策は、既存の福祉用品の概念を根底から変えるものである。それは、「松葉杖や入浴用のスツールを、隠すべき医療器具ではなく、日々の暮らしとウェルビーイングに調和する『美しい家具』へと再定義する」というアプローチだ。

実のところ、キャリアを歩み始める前のバック氏は大きな葛藤の中にいた。自身にディスレクシア(読字障害)があったことから手先で表現する職人の道を選び、さらにデザイン学校へと進んだものの、自らの手で家具をデザインする意義を見つけられずにいたのだ。

「世界にはすでに十分すぎるほどの椅子やテーブルがあります。その中で、デザイナーとして『もう一脚、新しい椅子を作る本当の理由』がどこにあるのだろうか、と本気で悩んでいました」

バック氏は、従来的な“家具”をデザインさせようとする学校の先生たちを「松葉杖を玄関に置くインテリア・アクセサリーとして捉えればいい」と説得し、卒業制作で祖母のための美しい木製松葉杖を完成させた。

Photo by Jacob Fox Maule

彼は制作したもののことを「プロダクト」と呼ばない。こだわるのは、単に言葉の表面を書き換えることではなく、その言葉が持つ響きが、私たちの脳裏にどのような「最初の視覚的イメージ」を結ぶかだ。

「私にとって『プロダクト』という言葉は、少し冷たくて硬すぎる、産業的な印象があります。しかし『家具』という言葉は、もっと柔らかく、優しい響きを持っています。言葉を変えることは、人々の意識と想像力を変えるための、最も簡単で重要な最初のステップなのです」

彼がパートナーのヨナス・ソルバーグ(Jonas Sølberg)氏とともに立ち上げた「Dignity Design(ディグニティ・デザイン)」は、デザイナー、メーカー、助成団体、研究者を繋ぐひとつのデザインムーブメントとして機能している。美学が人間の心身にどのようなポジティブな影響を与えるかを科学的に証明し、「機能と美しさが完全にイコールである」という新しいものづくりの基準を社会に確立しようとしているのだ。

ブランドの力で、ケアの境界線を書き換える

卒業直後、メーカーのドアを片っ端からノックしたバック氏を待っていたのは、完全な拒絶だった。どこの経営者も「ケア製品」という言葉を聞いた途端に心を閉ざしてしまったのだ。そこで彼は、4年におよぶ過酷な停滞期を経て、一つの戦略を立てる。「一度この領域から離れ、通常の家具デザインで自分のブランドを築こう。信頼を得てから、もう一度戻ってくればいい」と。

彼はカール・ハンセン&サンや、日本のカリモク家具、宮崎椅子製作所など、高いクラフトマンシップを持つメーカーと通常の家具で協働を重ねて実績を築き、2022年の個展で、満を持してこの領域への凱旋を果たした。メーカー側が彼の声に耳を傾けるようになったのは、時間をかけて築いた信頼の土台があったからだ。

そのバック氏のデザインの射程は、人生の最終フェーズである「死」にまで及んでいる。その一つが、スカンジナビア最大の棺メーカーと協働し、自身の祖母が実際に眠るためにつくられた美しい木製の棺「RO」だ。さらに、日本の仏壇からインスピレーションを得て作られた円形の棚「Cyklus」は、北欧の個人宅を中心に大きな反響を呼んでいる。まだ導入には至っていないものの、病院からも非常に強い関心が寄せられており、近い将来の設置に向けて、複数の病院との共同プロジェクトが進行中だ。

Photo by Carsten Ingemann

 

Image via Anker Bak Studio

3daysofdesignでの展示の様子|Image via Anker Bak Studio

「病院の終末期病棟の部屋には、その人のプライベートがありません。あるのは無機質なベッドと白い壁だけです。しかし、この小さな棚を壁に掛けるだけで、そこが患者と家族のための、神聖な空間になります。家族が花を飾り、写真を並べる。現場の医療従事者たちから、逆にこのデザインが持つ『アイデンティティを取り戻す避難所』としての意味を教えてもらいました」

バック氏は「生を授かることと、死を迎えること。この2つのフェーズに差はなく、完全に等価であるべきです」と語る。人生のサイクル全体をあるがままに受け入れ、祝福するためのインフラを、彼はクラフトマンシップを通じて紡ぎ出しているのだ。

「新しいメガネ」がストリートに並ぶ10年後

「ディグニティ・デザインは、特別な人のためのものではない」とバック氏は言う。

彼がデザインした木製のスタッキングできるピルケース「Yōbi」のように、健常者であっても若い世代であっても、誰もが日常のウェルビーイングのために使えるインクルーシブな視点がそこにはある。

Photo by Jacob Fox Maule

バック氏が旭川の家具メーカーである匠工芸と制作したリクライニングラウンジチェア「GAZE High-back Chair」も、その思想を色濃く反映している。リクライニングの軌跡が美しいこの椅子は、非常に軽量であり、北欧と日本のミニマリズムが融合した、有機的デザインが特徴。このシリーズではスチールという素材を隠すことなく、むしろ機能性を引き立たせる主役として美しく露出させており、そこに精密さと木のぬくもりが共存している。

Image via Takumi Kohgei

機能性や安全性をクリアした上で、空間全体の心地よさと調和する美しい佇まいを持たせること。これこそが、病院という機能的な場所に、その人が一人の感情を持った人間であるという記憶を取り戻すための、デザインのアプローチなのだ。

彼が10年後の未来として本気で夢見ているのは、こうした製品が並ぶ、街の景色そのものの変化。それは例えば、デパートやセレクトショップのワンフロアに、これらの美しい杖やシャワースツール、そしてラウンジチェアが、通常の家具と並んで売られている光景である。

「松葉杖や杖は、新しい『メガネ』にならなければいけません。30年前、メガネは無骨な医療器具でしたが、今や誰もが自ら進んで使いたくなるファッションアクセサリーになりました。道具を暗い福祉用品専門店に隔離するから、使う人に恥の意識(スティグマ)が生まれてしまうのです。大好きなデパートに堂々と行って、自分の意思で美しい家具として選べる世界を作りたいと思っています」

そのために、デザイナーやメーカーは、既存の短期的な「成長」や「売上」だけの論理を離れ、朝起きて鏡の前に立つたびに自問自答しなければならない。「今日、自分は世界に何を価値として与え、世界から何を資源として奪うのだろうか」と。製品を数年で使い捨てるような消費のあり方を変え、世代を超えるものをメーカーとデザイナーが「共創」していくことこそが、未来を変える原動力になる。

誰もが安心して弱くなれる社会を

バック氏が語る「生と死は完全に等価である」という思想。人生の後半、身体が少しずつ機能を手放していくプロセスを、私たちは恐怖や敗北としてではなく、ただ自然な人生の物語として受け入れることができるだろうか。

彼の挑戦は、単なる北欧のデザイン美学の紹介ではない。現に、人口約600万人ほどのデンマークにおいて、多発性硬化症を抱えて生きる人々は約2万人にものぼり、日本でも高齢者だけでなく多くの人が生きづらさや身体的な脆弱性と隣り合わせで生きている。世界最速で高齢化が進む日本は、裏を返せば、世界で最も「尊厳のデザイン」が持つ価値を必要とし、それを先進的に実証できる最前線の国でもあるのだ。

3daysofdesignでの展示の様子|Image via Anker Bak Studio

日本には古くから物に精神性を宿す職人の文化があり、大切な人を思い、記憶し続けるための美しい伝統の作法が残されている。日本の仏壇や木工技術に深いリスペクトを寄せ、そこから新しいインスピレーションを受け取ってデンマークで活動しているバック氏は、日本で編み出される「尊厳」についてこう語る。

「日本には、人生の最後のフェーズにおいて故人に別れを告げ、記憶し続けるための素晴らしい伝統が今も息づいています。一方で現代のヨーロッパでは、葬儀も含めたすべてが『工業化』され、あまりにも早く処理されすぎてしまう。それは、遺された人々が深い悲しみを乗り越える上で、決して良いことだとは思えません。だからこそ私たちは、お互いを看取り、刺激し合えるような知恵を、デザインを通して分かち合うべきなのです」

効率や数字というロジックを少しだけおろし、人間が安心して弱くなれるための美しさと優しさを、私たちの手で社会の仕組みの中に編み直していくこと。あてがわれた無機質な選択肢を受け入れるだけでなく、誰もが人生の最期まで自分らしい景色を選び、お互いの生を讃え合えるような環境を整えていくこと。その一歩を踏み出すとき、彼の祖母がもう一度、笑顔で外へ歩き出したくなるような環境が生み出されるのだろう。

【参照サイト】Anker Bak Studio
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日本でのコラボレーターを募集中

アンカー・バック氏は現在、この「ディグニティ・デザイン」の展示を日本(東京・京都など)で実現させるため、ビジョンを共有し、共にムーブメントを起こしていけるパートナー企業やギャラリースペース、協働できるクリエイターを探しています。ご興味のある方は、ぜひ彼の公式ウェブサイト、またはメールなどを通じて、直接コンタクトをとってみてください。

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この記事を書いたライター

伊藤 恵(いとう めぐみ)。京都生まれ、東京育ち。大学院では都市社会学を学び、シンガポールを対象としたフィールドワークを通じて、大都市における人々の暮らしと都市の緑との関係を探究。現在はロンドンを拠点に、イギリスをはじめとする欧州のサーキュラーエコノミーに関する情報発信、レポート執筆、講演などを行っている。関心テーマは、まちづくり、ジェンダー、新しい経済や働き方。認定ファシリティマネージャー、CSRリーダー。(この人が書いた記事の一覧