誰だって、誰かの人生の“スパイス”に。自転車コーヒー屋台が伝える「とらわれない生き方」

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2020年7月から5か月連続で、東京都の人口移動は転出が転入を上回った(※1)。コロナ禍でリモートワークという言葉が定着し、働く場所の縛りがなくなりつつある中、生活の拠点を見直した人が多かったのかもしれない。「都心へアクセスできる自然豊かな場所に住みたい」「子育てをするには空気の綺麗な場所が良い」などと考えて、郊外や地方に移住を決めた人もいるだろう。

しかし統計を年代別にみると、20代では東京への転入の方が上回っており、東京からの転出が見られるのは30代以降。特に子育て世代である30代が最も多かった(※2)。もちろん20代の中にも、都心から地方へ移住した人や生活の仕方が変わった人もいるだろうが、移動に関する変化は年齢がより高い人たちの間で大きかった。

今、これまで以上に多様化しつつある働き方や生き方は、年齢や置かれた環境によってバラバラ。しかし、“どんな人だって、もっと自由に生きていい”。そんなメッセージをウィズコロナの時代より前から発信してきた人がいる。自転車コーヒー屋台『SPAiCE COFFEE』の紺野雄平さんだ。

「直感でやりたいことをやること、そして自分に正直に生きることを大事にしています」。そう話す紺野さんは、また「どんな人でも誰かにとっての“きっかけ”になれるはず」と言葉を続けた。そんな紺野さんに、自転車コーヒー屋台を始めたきっかけ、コーヒーを売り続ける原動力、自身の仕事に対する想いを伺った。

※1 住民基本台帳人口移動報告 2020年11月 都道府県別転入・転出者数より
※2 住民基本台帳人口移動報告 2020年11月 年齢(5歳階級),男女別転入超過数-全国,都道府県より

はじまりは就活に対するモヤモヤと「居場所をつくりたい」という想いから

かわいらしい真っ赤な自転車とカラフルにペイントされた看板。おばちゃん、おじちゃんたちが野菜を販売している朝市の中で、ひときわ目を引く人が紺野さんだ。自転車を改良してつくられた、その“屋外の小さなカフェ”でコーヒーを販売している。

生まれは福島県。高校を卒業後、進学した大学がある千葉県勝浦市にやって来た。大学卒業後もそのまま勝浦にとどまり、現在まで約6年間、勝浦市内の朝市や駅の近く、また隣町でコーヒーの販売を行う。ほぼ休みはなく、毎日コーヒーを淹れているという紺野さんに、まずはコーヒー屋台の仕事を始めたきっかけを伺った。

SPAiCE COFFEE 紺野さん

SPAiCE COFFEE/ 紺野さん

「きっかけは就職活動です。就活の面接のときって、みんな同じような髪色や髪型をして同じようなスーツを着て、受け答え方も似ている。そんな“みんなが同じことをしている状況”に違和感を抱いていました。」

「当たり前のことかもしれませんが、就活では採用される人がいれば、一次面接もしくは書類審査の時点で落とされる人もいます。そんな現実に対して感じたのが、『紙切れ一枚の情報や、たった一度きりの面接で一人の人間の何が分かるんだろう?』ということ。そんな風に就活のあり方に疑問を持っていたことから、最終的に『就職をしない』という決断をしました。」

「それから、何をしようかと考えている中で、“人が集まる場所をつくりたい”と強く思いました。最初はカフェを開こうと考えていましたが、開店資金がなかなか貯まらずどうしようかと悩む中で、再度自分の目的に立ち返ってみることにしました。そのときに気付いたのが、『目的が人を集まる場所をつくることなら店舗はいらない』ということ。初めはキッチンカーも考えましたが、最終的には、小さいけれどもっと手軽に始められる自転車に行きつきました。」

「何もない自分」と「何もない場所」を重ね合わせて

そんな経緯で、当時日本に一人もいなかった自転車コーヒー屋台を始めた紺野さん。そもそも地元は福島県、大学時代の知り合いも、そのほとんどが卒業後には勝浦から出て行ったそう。そんな中、なぜ一人勝浦にとどまり、仕事の拠点とすることに決めたのだろうか。

「もちろん地元福島でも、東京でも、やろうと思えばできたと思います。ですが、勝浦から始めることに意味があると感じていました。僕はすごい能力のある特別な人間ではなくて、むしろごく一般的な家庭で育ち、小さい頃から特に目立つような人間ではありませんでした。そんな、いわゆる普通で『何もない』自分と、年々人口が減少し都会と比べて『何もない』場所である勝浦を重ね合わせたんだと思います。」

SPAiCE COFFEE

SPAiCE COFFEE/ 紺野さん

「勝浦で4年間大学に通っていたとはいえ、地元の人との関わりはほとんどありませんでした。一方で、東京には情報や人が溢れ、福島には昔からの知り合いがいます。自分の活動をより多くの人に知ってもらい、いち早く“成功”に近づくためには、そういった発信しやすい場所や、既につながりがある場所からスタートする方が良かったのかもしれません。しかしあえて、『つながりがゼロ』の場所から始めることで、『平凡な人間であっても、頑張り次第で自分のやりたいことができる』ことを証明したかったんです。」

「一人ひとりのオリジナルの人生は必ず誰かしらのきっかけに」

自転車コーヒー屋台『SPAiCE COFFEE』の名前の由来は、「誰かにとっての“スパイス(spice)”になりたい」「みんなの“居場所(space)”をつくりたい」という紺野さんの想いから来ている。スパイスとは、言い換えると“きっかけ”の意味。来た人にとって心地の良い居場所でありながら、時にそこでの出会いが人生に刺激を与えてくれる。そんな場所になることを願い、つくられたのがSPAiCE COFFEEだ。

「僕は、たとえ有名人でなくても、私たち一人ひとりがそれぞれ異なるオリジナルの人生を歩んでいて、みんなが誰かしらにとってのきっかけになれると思っています。むしろ、無名の“一般人”だからこそ、伝えられることがある。一人ひとりがスパイスとなり、刺激し合えるような空間をつくりたかったんです。」

SPAiCE COFFEE紺野さん

お客さん同士が談笑している様子

「東京でも福島でもない、自分にとって“何もない”勝浦だからこそ、そんなメッセージが届けられると感じています。」

人とのつながりが日常の一部。朝市は「豊かさ」が詰まった場所

そんな紺野さんの仕事場の一つである勝浦の朝市。たまたま知り合った人が貸してくれた場所が朝市の通りだったということで出店を始めたそう。きっかけは偶然だったが、出店を始めて現在で6年目。高齢化が進み、20代や30代の出店者がほとんどいない中、朝市という場所に立ち続けるのはなぜなのか。

「単純に、朝市という場所に魅力を感じているからです。出店を始めて時が経つにつれて次第に気付いたのですが、朝市には『豊かさ』が詰まっています。例えば、目の前で売られている野菜を育てたおばちゃん、おじちゃんがそこにいて、その人たちの顔を見ながらコミュニケーションをとり、買い物をすることができる。人とのつながりが日常の一部として感じられるのが朝市なんです。」

SPAiCE COFFEE

朝市の様子

紺野さんの言葉を借りると、朝市とは「便利さを求める中では見つからない、人間が生きていくうえで大切なものが沢山詰まっている場所」。そんな勝浦の朝市は今年で430年を迎えるが、出店している人たちの高齢化が進み、10年後どうなっているか分からない状況だ。

「自分が出店することで、若い人や同年代の人たちに『朝市って良いな』と思ってもらいたいし、そういう若い世代に出店してもらいたい。特にコロナ禍になり、経済的な豊かさではなく、“心の豊かさ”を求める人が増えていると感じますが、朝市にはそんな“お金で買えない豊かさ”が詰まっています。だからこそ、この場所をなくしたくないと思うんです。」

歴史ある“豊かな場所”である勝浦の朝市を守ることは、ここでの出店を続ける理由の一つ。さらにもう一つ、朝市にこだわる理由があるという。

「来てくださった人たちに、朝市という場所をベースにした『“新しい社会のあり方”を知ってもらいたい』という想いがあります。コロナ禍でテレワークが増える中で、『田舎で生活をしよう』『もっと家族と過ごす時間を増やそう』など、働き方や生き方を見直した人もいるかもしれません。働き方が少しずつ多様になる今、新たな選択肢の一つに、“朝市で働く”ことがあると知ってほしい。生き方ってもっと自由で、多様で、それで良いと思うんです。」

原動力は、震災ボランティアで感じた「生かされている」という感覚

お話を伺う中で、世間的に“当たり前”や“普通”とされることに捉われず、「自由に生きていい」という想いが紺野さんの考え方の根底にある気がした。しかしそうはいっても、多くの人にとって、自分の想いのままに行動することは勇気がいること。それが人と違うことであれば尚更だ。SPAiCE COFFEEを始める決断をし、現在まで続けられている、その“原動力”は何なのか、尋ねてみた。

「コーヒーの道で生きていこう決めたときは、ノリと勢いでした。まだアルバイト以外で仕事をしたことがなかったこともあり、『失うものは何もない』『やるなら今しかない』って思ったんです。それが活動を始めた原動力ですが、継続できている原動力はまた別にあります。」

SPAiCE COFFEE 紺野さん

SPAiCE COFFEE/ 紺野さん

「きっかけは東日本大震災のときの経験です。震災直後、通っていた福島の高校に多くの人が避難してきました。自分は高校を卒業し大学に入学する直前で、自由な時間が多い時期だったので、被災してきた人を支援するために学校へ行きました。実際に現地に行ってみると、目の前には友人をなくした人、家族を亡くした人が沢山いたのですが、そういった人たちを目の当たりにしたとき、なんと声をかけていいのか分かりませんでした。自分が本当に無力だと感じました。」

「亡くなった人たちの中には、自分と同い年くらいだった子たちも多くいました。その子たちの中には、やりたいことをやっていた人もいるだろうし、夢半ばだった人、夢を見ることさえできなかった人もいたと思います。そんなことを考える中で、“自分が生かされている”ことを強く感じました。そして生かされているなら尚更、『やりたいことをやらなきゃな』『自分に正直に生きたい』と強く思ったんです。それが今でも活動を続けられている原動力になっていると思います。」

読者へのメッセージ

スタート地点は就職活動に納得できなかったことだが、やっていく間に、さまざまな思いを重ねて今に至っている紺野さん。強い気持ちで毎日“店”に立ち続けるが、もちろんこれまでに大変なことも数多くあったという。

「一番大変だったのは、活動を始めたばかりの頃。右も左も知らなかったとき、一日に一人もお客さんが来なかったときがありました。田舎だし人がそもそもいなくて、人が通っても3、4人の日もあったんですよね。お金が無くなって生きていけなくなり、死のうと思ったこともありました。」

「大変だった当時は気付いていませんでしたが、そんな辛いときでも他の仕事をしたり、就職したりすることは考えませんでした。死ぬか続けるかの二択。今思い返すと、震災のときに感じた“生かされている”という想いが自分の根っこの部分にあって、自分の仕事に対する使命を心のどこかで感じていたんだと思います。」

SPAiCE COFFEE

SPAiCE COFFEE/ コーヒー

「やりたいことをやる」「自分に正直に生きたい」という想いを胸に、苦しかった時期を乗り越え、多くの人たちの“スパイス”であり続けてきた紺野さん。最後に読者の皆さんに向けてこんなメッセージを送ってくれた。

「自分の直感を大切にして、とりあえず今できることをやってみてほしいです。僕の場合は、そうやって始めて行きついた先に朝市があり、やっていく間に『これを伝えたい、こういうのもありかな?』という想いや考えが出てきました。計画を立てて、その先のゴールを見据えることはもちろん大事なことだと思いますが、自分の感情に素直に、とりあえず動き出してみて後から考えるのも良いのではないかと思うんです。直感で動き出せば、自然と意味が付いてくると思います。」

取材後記

「居場所をつくりたい。」

取材の冒頭で、そう話してくださった紺野さん。実際にどのように居場所をつくっているのか尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。

「毎日いろいろな人たちがコーヒーを飲みに来てくれます。近所の人から遠方の人たちまで。そのときたまたま同じタイミングでその場に居合わせた人たちは目の前でコーヒーが出来上がるのを待っています。もちろん自分もお客さんと話しますが、コーヒーを淹れながらお客さん同士をつなぐことも意識しています。」

SPAiCE COFFEE

SPAiCE COFFEE

「『この人とこの人、つながると面白そうだな。』と思ったら、例えば会話中に急に話を振ってみたり、自分は意識的に、でも自然な流れでその会話から抜けたり……。コーヒーを通じた出会いから、来てくれた人たちの人生が明るい方向に動き出せばいいなと願いながら、コーヒーを淹れ続けています。スパイスコーヒーは、ただのコーヒーではなく、人々の人生にきっかけを与えるコーヒーです。」

自身の活動が「まちおこし」や「地域おこし」だと捉えられることが多いが、実際は自分が楽しいと思っているからやっているだけ。そのように話していた紺野さん。「コーヒーを通して人との出会いがあることが好き」「朝市という場所が魅力的」。そんな自分のワクワクから行動をしている彼だが、そんな素直な感情が多くの人と人をつなぎ、目には見えない豊かさを生み出しているようだった。

さまざまな価値観を持った人が存在するこの社会では、10人いれば10通りの人生がある。だから70億人の人口がいる世界では、人間の人生も70億通り。異なる個性や価値観の出会いは、各々にとっての刺激となり人生について考えるきっかけにつながったり、新しい何かを生み出したりするのかもしれない。

「誰だって、誰かの人生のきっかけになれる。」SPAiCE COFFEEのメッセージは、一人ひとりが存在するだけで意味がある。そんなことをも伝えてくれているような気がする。

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