Sponsored by 京都府長岡京市
何度でも訪れたくなる場所、京都。そんな京都の中心から見て西側にある「西山」エリアが、今ひそかに「日本人が忘れかけた、精神に根付くサステナビリティ」を感じられる場になりつつある。
京都駅から電車でおよそ10分。長岡京市をはじめとした乙訓地域や京都市西京区・八幡市を含む西山エリアは、アジサイをはじめとした季節の花々、紅葉、豊かな竹林、きれいな湧き水などで知られる。もう一つユニークなのは、「茶の湯(※1)」で知られる千利休と縁が深い地域だということだ。
※1 客を招き、抹茶をたてて楽しむこと。また、その作法や会合を指す。
2022年3月、IDEAS FOR GOOD編集部は千利休の生誕500年を記念したツアー『茶の湯の心を感じる京都・西山サステナブルツーリズム』に参加した。
茶の湯を取り巻くモノやヒトの歴史をめぐり、先人の暮らしを知ることで、古くから日本に根付くサステナビリティを改めて捉え直す旅だ。現地で長岡京市が主催し、西山エリアをめぐる1泊2日の体験が行われた。
本記事では、ツアーの様子をレポートしながら、私たちが茶の湯から学べる、日本らしいサステナブルな精神性について書いていく。
千利休と京都・西山
今日の日本にとって重要な文化の一つである「茶道」の基を築いた千利休。16歳で茶の道に入り、織田信長、豊臣秀吉の両名から非常に重宝された文化人だ。
千利休は、高価な外国産の茶道具(いわゆる唐物)の鑑賞に主眼をおいていたそれまでの茶の湯を、客へのおもてなしを最重視し、合理性を追求した茶室の構造、お点前の作法、茶道具といった一連の美意識として洗練させ、「世界に誇れる日本文化」に昇華させた。
京都・西山エリアの大山崎町には、千利休が作ったと言われる日本最古の茶室建築物「待庵(たいあん)」がある。また、同町の歴史資料館にはそのレプリカが置いてあり、館長から話を聞くことができた。
待庵は、現存する茶室としては最古のものです。内部の広さはわずか二畳。入り口も約66cmと狭いのです。天井は奥に向かって高くなる斜めの構造で、客人が入って来たときの圧迫感を和らげているんですよ。
このわずか二畳の狭い部屋で、どう客人をもてなすか。それが利休のテーマだったわけですね。利休は、豪華絢爛の時代の中で、極限まで無駄を省いたミニマリストといえます。
(大山崎町歴史資料館 館長 福島克彦氏より)
千利休がわび茶を成立させていくにあたり、重視したであろうと推察されるのが水の質だ。西山エリアは京都の中でもきれいな地下水が飲めることで知られており、サントリーウイスキーやビールの工場が置かれるなど、現在では、さまざまな飲料ブランドの拠点にもなっている。
また、長岡京市は千利休の弟子である細川忠興(千利休の教えを継承した「利休七哲」の一人にあたる人物。)の居城であった勝龍寺城跡をはじめ、細川忠興の父・幽斎が八条宮家の智仁親王に和歌の奥義を伝授した「古今伝授の間」の跡など、貴族や武家の文化交流の地であったことが偲ばれるスポットが点在している。
市内中心部に位置する長岡天満宮には、桂離宮の建設を手掛けた人物・八条宮智忠親王が造った「八条ヶ池」が広がっている。桂離宮と言えば、利休の感性を取り入れた建築様式・数寄屋造りと庭園の傑作で、さまざまな社交の場でもあった。八条ヶ池も八条宮の別荘だったとのことなので、八条宮と親交の深かった文化人が集ったことだろう。
現在、八条ヶ池には、創業140年になる料亭「錦水亭」の数寄屋造りの池座敷が雅やかに浮かんでおり、利休の時代から現代に至るまで、この地の文化人の間で茶の湯の美意識が親しまれ続けたことがうかがえる。
ツアーの中では「錦水亭」に立ち寄り、池の水面や庭園の緑を感じる優美な空間で、春の味覚である西山エリア特産のタケノコづくしの懐石料理を味わい、自然や四季の移ろいを取り入れたもてなしの心を体感した。
現在でも、さまざまな人の交流の地という意味ではその名残がある。長岡天満宮からほど近い、阪急長岡天神駅の目の前には、まさに「体験」と「交流」を通じて人やまちと繋がるホテル「ディスカバー長岡京」がそびえ立つ。海外の人が訪れ、街の人と繋がりながらさまざまな日本文化を知ることができる場所だ。
日本人はなぜ、狭くて暗い部屋で茶を飲むのか?
茶の湯に話を戻そう。茶室「待庵」の広さは、たったの二畳。大山崎町歴史資料館の福島館長は、欧米の方からよくこんな質問を受けたという。「日本人はなぜ、粗末で狭くて暗い部屋で、ありがたがって茶を飲むのか?」
その疑問を追求することが、日本の精神性について考えるきっかけとなり、未来を生きる私たちが持続可能に暮らすヒントとなるのではないか。ここでは、今回のツアーから得た学びとして三つのことを共有したい。
「侘び寂び(わびさび)」の美意識
千利休が愛したのは、華美な装飾や豪華さではなく、真っ黒な茶碗である『黒楽茶碗』に代表される簡素さ、侘び寂びの心。侘び寂びとは、質素なものや、時を経たものの中に閑寂な美しさや心の充足を見出す考え方だ。
日本古来の美意識の特徴に、「ここにないもの」を感じることが挙げられる。永遠の美や満たされたものではなく、少し欠けた茶碗ほど美しい、桜は短い期間で散るからこそ美しいなど、「足りなさ」にこそ良さがあり、その部分を自らの想像で補うというものだ。
過去記事で取り上げたように、侘び寂びの成り立ちは千利休が生きた戦国時代まで遡る。外国から手に入れた豪華な茶道具を飾り、賑やかな宴会を楽しむ「風流」の茶が盛んであったことの反動から、身近な自然を活かした簡素な道具を用い、閑寂の中で人々の心のやり取りを楽しむ「侘び寂び」の茶という、対極にある考え方が広まったのだ。
この流れは、経済的な豊かさを追求するあまりに環境が破壊され、その反動としてより持続可能な暮らしを求める人々が増えている現代の状況とも重なっている。
日本語には「足るを知る」という言葉があり、昔から、慎ましさやシンプルで飾っていないものの本質的な価値を認め、美しさを見出す感性が息づいていた。今こそ、侘び寂びの考えに基づいて美意識を捉え直すことが求められているのかもしれない。
上下関係のない、フラットな空間を作ること
「茶室には、上下関係も、敵対関係もありません」そう話すのは、西山エリア・八幡市に店舗を構え、懐石を基にした日本料理を提供する老舗「京都𠮷兆」の総料理長、徳岡邦夫氏だ。
客にお茶を提供するだけなら水屋で点てて持ってくれば良いのに、わざわざすべての茶道具を持ち込んで、その場で茶を点てるのはなぜだと思いますか?
客に「毒が入っていない(=自分は敵ではない)」ことを示すためだと考えます。客と同じ器で回し飲みをしていたのかもしれません。自分をさらけ出すことで、想いをひとつにしたかったのだと思います。戦乱の世で、腹を割って話し合い味方を作る場所が待庵だったのではないでしょうか。
待庵の入り口は約66cm。入るには、腰の刀が邪魔になります。帯刀せずに主客が、間近に向き合い、対等に話せる空間を作り出したことが、利休の凄さ。この待庵の画期的なところだと思います。
攻撃されない安心な場所、そして立場に関係なくフラットに対話ができる場所を作ることの大切さが伺える。
「人の心を取り戻す」お茶の時間
大山崎町の歴史資料館によると、石田三成は朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、前線で戦う者たちに茶を配布したという。お茶を飲む行為が、戦乱の世を生きる武士たちにとって、戦場であることを一時忘れられる時間であり、人の心を取り戻せる時間でもあったからだ。
ほっと一息ついて日常に戻る時間が大切なのは、現代でも同じである。昨今のロシアによるウクライナ侵攻を受けて、2022年3月にウクライナの首都キーウ入りしていたジャーナリスト・小西遊馬さんを取材した際には、こんな言葉が出た。
今一緒に住んでいるウクライナ人との取材帰りにも、彼女が「コーヒーを飲みたい」と言うので、「じゃあもうすぐ家だから、家で飲もう」と返したんです。そしたら、「いやいや、外で飲みたい」と。「外で普通にコーヒーを飲むという日常が、今のこの状況を忘れさせてくれるから、外がいい」と、言っていたんです。
そうしたささやかな時間をあえて──明日死ぬかもしれないと思ったときにやっと、そういう普通の日常がものすごく美しいと感じたり、それが何らかの形で人々を助けてくれたりすることは、あると思います。
街中の広告やテレビCM、SNSで日々流れてくるニュース。膨大な量の情報に囲まれて、忙しい毎日を過ごす私たち。その中で時間をかけてお茶を飲むという行為が「人間味を取り戻す」ことに繋がるというのは、不思議と納得できる考え方であった。
茶の湯に欠かせない竹工芸
古くから日本の生活に小さな楽しみを与えてくれていた茶の湯。そこに欠かせないのが、竹を使った茶道具である。
千利休は、戦国時代までは金属や陶器、象牙等で作られた外国製の唐物が尊ばれていた茶道具に、竹をはじめとした身近な自然素材を積極的に取り入れた。床に飾る花入(花を生けて飾る容器)、茶をすくう茶杓、茶釜の蓋を置く蓋置等、利休が竹を使って創作したことで、茶の湯に竹工芸は根付いていった。
西山エリアには、長岡京市に孟宗竹(もうそうちく)発祥の地である寂照院があり、古くからタケノコが栽培されてきたことから、現在も広範囲に渡り美しい竹林が広がっている。竹と地域の生活・産業が結びついてきたこの地が、利休が侘び寂びの茶の湯の完成に向け、茶道具の創作や、茶室の設えを考案するのに適していたであろうことが想像される。
ツアーの中では、竹と茶の湯の関係を体感できる「竹生園 高野竹工ショールーム」に立ち寄った。ここでは、抹茶をすくう「茶杓」づくりを体験した。シンプルな作業に見えるが、竹の削り方によって茶杓の形や雰囲気がかなり変わるなど、奥深い経験である。自ら手を動かしてもてなす客のことを思いながら茶を点てるための道具を作る、そのプロセスに、茶の湯が重んじる心の交流の本質があるのかもしれない。
また、「竹生園 高野竹工ショールーム」では、待庵の改修の際に生じた希少な古材を用いた商品を展示・販売しており、本物の素材を通じて、時空を超えた利休のものづくりや感性に触れることができる。
なぜ、利休は茶の湯に竹を取り入れたのだろうか。竹は1日に30cm~1m近く伸びるなど成長が早く、伐採したあとも、地中に広がる「地下茎」から新たに再生するため植え替えの必要がない。強度もあるため、現在は「プラスチックに代わるサステナブルな素材」としてさまざまな商品にも使われている。
竹の素材としての美しさはもちろんだが、茶の湯をより日常のものとしていく上で、身近で継続的に手に入りやすく、機能に優れた資源であったことが注目される。
茶の湯と深く関わる西山エリアの竹だが、近年は「竹害」と呼ばれる問題が生じている。生産者の高齢化等により、十分に管理されていない竹林が、雑草のごとく増殖することだ。垂直に20メートル以上伸びる竹が日光を遮り、周りの樹木を枯らすと、鳥類や昆虫類の数が減り、生物多様性の低下を招いてしまう。
こうした問題への対応に向け、西山エリアでは、竹林の手入れを行うボランティア活動が盛んだ。ボランティアに参加する方によると、自分たちが手入れをした竹林のタケノコを実際に味わったり、竹製品を生活に取り入れたりすることが、地域への愛着にもつながっているそうだ。
茶の湯ツアーを体験して
1泊2日のツアーを終え、他の参加者からは、「千利休についてほとんど知らなかったけれど、知識がなくても楽しめるスポットばかりだった」「西山エリアは、他にも明智光秀など縁の深い人物がいて、十分に観光のポテンシャルがあるのに、あまり知られていないなんて勿体ない」といった声が出た。
茶の湯にまつわるモノについて考え、西山エリアのヒトの言葉をたどり、千利休から「侘び寂びの心」や「フラットさ」「ほっと一息つく時間の大切さ」を学んだ今。日々の暮らしの中で、なるべく「良い方」の選択を積み重ねていきたい。そう思わせてくれたツアーである。
長岡京市をはじめとした乙訓地域、京都市西京区・八幡市を含む京都・西山エリアは、現代の暮らしにも取り入れたい、サステナブルな美意識や、私たちが学ぶべき歴史がよく見える場所だ。2022年に生誕500周年を迎えた、千利休の足跡を辿ってみてはいかがだろうか。
【参照サイト】歴史と花とやすらぎのまち|長岡京市観光協会
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