「→」一方通行を「◯」に。静岡・沼津の循環工場が提案する“めぐる”暮らし方

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富士山から南東におよそ30キロ。狩野川沿いに位置するまち、静岡県沼津市我入道(がにゅうどう)。

そこにあるのが、空き瓶や廃建材、廃プラを活用して壁や床を作り、井戸水をひき、太陽光パネルで発電し、天ぷら油で車を走らせ、薪でストーブを炊く、循環型のライフスタイル発信拠点「循環ワークス」だ。

環境に寄り添い、「モノ」や「ヒト」を循環させてよりよい生活のしくみを考えるための「循環工場」として2020年に操業を開始したという同拠点。今からおよそ10年前まで、その建物はなんとさば節(さばぶし)の工場だったという。

「ライフスタイル発信拠点」とは一体何だろうか?「循環工場」では何が行われているのだろうか?循環ワークスはなぜ、「循環型の暮らし」を追求するのだろうか?

そんな疑問を明らかにするため、IDEAS FOR GOODは2024年1月、循環ワークスの工場長 山本広気(やまもと・ひろき)さんを訪ねた。

本記事では、「循環」の概念が新たな文化として地域に根付いてゆく、その軌跡を追う。

災害によって機能不全に陥る暮らしの儚さへの気づき

循環ワークスの工場長である山本さんは、1981年静岡県沼津市に生まれた。幼い頃から何かを分解して違うものに作り替えたり、今あるものから全く新しい何かをつくったりと、『モノ』を循環させるためのいろいろなアイデアを考えることが得意な少年だったという。

山本広気さん

地元の高校で電気工事士の資格をとったのち会社員として就職した山本さんは、2002年に会社員を辞めて海外へ放浪の旅に出た。

「父親は昔から『二十歳をすぎたら自由に生きなさい』と言っていました。私はその言葉通り、成人式が終わってすぐさま会社を辞め、自由な生き方を探す旅に出ました」

オーストラリアやアメリカ、南米、中国、東南アジアなど世界の様々な国を渡り歩いていると、日本では触れることのない途上国での環境問題の現状や、異なる文化や価値観のなかで思い思いの生き方を貫く人々を目にした。

帰国後の2010年、旅の途中で出会ったパートナーと結婚。その翌年の2011年、日本では東日本大震災が発生した。

「3.11があって、街中から日用品や食料品が消えました。ライフラインが滞り、人々は通信手段を絶たれ、様々な情報が交錯するなかで社会がパニックに陥っていきました。自然災害によってあっという間に機能不全に陥る自分たちの暮らし方を目の当たりにした時の衝撃は大きかったです。この暮らしの仕組みをなんとか持続可能にしたい。その想いが、活動のはじまりでした」

さば節工場の跡地を、「暮らしの拠点」に変えたい

海外で目にした環境条件や価値観の異なる暮らしの面白さと、大地震によって崩れていく自分たちの暮らしの脆さへの気づきが起爆剤となり、一念発起した山本さん。電気工事士の知識と技術を活かして、電力の自給自足、すなわちオフグリッドを推進する「山本電力(やまでん)」を立ち上げた。全国各地で独立型太陽光発電のワークショップを開催したり、各種イベントに廃天ぷら油を原料とする電力を供給したり、様々な場面においてオフグリッド化の実現を手伝った。

やまでんでの、オフグリッド普及のイベントの様子

やまでんの活動と並行して山本さんが進めていたのが、持続可能な暮らしを模索するための拠点となる物件探しだ。

限られた資金のなかで、山本さんの挑戦に適した場所を見つけるまでには、7年という時間がかかったという。

「はじめは、『拠点をつくるなら山の中はどうだろう』と思っていました。しかし、多くの人に訪れてもらえる場所にしたいとか、いずれは商売もしてみたいとか、そういった希望を叶えようとすると、法律や予算などの条件が障壁となり物件探しは難航しました」

2019年に出会ったのが、競売に出ていた沼津市我入道のとある物件。そこは、倒産したさば節の工場だった。建物内は薄暗くホコリまみれで、操業当時の設備がそのまま残されていたという。

沼津市は山本さんの地元ではあるものの、生まれ育った地域から少し離れた海沿いの我入道には、独自のコミュニティや歴史がある。そこに自分たちのこだわりの「暮らしの拠点」を一から創っていくという決意は、決して容易ではなかったはずだ。

それでも「やっと見つけたこの場所でやってみよう」という自身の想いを信じ、ようやく物件の購入に踏み切ったという。

すべてをDIYで仕上げる、手作りの拠点

2020年1月14日。いよいよ建物が山本さんのものとなり、そこで暮らしを営むためのリノベーションがはじまった。

「初めの数ヶ月は、毎日防塵マスクをつけて、ひたすら掃除とDIYを進めていました」

工場内に飾られた、リノベーション開始当初の写真

同時に、SNSでの情報発信や地元住民に向けたサポーターの募集を開始すると、少しずつ想いに共感する人が集まってきたという。

「これまでに、のべ500人の人手に助けられてきました。リノベーション開始当初から通い続けてくださる地元の方もいれば、遠方から駆けつけて束の間でも手を貸してくださる方もいます。皆さんの知恵や得意なことを持ち寄って少しずつリノベーションを進めてきました」

そして2020年10月にプレオープン、2021年5月に正式なオープンを迎えた、工場「循環ワークス」。

循環ワークス 工場外観

施設内には、サポーターたちとともに試行錯誤を重ねて構築した様々なアイデアが詰まっている。ここで、工場内で見つけた循環の仕組みのいくつかをご紹介する。

廃プラを埋め込んだ玄関スロープ

建物の入り口のスロープは、もともと廃棄物となる予定だったプラスチックを埋め込んでコンクリートで固めた。斜面に刻まれた循環ワークスのロゴは、刺繍が得意な地元のサポーターが手書きした型を転写したという。

完全オフグリッドの太陽光発電システム

屋上には、循環ワークスの工場の電力供給を支える太陽光パネルが設置されている。

屋上に設置された太陽光発電システム

「太陽光パネルは、静岡県内の大学で研究のあと不要になったパネルを譲り受けました。バッテリーは、震災後、電源のないところにオフグリッドのシステムを構築する活動をしている埼玉のNPO法人から購入しました」

循環ワークスの建物で使用する電力は、全てこの太陽光パネルで賄っている。完全オフグリッド施設のため、日照不足の日が続くと、建物の電気が点かないこともあるという。

「日本に暮らしていると、つい電力は無限にあって使いたい時に使える資源だと感じてしまいますが、本当は電力は有限な資源です。循環ワークスのオフグリッドシステムを通じて、普段当たり前となっているインフラの恩恵に気付くきっかけも提供できればと思っています」

建物の壁面の一部には、廃棄予定だったガラスボトルを埋め込んでいる。これにより、屋外から自然光が入り込み、電力設備に頼らず室内を明るく保つための手助けにもなるという仕掛けだそうだ。

建物の外から見たガラス瓶の壁面

建物の中から見たガラス瓶の壁面

さらに、移動に使う車のガソリンや熱源となるストーブにも、うどん屋さんから譲り受けた天ぷらの廃油を活用している。

廃油で焚くストーブ(画像左手)と、日の入り後の工場内の様子

人と環境、両者の困りごとを解決する古物の循環拠点

改築や取り壊し予定の建物で不要になった古道具を回収し、次の使い手へ受け渡すための拠点としても機能している。

工場内に並ぶ古物たち

「依頼の多くは『実家で両親がなくなった』、『お店を閉店することになった』などの理由で、使えるけれどいらないものが溢れておりどう処分して良いのか困っている方々からやってきます」

不用品や遺品の整頓は、業者に頼んで一度に処分してしまえば簡単だ。しかし、せっかく質のよいもの、価値の高いものがたくさんあるにも関わらず、処分費用を払ってまでそれらを廃棄物として扱ってしまうのは、人にとっても環境にとっても喜ばしいことではない。山本さんは、依頼があるとサポーターとともに廃油で走る自動車に乗って、依頼主のところへ足を運んでいる。

DIYで作るDIYの拠点、木工製作室

日用品のリペアからDIYまで、誰でも借りることができる

建物を入って右手には、かつてさばを燻すために使われていた部屋の一部を活かして木工室を作った。さば節工場だった頃に床に敷かれたレールはそのままに、サポーターと協力して処分予定だった建材や木片を細かくカットしてサイズを合わせながら、床の段差を埋めたそうだ。

レールの段差を木片でカバー

施設内にはその他にも、循環型のシェア本棚や、自家製シロップやオーガニックのドリンクを扱うカフェ、循環型農地を目指す屋上菜園など、様々な切り口で循環を体験できる仕組みが施されている。

建物2階にある循環ライブラリー

カフェスペース

屋上菜園の土には、不要になった屋根の瓦チップを混ぜている

プランターには、不要になったバスタブを使用

抜け道のないまち・我入道の文化に、「循環」が溶け込んでいく

ここまで多くの循環の仕組みをひとつの拠点に取り入れるまでの道のりは、決して容易ではなかっただろう。独自の文化や歴史のあるこの地域に、山本さんたちはどのように馴染んできたのだろうか。

「我入道はまちの作りが特殊で、大きな通りから信号を曲がると、他のまちへの抜け道が一つもないのです。ここに用事のない人が路地を通ることはないので、すれ違う人は皆このまちの人。誰に対しても目を合わせて挨拶をしたり、町内会長やまちの重役の方々に直接活動の説明に行ったり、自分から交流を深めるためにあらゆる行動をしました」

山本さんたちが毎日必死で掃除を続けながらまちを知ろうと努力する姿を見て、区長や漁師、そして住民たちも段々と信頼を寄せるようになったという。

「我々の活動も3年目に入り、季節の行事で使う飾りを循環ワークスにある廃材で作ってみようとか、ワークショップ形式にしてみんなで作業してみようとか、我々の活動を地域の文化に取り込む提案をいただくようになりました。少しずつですが、『循環』が地域の一部になっているということを感じています」

取材の様子

地域に新たな文化を築く者の責任とその決意

「このまちに生活の根を下ろすと決めた時から、自分もまちに何かを還元できる存在になることを固く決意していました。だから、地域の伝統行事には必ず参加するとか、神社やビーチの清掃を手伝うとか、地域に住まうものとして当たり前のことに『そこまでしなくてもいいよ』と言われるくらいきちんと取り組もうと決めています。これは、地域に新しい文化を持ち込むものとして当たり前の責任だと思っています」

山本さんは、我入道の主要産業である漁業を支える海洋環境や漁師たちとの関係構築も欠かせない、と続ける。

「活動を始めた当初は、海辺にごみを捨てている人を見かけることもありました。しかし、最近では『循環ワークス』の発信するメッセージが波及し、地域の環境意識が高まっていることを感じています。例えば漁師さんとは、『ごみ箱を置いておくから、ごみはここに捨ててね』と声をかけられる仲になりました。そして、かつては浜辺に空き缶を投げ捨てる音がしていたところ、ごみ箱に空き缶を捨てている音を聞くことができるようになりました」

自分たちの発信で、地域に価値を還元する存在に

これからは循環ワークスの活動を受け入れ、手助けしてくれる地域への還元に一層力を入れていきたいという。

「2022年末から、循環ワークスの工場とは別に古民家を借りて、コミュニティナースの活動を始めました」

山本さんは、早朝海に出る漁師が暖をとる場所を提供したり、地域の困りごとや課題を聞いて共に解決を目指したり、物質的な循環を越えた地域の持続可能性に働きかけていきたいと話す。

「循環ワークスの活動の原点でもある防災の観点からも、いざという時に地域コミュニティを救う存在になりたいと思っています。我々の工場には、自立型の発電システムがありますし、井戸水や熱源、床下には味噌の貯蔵もありますから、地域の皆さんで1週間は生き延びることができると思います。海が近いため津波のリスクもありますが、災害対策として既存のインフラに依存しない拠点を提供したいです」

活動の幅を一層広げていくため、2023年12月から2024年1月にかけてクラウドファンディングを実施した山本さん。工場に足りない火災報知器の設置や衛生設備の増設実現を目指しての取り組みだ。期間中には、地元住民はもちろん、地域を問わず循環ワークスの取り組みに共感する人々から多くの支援が寄せられた。

「これまでがそうであったように、これからも社会の変化に合わせて暮らしのあり方も変化していくに違いありません。例えばごみ問題ひとつとっても、新しい課題や価値観が出てくるかもしれません。そうすれば『ごみ』になるものも変わるでしょうし、我々が『いいな』と思うものも変わるでしょう。私は、そういった変化のなかで、『循環型のライフスタイル』模索の旅を死ぬまで楽しみ続けると思います。なぜならば、我々がここで営み、発信していることこそ、終わりのない『暮らし』そのものだからです」

山本さん(中央)と、サポーターの皆さん

取材後記

まちづくりや、環境保全の文脈から、学校や教育機関へ出向き講演を行う機会も増えているという山本さん。

そこでよく耳にする「SDGs」について、山本さんは次のような想いを語ってくださった。

「子どもたちを前にして、私はいつも『SDGsが定める17のゴールを見て、みんなは何を思う?』と問いかけます。なぜならば、『貧困をなくそう』とか『飢餓をゼロに』とか、どれも解決すべき課題であることは明白ですが、そもそもそれらが世界全体の課題になっており、その解決に大きな努力が必要なこと自体が、とてもまずい状況だと考えるからです。どの課題も当たり前にこの世に存在するべきではないし、その解決は宣言するようなことではないはずなのです。子どもたちがSDGsについて学ぶときは『今我々はできていない』ということが前提なのですが、そもそもそれだけの課題が目の前にあって、その解決に努力を要するということがいかに不合理な状況であるかに気づき、それを主張できるようになってほしいのです」

筆者は、横浜で循環型の暮らしを推進する活動・Circular Yokohamaに携わる者として、山本さんのこの言葉を深く受け止めた。

「サーキュラーエコノミー」や「循環経済」、「脱炭素」といった言葉を投げかけると、どうしても難しそうな印象を受けてしまい、生活との直接の結びつきは見えにくいだろう。それゆえ、つい明るい情報や楽しい側面を伝えることで親しみやすさを感じてもらおうと考えてしまう。

しかし、そもそもこのままでは持続可能性が担保されていないまちに自分が住んでいるという緊迫の状況には、誰もが真剣に向き合わなくてはならないはずなのだ。

山本さんへの取材を通じて、情報の発信者として対峙すべき現状を再認識するとともに、難しい課題に対してただ正面から向き合うだけではなく、「暮らし」の一部として当たり前に向き合い解決を目指す道もあるということを学ぶことができた。

【参照サイト】循環ワークス
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