誰かに会いに行くのに、あんなにも胸が高鳴ったのはいつぶりだっただろう。
2024年2月下旬、筆者は新神戸駅から新幹線と船を乗り継ぎ、広島県の瀬戸田町へと向かっていた。船の窓からは散らつく雪が見えていたのに、思わず上着を脱いでしまうほど身体があたたかかったのは、ずっと会いたいと想い続けた人たちに会いに行く途中だったからだ。
数年前、偶然聞いていたラジオ番組で筆者の心を鷲掴みにした、「株式会社Staple(ステイプル 以下、Staple)」。全国津々浦々を旅する中でできたご縁、そして彼ら自身が魅了されたエリアで自らが生活者となり、まちの企画・ブランディング・開発・運営を一気通貫で行う「ソフトデベロッパー」だ。
彼らは、ご近所というミクロな生活基盤に、その土地の良さを表す旅館やホテルから、ワークスペースや銭湯、喫茶店、八百屋といった、柔らかくも必要不可欠な新しいインフラを築く。それによって、多様な人がそのまちとかかわり、まちから草の根的に世の中が変わっていくきっかけをつくり出そうとしているのだ。
戦後、都市化が進み地域の人口減少や高齢化が深刻な問題となるなか、さまざまな場所でそこにしかないまちの魅力や文化が消えかけている。そんななか、「日本らしい社会課題の解決方法は、ローカルに根付く文化を取り戻すことにある」という筆者の仮説を確信に変えてくれたのが、Stapleの活動だ。
今回はStapleの物語が始まった場所、広島県・瀬戸田町にて、代表の岡雄大(おか・ゆうた)さんと瀬戸田の活動を率いる小林亮大(こばやし・りょうた)さんのお二人に、創業前から現在までの物語、そして彼らの持つ信念や考え方について聞いた。
自らが生活者となり、徒歩20分圏内のご近所を開発する
取材が始まってすぐ「Stapleの活動を簡単に説明していただけますか?」とお願いしたとき、岡さんが苦笑いを浮かべたのをみて、「野暮なお願いをしてしまったな」と少し後悔した。というのも、Stapleの活動を「簡単に」説明することなどできないからだ。
岡さん「我々のやっていることを一言で説明するのってすごく難しいんです。デベロッパーと聞くと、不動産をつくることをイメージされがちですが、Stapleは不動産の中の“場”をつくっていくことを含めて開発だと思っています」
Stapleが、自分たちのことをデベロッパーと言わずにあえてソフトデベロッパーと自称しているのも、ハード面をつくるだけの会社ではないことをわかりやすくするためだという。
岡さん「もう少し説明すると、徒歩20分圏内のことを“ご近所”と呼んでいるのですが、そのご近所までをつくっていくデベロッパーです。そのまちに訪れるきっかけとなるようなホテルや旅館をつくるのと同時に、そこから徒歩20分圏内にもそのまちの魅力を引き出す場所をつくっていきます」
Stapleがイメージしているご近所とは、隣人同士でなにかを貸し借りしあったり、まちを歩けば鼻歌を歌いながら通り過ぎていく人がいる、そんな人間味のある場所。そのまちの「暮らし」を置いてけぼりにせずに、生活者の目線に立って、どんな場をつくれば自分たちのイメージするご近所がつくれるのかを考えているという。
岡さん「まずは自分たちがそのご近所の生活者になることから始まります。自分が住んでみるからこそ、本当に必要なものがわかってくる。地元の人たちとニューローカル(新しい地元民)の私たち、そしてまちを訪れる観光客、その三層との連携・やりとり・会話を積み重ねながら、30年かけてご近所をつくっていくことを目指しています」
暮らしている人がそこにいるだけで、その場へのまなざしは180度変わる。広島県・瀬戸田町、東京都・日本橋に始まり、2024年からは北海道・函館市と山口県・長本湯本にも新たな拠点を構えたStaple。小林さんが瀬戸田町に移住したように、どの場所にも生活者として移住する社員がいるというのがユニークだ。
旅をすることで自分自身が定義された。そんな旅ができる場所をつくりたい
こうした、そのまちの暮らしを起点に動いていく事業スタイルの背景には、岡さん自身の経験が深くかかわっていた。
岡山県で生まれ、両親の仕事の関係で子ども時代を日本とアメリカで過ごした岡さん。日本にいると「アメリカ的だ」と言われ、アメリカに行くと「どうみても日本人だ」と言われる生活のなかで、混乱した自我を抱えながら過ごしていたという。そんな彼を定義してくれたのは、「旅」だった。
岡さん「日本にいてもアメリカにいても曖昧だった自分が、全く知らないまちに行き、そこで暮らす多様な人と触れ合うことで自分の感性に気づき、逆説的に定義されていく感覚がありました。その行為が私の人生においてはとても重要なことだったんです」
もっと多くの人が旅に出て、多様な人やものに触れることで自分の定義を見つけ直せたら、世の中はきっともっとよくなるのではないか。
「旅にかかわりながら生きていきたい!」と、大学卒業後に選んだファーストキャリアは、ホテルを建てるための投資会社だった。しかし、いざ働き始めるとその意気込みとは裏腹に、投資をすることで、かつて自分が定義されてきたようなまちの景色を、自分の手で消してしまうジレンマに苦しめられた。
岡さん「巨大な資本を背負って仕事をしていたので、必然的に大きなホテルをつくる必要がありました。ですが、これまで私は、街角にある小さなホテルに泊まったり、そこに住んでいる人の温もりや手触りを感じる場所にいてこそ自分が定義されていく感覚を得てきた。そんな場所をつくりたくて投資会社に入ったけれど、投資という目線でホテルをつくると、反対に私がつくりたい景色を消してしまう」
「どんな手法を使えば自分のつくりたい景色をつくれるのか」を考えはじめていたとき、縁あって訪れたバリ・ウブドのリゾートホテル「アマンダリ」に大きなヒントを得たという。
岡さん「『アマンダリ』で私を迎えてくれたのは、地元に住む親子三代の家族でした。滞在中は、誰かの家にお邪魔させてもらっているようなあたたかい感覚がありながら、金融の仕組みも上手く利用していて、ラグジュアリーなプロダクトを備えつつ、それらがきちんとそのまちと共生していました。旅行客から人気があったことはもちろん、そういった場所が出来ることで地元の人たちのまちに対する誇りも自然と上がっていきますよね」
お金の力も使いながら、そのまちの良さをより引き出している「アマンダリ」という事例をみたとき、「自分もやらなきゃ」と衝動的に思った岡さんは、投資会社を辞め、2018年にStapleを創業。しかしはじめは、“ご近所”までをつくっていく構想はなかったという。
瀬戸田との出会い。「住みたいまち」というスローガンに忠実でいたい
岡さん「瀬戸田町との出会いは、前職のご縁からアマンリゾーツの創業者であるエイドリアン・ゼッカ氏らとともに、旅館『Azumi Setoda』を立ち上げることになったのがきっかけでした」
岡さんは、瀬戸田を訪れたとき、かつて自分が定義されてきたような人の営みや暮らしを垣間見れるまちに感じたという。しかし、「Azumi Setoda」の資金調達には苦戦。悩んでいた矢先、尾道市長から「あなたたちは地元の人から怖がられているから、ワークショップを開いて仲良くなったほうがいいのでは?」という提案をもらったそうだ。
事前に地元の人には彼らの構想を説明していたものの、突然都会からやってきた人から「この地域はもっと良くなる」と言われても、説得力に欠けていたのかもしれない。
その後、2019年から始まったワークショップ「しおまち企画」は3年にわたって行われ、徐々にお互いの理解が深まった。さらに、この段階で瀬戸田への移住を決意した小林さんの存在が、その後の方向性を大きく変えていったと話す。
岡さん「きっと亮大(小林さん)が引っ越していなかったら、いろんなところでいいホテルをつくるデベロッパー止まりだったかもしれません」
小林さん「ワークショップが始まった当初は、東京に住みながら月に一度瀬戸田に通っていましたが、コロナの影響で東京との二拠点ではなかなか話が進められなかったことと、東京では感じることのできない瀬戸田の人のあたたかさに背中を押され、移住を決めました」
小林さんの思い切った決断のおかげもあり、地域との団結力が増すなか、指標のひとつとなるスローガンを考えることに。そこで出てきたのは意外なほどシンプルなものだった。
岡さん「一年考えて、『住みたいまち』だったんですよ。でも、今はどこかに住み続けることが環境的にも人口減少の観点からも当たり前ではなくなっていく時代。そんななか、20年後も30年後も地元の人がここに住みたいと思えるまちや、外からふらっとここを訪れた人が住んでみたいと思えるまちと解釈すると、すごくいいなと」
このスローガンに忠実でなければいけないと強く思った岡さんは、ホテルのみをつくるという観念から卒業し、生活者の目線で「住みたいまち」を考えていこうと決意。いよいよ「ご近所構想」がスタートした。
巨大な商業施設に集約された機能を、もう一度まちに分散させたい
「住みたいまち」に必要な要素を考えたとき、一番はじめに頭に浮かんだのは、多様な人がミックスしている景色だったという。そこに住む人の暮らしがありながら、その隣では小林さんのようなニューローカルが地元の人と肩を組んで話していたり、またその隣には訪問者がニューローカルにまちのおすすめを聞いているような景色。
瀬戸田港に到着し、一番はじめに目に入る場所に客室、レストラン、ラウンジスペースを兼ね備えた複合施設「SOIL setoda(以下、SOIL)」をつくったのは、このまちに来てすぐ、そんな景色を見せたいという意図があってのこと。
この日もSOILに向かうと、地元のおばあちゃんが朝食を食べている隣で、東京から来たニューローカルが黙々と仕事をしていたり、その隣では子どもたちが楽しそうに遊んでいたり……。初めて来る場所だったにもかかわらず、妙な安心感を覚えたのは、きっとどんな人でも受け入れてくれる土壌を感じたからだ。
また、SOILを入り口にして続く「しおまち商店街」には、コーヒーロースター「Overview Coffee」をはじめ、お惣菜屋さん「ひ、ふ、み」、銭湯「yubune」など、「生活者がこのまちでより豊かに生きていくためにはどんな場所が必要だろう?」という目線に立ったときに思い浮かぶコンテンツが散りばめられている。
岡さん「よく『巨大な商業施設が商店街を殺した』と言われますが、大きな商業施設って久しぶりに行ってみると凄く平和なんですよ。子どもたちが駆け回っていて、犬の散歩をしにきている家族がいて、子どもから大人まで大体買うものは揃う。でもそれを一つの大きな箱に集約したことで、まちの温度までそこに集約されてしまった。それで商店街が死んだと表現されているのなら、巨大な箱にぎゅっと集約されたものを、もう一度街に分散し直すミッションが私たちのやるべき事なのではないかと、最近思いはじめています」
この先、向こう2年の間にさらに10棟の新しい施設をつくることを目標に、現在計画を進めているそうだ。その中には、東京から瀬戸田に通うなかで、このまちやそこに住む人のことが好きになり、大好きになったまちと人のために店をやりたいという想いで出店するニューローカルもいるという。
小林さん「顔が浮かぶ距離感にいるからこそできることですよね。私自身もそうですが、やっぱりなにか場をつくるときに瀬戸田の人たちの顔が浮かぶんですよ。自分が生活者であり、仲のいい人たちが生活者であるからこそ、意識が向く。これは言葉や紙には落としづらいですが、こういったことが起こる環境を今後もずっとつくっていきたいと思っています」
効率は考えない、ゆっくりと進んでいく
小林さんは、瀬戸田に移住して今年で3年目。筆者からすれば、ニューローカルを超えてすでに地元の人に見えるほど瀬戸田に馴染んでいる。「うちの亮大、取材ちゃんと答えられてた?」と、お昼ごはんに伺った地元の食堂で開口一番聞かれたときには、その距離の近さに驚いた。と同時に、この言葉が出てくるまでに積み重ねられてきた時間を想像し、思わず胸が熱くなった。
小林さん「石の上にも三年と言いますけど、やっぱり地元の人たちも私がここに長くいるからこそ距離を縮めてくれたと思います。住めば住むほど知ることも多いですし、信頼関係も生まれます。そこを効率的にやろうとはしたくないですね。私は、イベントなどのソフトのコンテンツを考えることも多いのですが、最近では『やりたい』といったら『お前がやりたいならやればいい』と言ってもらえることも多いんですよ」
さらに、地元の人たちの変化だけでなく、訪問者やニューローカルが増えていることを実感することも「自分たちのやっていることは間違っていない」と思えることにつながっているという。
小林さん「SOILという場所や、このまちの人たちに愛着を持って通い続けてくれる人が増えてきていることはすごく嬉しいです。例えば夏の花火大会の時には地域のお店の焼きそばを作る手伝いに来てくれたり、マラソン大会のボランティアをするためにわざわざ交通費を出して東京から来てくれたり。ただの観光というより、地元の人たちとの時間や、都会では得られないような時間を求めて来てくれているのかな、と」
しかし、ニューローカルは増えても、まだまだ地元の若い世代との出会いが少ないことに課題も感じているという小林さん。自分たちの取り組みをきっかけに、地元の魅力を再発見し、また戻ってきてくれるようなまちをつくることも自分たちの仕事だと考えているそうだ。
小林さん「帰って来たいと思えるまちをどうつくれるのかは常に考えています。外からきた人だけが盛り上げていては、逆に脆弱なまちになってしまう。実際に地元の高校生がSOILでアルバイトをしてくれて、今は東京の大学に通っていますが、SOILがあるから休暇のたびに帰って来てくれるんです。いかにこの環境が特別かということに外に出て初めて気づくことが多いと思います。それに共感し、この場所を盛り上げようとしている私たちの存在が、彼にとっても大きいんじゃないかな。『帰ってきたいまち』は今後の大きなテーマですね」
「住みたいまち」を考えると、必要な要素が出てくるように、「帰ってきたいまち」を考えても、また違った要素が必要になる。
「少しずつ、時間をかけてやっていきます」と笑う小林さんの顔は頼もしかった。
30年後の瀬戸田の景色。違うまちでは違う挑戦が待っている
一つのまちで、30年という長い時間をかけて豊かなご近所をつくっていく。瀬戸田の物語はまだまだ始まったばかりだ。最後に、30年後、どんな景色を想像しているのかを聞いた。
小林さん「『徒歩20分圏内をつくる』と言いながら、生活者になるともう少し広い視野でこのまちのことを考えるようになってきました。自然豊かな島に見えますが、生態系のいびつなかたちも見えてきて」
小さな島で、国内レモンの20%を生産していることが自慢の瀬戸田町。しかし、沢山のレモンを生産するために使われている農薬が、逆に海の生態系を歪めてしまうことにつながっているという。
小林さん「気になったらもう取り組むしかない。30年後はきっとこのまちには車は走っていなくて、みんな歩くか自転車に乗っていると思います。レモンの生産量は今より下がっているかもしれないけれど、もっとほかの野菜が育って、海の幸も豊富に獲れるようになる……そんな未来を想像していますね」
岡さんは、若い人にだけ選ばれるまちではなく、正しく成長することで、どんな年代の人にも開かれているまちになりたいと教えてくれた。
岡さん「都会から若い人が沢山来てくれるようになったことで、今、瀬戸田は『瀬戸田町東京』と呼ばれているんです。もちろん、若者が増えることは大事です。一方で、若いまちになってしまうことは、それはそれで観光ブームを引き起こすことに近い危険性を孕んでいるのではないかと思うんです。賑わいだけではなくて、均等な年輪が広がり、幹が太くなっていくことが大切だと思っています。先人たちの想いを受け継ぎ、正しく成長したい。それができれば、どんな年代の人にも『ここに住んでみたい』と思ってもらえるまちができてくると思います」
また、瀬戸田で30年後に目指したい景色と、ほかのまちで目指したい景色は自ずと変わってくるという。根底にある想いはブレないが、ハードウェアの要件やまちに住む人が違ってくれば、手法やゴールが変わるのは当たり前のこと。ソフトデベロッパーの「ソフト」には、「柔軟で有機的」という意味も込められているそうだ。
当初考えていた事業のスタイルと現在のかたちが変化しているように、「こうじゃなきゃ」という凝り固まった概念ではなく、状況に応じて「これもあり」とフラットに動いていけるところがStapleの強さではないだろうか。
取材後記
わかりやすさやスピードが優先される世の中で、こぼれ落ちてきた大切なものがある。
人と人との近いコミュニケーションや偶然の出会い、寄り道する楽しさや、間違えることで見えてくる景色……無くても生きていけるかもしれないが、心の豊かさはそういった時間のなかでこそ育まれていくのではないだろうか。
Stapleが行っているのは、「まちづくり」というより、そんなこぼれ落ちてしまった人間本来の営みをすくい上げ、もう一度丁寧に紡ぎなおしていく活動だ。
わかりにくくても、答えが見えなくても、信じる道をつき進む強さを持つことが、きっと次の扉を開き、世の中を変えていく。今後もStapleのファンの一人として応援しながら、筆者は筆者のまちの魅力を再定義する物語を紡いでいきたい。そう感じた取材だった。
【参照サイト】株式会社Staple
Photo by 能勢奈那
Edited by Erika Tomiyama