人は生まれながらにして、誰かのケアを受けている。そしてその生涯を終えるときも、たいがい他者からのケアを受ける。
そうしたケアをめぐる景色は、時代の変遷と人々の価値観とともに変化していく。人間が産声をあげるのは、いまや家庭ではなく病院であることが一般的になった。家族を中心に介護をする風景は、いまや高齢者だけが一つのホームに集まり、専門技術や知識を持った人々によってケアされる風景へと変わりつつある。
ケアの現場が変わる中で、私たちの価値観はどう変化しているのだろうか。誰でもケアという過程を通るはずなのに、ケアはどこか私たちから離れたところにいってしまった。自分の身体のこと、自分の近しい人の生死の話なのに、なぜか医療専門家の意見を待ってしまうことはないだろうか。
そんな現代の医療および福祉のあり方に、新しい価値観をもたらすのが、長野県軽井沢町に拠点を置く「ほっちのロッヂ」だ。ほっちのロッヂは2020年4月に開業し、診療所、訪問看護ステーション、共生型通所介護、病児保育など、多岐にわたる在宅医療サービスを提供。医療と福祉の枠を超え、地域住民が集い、好きなことに熱中できる場を提供することを目指している。診療所としての機能だけでなく、大きな台所を中心に、誰もが自由に訪れ、様々な活動に参加できる環境を整えている場所だ。
今回は、ほっちのロッヂの共同代表である藤岡聡子さんに、同施設を立ち上げたきっかけから、そこで見えてきた「ケア」のあり方に関する価値観までを聞いた。

Image via ほっちのロッヂ
話者プロフィール:藤岡 聡子(ふじおか さとこ)
徳島生まれ三重育ち。夜間定時制高校出身。「老人ホームに老人しかいないって変だ」を問い24歳で有料老人ホーム創業後、「長崎二丁目家庭科室」を経て「診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ」共同代表。「第10回アジア太平洋地域・高齢者ケアイノベーションアワード2022」Social Engagement program部門日本初グランプリ受賞。共著に『社会的処方』『ケアとまちづくり、ときどきアート』。主な掲載先にAERA「現代の肖像」など。
一度失って考えた、自分の「居場所」の価値とは
日本各地、そして世界各地で、さまざまな「居場所」に関する見聞を広げ、事業に携わってきた藤岡さん。そのエネルギーの源泉となる体験は、藤岡さんがまだ小学生だったころに遡る。
「原体験は、12歳になる年に父親を亡くしたことでした。私が10歳のとき、父が43歳のときに病気がわかって、そこから2年後、父は家で亡くなりました。精神的にも大黒柱だった人間が弱っていくとき、家族全員が父の『しんどいところ=症状』に目を向けていて。みんなが人を見てるようで、見てないような感じがしたんです。父ではなく、病気を見てるんですよね。
私は兄妹で一番下だったのですが、『なんでみんな父さんを人間として扱わないんだろう』『父さんがしんどいなか、やってみたいことは聞けてるのかな』と思っていました。父の死を見届けるまでの2年間で家族の関係が変わってしまい、いつの間にか自分が家族の中に存在してもいいんだろうかと思うようになりました」
徐々に学校でも居場所を見つけることが難しくなった藤岡さん。中学で学校に行けなくなったものの、「自由になるにはやはり高校に行くしかない」と思い立ち、夜間定時制高校への入学を決めた。そしてその教室の扉を開けた瞬間が、彼女の新たな旅の始まりとなった。
「教室の扉をぱっと開けたら、30人弱の生徒がいました。その中にほとんど私と同い年らしき人はいない。『ここに来るまでに色々あったよね』という人しかいない。私もそうだったのですが。その時に、ああ、この環境すごく落ち着くなぁって思ったんです」
それぞれの環境に差があるとはいえ、一般的に子どもの頃に選べる選択肢の幅は広くはない。自力で新しい道を選ぼうとすれば、大きな変化を前に大きなストレスがかかるだろう。それでも当時高校生だった藤岡さんは、自分の力で新たな環境を選び取り、新たな居場所を手に入れた。その当時の感覚が「ほっちのロッヂ」設立のインスピレーションにもなっていたという。
ほっちのロッヂができた経緯。一人にはなれるけど、孤独にはならない場所を
その後、藤岡さんは「老人ホームに老人しかいないって変だと思う」と想いのもと、24歳で創業メンバーとして有料老人ホームを立ち上げた。そして、アーティスト、大学生や子どもたちとともに町に開いた居場所づくりを実践していった。
そうした経験を経て、彼女は2017年に軽井沢の地にいた。人が過ごす環境づくりの新たなチャレンジをするためだ。
「当時、軽井沢に幼稚園・小学校・中学校が一体型になった教育機関ができるというので、見に行きました。場を持っている人と一緒に仕事がしたいと思っていたんです。『人生の終わり方も知れる場所』があるといいなと思い、学校の中にあらゆる年齢の方々も訪れるような場所を作ろうと思いました。ただ、法律的にそれは難しかったようで、どのようにすればできるかな、と考えていました」
藤岡さんの数週間後に軽井沢を訪れていたのが、のちに共にほっちのロッヂを設立することになる、紅谷浩之さんだった。彼も同じ教育機関に医者として携わろうとしていた。
その後、藤岡さんと紅谷さんは直接会うことになり、話をするうちに意気投合。その学校の向かいの空いている土地で、新たな場を開くことになった。紅谷さんの専門性を優先すると、そこを診療所にすることができる。しかし、藤岡さんは単なる診療所はつくりたくないと思い、そこを誰もが集える「森小屋」にする発想に至ったのだという。

Image via ほっちのロッヂ
「どんな『森小屋』にしようかを考えていました。そのとき思い出したのが10代の時の経験です。私は一度しっかり居場所をなくしているんですよね。大人になればリカバリーは簡単かもしれないけど、10・20代だとなかなか選択肢がない。
だから、そういう10代の子、あるいはもっと年齢の低い子たちが、自分の意思で行ける場所を作りたいと思いました。そこに行けば、一人にもなれるし、『あの人たち何やってんのかな』と覗くこともできる。『一人にはなれるけど、孤独にはならない場所』というのがコンセプトになっていましたね」
医療従事者も、町の人も、一緒のちゃぶ台でおにぎりを食べる。ほっちのロッヂの構造とは
「誰もここが診療所だとは思わないと思います」と、ほっちのロッヂについて話す藤岡さん。そこには医師や看護師だけでなく、場を見守るスタッフが常駐している。診療室にはちゃぶ台が置かれている。一般的に想像する「診療室」とはまったく異なる風景だ。
また、ここは診療所とはいえ、誰でもふらっと訪れることができる場所。町の人々が集まり、ほっちのロッヂのスタッフも一緒になって、みんなで食事をとることも日常茶飯事。予防接種待ちの時間に、リラックスして本を読んでいる子どもたちもいる。
ほっちのロッヂを見守るカラマツの森は、四季折々の美しい風景を見せてくれ、またその森も人々の居場所の一部になっている。

Image via ほっちのロッヂ

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ほっちのロッヂには、子どもたちの秘密基地のような屋根裏部屋がある。「一人にはなれるけど、孤独にはならない場所」というコンセプトを体現するために、藤岡さんは建築家の人に「子どもしか行けない場所がほしい」と相談していたのだという。
「そこにはハシゴをよじ登って上がっていきます。大人は気軽に登れる感じではないですね(笑)一人でもいいし、誰かと話したいときでもいい。その場にふっと自分が入ることができる。そんな場所が誰かの大切な場所になればいいなと」
症状・状態・年齢じゃなくて、好きなことをする仲間として出会う場所
一方、そうしたハードの施設が完成したからといって、そこで良いコミュニティやコミュニケーションが育つとは限らない。ほっちのロッヂは、その後どのように仲間を増やしていったのだろうか。
「人は衰弱することがありますが、その状態や症状は、その人の全てではない。それに気づいてもらうためにはどんなステートメントが必要なんだろうと考えていました。そこで出てきた言葉が、『症状・状態・年齢じゃなくて、好きなことをする仲間として出会おう』というものです。いまは医療従事者、患者、その他の人……その肩書きにかかわらず、このステートメントにしっくりくる方々が、ほっちのロッヂに集まっているような気がします。そういう場所で出会うと、患者と医者のコミュニケーションも自ずと変わってくるんです」

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そして、「症状・状態・年齢じゃなくて、好きなことをする仲間として出会おう」というこの言葉自体を、身体知として体験できるのが森小屋という場所だったのだそう。森小屋というフォルム、そしてそれが森の中にあるということが、好きなことをする仲間と出会い、語らうことを容易にしてくれる。藤岡さんが「好きなことをする人間として一度でも出会うことができれば、スッと仲間になれる」と語るのも、ほっちのロッヂの温かな空気があってこそのことだろう。
「例えば、ほっちのロッヂでは、大切な人を看取った方とも話すことがあります。私たちはここにいますし、しんどいけれど、でもここで美味しいご飯食べましょう。そうしたら、少しつらさを分け合えるかもしれない、と。私たちも同じように寂しいと思ってますよということが、一緒の空間を共有していることで、身体性をもって伝わり、言わなくてもわかりあえる。そんな関係性が育まれているように思います」
コンヴィヴィアルな関係性と会話から生まれる、「命を生きて終えること」への意思
そうした場が地域により価値を発揮していくために。2024年12月、ほっちのロッヂは軽井沢町の病院と地域医療体制強化連携協定を締結。これは全国的にもほとんどない形での連携だという。その背景には、地方の医療崩壊が起こる中、医療の現場の価値そのものを見直すための問いがあった。
「医療の現場は24時間動いてるので、正直経済性とか社会性とか言ってられない場所です。でも、だからこそ、ほっちのロッヂが役割を果たしていかなければならない。医療の現場の社会性とは、人を治すことじゃない。人の暮らしを豊かにすることだと思うんです。そのために、自分たち一人ひとりが何を担っているのかを可視化することが一つのスタートだと思います」
そんなほっちのロッヂは、藤岡さん自身にとってどのような存在なのか。最後に尋ねてみた。藤岡さんは「私にとってもそうですが、一人ひとりにとっての表現の舞台」であると場を表現する。
「ここには、『ともにある』という言葉だけでは語れないような関係性が存在します。あえて言うならば、『コンヴィヴィアルであること』でしょうか。自分の奥底にある『実はこれ誰かに話してみたい』と思っていたことを話せる。それを話すことでふっと楽になる。何かを喪失した経験や、本質的な喜びだと思ってることを話せている間柄って、すごく大事だと思うんです。私はそれをコンヴィヴィアリティと呼んでいます」
ほっちのロッヂは医療の現場でもあるからこそ、命に関わるそれぞれの価値観が日常的に交差する場所だ。専門職の人に委ねられがちな「生きること」そして「死ぬこと」が、コンヴィヴィアルな関係性によって、一人ひとりに開かれるのではないか。藤岡さんはそんな可能性を見出している。
「医療の現場は命を扱います。その過程で医療者はみんな素晴らしい会話をしているんですよね。『どうやったら痛みがないように、最後の看取りできるのか』『ご家族にはどんな言葉をかけたらいいのか』『何時くらいに話せば良いのか、1階の部屋じゃなくて2階のあのカーテンが長いところの方が良いかな』……でもそれを取り扱うのは、医療者たちだけなんです。その線を引かせないためにどうするか。命を生きて、終えていくことを、専門職ではない人たちと私たちがどうやって共に体現できるのか。
『私はこうやって生きていきたい』『こんなことを大切にしている』『私は夫を亡くしたときこう思った』……根源的な会話を交わしている様は、とてもコンヴィヴィアルです。そうした会話ができる表現の舞台を見つけて、一人ひとりが自分を表現し続ける。それこそが大事なことなのだと思います」

Image via ほっちのロッヂ
編集後記
藤岡さんを取材する中で、数年前に親族を看取ったとき、できなかった会話や楽しかった思い出を偲ぶのと同時に、「命を教えてもらった」ように感じたことを思い出した。死別は悲しい経験だが、その中にたしかな尊さがあることを思い知った。(もちろんそれは「別れ方」にもよるのだろうが。)
人間の身体は、一般的に20代後半から30代前半をピークに機能が衰退していくと言われている。肌のハリはなくなり、疲れやすくなり、消化機能が落ちていく。そして誰もが最終的には「死」に向かっていく。
しかしそれでも、私たちは趣味を持って、何かを大切に思い、生きているのだ。その瞬間瞬間を表現する場所があるということは、私たちが生きていく上で、どれほど重要なことだろう。『症状・状態・年齢じゃなくて、好きなことをする仲間として出会おう』というほっちのロッヂのステートメントには、いまを生きる自分と、死に際に「命を教えてくれた」人々の、両方の瞬間が肯定されているように思った。
高齢化が進む日本の一地方、軽井沢という町では、ほっちのロッヂを拠点に、生きることと死ぬことを扱う医療と、人々のそれへの関わり方が考え直されはじめている。あなたはどう生きて、死んでいきたいだろうか。そしてそれを誰に伝えたいだろうか。
【参照サイト】ほっちのロッヂ 軽井沢町にある診療所 ケアの文化拠点
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