いつもは行かないお店を訪れるため、地図アプリでルートを調べる。すると、今まで通ったことがない道へと案内され、車が勢いよく走り抜けるそばの細い歩道を通ってお店に行くことになった──そんな経験が、誰しも一度はあるのではないだろうか。「最短ルート」は、ニーズによっては必ずしも「快適なルート」とは限らないのだ。
そんな一人ひとりの“快適な歩き方”に寄り添うプロジェクトが、「Slow Ways」というイギリスのウェブサイト。ボランティアがイギリス中のすべての町、都市、国立公園をつなぐ、安心して通れるウォーキングネットワークを市民の手で創り上げる試みだ。
現在、Slow Waysのウェブサイトには、ボランティアによってマッピングされた1万以上のルートが公開されている。これらのルートは、ただ単に2地点を結ぶだけではない。「安全で、できるだけ車道を避け、歩きやすいこと」「5〜10キロメートルごとに休憩場所があること」などを理想的な歩道の基準に掲げ、多くの人が移動しやすく楽しめる道が市民によって登録されている。その総延長は13万7,000キロメートル以上にも及び、同国の隅々まで網羅する巨大なネットワークとなっている。
その最大の特徴は、市民の実体験と声がネットワークの土台となっていること。ユーザーはウェブサイトでルートを検索し、実際に歩いてみて、その感想や気づきをレビューとして投稿することができる。3件以上の肯定的なレビューが集まったルートは「検証済み」と表示され、他のユーザーもそのレビューを参照できるのだ。

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さらにSlow Waysが重視しているのは、アクセシビリティの向上だ。一般的な地図アプリではわからない、道の状態や傾斜、障害物の有無といった詳細な情報を収集している。これにより、車椅子ユーザーやベビーカーを使用する人、高齢者など、誰もが自分に合ったルートを選べるようになることを目指している。現在開発中の専用アプリでは、「車椅子で通れるか」「動物がいるか」「白い靴が汚れないか」といった、具体的な情報も提供される予定とのこと。
このアイデアが生まれたのは2020年。ロックダウン中に、地理学者のダニエル・レイヴン=エリソン氏の呼びかけで約700人の市民が協力し、車や公共交通機関を避けたい人のために7,000の「スロールート」を作成したことから始まった。同氏は、英メディア・The Guardianに対し「通常、利用頻度の低いルートは、人々がその道につながりを感じないため、適切に管理されなくなります。人々がより頻繁にこれらのルートを利用し、周囲の自然とのより深いつながりを持てば、そのルートの維持管理も配慮されるようになるはずです」
と語った。
Slow Waysが目指すのは、単なる地図サービスの提供ではない。人々がA地点からB地点へ「歩ける」と知ることで、毎日どこでも気軽に歩くことを楽しめる社会を目指している。これは個人の健康やウェルビーイングに繋がることに加え、地域コミュニティや自然への愛着を育む可能性を秘めているのだ。
歩くという行為は、人間的で最もシンプルな移動方法と言えるだろう。だからこそ、市民の力で民主的に、日常を少し豊かにする余白を持っているのかもしれない。
【参照サイト】Slow Ways
【参照サイト】Volunteers map 10,000 routes in Great Britain to help make walking accessible|The Guardian
【参照サイト】Slow map: Mapping Britain’s intercity footpaths|BBC
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