124年間学長が聴者だった、ろう者の大学で。全米を揺るがせた学生運動を描く『Deaf President Now!』

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アメリカ・ワシントンD.C.にあるギャローデット大学は、ろう者のための大学として1864年に設立された。しかし、124年間その学長はすべて聴者が務めてきた。

そんな中、1988年の学長選考で、ついに候補者にろう者が選ばれる。候補は3人。うち2人はろう者、1人は聴者だった。だが最終的に理事会が選んだのは、手話を学んだ経験がない聴者の女性だった。その理由として「ろう者はまだ健聴社会で十分に役割を果たすことができない」という考えが示された。

この決定に対し、学生たちは大学の門を封鎖して抗議した。

「われわれの世界を理解しないリーダーを受け入れることはできない」

決死の覚悟で立ち上がった彼らの姿は、ワシントン・ポストなどを通じて全米に広まり、世論を大きく動かした。この運動は、大学初のろう者学長の誕生を実現しただけでなく、社会における障害への理解を深め、後の「障害のあるアメリカ人法(ADA)」成立にもつながったとされている。

2025年5月に、この歴史的な学生運動を描いたドキュメンタリー映画『Deaf President Now!』がApple TVで公開され、現在アメリカで大きな話題を呼んでいる。

Deaf president now!

Image via Apple TV

「障害を持つアメリカ人法(ADA)」が設立される以前、聴覚障害者は「二級市民」のように扱われることも少なくなかった。学生たちは、差別に耐えてきた親世代を見て育った。抗議を指揮した4人のうちの一人、ティム・ラールスの祖父もろう者だった。祖父は孫に「立場の上の人を敬いなさい」と諭したが、その言葉の背景には、長く聴者を中心とした社会で生き抜いてきた世代が、抱えざるを得なかった価値観がにじんでいた。

実際、アメリカではかつて「ろう者は話せるよう努力すべきだ」とされ、発話訓練を強いられ、手話の使用が制限された歴史がある。そうした社会構造は、無意識のうちにろう者自身の中にも劣等感や差別を根づかせる原因となっていた。

学長に選ばれた女性は看護師であり、手話を学んだ経験はなかった。彼女は「ろう者を支えたい」と語ったが、その思いは裏返せば「ろう者は支援を必要としている」という考えから生まれたものだともいえる。それは優しい思いであると同時に、彼らの主体性を十分に認めきれない構造を映し出してもいたのだ。本作は、そうした複雑な心理や認識のすれ違いを描き出し、観客に多様な視点から考えるきっかけを提供している。

『Deaf president now!』Image via Apple TV

『Deaf president now!』Image via Apple TV

学生たちは言う。「手話は自分自身そのものだ」と。一口にろう者といっても、生まれつき聞こえない人もいれば、事故や病気で後天的に聞こえなくなった人もいる。運動を指揮した、背景の異なる4人の生徒も、初めはまったく良好な関係を築けていなかった。しかしともに抗議活動を続けるなかでお互いの違いを乗り越え、やがて学生運動は大きなうねりをあげ革命へと変貌していく。

本作は、アカデミー賞受賞監督のデイヴィス・グッゲンハイムと、ろう者の映画監督ナイル・ディマルコによる共同監督作品。制作チームの半数もろう者で構成されている。

Hollywood Soapboxのインタビューによると、ディマルコは、「公民権運動の物語として、障害者や社会的に疎外されてきたコミュニティの歴史は語り継がれるべきだ」と述べている。歴史的に見て、このような物語は忘れ去られることが非常に多いからだ。また、グッゲンハイムも「観客は今こそこの物語を必要としていると感じるだろう」と語っている。

2025年11月15日からは、日本初開催となる、きこえない・きこえにくい人のためのオリンピック「東京2025デフリンピック」が開幕する。100周年という節目を迎える記念大会でもあるこの舞台を前に、ぜひ歴史的な学生運動を描いた本作に触れてみてはいかがだろうか。

【参考サイト】INTERVIEW: ‘Deaf President Now!’ details Gallaudet University protests in 1988
【参考サイト】Deaf President Now!(Apple TV)
【参考サイト】The Deaf President Now! Film(ギャローデット大学)

Edited by Erika Tomiyama

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