2025年11月初旬、東京ポートシティ竹芝で開催された「みんなの脳世界2025~超多様~」。展示のテーマは、「ニューロダイバーシティ(神経多様性)」だ。これは、私たちの脳や神経が本来とても多様であり、人は誰もが異なる感覚や特性を持っているという考え方である。
私たちの持つその“超多様”な違いは、時に社会の中での「生きづらさ」に繋がることもある。しかし、それは個人のせいではなく環境とのミスマッチから生まれるものだ。ならば、環境を整えたり、テクノロジーで補完したりすれば、誰もが自分らしく力を発揮できるはず。そんなニューロダイバーシティ社会の可能性を教えてくれるのがこの展示だ。
会場には、感覚の違いを可視化する展示や、それを補完・拡張する最新ツール、社会の仕組みを再設計するアイデアが溢れていた。ここからは、実際に会場で目にしてきたもののうち特に印象に残った展示をいくつか紹介しよう。
誰かの×は、誰かの〇?人によるモノの見方の違いを可視化するガチャガチャ展示
最初に紹介するのは、ガチャガチャを使った参加型のインスタレーションだ。
私たちは、ジェンダーや世代、国籍など複数のラベルを背負っている。それらが折り重なり、個々人の経験や感じ方に影響を与えているのだ。この展示は、そんな人の“多層性”とそれによるモノの見方の違いを、ガチャガチャという親しみやすい形式で可視化していく。
来場者がガチャガチャを回すと、前の来場者が書いたポジティブ(もしくはネガティブ)な感情に紐づくエピソードが書かれた紙の入ったカプセルが出てくる。筆者が引いたのは他の来場者の「他の人と自分を比べちゃう」というネガティブエピソード。裏には「周りに優秀でかっこいい人が多いから」という理由が書いてあり、「#20代 #大学生 #女性 #Z世代」といった属性が添えられていた。

次は、その引いた紙を、会場の壁に設置された大きなチャートに貼り付けていく。チャートには、「共感できる/共感できない × ネガティブ/ポジティブ」の4軸があり、エピソードが「今の自分の目にどう映ったか」を可視化していく仕組みだ。

面白いのは、回答者にとっての“ネガティブ”が、別の来場者には“ポジティブ”(逆も然り)として映る場合があること。たとえば、ネガティブキーワードとして挙げられていた「パパ」。不思議に思って見てみると、書いたのは8歳の子どもで、パパが嫌な理由は「コチョコチョしてくるから」であった。このエピソードを引き当てた来場者は、子どもにとっては嫌なことだったものも、大人にとっては微笑ましい出来事だとして、チャートのポジティブ側に紙を貼っていた。


また、「雨」をネガティブなものとして書いていたエピソードを、「雨=静かで美しい情景」と捉え、ポジティブ側に置いた来場者もいた。
同じ言葉、同じ出来事でも、受け取る側の立場や経験によって意味が大きく変わる。その事実を、大人も子どもも感覚的に理解できるように楽しく見せた展示だった。
周りの人は本人をどう支える?高校生が作った、認知症を知るためのすごろく
神奈川県立横須賀高校の生徒たちが制作した「認知症を知るすごろく」。これは、小学生から遊べる、認知症について正しく理解し、前向きに学ぶための教材だ。認知症の人にとって前向きな出来事のマスや、周囲の人の関わり方を学べるマスをいれることで、認知症になってからも前向きに暮らし続けられるイメージを伝える内容となっている。
このゲームでは、プレイヤーが“周囲の人(家族など)”として行動を選び、コマを進める。たとえば「料理が好きなお母さん編」のあるマスでは、「危ないから料理をやめてもらう」「安全な道具を買う」「見守りながら一緒に作る」といった選択肢が並ぶ。プレイヤーが認知症をより前向きに捉えられる選択をすることで当事者の幸福度が変化し、獲得ポイントが高くなる仕組みだ。

印象深かったのは、「幻覚を伴うタイプの認知症のおじいさん編」の開発時のエピソードだ。モデルとなったのは「座敷わらしを見た」と語るおじいさん。周囲は心配してしまうが、本人は「みんなワシみたいに座敷わらしを見られないなんて残念だな」と笑っていたという。この“視点の転換”を、高校生たちはそのままゲームに組み込んだのだそうだ。
「これまでの日常は諦めるしかない」とすべてを制限しなくても良い。「その人がどんなふうに世界を受け取っているか」に寄り添いながら、豊かな生き方を探っていくことは可能だ──そんなメッセージを受け取った。
“記憶が抜け落ちる”感覚を身体で知る──認知症体験VR
こちらはひときわ賑わっていたブース。ここでは、VR技術を用いて、アルツハイマー型認知症の特徴である“記憶が抜け落ちる”感覚を実際に身体で体験できた。
まず、VRヘッドセットを装着すると、目の前にポットなどがのった作業台が広がる。タスクは、インスタントコーヒーを入れることだ。
1回目は練習として、コントローラーを使いながらスプーンをつかんだり、モノを移動させたりと一連の動作を確認。棚からコーヒー瓶を取ったり、コップを動かしてお湯を注いだりするだけでスムーズに作業を完了させることができた。
しかし、認知症体験モードが始まると、作業が思った通りに進まなくなった。持ってきたはずのコップがなくなったり、置いたはずのないところにものがあったり……困惑しながらなんとかコーヒーを淹れたが、制限時間をかなりオーバーしていた。

体験終了後、ブース運営者の方から感想を聞かれ、「動かしたはずのないものが動いていてびっくりしました」と正直に伝える。すると、「いや、あなたは自分自身であの位置にものを動かしていましたよ」との返答が。一瞬動揺し、「そんなはずは……」と記憶をたどっていると、「認知症の方は『何かの行為をした』という記憶が丸ごと抜け落ちてしまうんです」「私たちは、そんな感覚を、自分の身をもって体験することで、理解がもっと進んだり、接し方が変わったりするのではないかと思っています」と説明してくれた。
なかなかわかり得ない他者の当たり前も、工夫次第で自分の感覚に持ち込むことができる。そんな「理解しあうための技術」の大きな可能性を感じるブースであった。
マイノリティがマジョリティに──“普通”の基準をひっくり返すVR作品
続いても、VRを使った体験ブース。「逆転世界」は、現実ではマイノリティとされる人々がマジョリティになっている世界をVRで見る体験型展示だ。とある会議室の風景を映した映像を見ながら、登場人物が共通して持つその属性を当てるというものだった。
映像には、急に関係ない話題を始める人、話の途中で、曖昧な指示語の内容をはっきりさせようと確認する人、落ち着かず席を頻繁に移動する人、急にみかんを手渡してくる人など、いわゆる「普通」の会議シーンとは少し違った様子が描かれていた。

実はこの映像、ASD(自閉スペクトラム症)の特性を持つ人々が多数派となった世界を映したものだった。
ブース運営者の方から「どんなところに違和感を抱きましたか?」と聞かれ、「会議中なのに、登場人物が目を見て話をしてくれないので、少し不安になりました」と答える。
「現実世界では、ASDの方がマイノリティなので、彼らが『目を合わせられない』ことが問題とされます。しかし、ASDの方がマジョリティの世界では『目を合わせて話をしてほしい』と思うほうが少数派。つまり、『普通ではない』わけです」
多数派/少数派が入れ替わってしまえば、「普通」は一瞬で崩れ去ってしまう。この展示は、そんな「普通」の脆さを描き、誰も実体を捉えることのできない「普通とは何か」 というシンプルで奥深い問いを投げかけてくるものだった。
編集後記
優しさとは、“その人が見て、感じている世界を少しでも理解したいと思うこと、そしてそこに心を向けること”なのかもしれない──展示を見ながら、そんなことを考えていた。
人は誰もが違う感覚で世界を生きている。他者のすべてを理解することはできないだろう。でも、この展示会には、たくさんの「わかりたい気持ち」が込められていたように思う。
目で見ることのできない「感じ方」や「感覚」の違いを翻訳するデバイス。伝え方やコミュニケーションを手助けしてくれるツール。「想像する」ための体験設計。この展示会は「少しでもわかりたい」という優しい気持ちが生んだ技術やコミュニケーションのあり方が集結する場だった。
「“超多様”な私たちが、”超多様”なまま生きられる世界」へと導くカギ。それは、何よりも人が人に心を向ける「優しさ」なのかもしれないと強く感じた。
【参照サイト】みんなの脳世界2025 ~超多様~
【参照サイト】ニューロダイバーシティプロジェクト公式サイト






