「今日のワークショップ、すごく良かったよね」
そう言いながら、数週間後には何も残っていない。社会課題に興味・関心を持ち、学びや対話の場に参加したことがある人なら、一度は経験があるのではないだろうか。
ある参加者が、勉強会のなかでぽつりとこう言った。
「日本の取り組みって、単発で終わっちゃうことが多いですよね」
その言葉に対して、日本と北欧のリビングラボ研究に長年取り組んできた安岡美佳さんは、こう返す。
「そこをつなぐための“仕組み”として考えられているのが、リビングラボなんです」
リビングラボ(Living Labs)とは、日々の生活や仕事の現場(リビング)を研究開発の場(ラボ)に見立て、多様な主体が協働して、データを分析したり、アイデアを創出したりするものである。従来の企業による商品テストとは異なり、当事者が必要としているモノや、未来の社会に必要とされるコトを一から検討し、アイデアを「みんな」で試行錯誤しながら具体的なプロダクトやサービスに育てあげていく(※)。
IDEAS FOR GOODを運営してきたハーチ株式会社は2026年6月、対話と共創のプロセスを設計してきた株式会社フューチャーセッションズと合併し、アーティクル株式会社(Artiql Inc.)として新たに始動した。
【参考】ハーチ株式会社と株式会社フューチャーセッションズが6月30日に合併、アーティクル株式会社(Artiql Inc.)として始動
メディアで問いや共感を生み出し、対話の場で多様な人びとの知恵を引き出し、リアルな拠点やプロジェクトで実践へつなげる。アーティクルが目指すのは、よりよい未来を誰かが一方的に提示するのではなく、さまざまな立場の人びととともに考え、試し、育てていくプロセスだ。今回の勉強会も、その試みの一つである。
では、アーティクルがこれから育んでいこうとするリビングラボでは、どのような人びとが協働し、どのように試行錯誤を重ねながら、未来に必要な取り組みを形にしていくのだろうか。単発の「いい時間」を、地域や社会に残る変化へとつなげるには何が必要なのか。リビングラボを、単なる施設やイベントではなく、「続いていくためのプロセス」として捉え直してみたい。

安岡さん
講師プロフィール:安岡 美佳(やすおか・みか)
ロスキレ大学准教授 / 北欧研究所代表。京都大学大学院情報学研究科修士、東京大学工学系先端学際工学専攻を経て、2009年にコペンハーゲンIT大学博士取得。2005年より北欧(スウェーデン、デンマーク)在住。日本、米国、デンマークの大学で計算機科学、情報学、インタラクションデザイン、数々の北欧のデザイン手法を学ぶ。専門は電子政府/スマートシティ/HCI(イノベーションのためのICT手法)。近年はリビングラボの研究を実施。
リビングラボは「場」ではなく「プロセス」
リビングラボという言葉を聞くと、場所や施設をイメージする人も多いかもしれない。
「でも、本質はそこじゃないんです」と安岡さんは言う。
「ワークショップをやること自体じゃなくて、その後も続くプロセスが大事ですよね。『うまくいった体験』あるいは『感じたモヤモヤ』を、どうやって継続させるか──つまり、リビングラボの本質は、社会実装までつなげるための「運用の仕組み」にあると感じています。偶発性を大事にしながら、試し続けること自体が設計されているんです」
それでは、Artiqlが目指すリビングラボでは、一体どのような「みんな」が協働して、どのように試行錯誤しながら、未来社会に必要とされる「具体的な何か」を育てあげるのだろうか。
ここからは、「Artiqlが目指すリビングラボ」の解像度を上げるため、およそ2時間にわたって繰り広げられた熱い勉強会を、キーワードやキーフレーズを中心に振り返っていく。
技術は2割、社会が8割。新しいものが社会に受け入れられるまで
「最近だと、DX関連にわかりやすい概念や事例が多いかと思います。特にテクノロジーを活用したプロジェクトは分かりやすいかもしれません。技術が果たす役割は2割くらいなんです。残りの8割は『社会にどう馴染ませるか』です」
安岡さんの言葉に、参加者の半数が頷き、残りの半数が腑に落ちない顔をしていた。
「デンマークと日本を行き来していると、日本社会の『DX観』には、テクノロジーを活かして仕組み(プラットフォームや制度)を変えることに焦点があてられているけれども、本当に必要な社会(生活者)の行動の変容には目が向けられていない気もするんです。結局のところ、文化が変わらなければ何も変わりません。技術は1年で導入できる、でも社会に浸透するには10年かかることも。だからこそ、長く関わり続ける仕組みが必要なんです」
なぜ文化が変わらないと機能しないのか
この後も、議論の中で何度となく、「新しいものが社会に受け入れられるまでに必要な時間」についての話が出てきた。
「覚えておいた方がいいのは、どれだけ良いものであろうと、愛されるまでにはある程度時間が必要な領域も存在するということ」
これは、先日安岡さんが会話した、デンマークを代表するブランディング・ファーム「Kontrapunkt(コントラプンクト)」のファウンダー、ボー・リンネマン(Bo Linnemann)さんが言われていた言葉だそうだ。
「彼らは、デンマーク国民なら誰もが知っているデンマーク王室関連や各省庁のロゴマーク、公共施設や交通機関で用いられる標識、それから日本でもよく知られているLEGOなどの多数のブランド体験やデザインを行ってきたことで、世界的にも大変高い評価を受けている会社です。
そんな彼らであっても、『新しいデザインになると最初は批判を浴びる。でも本当にいいものなら徐々にその声がなくなっていき、最後に愛されるようになる』。このステップは、避けられないそうです」
【参考】デンマークのKontrapunktが示す「誠実なデザイン」の設計論。社会を動かす“意味”の構築と責任を問う【イベントレポ】

成功している場には、共通点がある(デモクラシー・ガレージ事例)
安岡さんが共著者の一人を務める『はじめてのリビングラボ』でも紹介されている、デモクラシー・ガレージ(Demokrati Garage)。その事例が取り上げられると、議論は一気に具体性を帯びた。
デモクラシー・ガレージは、コペンハーゲン北西部の再開発エリアにある、元自動車修理工場を活用した複合拠点だ。13の団体からなるデモクラティック・コーポレーションが取得・運営している。デモクラティック・コーポレーションとは、組織の意思決定を、多くのステークホルダーにより民主的に行う組織のこと。組織を特定の所有者や株主のものと捉えるのではなく、関わる人びとや社会の共有資産として捉える組織観である。
「実用的な知識が場にも人にも貯まる仕組みがふんだんに埋め込まれているのがリビングラボですが、デモクラシー・ガレージには、デンマーク社会が大事にしてきた『民主主義のDNA』が受け継がれていくための仕組みに溢れています。デモクラシー・ガレージの成功を分析して見えてきた5つの因子と合わせて紹介します」

1. 場所 | Frame
2. 必ず会える人がいる | Touchpoint
3. 開放性の高いマンデー・バーやソーシャルイベント | Amplifier
4. 士業による支援 | Plug-in
5. (計算された)偶発的な出会い | Encounters
その特徴の一つは、人気のカフェやワインバー、シェアオフィスやスタートアップ支援施設が緩やかに連なる施設となっていること(1)。施設内の、協同組合型の組織や社会課題の解決を目指すスタートアップが集まるデモクラシーラボには、起業家や、彼らのビジネスをサポートする司法書士や行政書士などの専門家も活動している(4)。施設内各所では決まった曜日にオープンするバーナイトをはじめ、市民向けの勉強会や映画会など各種交流イベントが頻繁に開かれており(3)、政治や社会問題に特別な関心がない人でも気軽に立ち寄れるのも特徴(5)。共同創設者の一人であり、場を象徴する人物としてシェアオフィスにほぼ常駐しているマーティンさん(デモクラシーラボ代表)(2)をはじめ、スタッフは皆とてもオープン。「あらゆる人に開かれた場づくり」を心がけ、「どうすれば民主主義を社会に根付かせられるか」を試し続けるコミュニティとして、対話や協働を通じて新しいアイデアが生み出され続けている。
「彼らは自分たちのことを『リビングラボ』とは呼んでいませんが、場所があって、人がいて、活動があって、専門家もいて、偶然の出会いがある。これは意図的に“最初の一歩を踏み出しやすく、関係性が生まれ育っていく状態”をつくっているということ。民主主義を“体験する場所”として、その活動はリビングラボそのものです。今後もガレージにおける5要因の関係性をさらに研究していき、新たな気づきや可能性につなげていきたいと考えています」
「参加しやすさ」は、どう育まれるのか。デンマークの経験から考える日本の場づくり
現在、デモクラシー・ガレージは国内外から多くの注目を集めており、活動はコペンハーゲン以外の都市にも広がっていきそうだという。では、その成功因子を日本に持ち込めば、そのまま根付いたものになるのだろうか。
「そんなわけないですよね。デンマークと日本には似ているところもあるけれど、大きな違いも存在していますから。『デンマークにあって日本にないもの』で、リビングラボにも顕著な影響を与えるのは『参加するのが当たり前の文化』かもしれません」
安岡さんの指摘から、「参加型デザイン」「正統的周辺参加」「クリエイティブ・コンフィデンス」「社会の縮図としてのリビングラボ」をトピックに、ディスカッションが行われた。
参加型デザイン
1970年代以降、北欧では使用者が設計に参加する文化が、民主主義と密接に関わりながら発展してきた。
「意見を言うのが前提なんです。会議に出たら話さないといけない、みたいな。それこそ小さな子どもの頃から『自分は何をしたいか、どう感じているか』を周囲に伝えることを徹底的に学び、日常の中で『場に参加する』体験を積み重ねてきていますから。これは私を含め、大人になってからデンマーク社会と関わるようになったほとんどの日本の人々が実感している違いです」
では、この違いを前提に、日本で参加しやすいリビングラボをどう設計できるのだろうか。
正統的周辺参加(Legitimate Peripheral Participation:LPP)
安岡さんから「正統的周辺参加」という一つの大きなヒントが提案された。正統的周辺参加とは、実践共同体(コミュニティ)への参加の度合いを徐々に増やしていくことで学びを深め、周辺部から中心メンバーへと役割を変化させていく学習モデルである。
「最初は周りで見てるだけでもいいんですよ。参加頻度と共に、ちょっとずつ関わっていくようになるものですから。だからこそ、続けることに意味があります。ただ、日本では『最初から積極的に参加しないといけない雰囲気』を漂わせてしまうことが少なくないですよね。そこは特に意識してデザインするべきでしょう」
クリエイティブ・コンフィデンス
「日本では、みんなあんまり褒め合わないですよね」。議論の終盤で、少し意外な話題が出てきた。これはリビングラボにおいてとても重要だと安岡さんは言う。
「デンマークの人々は『いいね』と言われてちょっと自信をつけて、またやってみるを繰り返す。そうやって幼い頃から褒めること・褒められることを通してクリエイティブ・コンフィデンスを社会全体で育てています。楽しみながら続けさせるのが、とても上手なんです。これは見習うべきですよね」
クリエイティブ・コンフィデンスとは、創造力に対する自信のこと。「創造性は特別な人だけのものではなく、誰もが備えている才能」という考え方であり、「だから自分にも最高の表現を生み出す力がある」と信じられることである。
その自信から生まれたアウトプットが、コミュニティーに力を与え、リビングラボを育てていき、そこからまたコンフィデンスが生まれるという循環を促すのだ。
社会の縮図としてのリビングラボ
リビングラボで生まれた新しい製品やサービスを使用するのは、空想上のペルソナではなく、現実社会に暮らす年齢や性別、障害の有無、国籍、ライフステージ、価値観などが異なる多様な人びとである。
「デモクラシー・ガレージは民主主義のためのリビングラボですが、それ以外のリビングラボでも、成功の鍵を握るのはそこに集い意見を発する参加者の多様性です。
たとえ社会的に弱い立場にいる人であっても、存在が尊重され発言を聞いてもらえると安心できる場所──もしかしたら、今の日本ではこれが一番難しいのかもしれません。でもだからこそ、Artiqlがチャレンジするべきではないでしょうか」
安岡さんは、女性として、アジア出身者として、そして子育てをしながら北欧社会で暮らしてきた経験を通じて、包摂とは理念ではなく、日常のなかで実感されるものだと感じてきたという。

改めて考えたい「日本のリビングラボ」のポイント
・発信することが当たり前の文化づくり
・最初から積極参加を求めすぎない(LPP)
・「褒める文化」の意識的設計(自信の醸成)
・多様性を担保する場づくり
・AI時代の「場」の役割の理解
社会は、小さな参加の積み重ねでできている
デンマークでは朝、図書館などの公共空間やカフェなどのオープンスペースへ行くと、人びとが集まって歌を歌っている光景に出会うことがあるという。
一見、それはリビングラボや社会課題の解決とは関係がないように見えるかもしれない。しかし、安岡さんは「こうした日常の中で『場に参加する』経験の積み重ねが大切なんです。結局のところ、社会は、こうした小さな参加の積み重ねによって支えられているのですから」と話す。

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図書館も同様である。北欧のそれは、本を借りるだけの場所ではなく、人が集まり、語り合い、新しい活動を始めるための場として機能している。
そしてここ日本でも、最近はそんな新しい「知の創造と人びとのつながりを豊かにするための図書館」の取り組みが各地でスタートしている。
安岡さんも、石川県小松市で展開されている「こまつリビングラボ」の中核プロジェクト「未来型図書館」に、アドバイザーとして参画されているという。
【参考】地方自治体でリビングラボ:石川県小松市(外部サイト)
ただ、熟慮型民主主義の国として知られるデンマークでも、「みんなで話し合って決める」ことは簡単ではない。特に最近は、効率性を重視する流れの中で、民主的な意思決定を大切にする組織が減少しているそうだ。
だからこそ、「効率」と「参加」のあいだで、どのようなバランスを取るのか──その答えを探る実験場として、北欧でもリビングラボが存在しているとも言えるだろう。
議論は最後に、「AI時代のリビングラボ」へと広がった。AIによって知識や情報にアクセスしやすくなるからこそ、人と人が集い、偶然出会い、対話し、ともに何かをつくる場の価値は、むしろ高まっていくのかもしれない。
今回の対話を通じて印象的だったのは、「社会は、続く仕組みがあれば変わる」という考え方だった。
リビングラボとは、特別な施設や手法の名前ではない。自分たちの暮らしや地域を、少しでも良くしようとする人たちが集まり、対話し、挑戦を続けるための場である。大きな制度改革や完璧な計画がなくてもいい──まず集まり、試し、続ける。その積み重ねが、未来を少しずつ形づくっていく。その一歩は、案外、私たちのすぐ身近なところから始められるのかもしれない。
※ 2025年に出版された安岡さんの共著『はじめてのリビングラボ』 表紙裏「リビングラボ(Living Labs)とは?」
【参照サイト】リビングラボは誰が始めるのか
Edited by Erika Tomiyama







