今どき手書きと言うと、「あえて」そうする面がうかがえる。熱意を見せたり温もりを伝えたり、といった効果を期待されて使われていないだろうか。手書きにそうした特別感が漂うということは、裏を返せばそれはカジュアルから外れつつあるといことでもある。その代わりにカジュアルになってきているのは、言うまでもなくキーボードやタッチパネルで打たれた文字だ。
さて、果たして大学はカジュアルな場所なのかという話は置いておくにしても、そんな一般世間の動向を鑑みたケンブリッジ大学では、校内試験をノートパソコンやiPadでも受けられるようにするべきではないかという議論が持ち上がっている。すでに一部の学科で試験的にオンライン調査を取り入れ、タイピングで受けられる試験を導入することの是非を学生たちに問うている。
こうした動きが始まる背景には、学生の手書き文字が判読できなくて採点に困る、という現実的な理由がある。日常的に手書きで文字を書く習慣を持たない今の学生たちは書く能力が衰え、その傾向は近年確実に強まっているという。そして判読できない答案は、「解読」作業に回ることになる。つまり夏休み期間中に学生を呼び出し、大学スタッフの前で答案を読み上げてもらうのだ。学生にとっても大学にとっても負担であるのは間違いない。
「そもそも勉強するときも手書きはほぼしない」という学生側からの声もあり、大学は試験システムの見直しを検討しているが、ケンブリッジ大学の決定は世間にも少なくない影響を与えるだろう。何といっても先日発表された世界大学ランキング2018で第2位に輝いた大学だ。ケンブリッジ大の決定に倣おうとする大学も多く現れるだろうし、そうなればその下の初等教育や中等教育にも影響が出てくるかもしれない。
ケンブリッジ大学で教えるある講師は、今の学生にとって手書き文字は「失われた技術」だと評する。日本人が筆で文字を書く習慣が無くなり書道が芸術になったのと同様、手書き文字自体が芸術として扱われるようになるのだろうか。あり得るかもしれない。