はじめの一歩は「気づく」こと。手話通訳者のマスク問題から考える、インクルーシブな社会のつくり方

Browse By

新型コロナウイルス感染予防のため、多くの人が積極的に使用しているマスク。人々が安心して生活を送れるよう手助けするこのアイテムが、ある人々の生活を著しく不便にしてしまっていることをあなたはご存じだろうか。

マスク着用により大きな影響を受けているのは、聴覚障碍を抱える人々である。耳の聴こえない彼らにとって、話し相手の口元の動きや表情の変化は、相手の意図や感情を読み取るための大きな指標となっている。手話に加えこうした情報を受け取ることで、相手の言わんとすることを理解し、円滑なコミュニケーションをとるのに役立てているのだ。

鼻から口元のあたりまでを覆うマスクは、聴覚障碍者たちがよりどころとするコミュニケーションのサインまでも隠してしまう。これにより日常のコミュニケーションに支障が出たり、感染症対策に関する公的機関からの発表など重要な情報が正しく伝わらなかったりするのは大きな問題である。

マスクを着用して会話する2人

Image via Pexels

このコミュニケーションを阻むバリアをなんとかしようと立ち上がったのが、アメリカに住む一人の学生アシュリー・ローレンスだ。大学で聴覚障碍者向けの教育を勉強している彼女は、耳が不自由な人たちのために「つけてもコミュニケーションができるマスク」を作ることにした。それが、口元部分を透明な素材にした、いわば「窓付き」の布マスクだったのである。

日本においても、京都府の公式記者会見に「聴覚障碍者のために記者会見時のマスクを外してほしい」との要望が寄せられていたり、感染をきっちりと予防しつつ手話通訳者の口元が見えるようにするにはどうすべきか各自治体で葛藤していたりと、先の例と同様の問題が起きていることが明らかになった。このコロナ禍におけるミス・コミュニケーションの問題は、誰も取り残さないインクルーシブな社会をデザインすることの難しさを改めて私たちに見せつけたようである。

多様な形の器

Image via Unsplash

誰かの生活を助けるためのアイテムが、他の誰かの生活を不便にしてしまっていたり、自分が何の気なしにとった行動が他人の安全を脅かすことになってしまったりする事例は少なくない。

例えば、トイレなどに設置されているハンドドライヤー。温風で手の水分を吹き飛ばしてくれるこちらの機器からはかなり大きな音がするが、私たち大人は「まあそんなものだろう」「たかが数十秒だし……」とその便利さを享受している。この大人なら我慢できるハンドドライヤーの騒音、実は、子供にとっては非常に危険なものなのだという。それを証明したのは、カナダに在住のノラ・キーガンさんだ。9歳のとき、ハンドドライヤーを使用後に耳が痛むことに気づいた彼女は、騒音レベルを測定する機械を使用し「ハンドドライヤーが子供の耳に及ぼす影響」について研究を始めた。

調査の結果を学校の自由研究として発表したノラさんは、その後も研究を続け、13歳の時には論文の執筆をスタート。2019年6月には、彼女の論文が小児科医療の学術誌に掲載されることとなった。ノラさんの事例は、目線が変われば、感じ方も、受ける影響も大きく変わってしまうことを証明した事例だと言えるだろう。

ハンドドライヤーを使う子ども

Image via Sutterstock

また、以前IDEAS FOR GOODは、LGBTQ概念の普及と理解を促す活動を行う帝ラスカル豹さんを取材した。その際ラスカルさんが語っていた「性別やセクシャリティをカテゴライズする行為」についての話も印象に残っている。

“自分がFtMだと思っていたときはFtMと呼ばれることがすごく嫌だったんですね。FtMはFemale To Maleの略で「女から」男へという意味。つまり、そう呼ばれる限り「女だった過去の自分」が付きまとってくるからです。そういう経験があるからこそ、簡単に性別をカテゴリに分けて呼んでしまいたくないと思っています。”

男女の2性に縛られずに専門用語を使用したほうが、相手に配慮できるのではないか?──そうやって何気なくカテゴライジング・ワードを使うこと自体が、相手に苦しい想いをさせているのかもしれないとハッとさせられる事例だった。

性別の「らしさ」に縛られない。LGBT“Q”について発信する帝ラスカル豹が想う「自分らしく生きること」とは?

私たちはこの社会で、多様な人々とともに暮らしている。ハンディキャップのあるなしに関わらず、そもそも、人は一人一人違うのだ。自分が何気なくとっている行動が他の誰かに大きな迷惑をかけてしまっていたり、良かれと思ってやっていることが誰かを傷つけてしまっていたりすることもあるだろう。それはある種、悲しいことのようにも思える。だが、「私たちはすれ違っていた」と気づくことは、決して悲しいだけではないと思うのだ。

そこに問題があると「気づく」ことは、物事を「知る」ための第一歩。そして「知る」ということは、自分の中に選択肢を増やすことだ。窓付きマスクのニュースに触れ、「聴覚障碍のある人にとっては、表情や口元の動きが大切なんだ!」と知る。あるいは、街中で見かけたマークについて調べてヘルプマークというものが存在するのだと知る。そうすると、「聴覚障碍の人とコミュニケーションをとるときには、マスクではなくフェイスガードを用意しておこう」「ヘルプマークを付けた人が来たら席を譲ってみよう」というように、自分が次にどう行動するかを「選択」できるようになるのである。

気付くことは、選択肢を増やすこと

Image via Unsplash

バリアがあると発覚してから対処するのではなく、初めから極力誰も排除しないようなデザインを心がけることももちろん大切だ。だが、事前に様々なことを想定したからといってすべての人を完璧に包摂できるとは限らない。

それよりも大切なのは、個々人が日々のなかで自他の感覚の違いに「気づき」、それらの違いを自分のなかに蓄積していくこと。そして、それを必要なときに引き出して、目の前の人に寄り添った行動ができるように準備しておくことなのではないだろうか。

【参照サイト】Reusable Masks for the Deaf and Hard of Hearing | GoFundMe
【参照サイト】easternkentuckyu | Instagram
【参照サイト】マスクして会見は「配慮欠く」 聴覚障害者「口元読めない」と要望 京都府知事が対応改善
【参照サイト】手話通訳者、「透明マスク」で会見に…口の動きや表情も大事 | 読売新聞オンライン
【参照サイト】テレビで紹介された手作り透明マスク動画を公開します。【透明マスク作成の背景~手話通訳とは】 | 伊丹市
【参照サイト】Children wise to fear hand dryers, and 13-year-old proves it with published paperSocial | CBC
【関連ページ】性別の「らしさ」に縛られない。LGBT“Q”について発信する帝ラスカル豹が想う「自分らしく生きること」とは?
【関連ページ】ユニバーサルデザインとは
【関連ページ】インクルーシブデザインとは

FacebookTwitter