ナッジとデザイン思考で人間中心の政策づくりを支援する「PolicyGarage」

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気候危機、エネルギー問題、少子高齢化に伴う社会保障負担の増加、地方部の過疎化、貧困や格差の問題、ジェンダー不平等など、日本が直面している政策課題は数を挙げればきりがない。読者の中には、経済も社会も不確実性を増すなかで、いまの政治や政策に不安や不満を覚えている方もいることだろう。

これらの課題解決に向けて、「ナッジ」と「デザイン思考」、そして「EBPM(Evidence-based Policy Making:統計データや数値などの客観的証拠に基づく政策立案)」の3つを掛け合わせ、人間中心のアプローチにより地方自治体から政策を変えていくことを目的に2021年1月に誕生したのが、NPO法人PolicyGarage(ポリシーガレージ)だ。

ナッジとは、行動科学の知見に基づき、人々が望ましい行動をとれるように後押しするアプローチのことを指す。経済的インセンティブや罰則といった手段を用いるのではなく、意思決定する際の環境をデザインすることで、様々な選択肢を残したまま自発的な行動変容やよりよい選択を促すのが特徴だ。

PolicyGarageは様々な経歴を持つ官学民のメンバーらが集まってできたネットワーク型の組織で、もともとは2019年2月に設立された神奈川県・横浜市の職員らが有志で結成した日本初の自治体ナッジユニット「YBiT」が前身となっている。

行動デザインとEBPMを駆使して政策にイノベーションを起こし、自治体職員がワクワク感を持って仕事に取り組めるようにするというYBiTの理念や活動に共感した仲間が全国から集まり、PolicyGarageが結成された。2021年7月現在、同団体は10省庁、13都道府県、35市町村の職員を含む500を超えるコミュニティメンバーで構成されており、その輪はどんどんと広がっている。

今回IDEAS FOR GOOD編集部では、PolicyGarageの創始者となる代表理事の津田広和さん、そして事務局を務める横浜市職員の長澤美波さんのお二人に、同団体の活動内容や政策にナッジを活かした具体的な事例、ナッジを活用する際の注意点、今後の展望などについて詳しくお話を伺った。

話し手:津田 広和さん

鹿児島県出水市出身。東京大学法学部。シカゴ大学ハリススクール(公共政策大学院)修了。官公庁勤務。気仙沼市での復興支援や横浜市財政担当課長も歴任。経済産業研究所コンサルティングフェローとして、エビデンスに基づく政策(EBPM)を推進。ナッジはじめ行動科学の政策応用にも情熱が広がり、横浜市行動デザインチーム(YBiT)を共同創設。EBPMも行動科学も、行きつくところ人に寄り添って政策や行政をデザインし直すことだと考え、デザイン思考にも情熱が広がり、PolicyGarageを共同創設。PolicyGarageではパッションリーダーであり行動派の切り込み隊長。趣味は読書、運動、飲み会。妻と娘一人。

話し手:長澤 美波さん

横浜市出身。お茶の水女子大学グローバル文化学環卒業後、2009年横浜市役所入庁。納税担当、災害時要援護者支援担当、地域包括ケア推進担当、横浜市プレミアム付商品券担当を経て、現職である生活困窮者支援担当に従事。大学では異文化間心理学、コミュニティ心理学等を学ぶ。NPO団体設立支援経験からPolicyGarageの設立運営事務を担う。2018年第一子出産。合気道二段(かなりブランクがあるので再開したい…)

EBPMだけでは進まない。ナッジのワクワクが必要だった

PolicyGarageを率いる津田さんは、もともとどのような経緯で「ナッジ」に辿り着いたのだろうか。

津田さん「私は官庁で働いており、シカゴ大学に留学して公共政策を中心に学んでいたのですが、アメリカのオバマ政権では政策をデータドリブンで進めるEBPMに相当力を入れて進めていました。そこで、日本に戻ってきてからは経済産業研究所でEBPMに関心がある同世代の学者やメンバーと研究会を立ち上げて海外事例について学び、論文での発信もしていました。」

「ただ、それだけではなかなか実装が進まず、自分たちで具体例を作る必要があると感じ、横浜市に財政担当課長という立場で出向した際にはEBPMに取り組もうとデータ推進の部局と連携したり、研修でキャパシティビルディングなどをしていました。しかし、EBPMという横文字が分かりづらかったり、必要なデータ環境が整備されていなかったり、もし効果検証できるようになってネガティブな結果が出てしまったらどうしようといった不安があったりして、なかなか前に進めることが難しい状況でした。」

「そんななか、YBiTを設立したメンバーらとEBPMを進めようと月に一度開催していた勉強会の中でナッジを取り上げたところ、すごく反応がよかったのです。『ナッジは予算も時間もかからないけれど目に見える形で効果が出て、しかもワクワクする形で取り組める。ナッジってすごく面白い』と。そして、横浜で仲間が集まり、最近では全国へと仲間が広がり、ナッジを一つの入り口としてEBPMにも関心を持ってもらうというところからナッジへと関心が移行していきました。」

客観的なデータや根拠に基づいて政策立案を進めるEBPMの考え方は、限られた資源でより効果的、効率的な政策をつくるうえで欠かせない。しかし、そのことを頭では分かっていても、自治体の職員がジブンゴト化するのはなかなか難しい。そこにフィットしたのが、ワクワクしながら取り組める「ナッジ」だったのだ。

研修の様子

SMSの文章一つで人の行動は変わる

横浜市のナッジユニット「YBiT」が株式会社キャンサースキャンともに手がけた具体的なナッジの成功例が、国民健康保険の加入者に特定健康診査の受診をすすめる受診勧奨業務だ。40歳から50歳までの長期未受診者に対して携帯電話へのSMS(ショートメッセージ)で受診を呼びかける際、標準のメッセージに加えてナッジ理論を活用した【規範】【インセンティブ】【simple & timely】という異なる3つの文章パターンでメッセージを送信したところ、標準的なメッセージの受診率(5.5%)と比較して【規範】が7.3%、【インセンティブ】が6.9%、【simple & timely】が7.1%となり、ナッジにより勧奨効果を20%以上高めることに成功した。

  • 標準:【横浜市からのお知らせ】横浜市国民健康保険では、特定健診を無料で受診できます。3月末までに受診をお願いします
  • 規範:【横浜市からのお知らせ】未受診者に特定健診を受けてもらうよう、国の指導を受けています。3月末までに受診をお願いします
  • インセンティブ:【横浜市からのお知らせ】1万円相当の特定健診が無料で受診できます。3月末までに受診をお願いします
  • simple & timely:【横浜市からのお知らせ】確認したところ、特定健診が【未受診】でした。3月末までに受診をお願いします

また、ナッジを用いたメッセージを2回送ることで勧奨効果はさらに高まることも明らかになり、この効果は、はがき2回分と同等以上の勧奨効果があることも分かった。これにより、はがきによる勧奨をナッジのSMSに切り替えることで、勧奨効果を維持しながら勧奨にかかるコストを大幅に削減できる可能性があることが判明したのだ。

具体的には、仮に10万人を対象とした場合、はがき2回を送付するケースと比較して、はがき1回+ナッジSMS2回を送付した場合では3,750,000円ものコスト削減効果が期待できるという。勧奨方法と文章を変えるだけでこれだけ大幅なコスト削減につなげられるのが、ナッジの持つ威力だと言える。

行動変容を促すナッジのフレームワーク「EAST®」

上記のSMS作成でも活用されたのが、英国のナッジユニットBIT(The Behavioural Insights Team)が開発した行動変容フレームワーク「EAST®」だ。EAST®は、「Easy(簡単に)」「Attractive(印象的に)」「Social(社会的に)」「Timely(タイムリー)」の4つの頭文字をとったもので、それぞれ下記が具体的なポイントとなる。

  • Easy:デフォルト機能の活用/面倒な要因の減少/メッセージの単純化
  • Attractive:関心を惹く/インセンティブ設計
  • Social:社会的規範の提示/ネットワークの力の活用/周囲へ公言させる
  • Timely:介入のタイミング/現在のバイアスを考慮/対処方法を事前に計画

EAST®は海外の知見をもとにまとめられたものであり、必ずしも日本の状況下で同様の効果が得られるとは限らない。そのため、ナッジ施策に適用した際には必ず効果の検証が求められるが、効果的なナッジを考える際のフレームワークとしては大いに活用できるものだ。

ジェンダー平等に向けた育休取得ナッジ

これまで数多くのナッジ事例を研究し、EAST®を取り入れながら自らもナッジの実践に取り組んできたお二人に、特に印象的なナッジの事例を聞いてみた。

津田さん「千葉市が取り組んでいる男性の育休取得に向けたナッジですね。これは『デフォルト化』の取り組みで、昔は何も申請しなければ育休は取得しないというのがデフォルトだったのですが、それを何も申請しなければ育休を取得するというのをデフォルトにして、取得しないことに説明責任が伴うようにしたのです。」

「その結果、育休取得率が2013年度の2.2%から2019年度には92.3%と大幅に上がりました。一度男性の育休取得が社会規範になると、『みんな取得するのが当たり前だよね』となり、みんながそれを前提に仕事をしだすので、覆すことがより難しくなっていく。これは非常に面白いですね。」

厚生労働省のデータによると、2018年度の日本の育休取得率は女性が82.2%に対し男性は6.16%となっており、圧倒的な差が出ている。男性の育休取得率向上に向けては様々な取り組みが展開されているが、ナッジによりデフォルトを変えるだけでも、男性の行動は大きく変わるのだ。

行政文書の文字はここまで減らせる

一方の長澤さんは、三菱UFJリサーチ&コンサルティング社と横浜市戸塚区による官民連携の取り組みを挙げてくれた。

長澤さん「固定資産税の口座振替納税の勧奨通知をナッジするというもので、行政文書の文字はここまで減らせるのかという限界に近いところまで挑戦した事例です。結果としてナッジ版のチラシの申込率は、従来版の8.4%から17.2%へと倍以上になるという結果が出ました。」

チラシのデザインを変えるだけで口座振替の申込者は格段に増え、そのぶん行政は督促状の発送や滞納整理等にかかる手間やコストを削減することできる。少子高齢化による社会保障費の増大などでより一層の効率的な行政運営が求められるなか、戸塚区の取り組みもナッジの持つ可能性を大きく示した好事例だと言える。

ナッジに問われる「倫理」

上記で紹介した事例に見られるように、ナッジは上手に活用することでコストをかけることなく大きな成果を上げることができる。一方で、行動科学の知見に基づいて人々を特定の方向へと誘導するという点については、常に倫理的なリスクもつきまとう。

長澤さんは、ナッジを政策に活用する際の注意点についてこう話す。

長澤さん「ナッジにおける倫理的な問題は常にあります。ナッジは、ある意味で行政が意図する方向へと無意識に誘導する形となるため、誘導する方向が果たして正しいのかという点は必ず考慮する必要があります。EAST®フレームワークにおいても『Easy(簡単にする)』は進めるべきだと思うのですが、『デフォルト化』の手法などは社会的なコンセンサスがないと難しいと感じます。」

※デフォルト化:EAST®における、Easy手法の一つ。例えば、年金への加入を選択性にするのではなく最初からデフォルトにしておくことで、年金加入者を増やすといった施策を指す。

「また、最近YBiTの中で議論をしているのは、ナッジした行動がしたくてもできない人がいるという点です。例えば、現在の新型コロナウイルスのワクチン接種についても『受けようと思っているけれども先延ばしにしている』という人に対してはナッジを効果的に活用すればよいと思うのですが、アレルギーでワクチンを接種できない方への配慮なども一緒に考えていかないと、良くない方向に行ってしまう可能性もあります。」

「スラッジ」している現状に気づくことも大事

また、津田さんは、ナッジにつきまとう倫理的なリスクもさることながら、そもそも現状の行政のシステム自体が「スラッジ(望ましくない方向へと導いてしまう、悪いナッジ)」になってしまっているということに自覚的であるべきだと指摘する。

津田さん「ナッジは “Nudge for Good” であり、その人にとってよりよい方向へと導いていくものです。また、ナッジ自体がそもそも他の選択肢も許容しながら行うものであり、何かを強要するものではありません。しかし、やはり一定の意図を持って誘導する以上は、よい方向へ導くということを強く意識する必要があります。」

「そのうえで補足をすると、ナッジの反対に『スラッジ』という言葉があるのですが、いまの行政サービスは使い勝手が悪く、現状ではある意味『スラッジ』が横行しているような状態になっています。行政は、貧困状態にある方々の経済状況を改善する、社会的な孤独を改善するなど、困っている方々に対してサービスを提供しますが、そのサービスが使いにくいと、その方々の状態を改善するという方向へと向かわず、スラッジになってしまうのです。」

「行政が良かれと思ってやっていても、コンプライアンスや前例などを意識していると、知らず知らずのうちに貧困状態の方、障がいを抱えた方、高齢者や子どもなどの社会的弱者をより苦しい立場にしてしまう可能性もあります。例えばサービスの不要な手続きを減らしたり、不要な文章を減らして分かりやすい言葉にしたりするだけでも、救われる方々はとても増えると思うのです。つまり、私たちは『ナッジは常に心理的な干渉が伴うので倫理性を意識しないといけない』と言っているのですが、それでは現在の私たちの仕事の倫理性に全く問題がないのかというと、そうではないかもしれないということです。」

新たに取り組むナッジの倫理性を問うのと同じぐらい、現行のシステムの倫理性を問うことも大事。それが津田さんの考えだ。

引き算が、クリエイティブな解決策を生み出す

様々な社会課題に対し、限られたリソースのなかで対処していかなければいけない自治体にとって、PolicyGarageが持つ知見やネットワークは大きな武器となる。現在PolicyGarageでは地方自治体の職員向け研修や海外機関との連携によるナッジプロジェクトの実践など幅広い活動を展開しているが、津田さんは今後ナッジを活用した政策をさらに日本全国へと広げていくうえでどのような点を課題に感じているのだろうか?

津田さん「常にお金と人材が不足しているという点ですね。日本で一番必要なナッジは、とにかく時間をスマートに使うということだと思います。時間がないと、楽しい意思決定、望ましい意思決定にたどり着くことがなかなかできません。そのために大事なのは、サブストラクト、『引く』ということです。人間って何でも追加したがる傾向があると思うのですが、『引く』ことはとてもクリエイティブでよい解決策になります。私たちは別に忙しくする必要がないことに対してあまりにも忙しくしすぎているので、もっと時間を大切に使うということを組織として強く意識し、時間と心の余裕を生むことが大事だと思っています。」

「もう一つの側面として、日本では社会的な課題の解決を行政に頼るところがあります。しかし、行政が人もお金もないなかで正面から社会課題に向き合えるかというと、難しいことも多い。一方でNPOはまだ未成熟の組織も多く、民間企業も社会課題への取り組みがトレンドとしてはあるものの、なかなか進んではいません。今起こっている社会課題は行政だけでは解決できないので、民間、NPO、アカデミア、市民ひとりひとりが一緒に参加して課題を共有し、ソリューションを共に創っていく必要があります。」

行政だけで社会課題を解決することは難しい。それこそが、PolicyGarageが自治体だけではなくアカデミアや民間企業、NPOなどからも多様なメンバーを受け入れて活動している理由でもある。「PolicyGarage」という名前には、「Policy(公共政策)」と人類の歴史の中で様々なイノベーションを生み出してきた「Garage(ガレージ)」を融合することで、よりよい公共を実現するという意味が込められている。PolicyとGarageの間にスペースがないのもそのためだ。

ナッジを文化として根付かせる

また、長澤さんは行政という大きなシステムを変革するために、より長期的な目線で取り組むことの重要性を指摘する。

「いまPolicyGarageに参画してくださっている方はキャズム理論でいうイノベーターであり、新しい物事に対してとてもポジティブな捉え方をしてくださる方々だと思うのですが、やはり行政は非常に変化が遅いところでもあり、PolicyGarageの動きを一時的なもので終わらせないためには、文化として根付かせる必要があります。そのためには、全国で同じような動きをしている仲間を見つけ、つながり、より大きな動きを作っていきたいですね。」

取材後記

2021年1月に発足したばかりのPolicyGarageだが、すでに日本国内の自治体だけではなく海外からも引き合いがあるなど、周囲から寄せられている期待は大きい。津田さんと長澤さんのお話から感じたのは、「ナッジ」の政策的な効果だけではなく、その取り組みが自治体の職員にもたらす前向きなパワーだ。

一見解決が難しいように思える課題も、ほんの小さなアイデアで大きく解決に近づくことがある。ナッジが持つそんな可能性が、仕事を面白くしてくれるのだろう。

効果的なナッジを考えるためにはクリエイティブな発想が欠かせないが、クリエイティビティは、いつも多様性があるところから生まれる。PolicyGarageの強みも、セクターを超えた多様な人材が集い、様々な知見を共有できる点にある。

お二人の話を聞いて少しでもナッジによる政策づくりに興味を持った方は、ぜひPolicyGarageの仲間に加わり、多様性の一部になってみてはいかがだろうか。世の中をよりよい方向へとナッジしていくヒントがきっと見つかるはずだ。

【参照サイト】PolicyGarage

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