特集「多元世界をめぐる(Discover the Pluriverse)」
私たちは、無意識のうちに自らのコミュニティの文化や価値観のレンズを通して立ち上がる「世界」を生きている。AIなどのテクノロジーが進化する一方で、気候変動からパンデミック、対立や紛争まで、さまざまな問題が複雑に絡み合う現代。もし自分の正しさが、別の正しさをおざなりにしているとしたら。よりよい未来のための営みが、未来を奪っているとしたら。そんな問いを探求するなかでIDEAS FOR GOODが辿り着いたのが、「多元世界(プルリバース)」の概念だ。本特集では、人間と非人間や、自然と文化、西洋と非西洋といった二元論を前提とする世界とは異なる世界のありかたを取り上げていく。これは、私たちが生きる世界と出会い直す営みでもある。自然、文化、科学。私たちを取り巻くあらゆる存在への敬意とともに。多元世界への旅へと、いざ出かけよう。
昔々、物々交換が主流だった時代。魚を持っている人が「米を欲しい」と思っても、米を持っている人が「魚を欲しい」と思っていなければ、それらを交換することはできなかった。人によって違う「価値をはかるものさし」──それを統一してくれたのが、お金だ。
現代でも、プロダクトやサービスなどの価値は、お金、つまり市場を通してはかられることが多い。そんななか、「市場を介さない」価値に注目しているのが、株式会社リ・パブリック(RE:PUBLIC)である。
同社は、持続的にイノベーションが起こる生態系(=エコシステム)を研究し(Think)、実践する(Do)、シンク・アンド・ドゥタンクだ。さまざまなバックグラウンドやスキルを持つ市民、企業、大学、行政、NPOが、組織の枠組みを超えて活動する共同体を生み出し、地域のまちづくり支援から国の政策デザインまで、幅広いスケールで活動している。
今回IDEAS FOR GOOD編集部は「イノベーションをどう捉え、どのように実践しているのか?」「『市場を通さない』価値とは何か?」といった疑問について、代表の田村大さんに伺ってきた。
話者プロフィール:田村大(たむら・ひろし)
神奈川県生まれ。幼少期を福岡県・小倉で過ごす。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。新卒で博報堂に入社後、デジタル社会の研究・事業開発等を経て、株式会社リ・パブリックを設立。欧米・東アジアのクリエイティブ人脈を背景に、国内外で産官学民を横断した社会変革・市場創造のプロジェクトを推進している。2014年、福岡に移住。現在、北陸先端科学技術大学院大学にて客員教授を兼任。
「パブリック」を編みなおす
Q.リ・パブリックとはどのような組織ですか?
リ・パブリックは、2013年、共同創業者の市川文子とともに立ち上げた会社です。国や自治体、企業、大学など様々な機関・団体と協業し、「イノベーションが持続的に生み出されるような生態系づくり」に取り組んでいます。僕たちは、自分たちのことを「シンク・アンド・ドゥ・タンク」と定義していて、通常のシンクタンクのようにリサーチをしたりレポートをしたりするだけでなく、「ドゥ」──つまり、研究のなかで発見したことを社会にどのように実装していくかというところに大きな比重を置いています。
創業のきっかけになったのは、東日本大震災です。共同創業者の市川と僕は、宮城県の気仙沼市を中心にして、復興のお手伝いをさせていただいてきました。そのときに気づいたのが、僕たちが新しいアイデアを外から投げ込むよりも、住民自身が自分たちが住む世界を、自分たちの意思を持ってどのように作り直していくのかが大事だということ。
パブリックという言葉は、日本では「公共」とか「公的な空間」というような意味合いに取られることが多いと思います。ですが、私たちはパブリックを「自分たちの世界」や「自分たちの場所」とも解釈しているんです。
ReとPublic、つまり「自分たちの世界や未来=パブリックを編みなおす」「アップデートする」そんな意味を込めて、RE:PUBLICという社名にしました。
Q.日本のイノベーションを取り巻く課題にはどんなものがあるでしょうか?
いろいろな課題があり一口に言い切ることはできませんが、一つ挙げるとすると、やはりシンク・アンド・ドゥの「ドゥ」が圧倒的に足りないことでしょうか。やるまでのプロセスが長すぎる、と言いますか……アクションが進んでいかないカルチャーや仕組みが根付いてしまっているというのが、一番歯がゆいところかなと思います。
僕は、基本的には、思いついたらやった方がいいと思っています。「ドゥ」をやってみることで、それが仮にうまくいかなかったとしても、新しい発見があったり、次の展開が見えたりしますから。
自分がコミットしたいと思うような状況ができたら、まずやってみるということが大事だと思います。
Q.リ・パブリックのWebサイトにある「市民一人一人がイノベーター」とはどのような状態なのでしょうか?
僕にとってのイノベーションは、人間の行動・習慣・価値観がより良い向きに変化し、後戻りせずに続いていくことです。行動・習慣・価値観が一度変わったとしても、また元に戻ってしまっては意味がないですからね。
僕が思う「市民一人一人がイノベーター」という状態は、自分の行動や習慣、価値観が変わることで、周りに影響が及ぶことです。簡単な例を挙げると、健康のために毎日朝走るという行為を一人が始める。それが周りに波及して、みんなが走るようになり、地域が健康になっていく。これはこのコミュニティの中における、ある種のイノベーションと言えるでしょう。
誰か一人の行動がきっかけとなって、全体の変化に繋がることは、社会において非常によくあることです。一人の天才が何か良いアイデアを考えてくれたり、それが社会実装されたりするのをただ待っているのではなく、一人一人が社会に働きかけていくことを通じて、良い変化が起こっていく。それが、「市民一人一人がイノベーター」であることだと思います。
市場を介さないイノベーションとは
Q.理想的なイノベーションのあり方とはどのようなものでしょうか?
東日本大震災の後、気仙沼を訪ね、この復興期をどういうふうに支えていくのかを考えたとき、イノベーションのあり方について考えさせられました。
今まで研究し実践してきたイノベーションは、基本的にマーケットを介したもの。例えば、新しいプロダクトやサービスを生み出して、それらがマーケットを通じて評価される、あるいは新しいマーケットを生み出すことで社会に影響が生まれる、というようなものですね。
ですが、価値というものは、市場やお金の動きだけにあるものではありません。人のつながりや、社会の仕組み、そういった市場でははかれないものだって、価値の一つです。
もちろん、マーケットがすべて悪いということではありませんが、実際に被災地に入ってみて「この地で実践しようとするサービスって、そもそもマーケットを通じて評価される必要があるんだっけ?」「『すべての問題をマーケットを介して解決する』という考え方は、非常に視野が狭いんじゃないか?」と思ったんです。
従来のビジネスでは、プロダクトやサービスを介して、事業者と顧客の二項の関係性が形作られます。また、投資対効果が目に見えるぶん、その価値がわかりやすいです。しかし、僕たちはもっといろいろな人たちが関係する構造をつくり、その価値も多様化したいと思いました。
人々が関わりあい、社会や仕組みをつくるなかで、つながりやコミュニティ、安心といったお金だけではない価値を得る。そのような構造をつくるビジネスのメカニズムを僕たちは、ビジネスエコロジーと呼んでいます。
Q.マーケットを介さない価値について、もう少し詳しく教えてください。
現在は、農林水産を担う一次産業、鉱工業を担う二次産業、サービスを担う三次産業を比べた場合、経済的に利益が出やすいという意味で三次産業がより付加価値が高いと考えられることが多いです。
ですが、「マーケットを介さない」と考えたときに、この三次産業を頂点とした価値の階層が逆転するのではないかと思っています。これからもっと一次産業的な事柄が大事になっていくのではないか、という仮説めいたものを持っているんです。
例えば、今まで野菜はスーパーで買うものだと思っていた人が、近所の農家さんに余った野菜をおすそ分けしてもらう。これって、今までの市場を介したものの得方とは少し違いますよね。
野菜というもの自体はそんなに高いわけではないけれど、それをもらったり分け合ったりすることによって、人同士のつながりができ、自分の暮らしに安心感が与えられる。
そして、関係性ができていくことによって、そのなかで生きていけるようになります。例えば、自分がもし将来仕事を失ったとしても、この関係の中にいれば誰かが手を差し伸べてくれる、そんな安心感に繋がっているのではないかと思っています。
Q.これまでに関わってきたイノベーション・プロジェクトのなかで、印象に残っている事例を教えてください。
鹿児島県で行っている竹の建築事業でしょうか。日本の竹の主要な種である孟宗竹は、もともと、江戸時代に中国から薩摩藩に持ち込まれ、全国に広がっていきました。特に、鹿児島や熊本など九州の南部には多くの竹林があります。しかし、今は人口減少や高齢化などが進んだ結果、竹林を管理する人がいなくなってしまったため、荒れ放題になってしまっているのです。
僕たちは、その竹をどうにか有効活用できないか考えました。そこで思いついたのが、「竹を使って建築すること」。建物を建てるには大量の資材が必要ですから、多くの竹を有効利用できると思ったのです。
今は、竹の建築事業を大学と一緒に研究しており、実装段階まで進みかけているという状態になります。
お金がお金を生むような仕組みというよりは、自分たちの身の回りにあるものをうまく活用しながら、自分たちの暮らしを常にアップデートしていく。そういうあり方の価値が今後高まっていくといいなと思っていますね。
失敗よりも「撤退」を
Q.イノベーションを起こすために大事なことは何でしょうか?
「重くしない」ことが大事なんじゃないか、と思います。いろんな地域の中で変化を起こしてきた方たちとお話ししていると見えてくるのは、皆さん意外と思いつきや軽いノリで始めていることが多いということ。
もちろん、軽いノリのあとにたくさんの試行錯誤があるわけですが、きっかけ自体は「重くない」のです。こんなことやったら面白そう、こんな未来になったらいいなという思いがあって、それを実現するためにとりあえずみんなで頑張ってみようとする。そんなふうに、軽やかに始めていると思うんですよね。
慎重に考えろ、失敗しないようにしろ、そういう「重い」話ばかりになってしまうと、イノベーションの芽はつまれていってしまう。なので、自分たちが思いついたこととか、ちょっとしたアイデアを社会に投げ込んでみる。そこからすべてが始まると思います。
また、イノベーションは、地域に合わせることが大事です。Aという地域であるアイデアがうまくいったからといってBという地域でもうまくいくとは限りません。
その地域において、その文化において、どういうものがその人たちにとってより望ましい変化なのか。それを判断したうえで、実現に向けて取り組んでいくことが大事だと思っています。
Q.先ほど、「慎重に考えろ」「失敗しないようにしろ」といった「重さ」がイノベーションの妨げになるというお話がありました。失敗を許す環境を作るために必要なことは何でしょうか?
失敗を過剰に怖がるのではなく、チャレンジが許容されたり、面白いと思ったことをやってみようと思えたりするような……みんなが前のめりに社会に関わっていけるカルチャーは大事だなと思っています。
ただ実は、僕自身は「失敗が素晴らしい」とはあまり思っていないんです。最初から失敗を怖がらずにどんどんやってみるのは大事だと思いますが、やはり、失敗するよりは成功したいですよね。
僕は、「失敗よりも撤退」だと思っています。失敗しそうになったとき、「じゃあどっちに行ったら修正できるかな?」と考えられること、このまま進んでいっても道はないなと思ったときに、元の道に戻れること。それが「撤退」です。
失敗するというのは、転んでドロドロになってもう起き上がれないような状態になること。そうなってしまってはしょうがないですよね。引き返せない失敗をする前に、積極的に「撤退」してもう1回やり直せば良いと僕は思っています。
失敗を許容するというより、失敗しそうなときにみんなでこうしたら良いんじゃないか、ああしたら良いんじゃないかとアイデアを出せる、話し合える環境が大事だと考えています。
「人間にできる範囲」を考える
Q.いま、経済成長と環境負荷削減の両立を目指す「グリーン成長」や、そもそもの成長主義に対抗する概念である「脱成長」についての議論が盛んになっています。田村さんは「成長」という概念をどのように捉えていますか?
成長していく、ということは常に拡大するというような意味合いを持っていると思いますが、僕は常に大きくなっていったり強くなっていったりしなければいけないのかということに対しては、少し疑問を持っているんですよね。
衝撃的なデータを知ったのですが、地球上に生きている哺乳類のうち、96%は人間とその家畜であり、野生の哺乳類は残りの4%しかいないのだそうです(※)。つまり、地球上には、ほぼ人間と人間が管理しているリソースしかないというふうにも言えると思います。
そんな僕たちが地球の資源を使い続けていけば、生きるために必要なものがすべてなくなってしまうのは当たり前のこと。
僕たちは将来の分の資源を前借りして使っており、未来でそのツケを払わなければいけません。そうやって未来の一部を取り崩していくことを「成長」と呼ばないほうが良いと思っています。
Q.私たちが生きていくうえで切っても切り離せない自然。田村さんにとって、自然とは何でしょうか?
自然とは何かを考えるとき、一番素直に人間の感覚に従うとすると、たぶん人間が手をつけられない、制御できないところが自然ということになると思います。
自然について考えるとき大事なのは、「自分たちには制御できないエリアがたくさんある」ということに対して、我々人間が自覚的であることだと思っています。
「人間にできる範囲とは何なのか」そしてその中で「自分たちはどこに携わるのがふさわしいのか」をもう一度考慮し直すことこそが必要なのではないでしょうか。
編集後記
取材中、田村さんはこんなことを言っていた。
僕の周りでは、仕事しながら農業をやったり、社会奉仕的な活動をしたりする人が増えてきています。市場を介さずに行われるこうした行為は、人間が社会に対してこれまでとは違う接点を持とうとする、無意識的な安全保障行為なのではないかと感じることがありますね。
食べ物がなくなっても、互いにおすそ分けしあう。職を失った人がいたら、人づてに働き口を融通しあう。このつながりのなかにいれば「なんとか生きながらえていける」という安心感は、お金でははかれない大きな価値の一つだ。
リ・パブリックはきっとこれからも「価値とは何か」を問い続けながら、世界を編みなおし、生きたいと思える世界をつくっていくのだろう。
※ Wild mammals make up only a few percent of the world’s mammals(Our World in Data)
【参照サイト】RE:PUBLIC