デンマークの首都コペンハーゲンから55キロメートル離れた場所に位置する、広大なシェアコミュニティビレッジ、スヴァンホルム(Svanholm)。
大人80人、子供50人の合計約130人が住むこの村では、全ての住民が金額を問わず収入の80%を村に納め、食事や住居を共有する。定期的に開催される村の全体会議では、全員が平等であり、リーダーはいない。議決方法は多数決ではなく、全員合意であること。
俗世間からかけ離れたこの村は、欧米各地に点在するエコビレッジの一つであり、デンマークにおいては最大のエコビレッジのひとつだ。この地を訪れた筆者は、世界中から集まるボランティアワーカーの1人としてこの村に10日間滞在した。
スヴァンホルムを訪れた人にこの村について話してくれる案内人であり、この村の住人でもあるPaulinaさんにこの村の誕生の経緯と仕組みについて話を伺った。筆者の滞在レポートと共にお届けしたい。
ボランティアワーカーの仕事と暮らし
スヴァンホルムでは世界中からボランティアの受け入れをしており、自給自足やオーガニックファーミング、シェアコミュニティーに興味のある若者がやってくる。筆者の滞在中には10人ほどのボランティアがおり、国籍はデンマーク、オランダ、ドイツ、フランス、ルーマニア、アメリカ、レバノン、日本など、年齢は10〜40代の人々が集まっていた。
ほとんどのボランティアは、1〜3か月の間滞在し、週に30時間労働する代わりに、住居と毎日の食事が提供される。この町を気に入り、この町の住民となることも珍しくない。また、過去に滞在経験のあるボランティアが再びやってくることも多いのだという。
ボランティアワーカーは、農業チーム、建築チーム、キッチンチームのいずれかに属する。平日は、基本的にこの村の人々と共に働く。農業チームは広大な敷地内の農地で除草作業や野菜や果物などの収穫。建築チームは村内の建物のペンキ塗りやドアや窓の修繕。キッチンチームは、住民とボランティアのための食事の準備をする。
17時には仕事を終え、ディナーを食べ終わると自由時間。ボランティアたちは部屋で映画鑑賞をしたり、団欒をしたり、キッチンでお菓子を作ったり、住民の家でのプライベートパーティーに参加したりと、交流をしながら各々の時間を楽しむ。
エコビレッジ誕生の経緯
オランダ出身のPaulinaさんは今から約30年ほど前にデンマークに移住。学生生活を終えたタイミングで、友人に「あなたにぴったりの場所があるよ」と紹介され、ボランティアワーカーとしてスヴァンホルムを訪問。9か月ほど滞在した。その後4年間、イギリスやアメリカなどの同じようなエコビレッジに住み共同生活を体験した後にこの村に戻り、住民として暮らしている。
Q. スヴァンホルム発足当時の時代背景を教えてください。
1960年代、アメリカでは文化革命がおき、ヒッピー運動が最盛期となりました。当時、若者は上の世代に対して「好まれないルールばかり作り、貧しい人々を無視している、地球のことも気にかけない人々だ」と、批判的に考えるようになっていました。
そしてアメリカのサンフランシスコから北欧にヒッピーがやってきて、ドイツやフランス、イギリスにその考えが広がっていきました。次第にヨーロッパ全土で、新しい生き方・新しい世界を作りたいという理想を掲げた若者たちが集まり、こうしたコミュニティビレッジを作り始めたのです。
人間が人工肥料や除草剤、農薬を使っていて、地球環境を汚染していることは明らかですよね。
私たちは、農地に変革を起こしたいと考えていました。なぜなら、人間が土壌から良いものだけを取り出して、残りの毒を土に戻していると気づいていたからです。「地球環境をもっと尊重してあげるべきだ、将来世代のことを考えていくべきだ」と考えていた人々は、1970年代、そのことを話題にあげムーブメントを起こしました。
Q. どのようにしてこのシェアコミュニティが生まれたのでしょうか?
1977年、自由を求め、生きるために原始的な共同生活を送るヒッピーの考えに共感したデンマークの若い2組のカップルが「私たちの考えに共感する人は集まって話しましょう」と新聞の広告に投函しました。そして集まった人々はミーティングを重ねてこのようなエコビレッジを構想し始め、それから1年後の1978年の5月にスヴァンホルムは誕生しました。
最初にここにきた人は、ボウという名の農家です。他に84人の大人と、50人の子どもたちがいました。彼らはこのシェアコミュニティを継続させるために、収入の80%を収めるというルールを作りました。
共有する財産ー独特の経済システム
Q. スヴァンホルムの特徴はどんなことでしょうか?
Paulina さん:「共有(シェアリング)」と「持続可能性(サステナビリティ)」がこのシェアコミュニティーの根幹となる2つの重要なコンセプトです。
そして、このシェアコミュニティが継続できている秘訣は独特な経済システム、資産共有の方法にあります。発足当時からあった「共有」のアイデアは、現代は再び普及しつつありますが、当時は一般的な考えではありませんでした。
スヴァンホルムでは給料は一旦全てシェアコミュニティに入り、運営支部は40%のデンマーク住民税を支払います。残りの40%と投資利益は、銀行への借り入れと、建物の修復・維持費、パスタや米などの食材費、そして外からここに働きにくる人々の給料など、このシェアコミュニティを運営するために必要な経費に充てています。
弁護士、医者、保育士であろうと、個人の資産レベルに限らず、完全に平等に財産を共有します。全員が確実に同じ割合だけのお金を村に収めて、住居費や食費など生活に必要な費用は村が全て補填してくれます。住民は手元に残ったお金でチョコレートやタバコやビールといった嗜好品を買います。
2003年以前は歯医者やフィジカルセラピストなどの費用まで、全てシェアコミュニティが負担していました。また、昔は私が実家に帰る時の旅費もシェアコミュニティが支払ってくれました。
ただ、村の住人は高齢化によりフルタイムで働けない人も増え、十分なお金を集めることは難しくなってきています。村の維持費(建設・メンテナンス費や銀行への支払い)もかかっているので、村としてお金を集める方法も探しています。
Q. ここの施設や運営管理についても聞かせてください。
私たちは今15棟ほどの施設を持っています。太陽光発電と、風力、そしてウッドチップを熱源として、自分たちで電力も自給自足しています。ただ、蓄電システムは持ち合わせていないので、一旦エネルギーを会社に売り、そして買い戻すことをしています。
また近所付き合いも大切です。このシェアコミュニティーの外側にも住んでいる人がいて、畑もあり、農家もいます。彼らとも良い関係を築きながら生活することも必要です。
スヴァンホルムは土地の60%が農地であり、村の収入源はオーガニック野菜などの農作物を街やレストランに卸しているのがほとんどだという。馬や牛も飼育しており、牛乳の生産や、近くの工場でアイスの生産販売もしている。
村での贅沢な暮らし
Q. この村で暮らす人々の幸福度は高いと思いますか?
この村の住人は収入に合わせてライフスタイルを変えるという選択肢がないので、他の町で暮らす人々よりも柔軟性には欠けるかもしれません。また、そこまで裕福な暮らしをしているわけでもありません。ですが、毎日オーガニック食材を食べ、十分な広さの家に住むことができています。食堂や幼稚園もあり、医者もいて、子どもたちを学校に送り出すことができる。とても贅沢な暮らしでしょうね。ここに住み慣れてくると、この生活がとても豊かだということを忘れてしまうかもしれませんね。
Q. スヴァンホルムの住人になるための条件はありますか?
明確な給料の下限条件はありませんが、一定程度は稼いでいる必要があります。外でフルタイムで働くか、または村の中で仕事を見つけなければいけません。ここでの仕事は、厨房や、建設関係、農業関係が主ですが、幼稚園の先生や医者など専門性の高い職種で働いている人もいます。そして、新規移住者は55歳以下という条件もあります。なぜならこのシェアコミュニティーを立ち上げた人たちが今や70〜80代の高齢になっていて、若者世代を求めているからです。
また、社交性を持っていることもとても重要です。
定期的に村のイベントがあり、今週末の土曜日には外から人を招いてハーベストパーティーをします。ここに移住を検討している人も招待し、このシェアコミュニティーの雰囲気や空気感を感じてもらいます。私たちが、彼らがここに馴染めるかどうか、信頼できるかどうかをみます。みんなで同じ一つの財布を握っているので、お互いを信頼しあえていないと、共同生活は送れないからです。
Q. 住民の他に、1か月〜1年ほど滞在をしているボランティアワーカーやインターンシップをしている若者もたくさんいて、流動性も高いように感じます。これだけ受け入れているのはなぜでしょうか?
Paulina:個人的には、若い人たちと会って話すことが好きだし、ここでの経験が彼らの刺激になればいいなと思っています。自分も最初はボランティアとしていたので覚えていますが、とても刺激を受けました。これが私たちのライフスタイルです。
編集後記
ここで筆者がみたものは、都会離れした自給自足のオーガニックな暮らしを営み続ける70~80代の高齢者と、エコビレッジの思想に共感して世界中から集まる20代の若者によって形成される、「温故知新」が体現された社会だった。
田舎の村というと、閉鎖的なイメージがあるかもしれないが、この村の住人たちはオープンなマインドの人が多かった。人の流動性の高さと、変化や新しいものを拒まない姿勢が、この村を持続させる一つの要因となっているのだろう。世界中からさまざまなバックグラウンドを持ったボランティアやインターン生がやってきており、居住空間や食事を共有することで、こうした若者と住民たちの交流の場が常に存在している。
そして、発足当時から半世紀経った今、環境問題への意識が高かったヒッピーたちの思想は現代のサステナビリティ意識が高いZ世代と重なる部分がある。
ここでの滞在は10日間だけだったが、不思議と自分の居場所があるという安心感があった。それは、ライフスタイルを共有するなかで、この村を立ち上げた50年前の人々の考えに深く共感することができたからかもしれない。
同時に筆者が見たスヴァンホルムの生活は、日本の「昔ながらの百姓生活」とも重なった。自家菜園を持ち野菜や米を育てたり、作った料理を地域の人とお裾分けしたり、山の木材を間伐しその木材で火を起こし暖をとったり、古くなったものも修復をしながら使い続けたりする生活は、日本でもかつてよく見る光景だっただろう。日本人はもともと、言葉に表さずとも持続可能なライフスタイルを送ってきた。そしてそのライフスタイルは今の日本の「限界集落・消滅集落」と呼ばれている地方にもまだ残っている。海外から学ぶことも多くある一方で、日本の足元の課題に目を向けた時に、大事なヒントが潜んでいることもあるのだ。