「外部化」された場所に刻まれた、循環する未来へのメッセージー瀬戸内ツアーレポート

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ゆらりゆらりと揺れ動く穏やかな海。いつまでもぼーっと眺めていられるようなゆったりとしたその景色は、時計なしでは生きていけなくなってしまった私たちを、慌ただしい日常から引き離してくれる。

瀬戸内海

瀬戸内海──その青く美しい海に面した場所の一つが、四国の玄関口である香川県だ。ここでは、うどんはもちろん、オリーブや革手袋、石材加工など、歴史と伝統を基盤にした「ものづくり」が盛んに行われている。また、瀬戸内国際芸術祭など「アート」が根付いたまちであり、海と里山が近く、自然の豊かさが身近に感じられるまちでもある。

そんな豊かな自然と芸術が入り交じる地を舞台に開催された「瀬戸内サーキュラーエコノミーツアー」。ものづくりとアートに加えて、サーキュラーエコノミー(循環経済)を考えるうえで切り離せない「廃棄物」を軸に、地域ならではの課題や取り組みの現場を巡る旅だ。

訪れたのは、香川県庵治地域で有名な庵治石の加工ギャラリー、衣料品の生産・回収工場、廃棄うどんを使ったバイオマス発電、豊島(てしま)の産業廃棄物不法投棄の現場、それから豊島美術館。自らの目で見て、耳で聞いて、感じて、話して……参加者一人ひとりが、五感を使いながら「循環の本質」に触れる。

豊島の風景

豊島の風景

瀬戸内地域の課題や取り組みを通して、気付いたことや感じたこと。この旅の記録が、地域が持つ可能性、そして循環型社会へ進んでいくためのヒントになれば嬉しい。

第一部:ごみの廃棄現場から考える、生産と消費

大量生産・大量消費、そして大量廃棄。日本では、高度経済成長期を迎えた頃からその傾向は特に進んだ。ものをできるだけ多く作って売り、利益を追求する──いつしか「当たり前」となった経済システムが生み出したのは「お金」だけではなかった。

ものを作ったり消費したりすると、必ずと言っていいほど発生する「ごみ」。食品、衣服、日用品──そのパッケージから、食べ残しや不要となった衣服、使わなくなったものまで、私たちは毎日、何かしらのものをごみ箱に捨てている。日本の廃棄物の排出量は、年間およそ4億3千万トンにものぼる(※1)

それらのごみは、ごみ箱に入れられた後、消えてなくなるわけではない。全体の20%がリサイクルされるほかは、ほとんどが焼却、埋め立て処分されている(※2)。その際CO2を排出することはもちろん、周辺の自然環境にも大きな影響を与えている。

ごみが「社会課題」となるきっかけの島、豊島

では、ごみはいつ頃から「社会課題」として問題視されるようになったのだろう。そのきっかけになったと言われているのが、豊島事件──人口約780人(2021年時点)の島・豊島で起こった産業廃棄物の不法投棄事件だ。自然の恵み豊かで美しい、文字通り「豊かな島」であった豊島に、ある事業者によって93万8千トンの産業廃棄物が持ち込まれた(※3)。1965年頃から、警察によって事業停止命令が下る1990年までの間に燃やされた大量のごみは、豊島の自然環境を汚染し、今なお、原状復帰を目指す作業は続いている。

日本最大規模かつ前例のない不法投棄事件の解決は、その方法やかかる時間、費用、すべてが手探りの状態で進められた。「ごみの島」としてさまざまな風評被害に遭い、県からも国からも見放されそうになりながらも、多くの住民が豊島で起きていることを全身全霊で伝え続けた。

そうして豊島事件は、数々のリサイクル法や循環型社会形成法、ダイオキシン規制法など、さまざまな法整備の議論が始まるきっかけとなり、大量生産・大量消費・大量廃棄が前提だった日本の社会経済システムを、「循環型社会」へと転換させるランドマークとなった。今でこそ、耳にするようになったその言葉は、当時からすでに、豊島の住民たちが目指していたことであった。

だが、果たしてその教訓は生かされているのだろうか。

不法投棄の開始から50年近くが経とうとしている今こそ、私たちは豊島事件と向き合うべきなのかもしれない。豊島事件は、豊島の住民だけが向き合うべきことではないし、決して「他人事」ではない──そう強く感じたのは、30年以上もの間、自らの人生をかけて豊島事件と向き合い続けてきた住民の一人、石井亨(いしい・とおる)さんの言葉を聴いたからだ。

石井亨さん

農家の仕事を辞め、豊島事件と向き合い続けてきた島の若手住民、石井亨さん

「私たちには、思っているより時間がないのかもしれません」

産業廃棄物の不法投棄の現場や資料館を案内していただいた後、別れ際に石井さんが放った言葉である。これは、年月が経ち、豊島事件のことを知る人たちが高齢化するなか、一刻も早く「美しい豊島を取り戻したい」という想いから出た言葉かもしれない。同時に、今日私たちが直面する気候危機や生物多様性に対しての言葉でもある気がするのだ。

20世紀初頭に人が作り出したもの、すなわち人工物は世界中におよそ350億トン、全生物量の3%程度だった。しかし、2020年にこの対比は逆転し、人工物の総量は、全生物量を上回る1兆1000億トンに達した(※4)。また、過去50年間で私たちは生物多様性の豊かさを69%を失ったとされる(※5)

この人類共通の課題に対して、いま世界中でさまざまな会議が開催されたり取り組みが講じられたりしているが、このペースだとおそらく間に合わないだろう。このままでは将来の世代に環境破壊の付けを回す結果になってしまうだろう──長年、豊島という地の回復のために尽力してきた石井さんの口から出た言葉は、そんな危惧の念を表していた。

従来の自然破壊的なシステムのなかで汚染し続けてきた地球環境を、どのようにして元の状態に戻し、美しい地球を取り戻していけるのか──この難題に立ち向かうため、私たちは「豊島事件」から何を学ぶことができるだろう──その問いは、地球に生きる私たち一人ひとりに投げかけられている。

ビーチから学ぶ生態系を守る大切さ

香川県高松市庵治町にある高尻海水浴場。ここでは、ビーチに捨てられたたくさんのごみと出会った。ペットボトル、ストロー、釣り道具から医療用の注射器、牡蠣の養殖に使用される「豆管」と呼ばれるプラスチックのパイプといった地域ならではの漂流物まで、多種多様なごみが散らばっていた。

ビーリクリーンで集まったごみ

ビーリクリーンで集まったごみ。プラスチックが圧倒的に多いことがわかる

また、大きなもの以外にも、体育館の入口などに敷いてある泥落とし用のマットなど、大きなプラスチックが流されてどんどんと小さくなり、マイクロプラスチックになったものも多かった。そうしたプラスチックは魚や鳥たちに食べられ、やがて私たち人間の口にも入る。

海ごみの活動に取り組むNPO法人アーキペラゴの森田桂治(もりた・けいじ)さんからは、海だけでなく、生態系全体を守る大切さを学んだ。近くの森が荒れると海も荒れること、遠く離れた北西ハワイ諸島にあるミッドウェーで見つかった鳥のお腹からは、日本製のプラスチックごみが出てくること。それは、自分たちの小さな行動の影響が、想像を超えてはるか遠くにまで及ぶことを示していた。たった一人の行動が地球の生態系全体に与えるインパクトを痛感した時間だった。

ビーチクリーンの様子

パッと見ただけではわからない程小さなマイクロプラスチックがたくさん見つかった。

衣服の廃棄現場が物語る、モノの寿命を延ばすことのジレンマ

日本国内で毎年50万トンほど廃棄され、毎日トラック130台分が焼却処分されている衣服(※6)。今回の旅では、地域で「ごみ」として捨てられた衣服が集められている「山城四国リサイクルプラザウエス工房」を訪れた。

この施設には、一般家庭などから「資源ごみ」として回収された衣服が運ばれる。それらは山のように積み上げられ、着用可能なものとそうでないものに分別される。まだ着られるものは商社を通して東南アジアへ輸出され、着られないものは裁断されて「ウエス」と呼ばれる雑巾にして工場メーカーなどに販売されている。しばしば、値札が付いたままの新品の服も送られてくるという。

ウエス工房・山田さん

案内してくださったウエス工房・山田昭仁さん

「行政の資源ごみ(中古衣料)回収においては、大半が可燃ごみに出され、焼却にまわされるという現状があります。その場合は、我々処理業者にはまわってきません。焼却になると、CO2を排出しますし、環境にも良くないと思われます。たとえ破れた・汚れた衣料でも、資源ごみに出してほしいと願います」そう話すのは、現場を案内してくれたウエス工房の山田昭仁(やまだ・あきひと)さんだ。

こうして着なくなった服がたとえ雑巾としてでも活用されるということは、服の寿命を延ばしていると言える。一方で、それは衣服の過剰生産・過剰廃棄の根本的な解決にはつながらないだろう。輸出先の国でごみとなっているかもしれないし、ウエスも現状は一度使用されたら廃棄される場合がほとんどだ。山田さんは、そうした事実を理解しながらも、日々大量にやってくる衣服と向き合い続けている。

施設内に積み上げられた衣服の山

施設内に積み上げられた衣服の山

大量生産・大量消費・大量廃棄の現状を物語る衣服の山とウエス工房という場所は、私たち消費者にさまざまな問いを投げかけた。「なぜ服を買うのか?」「なぜ服を捨てるのか?」「どんな服なら長く大切に着るだろうか?」──それらの問いと向き合って初めて、ごみの問題、服のサステナビリティと正面から向き合うことができるのではないだろうか。

第二部:瀬戸内の資源と強みを活かした、地域循環を目指す取り組み

現在日本には、約1,000の焼却施設があり、日本のごみ焼却率は世界一(※2)。日常的に行われている「捨てる」という行為は、地球や人に大きな負荷をかけている。

大量廃棄とその処理。地球全体が直面する課題の解決はそう簡単ではない。だが、日本という小さな島国の一地方から、より良い未来を描こうと取り組む人たちがいる。香川で出会った地域で循環を目指す人たちをご紹介する。

うどんの残りかすを「まるごと循環」。産学官民プロジェクト

香川の名物と言うと、真っ先に思い浮かべるのが「うどん」。人口1万人当たりのそば・うどん店の数は堂々の全国1位だ(※7)。しかし、そんなさぬきうどんも実はごみになっている。うどん工場で出る切れ端や飲食店で時間が経ってコシがなくなった麺など、年間6,000トン以上が廃棄されている(※8)

そうした廃棄の状況を「もったいない」と思った製麺業者の一声から、2012年に始まったのが、「うどんまるごと循環プロジェクト」。工場や飲食店などで出る廃棄うどんやうどん残渣からバイオマス発電を行い、その過程でできる固形肥料から小麦を栽培。そこからできた小麦粉を使って、うどんを生産するという、まさにうどんをまるごと循環させる仕組みを作っている。

プロジェクトを運営する「うどんまるごと循環コンソーシアム」は、企業や行政、学校など、地域のさまざまな立場の人と連携しながら、学校への出張授業をしたり、小麦栽培やうどん打ちの体験を提供したりと食品ロスの啓発などにも取り組んでいる。さらに、バイオマス発電に必要なプラントは、食品残渣が多く出るスーパーなどを中心とした県外の企業でも導入されており、なかには地域の各家庭で出た食品残渣を回収し、発電に利用している自治体もあるという。

食品残渣を使ったバイオマス発電を行う発酵プラント

食品残渣を使ったバイオマス発電を行う発酵プラント

コンソーシアムに参加する人たちは皆、仕事をしながら、こうした取り組みにかかわっているという。まちで出された廃棄物をまちのなかで循環させる。そのためには、あらゆる立場の人たちが助け合うことが大切だと伝える活動であった。飲食店だけでも企業だけでもできない。行政から住民まで、まちに生きる一人ひとりの力で社会が動いていくのだと感じた。

現代に寄り添った石の加工プロジェクト「AJI PROJECT」

香川ならではの資源は、うどんだけではない。香川県高松市庵治町は、古くから石材産業が栄えたまちとして知られる。そのきめ細やかな結晶の美しさから「花崗岩のダイヤモンド」とも呼ばれ、国産の高級墓石や著名な建築に使用されてきた庵治の石。それを人々の日常に寄り添った製品に加工、販売することで、国内外に庵治石の魅力を発信しているのが、2012年に始まった「AJI PROJECT」だ。

AJI PROJECTの物置き

AJI PROJECTの商品の一つ。石の居場所を考えながら開発されている。

一つとして同じものがなく、唯一無二の美しさを持つ庵治石。他の石ではできないような繊細な細工を施すことができるその素材感を大切に、さまざまな空間に溶け込むように丁寧に加工されている。そんな庵治石の加工職人たちはその加工技術が高いことで知られるが、安い外材が国内に入り、全国的に石材産業の担い手が不足する今、職人不足に。AJI PROJECTでは、庵治石はもちろん、庵治という地域の認知向上により地域の再興を目指している。

やしまーる

2022年8月にオープンしたやしまーる。瀬戸内国際芸術祭の作品の一部になっており、その屋根には約3万枚の庵治石の瓦が使われている。

そんな庵治石はまた、2022年夏、庵治から車でおよそ20分の屋島にオープンした地域の拠点施設「やしまーる」の屋根瓦としても使われている。瀬戸内国際芸術祭の作品の一部にもなっているやしまーる。この場所ができたことで、数十年もの間人の往来が減ってしまった屋島を訪れる人が少しずつ戻ってきたという。石という地域資源とアートという地域の強みが、まちににぎわいを取り戻すきっかけとなっていた。

地域に根差した循環型のライフスタイルを促す「AJI CIRCULAR PARK」

ウエス工房で目の当たりにした、衣服の大量廃棄の現状。だが、アパレル業界の課題はそれだけではない。生産工程での染色が環境や人に悪影響を及ぼしたり、大量の水を必要としたり、はたまた労働環境が劣悪だったりと、服の生産プロセスは持続可能とは言い難く、「第二の汚染産業」とも言われてきた。

そうした現状に対して、最近は中古市場の拡大や自然由来の素材やリサイクル素材を使った服づくり、レンタルサービスやリメイクなど、従来ファッションのあり方をを変えようとする試みは増えてきている。そんななか、庵治町のアパレル商社・中商事株式会社の社長、中貴史(なか・たかし)さんは、2022年秋、循環をテーマにした複合施設「AJI CIRCULAR PARK」をオープンした。

AJI CIRCULAR PARKの内観

自身が海洋ごみの問題に興味を持ったことをきっかけに、アパレル産業の実情を知ったという中さん。国内生産と天然素材にこだわったオーガニックコットンを軸とするファッションブランド「nofl」の展開や再生可能エネルギーの導入など、衣服の持続可能な生産を目指して取り組んできた。そんななか、今回立ち上げたAJI CIRCULAR PARKは、「公園のように、地域のさまざまな人たちが集い、つながれる場所にしたい」という想いから「つどう、つながる、めぐる。」をコンセプトにしたという。

ワークショップの様子

オープン時に開催された、アーティスト・イワミズアサコさんによるキメコミアートワークショップの様子

衣服の販売エリアには、衣服の回収コーナーや無料の古着交換コーナー、地域の人から集めたリユース品を買えるメルカリのリアル店舗版のような棚もあり、シェアリングからリユース、リサイクルまで、それぞれのスタイルでサーキュラーエコノミーに参画できる仕組みになっている。そのほか、地産地消のカフェや日用品などの物販、週末にはアートやものづくりのワークショップなども提供されており、衣服に限らず、訪れた人たちが楽しみながら、地域に根差した循環型のライフスタイルを取り入れられるきっかけをつくっている。

色々な仕掛けをつくりながら、地域循環を目指して始めた新たなチャレンジ。一方で、そこにはジレンマもあるようだった。

「私たちは自社工場を持ち、ニットの製造を行っています。ものを作っている企業がサーキュラーに取り組むというのは、製造の否定まではいかないにせよ、それに近い感覚があり、ジレンマを抱えながらやっています。製造業は新しいものをつくることで収益を上げるという仕組みで動いている部分もあるので、もうものが溢れているからこれ以上作らなくてよいとなると、従業員の生活もある中で、事業自体の在り方が問われてくるなと」

中商事・中さん

中商事株式会社・中貴史さん

難しさやジレンマを抱えながらもそれぞれの立場で、地域循環を目指して挑戦する人々。小さな島国の小さな島で行われている取り組みかもしれないが、顔が見える範囲から少しずつ「循環」を生み出していく姿からは、大きな希望を感じた。行動を起こしてみるための勇気が、世界を変えていく気がした。

第三部:真っ青な空と海の下で生まれた問い「人間のあり方と豊かさとは?」

ツアーの最初に訪れたやしまーると最後に訪れた豊島美術館。旅の始まりと終わりの地となったこの場所は、人間の「自然との向き合い方」を再考させる場所であった。

豊島美術館

豊島美術館

そこを訪れる一人ひとりが、思い思いの状態でそこに佇み、静けさに包まれる。自分自身が作品の、そして自然の一部となる。この経験は、私たちをこれまで聴こえてこなかった音や見えない景色、小さな変化──せわしない日々のなかで見逃していたものと出会わせてくれ、私たちを自然のなかに引き戻してくれた。地球は人間のためでも、動物だけのためでもない。草木や土、花、石……すべての生命と同じように、私たち一人ひとりが存在している──そう感じた。ある参加者の方はこんな言葉を残してくれた。

「豊島の産業廃棄物跡地とどこまでも広がる海と青い空に何もないアート美術館。その、地球と人工物の対比が極端でハッとした。人間はやってしまった。今、地球と共存した人の暮らしを考え直すときではないだろうか」

かつて、ドイツのアーティスト、ヨーゼフ・ボイスが提唱した「社会彫刻」という概念。人間が行う活動は、それが意識的な行為である限り、すべては「芸術的な行為」であり、誰もが社会を彫刻しうる、自らの創造性によって社会の幸福に寄与しうるという意味だ。自然に介入し、地球の資源を使って、人間のために暮らしを「豊か」にしてきた私たちは、果たしてどんなアーティストだろう?そして、これからはどんなアーティストになるべきだろうか?

廃棄物、そして旅のなかで遭遇した美しい景色の数々が、自然との共生、そして真の豊かさとは何なのかを問いかけている気がした。

編集後記:外部化を超えて、美しい未来を描いていくために

豊島という地は、「福祉のまち」としても知られる。小さな島のなかに、戦後、孤児となった乳幼児たちのための乳児院がつくられたほか、特別養護老人ホーム、精神障害者更生施設などもある。石井さんの著書『もう“ゴミの島”とは言わせない(2018)』の中には、豊島事件に憤慨した島の高齢の女性の言葉がつづられていた。

「この国は豊島に赤ん坊を捨て、年寄りを捨てた。まだ飽き足らず今度はごみを捨てるのかい」

世の中が、物質的、経済的な豊かさを追求し、経済成長一辺倒になった頃から、非効率なもの、不合理なものは差別され、排除されるようになった。ツアーのなかで訪れた庵治という地域もまた、実はハンセン病の療養施設があった地である。まるで、ごみをごみ箱に捨てて見えなくするように、不都合なものが島や半島などの地形的にも疎外された、ある種不便な場所に押し付けられていると言えるのではないだろうか。

世の中には、数えきれないほどの社会課題がある。差別、貧困、環境汚染、搾取……そうしたすべての問題の根本には、「都合の悪いものを弱い立場の人たちに押し付ける」という姿勢が垣間見られる。瀬戸内という地で、さまざまな課題や人と出会うなかで感じたことだ。ただ偶然そこに生きていた豊島の住民たち、CO2をほとんど排出していない国の人たち……責任を負う必要がない人たちに重荷を課すという今の世の中のあり方が変わらなければ、世界は変わらないのではないだろうか。

「普遍的な答えがなく、わからないことだらけの世界で、自分に出来ることは何だろう?」

その答えは筆者にもわからない。ただ今回の旅を通じて一つ言えるとしたら、迷ったとき、悩んだときは、広い空の下、草木や花の近くにそっとその身を置き、ぼーっとしてみること。そして、やりたいことが浮かんだら、誰かと一緒にやってみる。今、自分の近くで、世界で起きていることを知ろうとしてみること。旅の途中で出会った自ら行動を始めた人たちのように、自分が見たい未来を目指して勇気を出して動き始めてみれば、きっと世の中は少しずつ変わっていくと思う。

「生きて綺麗な状態になったのをみることはできない。自分の代にこの島を汚してしまった。綺麗にする道筋だけは立てておかんと、死んでも死にきれない」

元の綺麗な島の姿を見ることなく、そう言い残して亡くなっていった豊島の人たち。その想いが無下になることなく、受け継がれていくために。美しい未来を描いていくために──私に、あなたに、今できることは何だろう。

※1 一般廃棄物産業廃棄物を合わせた値
※2 環境省 一般廃棄物の排出及び処理状況等(令和2年度)について
※3 豊島 島の学校 豊島事件を見る
※4 NATIONAL GEOGRAPHIC 地球上の人工物と生物の総重量が並ぶ、研究
※5 WWF 生きている地球レポート 2022
※6 環境省 サステナブルファッション
※7 うどん県統計情報コーナー
※8 うどんまるごと循環プロジェクト
による推計値

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【参考文献】石井亨(2018)『もう「ゴミの島」と言わせない』藤原書店

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