あなたがいまいる場所から、飲み水が出る蛇口までの距離はどのくらいだろうか。もしリビングにいれば10秒ほど、たとえ別の階の寝室にいても1分ほどだろうか。
世界的にみると、約3億人は飲料水を手に入れるために往復30分以上移動せねばならず、4億人以上が未処理の地下水や川、池などの水で生活している(※1)。また、地球の約70%は水でおおわれているが、そのほとんどは海水で、淡水は3%ほどにすぎない(※2)。さらにその3分の2は氷として、残りの3分の1も大半は土中の水分や地下水として存在しており、すぐに飲料として使用できる水はかなり限られている。
現在すでに水へのアクセスが限られている人々がいる中、今後の人口増加に伴って水不足の指標である水ストレスが増大することが見込まれており、飲み水の確保が世界的な課題となっている。
2023年9月、アメリカのマサチューセッツ工科大学と中国の上海交通大学の研究者による共同開発で、海水から飲料水を作る装置が誕生した。この装置の特筆すべきところは、太陽光を用い、外部電力を全く使わない完全なるパッシブデザインとなっており、従来の水道水よりも安価で飲料水を生成できると見込まれている点だ。
この装置では、まず太陽光の熱を用いて水分を蒸発させる。装置は階層状になっており、最上層には太陽光パネルが設置され、太陽の光を集めて熱エネルギーに変換する。この熱が装置の下層にある蒸発装置を温め、そこに海水を通すと水分が蒸発する。蒸発過程で塩分は残り、純水と塩が分離する。その後、水蒸気となった水分だけが下層に移動し、冷却されて飲料水となる仕組みだ。
また、水蒸気が冷やされて水になる際に放出される熱エネルギーは、次の層の蒸発装置のエネルギーとなる。装置を階層状にすることで、これまで無駄になっていたエネルギーも有効活用できるのだ。
加えてカギとなるのが、自然界の海洋における「熱塩循環」にインスピレーションを受けた、装置内での水の循環の仕組みだ。世界の海では、大西洋北部で海水が海底に向かって沈み込むように流れており、沈んだ海水は大西洋を南下、南極付近のインド洋を通って太平洋に達し、太平洋北部で再び表層に戻る。そしてまた大西洋に向かって流れていく。この流れが「熱塩循環」であり、一度海水が沈んでから表層に戻るまで約1200年もかかると言われている。
この壮大な流れを作り出しているのが、その名の通り、「熱」と「塩」だ。海水は冷たいほど、また塩分濃度が高いほど密度が高くなり、沈みやすくなる性質がある。この熱と塩と密度の関係が相まって地球規模の流れが発生しているのだが、今回開発された装置でも同様のメカニズムで水を循環させている。つまり、蒸発装置に触れた海水が蒸発すると、蒸発した場所では塩分が取り残されるため、海水の塩分濃度が上がって密度が上がり、沈むような流れが生まれる。また、装置自体も傾けることでその流れを促進している。
結果として、塩が固まって装置に残ることを回避し、これまで課題となっていた、残留塩によるパーツの交換頻度の高さを解消することができた。従来のやり方では数日で装置が詰まってしまっていたが、この装置では数年間詰まることはない見通しだ。
研究チームによると、この装置が最大で1メートル×1メートル程の大きさになれば、1時間で最大5リットルの飲料水を作れるという。先述のパーツ交換頻度の低さや、装置自体が電気を全く使わないことを考えると、アメリカにおける水道水の生産よりも装置のランニングコストの方が安くなると見積もられている。さらに、水道管がないオフグリッドの地域でも活用できるかもしれない。
地球上に割合として少ない淡水ではなく海水を活用できたら、現在の、そして未来の水不足の課題解決となりそうだ。また、1メートル×1メートルの大きさであれば、例えば家庭や地域単位でも使用でき、水を自給できる時代が訪れるかもしれない。今回の研究開発は、自然の力を使った、人にも地球にも優しい未来への一歩であり、実用化への動きに目が離せない。
※1 World Health Organisation, Drinking-water
※2 Iberdrola, Desalination: Seawater desalination: a method for combating scarcity?
【参照サイト】Desalination system could produce freshwater that is cheaper than tap water
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