近年、世界中で富と貧困の二極化が進んでいる。2020年以降の新型コロナ感染拡大の影響は、世界の富裕層と貧困層の格差をさらに拡大させた(※1)。経済活動の制限により、多くの人々にとって収入を得るのが難しくなった一方で、財政出動や金融緩和による資金が市場に流れ込んだ結果、富裕層はその恩恵を受け、さらに富裕化することになったのだ。日本においても、戦後類を見ない貧富の二極化が進行しているという。
実際データを見てみても、世界全体の富はごく一部の富裕層に極端に集中している状況にある。フランスの世界不平等研究所が2022年に発表した報告書によると、世界の上位10%の富裕層が世界全体の資産の76%を占めたのに対し、下位50%の人々の資産は全体のわずか2%だった。
このような経済格差の拡大は、学ぶ意欲も働く意欲もありながら、教育や雇用の機会を得られず、低賃金で重労働の仕事にしか就けない人々の増加につながっている。その結果、彼らは貧困の連鎖から脱出できない状況に陥ってしまう。経済格差がもたらすさまざまな不平等は、個人だけでなく、国や社会全体にも悪影響を及ぼしている。
貧困層はより一層困窮し、富裕層はより一層裕福になる現在のシステム。この社会システムに疑問を投げかけ、経済格差を緩和しようとする議論が活発化しており、その中で注目されているのが、「富裕税」の導入だ。
この記事では、まず「富裕税」とは何かを解説した後、この税がなぜ導入されたのか、導入された国や廃止された国、富裕税が解決しうる問題や、富裕税に反対する意見など、背景や現状についても掘り下げていく。
富裕税とは何か?
富裕税(Net Wealth Tax)とは、個人または世帯が保有するすべての資産から負債を差し引いた純資産に対して、定期的に課税される資産税の一種である。富裕税は、所得税や法人税とは異なり、資産の純価値そのものが対象だ。つまり、経済的な価値を持つすべての資産が課税対象となり、不動産、金融資産、知的所有権などが含まれる。(ただし、国や地域によっては、課税対象外となる資産が存在する。)
現在、富裕税を課税している国は少数である。富裕税はかつてヨーロッパの10か国以上で導入されていたが、1995年から2007年の間に多くの国で廃止された。一方で、フランス、ノルウェー、スイスは現在も富裕税を導入している。他にも、コロンビア、ウルグアイなどで富裕税が採用されている。日本においては、1950年代に一時的に導入されたこともある。詳しい流れは後述する。
※ 本稿は主に、国立国会図書館、山口和之氏による「富裕税をめぐる欧州の動向」を参考としている。
導入と撤廃、富裕税の歴史
富裕税の歴史は、主にヨーロッパから始まった。スイスの一部地域では13世紀からこの形態の税が存在し、19世紀初頭にはプロシア(現ドイツ)、19世紀末にはオランダ・ノルウェー、そして20世紀初頭にはオーストリア・ルクセンブルク・北欧諸国で導入された。1990年には、ヨーロッパで12か国が富裕税を導入していたが、1990年代半ば以降、相次いで廃止された。
多くの国が富裕税を廃止した一方で、アイスランドのように財政再建策の一環として一時的に復活させた国もあった。2020年時点では、富裕税を課しているOECD加盟国は5か国(フランス・ノルウェー・スペイン・コロンビア・スイス)のみである。
ヨーロッパ以外では、バングラデシュ、インド、パキスタン、スリランカで1950年代から導入されたが、1990年代初頭から順次廃止されている。インドにおいては、2016年に廃止された。
日本で富裕税は、当時の最高所得税率85%を是正する目的で、高額所得者を対象に1950年に導入された。しかし、課税の執行が困難であったため、3年で廃止された。
富裕税導入の理由は国によってさまざまである。最初期の導入理由のひとつは、目に見える資産への課税が管理上容易であるというメリットだった。特に、かつては富の大半が不動産から成り立っていたため、所得などの目に見えない課税対象を可視化することに役立ったという。
しかし、近代的な租税制度が成長するにつれ、上記のような富裕税制の管理上の利点は薄れてきた。行政の複雑さとコストが理由となり、富裕税を採用しなかった国々もあった。一方、富裕税を採用した国は、富裕税の情報を他の税の情報と照らし合わせることで、租税回避を防ぐことができたという。富裕税の導入は、同じ経済力を持つ者に同じ税負担を課す「水平的公平性」と、経済力に応じた税負担によって不平等を是正する「垂直的公平性」の観点から行われたと指摘されている。これについては、記事の後半で詳しく説明する。
なぜ多くの国で富裕税が廃止されたのか?
富裕税の採用国が減少した背景には、富裕税の税収が総収入に占める割合が低下したことによるものが大きい。他にも、富裕税が廃止された理由には、以下の点が挙げられる。
資産の国外逃避
富裕税は国内からの資本逃避を促進し、経済活動に悪影響を与える可能性があった。これがアイルランドやオランダが富裕税を廃止した主な要因であった。スウェーデンでも、大規模な資産の国外流出が実際に発生し、富裕税廃止の動機となった。
課税の費用対効果
富裕税は税収全体に対する割合は低いものの、多額の徴税費用が必要だった。オランダでは、富裕税による税収とそれに伴う税務行政コストを比較したところ、富裕税にかかるコストが税収の26.7%だったのに対し、所得税にかかるコストは4.8%であったという(※2)。
このことは、前述したように富裕税の徴税時における評価の難しさや複雑性に関連している。納税者の詳細情報が必要とされるため、税務行政が複雑になるのだ。また、課税対象がすべての資産であるため、脱税を防ぐために他の税金(所得税、相続税、贈与税など)との照らし合わせが必要であり、このような評価の難しさが税務管理のコストを増加させる要因となっている。
2024年ダボス会議で話題となった富裕税の議論
ダボス会議とは、世界経済フォーラム(World Economic Forum)の年次総会のことであり、スイスのダボスで開催される。世界各国のリーダーが集まり、環境問題から経済、技術、雇用、健康、国際協力、社会平等など多岐にわたるテーマについて議論される。この会議は、ステークホルダー資本主義の概念の下で、より良い社会の実現を目指したものだ。
2024年のダボス会議では、2,500人以上の億万長者が、自分たちに富裕税を課すよう求める書簡を提出したことが話題となった。
この書簡と同時に発表された世論調査によると、富裕層の74%が公共サービスの向上のために富裕税を支持しているという。調査会社・Survationがキャンペーン団体Patriotic Millionairesに代わって実施したこの調査は、G20諸国の億万長者2,300人以上を対象に行われ、回答者の58%が1,000万ドル(約15億円)以上の富裕層に2%の富裕税を課すことを支持し、54%が極端な富は民主主義を脅かすと考えていることが明らかになった。
富裕層による富裕税の支持には、公共サービスや経済的不平等の是正を目指すと同時に、富裕税を導入することで人々の富裕層に対する敵意を和らげる意図があると指摘されている。実際、イギリスの大手メディア・The Guardianは「超富裕層は、不平等に取り組まなければ『投石器と松明』を突きつけられると警告」というニュースを2023年6月に掲載した。この報道は、超富裕層が、エネルギーや食料の値上げによって貧富の差が拡大するのを放置すれば、「暴動」や「市民的混乱」が起きる危険性があると(彼らのアドバイザーらから)伝えられたという内容であった。
これに関し、富裕税の導入は社会的公平の実現そのものを目指すためではなく、他の目的の手段として採用される場合もあると指摘されている。言い換えると、富裕税は「富裕層に負担を求める」という宣伝効果があり、人々に社会が公平であると感じさせる手段として利用される可能性もあるということだ。
実際に導入は(再)検討されている?
ダボス会議での書簡にも見られるように、富裕税は以前ほど広く普及していないが、最近富裕税への関心が高まってきているという。OECDの見解では、富裕税の廃止は一般的に、効率性や税務管理上の懸念、再分配の達成に対する疑念によって正当化されてきた。富裕税からの収入も、一部の例外を除き、ごくわずかであったという。
しかし最近では、歳入を増やし富の不平等に対処する手段として、富裕税に目を向ける国や地域も出てきている。アメリカでは、富裕税に関する政治的議論は2024年も活発であると予想され、富裕税が国レベルでも州レベルでも提案されており、連邦最高裁判所は富裕税が合憲かどうかを判断する見込みである。
富裕税が解決しうる問題
富裕税には、徴税コストの増大などの課題がある一方で、税収の増加だけでなく、水平的・垂直的公平の実現や、資産利用の効率化など、さまざまな効果が期待できると考えられている。
水平的公平
水平的公平とは、同じ経済的状況にある個人やグループが、同じ税金や負担を負うことを意味する。つまり、同じ所得や資産を持つ人々が同じ税金を支払い、同じ社会的サービスや機会を享受することである。富裕税は、所得だけでは把握できない資産保有者に課税することで、所得税の補完として水平的公平を実現するポテンシャルがあるとされる。
垂直的公平
垂直的公平とは、経済的な力や能力に応じて異なる負担を課すことを意味する。つまり、経済的強者がより多くの負担を負い、経済的弱者がより少ない負担を負うことで、所得や資産の格差を狭め、社会的な公正を達成しようとする考え方である。したがって、富裕税は富の再分配に役立ち、垂直的公平の実現に役立つはずだ。
経済効率性
富裕税は所得税と比べて経済活動への影響が比較的小さく、社会全体で効率的に資産利用ができるようになるという。
富裕税制には、包括的なアプローチが肝心
富裕税制が有効に機能すれば、社会的公平性や、公共サービスを向上させるかもしれない。その導入には、法律の抜け穴や特定資産に対する優遇措置といった恣意的な判断を防ぐ必要性に加え、税収のコスト、水平的公平性の側面、その他様々な問題を考慮した包括的なアプローチが肝心となる。
近年の富の二極化を打破しうる政策として、富裕税の導入について今後各地で議論される価値があるだろう。
※1 World Inequality Report 2022
「世界の超富裕層1%、資産の37%独占 コロナで格差拡大」日本経済新聞
※2 山口和之「富裕税をめぐる欧州の動向」 国立国会図書館調査及び立法考査局 編. 65. 5 (2015): 1-22.
【参照サイト】山口和之「富裕税をめぐる欧州の動向」 国立国会図書館調査及び立法考査局 編. 65. 5 (2015): 1-22.
【参照サイト】World Inequality Report 2022
【参照サイト】「世界で起きる経済格差の問題点とは?格差が日々の生活にもたらす影響」プラン・インターナショナル
【参照サイト】田巻一彦「富裕と貧困、コロナ禍で進む『日本の二極化』とその後」ロイター
【参照サイト】「世界の超富裕層1%、資産の37%独占 コロナで格差拡大」日本経済新聞
【参照サイト】John Crace. ‘Tax our wealth, super-rich tell politicians at Davos’. The Guardian.
【参照サイト】John Crace. ‘The Guardian view on wealth taxes: UK needs one on millionaires and billionaires’. The Guardian.
【参照サイト】Michael Grothaus. ‘Davos 2024: Millionaires and billionaires demand that elected leaders tax them more’. Fast Company.
【参照サイト】OECD. The Role and Design of Net Wealth Taxes in the OECD. OECD Tax Policy Studies. No. 26. Paris: OECD Publishing, 2018.
【参照サイト】OECD. ‘Executive summary’. In The Role and Design of Net Wealth Taxes in the OECD. Paris: OECD Publishing, 2018.
【参照サイト】「インドにおける個人の確定申告および資産開示制度について」Global Japan AAP Consulting Private Limited
【参照サイト】‘Nearly three quarters of millionaires polled in G20 countries support higher taxes on wealth, over half think extreme wealth is a “threat to democracy”’ Oxfam International
【参照サイト】Rupert Neate. ‘Super-rich warned of ‘pitchforks and torches’ unless they tackle inequality’. The Guardian.
【参照サイト】Jeff Stimpson. ‘Wealth Taxes Expected To Remain A Hot Topic In 2024’. Financial Advisor.
【参照サイト】‘Net wealth/worth tax rates’. PwC
【参照サイト】Daniel Bunn. ‘What the U.S. Can Learn from the Adoption (and Repeal) of Wealth Taxes in the OECD’. Tax Foundation.
【参照サイト】ダボス会議とは・意味