障害のある人もない人も。街の“ケアしあう生態系”をデザインする「株式会社ここにある」

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仕事やイベントで知り合う人、なんらかのきっかけで友人になる人──偶然のような出会いでも、Facebookを交換すれば多くの場合「共通の友達」が誰かしらいて、自分を取り巻くコミュニティの同質性を感じることはしばしばある。そんな「アルゴリズム化された世界」を生きていると、社会が同質の人ばかりで構成されているかのように錯覚することがあり、社会構造を俯瞰してみると、どこか排他性がついてまわる。

2020年のコロナ禍、オンラインイベントである人に出会った。その人が生み出す「場」は、障害のあるなしや年齢、職業など何一つ関係なく、多様性や包括性といった言葉では表現し切れないほどごちゃまぜ。そこにいた人々は、みんなイキイキとしていたことを覚えている。

その出会いをきっかけに、その人がつくるさまざまな場に参加した。あるときは「ユニbarサル」というオンラインイベント。聴覚障害のある方が参加していて、音声ではなくチャットの機能を使いながら楽しく会話した。数々の「場」を通じて、自分の中にあった“多様性”と呼ぶものの範囲が、ものすごく狭かったということを知った。

そんな数々のインクルーシブな場の仕掛け人となるのが、株式会社ここにある・代表の藤本遼(ふじもと・りょう)さんだ。藤本さんは、「すべての人がわたしであることを楽しみ、まっとうしながら生きられる社会」を目指し、自身の出身地である兵庫県尼崎市を中心に活動する。障害があってもなくても楽しめるフェス「ミーツ・ザ・福祉」やお寺でカレーと異文化を楽しむイベント「カリー寺」、また現在では全国10箇所で開催している、生き方に関する博覧会「新生博(旧:生き方見本市・生き博)」などをプロデュースしている。

カリー寺の様子

カリー寺には、700人以上の人が参加する Image via ここにある

「インクルーシブなものを」と頭ではわかっていても、本当の意味で誰一人取りこぼさないようにすることは、簡単なことではない。それでも藤本さんがつくる場はなぜこれほどまで多様で、多くの人を魅了するのだろうか。尼崎にはなぜ、これほどまでにお互いをケアし合う文化が栄えているのだろうか。社会のさまざまな課題を考える上で大切な「想像力」をどのように育めばいいのか、藤本さんに話を聞いた。

話者プロフィール:藤本遼(ふじもと・りょう)

藤本遼さん株式会社ここにある代表取締役 / 場を編む人。1990年4月生まれ。兵庫県尼崎市出身在住。「すべての人が楽しみながら、わたしとしての人生をまっとうできる社会」を目指し、さまざまなプロジェクトや活動を進める。「いかしあう生態系の編み直し」がキーワード。現在は、多様な主体や個人が関わり合いながら進める地域イベントのプロデュース、共創的な場づくりやローカルデザインに関するコンサルティングやプロジェクトマネジメントなどを行う。最近では行政のみならず、企業と連携しながら進めるプロジェクトも多い。代表的なものに「ミーツ・ザ・福祉」「カリー寺」「おつかいチャレンジ」「グッド!ネイバー!ミーティング!」「武庫之のうえん」などがある。『場づくりという冒険 いかしあうつながりを編み直す』著。たべっ子どうぶつとカレーが好き。

尼崎を尼崎たらしめるもの。“ごちゃまぜ”を大事にし、市民が声を上げる街

「自分たちで、自分たちの街や公共をつくっていく」そんな強固な地域共同体と、変革に向けたアプローチ。兵庫県尼崎市に根付くそれらの基盤は、この街の歴史と密接に関連していると藤本さんは話す。

「尼崎は、高度経済成長期に工業地帯としての発展を遂げた街です。当時、鹿児島や沖縄、四国など日本各地から、多くの人々が安定した仕事や賃金を求めて尼崎に移り住みました。それをきっかけに、尼崎には様々なバックグラウンドを持つ人々が生きてきたのです。そうした背景からも、そもそも多様性に対する共感力や包括するということへの素質は一定以上あると思っています」

藤本さん Image via ここにある

藤本さん Image via ここにある

尼崎にとって大きな転換点のひとつとなったのが、尼崎公害訴訟事件だ。多くの工場が高度経済成長期に稼働していた尼崎は、公害問題に直面した。その際に地元住民が立ち上がり、企業や政府を相手に補償と公害防止を求めたのだ。

「尼崎では歴史的に、市民の自発的な動きが定期的に生まれていて、個人が新しいアクションを起こすことに対して前向きです。また市民だけでなく行政による政策面でのトップダウンもありました。市民活動や社会運動の芽が昔からあり、それを理解していた行政がその芽を育てていく。そうした過去の積み重ねによって、いまの尼崎があると考えています」

障害のある人もない人も、誰もが一緒になって楽しめる場

そんな尼崎の強固な地域共同体や包括性を表しているイベントが、同市が9年前から続けている「みんなのサマーセミナー」だ。「誰でもセンセイ、誰でもセイト」を合言葉に、夏に2日間にわたり開催される祭典で、障害のあるなしや年齢も関係なく、尼崎のすべての人々が自分の好きなことや得意な分野で先生になり、約300もの講座が開催される。誰でもその授業を受けることができ、毎年約4,500人の市民が参加する大イベントだ。

みんなのサマーセミナー

みんなのサマーセミナー Image via ここにある

そんな、みんなのサマーセミナーで強まった尼崎のインクルーシブな街の動きなどもあり、もともと尼崎で開催されていた福祉イベントを「より開かれた、多様な人が行き交うものにしよう」と考えた藤本さんが、行政に提案して本格始動したのが、2017年から現在まで続く「ミーツ・ザ・福祉」だ。

「福祉にであう、福祉とまじわる」をテーマに、障害のある人もない人も一緒になって楽しめる場をつくろうという想いのもと、同イベントには様々な人が関わる。毎年60店舗ほどの飲食や雑貨などの出店ブースに加え、障害を体験しながら楽しめるコンテンツやステージパフォーマンスが行われ、全国から人が集まる。

ミーツ・ザ・福祉

ミーツ・ザ・福祉 Image via ここにある

特筆すべきはミーツ・ザ・福祉のイベントの盛り上がりだけでなく、「実行委員会形式」で集まる運営チームだ。25名ほどのコアメンバーに加え、イベント当日のボランティアスタッフは100名ほどにもなる。

「毎年、市長もお笑いのコンテンツに出演するなど、なんらかの形で参加しています。実行委員会メンバーの中には企業の人やNPOの人、学生もいればフリーランサーもいる。世代や立場、資金・経験のあるなしに関係なく、様々な人々が関わるプロジェクトチームをデザインしています。それぞれが、僕のビジョンや考え方に共感してくれて一緒にやりたいと言って関わってくれたら、それはお金には代えられない価値になるわけです。予算のないローカルプロジェクトは、これが重要なポイント。運営のコアにいるのが誰でどんな想いでやろうとしているかで、プロジェクトの成功が9割決まると言っても過言ではありません」

そんな藤本さんは、そうしたチームビルディングや関係性構築を担う。「ミーツ・ザ・福祉」だけでなく、「みんなのサマーセミナー」や尼崎の多くのプロジェクトが同じように実行委員会形式を採用しており、多様な人が関わることが意識されているのだという。

「こうした街の動きや気運もあって、例えば商店街でのイベントも、商店街の振興組合など既存の団体だけではなく、街の人を巻き込むことも増えました。そうした他者の能動性を引き出すようなプロジェクトがこれほど街にインストールされているのは、尼崎独自かもしれません」

能動性を引き出すための「場」。問いの連鎖を醸成していく

他者の能動性を引き出すようなプロジェクト──藤本さんが話すような、尼崎にあるこの個々の「能動性」とは、どこからくるのだろうか。それは、個人の問題ではなく、街に「場」があるか、さらに言うとどんな場があるか、に依存するという。

「能動性は、ゼロから生まれて来るわけではないと思うんです。つまり場があって、その場から呼びかけられることによって立ち上がってくるものではないでしょうか」

藤本さんが例に出したのは、障害福祉の取り組みだ。イベント会場や街で、障害のある人と出会う機会がそもそも少ないと感じたことはないだろうか。それは、「主催側から見ると障害のある人を呼ぼうとしていないこと、逆に言うと、障害のある人にとって参加のハードルがとても高くなってしまっていること」が、そもそもの問題なのである。

「そうした問題に気づき、問いを持つことで、次のアクションにつながっていく。その連鎖を醸成していくことが大事なんです。みんなのサマーセミナーも、“みんな”って言ってるけど、障害のある人があまり含まれていないんじゃないか、という話から、今では手話通訳や筆記ボランティアが徐々に加わり、ダイバーシティのある場をどうつくるかのチャレンジが行われています」

藤本さん

藤本さん Image via ここにある

いろんな人を“ごちゃまぜ”に。互いにケアし合う街はどう生まれるのか?

全員が、見ず知らずの人にもすぐに手を差し伸べられる人間であったらいいけれど、それは難しいし、そもそもそうあるべきでもないかもしれない。だからこそ、藤本さんが挑戦するのは、「知らなかった人と出会う機会をつくる」こと、だ。知らなかった人が知り合いになり、友だちになったり、一緒に仕事をする関係性になったりする。そうした「お互いにケアしあえる関係性」を街中でたくさん生み出しているのだ。

「まちづくりというと、感度の良い人たちや、意識が高いと言われる人たちだけが集まるような同質性の高いものも多いような気がしていて。そうではなく、色々な背景や人生経験、属性、多様な人たちを登場させ、つながるようにすることで、相互にケアしあう関係性が街に生まれたらいいなと思っています。ケアワーカーだけでケアを完結させず、地域全体にケアする関係性を増やしていくには、人と人の間に、有機的なつながりと、そこに喜びや価値を宿していくことが大切なのではないでしょうか」

草加

埼玉県の草加で開催したイベント「ふくフクフェス」の様子 Image via ここにある

そのために、藤本さんは、「分けない」。障害のある人とそうでない人、運営側とお客さん、生産と消費、作り手と受け手。一見、分かれているように見えるものをシームレスにし、つなぎ直していくことに藤本さんは使命感を持っている。

「役割を分けることで経済は発展してきたし、暮らしは便利になってきました。けれど分業が進めば進むほど、金銭的なものでしかつながることができない関係性が増えていきます。だから、僕はその役割を外して、別の役割を立てていく。そうしなければ、街で暮らす他者をケアするという概念は生まれにくいと思います。専門職やどこどこ会社の◯◯という役割や肩書きではなく、まず一人の人間。多様な役割の境目をどう滲ませるかを、僕はずっと考えています」

梅田ローカル

「ここにある」が手掛ける、梅田に新しいローカルメディアをつくるプロジェクト。多様なメンバーが参加している。

誰しもが持っている無力感を、原動力に変えていく

尼崎に根付く、住民同士が互いにケアし合う関係性や、共にこの街をつくっていくという感覚。歴史的な背景も大きいが、藤本さんが関係性づくりをするうえで大切にしていることがある。

「一人ひとりがその場所の、あるいはそのコミュニティの一員であることを感じられるような働きかけや仕掛けを大事にしています。そのきっかけづくりとして、みんなで共同作業をすることは大切です。例えばイベント後の片付けなども、主催側・事務局側で全てやってしまうのはもったいないとさえ思っています。些末なことですが、共に食べたり、共に作業したりすることで、場の一員になっていくんです。そこでもお客さんにしない、ということを重要視しています」

こうした広げ方は、ビジネスの世界にあるマスへのコミュニケーションとは異なるという。

「一人の人が触媒となって、その人が周囲を振動させていく。そのプロセスの中で少しずつ個と個の間で熱量が上がります。さらにそれが別の地域やフィールドにも広がり、少しずつそれぞれ全体の熱量が上がっていくんだと思います。そうした広げ方の方が、顔が見えるから面白いし、自分が理想としている状況に近づくことができるんじゃないかと思っています」

ミーツ・ザ・福祉

ミーツ・ザ・福祉 Image via ここにある

藤本さんは言う。「障害のある人への興味や関わりを持つことは、実は難しくない」と。

「実はみんな障害というものが気になっている、と思っています。なぜなら今の社会が、みんなにとって生きやすいものとは言えないからです。障害があろうとなかろうと関係なく、それぞれが少しずつ社会で生きづらさを抱えているんじゃないか、と。だから、この社会が生きづらいものなのだとすると、それが少しでも生きやすく、過ごしやすくなることに対して興味関心のある人は、僕は結構いるんじゃないかと思っています。

未来が見えない、あるいは自分がなぜ働いてるのかわからない。自分が住んでいる地域でさえ、自分でつくれている実感がない──そうした、ある種の無力感のようなものを同じ時代を生きるみんなが共通して持っている。

そうした無力感に向き合い、地域や社会を変えることを一緒にやったら面白くないですか、と僕は思うんです。障害の有無にかかわらず、人間として生まれてきた僕たちがイキイキと生きていける社会って、きっといいですもんね」

藤本さん

藤本さん Image via ここにある

編集後記

「場づくりは、自分の存在証明、僕の生きる意味だと思っています。残したいのは事業ではなくて、いろいろな苦悶や葛藤から見えた、一連の生きるプロセス。根を張って広げていくような、生き続けるものをつくりたい」

場をつくり続ける理由を、そんなふうに話す藤本さんの言葉からは、人への愛情や優しさが垣間見える。人々が生きづらさを抱える社会でも希望を持ち、インクルーシブな場をつくり続けるのは、藤本さんが自身の弱さや哀しみ、痛みとも向き合い続け、共通項を他者の中にも見出せているからかもしれない。

藤本さんが生み出す場は、「コミュニティ」というより、「生態系」という言葉がよく似合う。その生態系に周縁化された人々などいない、異質な存在同士がつながり合う場だ。多様な人々がごちゃまぜになり、出会いの制限を解消することで、日常で見過ごしてしまう問題に光があたり、一人ひとりが新たな気づきを得る。その過程で育まれる想像力によって、まちに“相互にケアし合う関係性”が、自然とうまれていく。そんな希望を感じた取材だった。

【参照サイト】株式会社ここにある
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