水がある空間には人が集まる。皇居のお堀は都内有数のランニングコースであり、京都・鴨川の納涼床や岸に座る恋人たちの風景は夏の風物詩であり続けている。
川沿いの散歩やジョギングが日課の人も多いだろう。何をするでもなく一人の時間を過ごしたいとき、家族や友人とのんびり休日を過ごしたいとき、夏の暑い日には水に飛び込んで泳いだり釣りをしたり──水辺にいると、心が癒されたり、ポジティブな気分になったり、アクティブなことをしてみたくなったりするものだ。
飲料水や生活用水、さまざまなライフラインとして人間が生きる上で不可欠な存在である水は、私たちのウェルビーイングにも寄与するようだ。世界の人口の半分は淡水域から3キロメートル以内に住んでおり、島や沿岸部に住む人は長寿な傾向があると言われる(※1)。
また、ある研究では都市の中の水辺がストレスを軽減して幸福感を高め、アクティブなライフスタイルを促進すること、そして、社会的な交流を促し、コミュニティの創出に寄与することを言及している。水がある空間に親しむことが、レクリエーションや、景観デザイン、空間への愛着を深める可能性も示されている。加えて、ヒートアイランドの抑制効果もあり、都市環境の改善にも一役買うだろう(※1)(※2)。
都市の水辺は、人々の暮らしにどのように溶け込んでいるか
古代ローマは人類の歴史ではじめて水道を建設したことで知られるが、いまでもローマの街中には水が湧き出るスポットがたくさんあり、人々に新鮮な飲み水を供給している。水の都の代表格ヴェネツィア、放射状に運河が広がるアムステルダムの街並みやパリのセーヌ川、河にかかる石橋と庭園で知られる中国の水郷街蘇州──世界には水がランドマークになっている都市がたくさんあるが、都市と水辺のスケールを落としてみると、また少し違った世界が見えてくる。
地元の人たちの暮らしと密着し、近づき、触れることができる水辺。身体的にも心の距離も人々と近い水だからこそ、多くの活動が誘発され、市民にとって大切な居場所になっている。今回は、そんなヨーロッパの中小都市にある“人々に寄り添う”水辺の様子をお届けしたい。
川幅200メートル超え。夏のライン川は、市民プール(スイス・バーゼル)
スイス北西部、ドイツとフランスの国境に位置するバーゼルの中心には、ライン川が流れる。美術館と建築の宝庫で、世界最大の現代アートフェアであるアートバーゼルが開催されるなど、文化芸術の街として知られている。
旧市街の街並みを望むライン川沿いの景色はいつ見ても美しいが、夏になるとその景色は一風変わったものになる。川辺は太陽を楽しむ人々で埋まり、ビアガーデンやテラスは大賑わい。そして川へカラフルな浮袋のようなものを抱えた人々が次々と飛び込んでいく。彼らが抱えているのはバーゼルで発明されたヴィッケルフィッシュ(Wickelfisch)という浮袋バッグ。服と貴重品を入れて膨らませ、浮き輪がわりに抱えながら泳ぐのがバーゼルならではのスタイルだ。
市が充実したガイドラインを提供していることも、市民が安全に夏のダイブを楽しめる秘訣だ。遊泳にはある程度の水泳能力が前提とされている。水温や水面の高さなどの遊泳可能な条件が定められていて、毎日ホームページで確認できる。サイトには遊泳可能エリアと禁止エリアが明示された地図や、入水しやすいポイントや遊泳ルート、遊泳後の一杯を楽しめるバーなどの情報も掲載されている。また、遊泳大会、フォトラリーなどのイベントも開催される(※5)。
そんなライン川だが、数十年前までは人が入るなんて想像すらできないほど劣悪な水質であった。アルプスを源流にオランダの北海沿岸まで流れる全長1,320キロメートルのライン川は、西ヨーロッパの重要な輸送経路だ。多くの貨物船が運行し、また川沿いにはルール工業地帯をはじめとする重工業地帯、水力発電ダムが立地する。こうして産業、経済の発展と引き換えに19世紀頃からライン川の生態系は破壊されはじめた。
その中でも特に被害が顕著だったのがバーゼルだった。バーゼルは化学・製薬産業が盛んであるが、そうした産業は都市の経済を豊かにした一方で川に多くの有害物質を排出した。また、1960年代まで浄水場がなかったため、家庭の汚水は川に直接流れ込んだ。
きれいな川を取り戻したいという沿岸市民たちの長年の思いを受け、1950年にバーゼルでライン川保護国際委員会が設立される。それから十数年後に各国は沿岸部の工場に廃棄物の排出を削減させるための条約に署名した。しかし、1986年、火災によってバーゼルにある工場から有毒物質がライン川に漏れ出す環境災害が発生する。多くの魚が死に、ウナギなどいくつかの種が絶滅した。このことがバーゼルにおける環境汚染の危機意識を強め、ライン川の環境改善に多くの労力がつぎ込まれるようになったのだ。
現在も、バーゼル周辺の水質は継続的に検査され、厳しい産業規制に加え、浄水システムも整備されている。今日のバーゼルの風景は、長い年月をかけた環境保全活動と、夏を存分に楽しもうとするバーゼル市と市民たちのライン川への愛の上に成り立っているのだ。
二層の運河岸を歩いて、ボートに乗って。立体的な水空間の体験が街を賑やかに(オランダ・ユトレヒト)
オランダ中央に位置する都市ユトレヒトは、ミッフィーの作者ブルーナの出身地としても有名だ。市内には多くの運河が張り巡らされ、運河沿いに美しい建物が並ぶ風景はなんともオランダらしい。そして、よく見るとここユトレヒトの運河はユニークなつくりをしている。
ユトレヒトの運河の特徴は、二段構造になっていること。運河沿いにはかつて、裕福な貿易商の家が立ち並び、船から直接品物を運ぶため、彼らは水位面の高さに地下室をつくった。現在はその空間がカフェやレストランとして生まれ変わっており、ユトレヒトの運河沿いは二層の賑わいを見せている。
そして運河を眺めていると、ツアーボート、パドリングやカヌーを楽しむ人が次々と現れる。ガイドツアーに参加したり、レンタルして個人で自由に運河からの街散策も楽める。食事やSUPレッスンなどオプションも多様だ。都市の中に水上アクティビティが融合した光景はユニークだ。立体的な運河沿いの風景も相まって、ユトレヒトでは水こそが、多様な視点と感覚で街を体験する手段になっている。
人と距離の近い水路が市民の愛着を生み、街に活気を与える(ドイツ・フライブルグ)
ドイツ南西部、黒い森の入口とされる街フライブルグ。たくさんの自然に囲まれ、中世からの建物と石畳でできたかわいらしい旧市街を持つ大学都市であり、環境先進都市として多くの関係者が視察に訪れる街だ。
フライブルグの旧市街を特徴づけるのは、べヒレ(Bächle)とよばれる細い水路。そして、その縁に座って暑い日には足を水につけながらおしゃべりを楽しむのが、フライブルガーらしい街の過ごし方だ。べヒレが建設された13世紀当初は、灌漑、工業用水路として使われていた。現在はその役目を失っているものの、ランドマークとして街中を巡り続けている。
教会の隣のおもちゃ屋さんの前は人気の写真スポットだ。お目当てはべヒレで涼しげに泳いでいるカエルたち。ほかにも、ワインボトル、ビーサン、スイカなど、街のさまざまなお店が看板代わりに自分たちの商品でべヒレを飾り立てており、街への愛着が滲み出ている。
そしてもう一つ、べヒレに欠かせない光景は、べヒレに浮かべた舟をひく子どもたちの姿である。週末は舟のおもちゃの屋台は大賑わい。その後ろ姿はなんとも愛らしい。夏には地元のビールやワイン、おつまみが提供されるべヒレピクニックというイベントも開催される。
メンテナンスにも力を入れており、市の専属清掃員が毎日掃除をしている。春と秋には水が抜かれ、清掃と損傷具合の点検が行われる。また、春には学生たちが清掃後にべヒレに浮かぶワニの像の頭の向きを変えるのが風物詩だ。
街中に張り巡らされた、ヒューマンスケールな水辺だからこそ生まれる多様な使い方が、市民の愛着を生み、街に活気を与えて続けている。
水と親和した都市空間が、私たちの生き方を豊かにする
穏やかにゆらぐ水面の模様、そこに反射するきらきらした光、水の流れがやさしくせせらぐ音、透き通った水に触れたときのやわらかくて冷たい感覚、みずみずしくしっとり湿っぽい水の匂い。
都市で生きていると忙しく過度な情報に溢れた空間からなかなか抜け出せない。けれどそこに水があると、自然がつくる時間の流れが生まれる。水がある都市の風景は、清らかで涼しげでありながら、都会にぽっかりとあいた無の空間でもあるようで、私たちの五感を安らげてくれる。
都市の中の自然が私たちに良い影響を与えてくれることは誰もが知っている。しかし、都市の自然を語るとき、緑を増やし、公園を作ろうといった、植物を中心とした緑化が目指されることが多く、水辺の青い空間は緑の影に隠れてしまっているようにも思える。
水と調和した都市空間は、きっと私たちの生き方を豊かに、クリエイティブに、アクティブにしてくれるはずだ。
※1 Urban blue spaces and human health: A systematic review and meta-analysis of quantitative
※2 水を活用したヒートアイランド対策の推進
【参照サイト】Europe’s most important waterway returning to health
【参照サイト】水都東京。水辺エリアの魅力を高めるとどうなる?
【参照サイト】Swimming in the Rhine
【参照サイト】Utrecht
【参照サイト】Mysteries of Utrecht #3: The Wharf cellars
【参照サイト】Geschichte der Freiburger Stadtbächle
アイキャッチ画像: Peeradontax / Shutterstock.com
Edited by Erika Tomiyama