首都に住みながら、自転車で20分の距離に広大な果樹園があったらどうだろう。ぶどうやりんごなど季節の果物を自らの手で採って味見しながら収穫し、放し飼いのニワトリの卵をいただき、豚と戯れ、ライブミュージックを楽しむことができて、いつでも新鮮な無農薬野菜と果物、肉やパン、ジュースなどを購入できる場所。
オランダの首都・アムステルダムには、そんな夢のような場所がある。都市近郊での循環型の食の仕組みのモデルケースとして近年注目を集めているこの場所は、化学肥料・農薬不使用で都市型・市民参加型の農園「西のフルーツガーデン(Fruittuin van West)」だ。
入園料はなく、収穫した分を最後に量り売りでお会計をする仕組みだ。自分で収穫したものは「働いた」分割安である。敷地内には季節の野菜をふんだんに使った料理を提供する美味しいカフェがあり、テラスやビニールハウスのなか、焚き火のそばなど、皆各々に好きな場所を選び座る。多くの住民が憩い集うこの場所は、特に収穫の多い夏から秋にかけてより一層賑わう。
先日、開園10周年を迎えた西のフルーツガーデン。この場所をゼロから作り上げ、共同運営するのはWil Sturkenboom(ビル・スターケンボーム)さんとLisan Sturkenboom(リザン・スターケンボーム)さん夫婦だ。今回編集部はWilさんに、西のフルーツガーデンの経営を始めた理由と現在地、今後について話を聞いた。
西のフルーツガーデンができるまで。都市農園とビオダイナミック農法の相性が良い理由とは?
Q. どのような経緯で西のフルーツガーデンを開業することになったのでしょうか?
このような場所をつくりたいと思ったきっかけは、大きく分けて三つあります。私はもともとアムステルダムから東70キロほどのところにある、フレヴォラント州ドロンテンという街で、「ワーモンデルホフ(Warmonderhof)果樹園」というビオダイナミックの農園を経営していました。
よく他の農園経営者との会合に顔を出していたのですが、集まるたびにきまって話題になるのが、「次は何(の薬を)をスプレーすべきか」ばかり。農園では害虫や植物の病気が経営に直接影響するので私も悩まされてきたため気持ちはわかるものの、ありとあらゆる殺虫剤や薬品を次から次へと導入する思考に嫌気が差していました。農業の常識がこんな状況だからこそ、逆に薬を全く使わない、誰もやったことがないような農業をやってみたいと思ったのです。ワーモンデルホフ農園をビオダイナミックにしたのはこうした理由からで、西のフルーツガーデンも同様にビオダイナミックにこだわっています。
二つ目のきっかけは、飽きとでもいいましょうか。長年の経験から、農園経営については右に出る人がいないと思えるほど熟知しています。収益を上げ、出た利益でさらに土地を買い、より大きな利益を生み、さらに拡大する。これを続けるうちに私の農園は国内で最も大規模な農園のひとつになりました。しかし、長く続けていると、安全な場所で着実に暮らしていくことはできますが、少し物足りなくなるものです。今まで培ったノウハウを活かしつつ、新しい事業を始めたいと考えるようになりました。
さらに、家族とのライフスタイルが三つ目の、そして最も大きなきっかけです。都市型農園であればカフェやショップの運営が集客において大きな役割を果たす。だから、妻のリゾンにカフェとショップの運営を任せられれば、ふたりで同じ事業に従事することができると考えました。さらに、私たちは今まで地方に暮らしていたので、今はアムステルダムという都会のパワーと刺激を存分に楽しむことができます。実際に3人いるふたりの子どもたちも、街中心に出かけていって都会を楽しんだり、週末は農園に来てのんびりしたりと大いに楽しんで暮らしています。
そもそもこの構想が成り立つには、集客ができる都市に立地していることが重要な条件でした。工業的な農業を行うのではなく、無農薬・化学肥料不使用のビオダイナミック農法で果実を育てる場合、手摘みでの収穫が必要になります。私たちが人を一人ひとり雇ってお金をお支払いすると収益性の担保が難しくなってしまいます。しかし、来るお客さんたちに自分で収穫してもらえれば、ビジネスとして成り立ちます。
10年前、私たちはこの化学肥料・農薬不使用で都市型・市民参加型の農園ビジネスを市に提案しました。アムステルダム市を含む4都市に計画を提出したところ、3都市から「ぜひうちの市で」と快諾の返事をもらいました。助成金を必要としない計画だった点も行政が前のめりだった理由のひとつでしょう。都市型・市民参加型のビオダイナミック農園、食の循環の拠点であり、食育の場。しかもこれだけの規模の果樹園を、きちんと金銭的にも利益を生む、営利型ビジネスとして運営する計画でした。こうして10年前、この6.5ヘクタールの土地で西のフルーツガーデンは始まりました。
若者も、年輩の方も、家族連れも。すべての人にとって居心地のいい場所に
Q. その後、現在にいたるまで、どのように計画を進めてきたのでしょうか?
誰もやったことがないことをするのはいつも手探りです。Googleで検索すると、農薬を撒かずに病気の原因となる糸状菌や害虫などを遠ざけるには、ニワトリを放し飼いにすると良いと書かれていたためニワトリを放ってみました。うまくいったためニワトリを増やし、今では240羽が農園で暮らしています(Googleの答えがいつも正しいわけでもありません)。また、ハサミムシも素晴らしい益虫で、果物にとって天敵となる害虫を食べてくれます。この農園では、逆さまにした植木鉢の中をハサミムシが好む住環境に整え、いわば「ハサミムシ・ホテル」として、病気がちな果物の木にかけておきます。すると、夜の間にハサミムシたちが出てきて仕事をしてくれて、朝になると大人しく自分たちのホテルの寝床に戻っていてくれるのです。
様々なやり方をトライしてはベストな結果につながるように工夫し、試行錯誤していくのはとてもお面白いものです。また、アムステルダムには、オランダのなかでも少し変わり者が多いなと思います。前例がないことに抵抗感がなく、むしろ面白がる人たちが多いんです。こうした人たちがお客さんだと、こちらもやりごたえがあるものです。
ビジネスとしても当初計画していた以上に順調で、今では隣の敷地で牛を放牧して食肉として販売したり、別の農家2人と提携して農園入口近くにフラワーガーデンを始め、ブーケを作って販売したり、企業イベントやソーシャルイベントの会場として飲食を提供したりもしています。今日の午後にはウェディングパーティの予約が入っているため、スタッフは装飾や料理の準備で大忙しです。
特に嬉しい驚きなのは、この場所が実に様々な人たち──若者も、年輩の方も、家族連れも、様々な文化背景を持つ人も、住民も観光客も、クリエイティブな人たちにとっても、憩いの場となっていることです。都会暮らしでこうした自然との接点を持ちたい人もいますし、自分の故郷の自然を思い出すように通ってくれる人たちもいます。これは、妻のリゾンが人からもらう「ターゲットを絞った方がいいのでは」というアドバイスに聞く耳を持たず、「すべての人にとって居心地のいい場所」を作ることにこだわってきたからだと思っています。
また、事業として成功しているため、ビオダイナミック農法のモデルケースとして、23歳から60歳まで年間200人もの人がこの農園に学びに来ています。自然と共存する形の農家を経営したい人は多いのです。
地域の自然や文化を存分に楽しんでもらうために。情報発信をしながら、地域のハブに
Q. この10年で素晴らしい成功をおさめてこられたのですね。始めてから10年経ったから今だからこそ気づくことはありますか?また、今後10年でこの場所をどうしていきたいと考えていますか?
10年経って特に印象的なのは、人との豊かなつながりと地域の変化ではないでしょうか。私たちの農園も6.5ヘクタールから16ヘクタールに広がりました。この土地で、私たちの他に独立農家の4人とも連携して食物を生産しています。こうして生産する作物の100%を自分たちの店で販売することができています。
そして、特に嬉しいのは、私たちがこの土地で活動する唯一の事業者ではなくなったことです。初めはこの場所で活動するのは私たちだけでした。しかし、隣接する土地で循環型の起業家が集まり、様々なコミュニティガーデンやイベントスペース、文化組織が生まれました。今では「西のガーデン(Tuinen van West)事業者協会」という共同体が発足し、このエリアの自然や文化を存分に楽しんでもらえるよう連携・情報発信をしています。こうして地域のハブが生まれたからこそ、互いに協力したり、教え合ったりしながらさらに厚みを持った動きができる共同体、エコシステムになり、今後さらにできることの幅が増えていくでしょう。
今後のテーマは、アートとカルチャーです。この二つには、この地域らしさ、アイデンティティを芽吹かせる力があるためです。西のフルーツガーデンをアートとカルチャーで彩りたいと思っています。
取材後記
筆者がこの場所を訪れるようになったのは、個人としてただただこの場所が好きだからだ。この場所がここまでに居心地がいいのは、リゾンさんの想い、こだわった食の拠点をビジネスとして成功に導くウィルさんの経営手腕、そして新しいことを学ぶふたりの貪欲さ、それを多くの人にそのまま教えるオープンな姿勢などがあってこそなのだと、取材を通して気付かされた。
最近、西のフルーツガーデンでは、青空の下コンサートも多く開催されている。今後もますます、豊かな時間を過ごすことのできる場所として、多くの人に愛されていくことだろう。
【参照サイト】Fruittuin van West公式サイト
Edited by Erika Tomiyama