※本記事は、「BETTER FOOD(ベターフード) VOL.3 エシカルフード最前線(バリ島)」掲載記事を、一部IDEAS FOR GOOD向けに編集したものです。
バリ島では、観光業の拡大とともに農地の減少が進み、食料自給率の低下や環境への影響が深刻化している。一方で、観光と農業が対立するのではなく、共存しながら持続可能な未来を築く道も模索されている。
前編では、観光収入を活用しながら農業の再生を目指す「アストゥンカラ・ウェイ」のリジェネラティブなツアーを紹介した。観光客にバリ島本来の姿を体験してもらいながら、地域コミュニティを支援し、農業と観光の新たな関係を築こうとしている。
後編では、彼らが取り組むリジェネラティブ農業の具体的な実践と、それがバリ島全体へどのような影響をもたらすのかを掘り下げる。「観光×農業」の新たな可能性を探るアストゥンカラ・ウェイのゼネラルディレクター、トンギー・ユウ氏に、バリ島の現状とリジェネラティブな未来への挑戦について話を聞いた。

アストゥンカラ・ウェイのゼネラルディレクター、トンギー・ユウ氏
バリ島を、リジェネラティブ農業の島としてのモデルケースに
Q. リジェネラティブ農業のプログラムについて詳しく教えてください。
私たちは、オランダを拠点とするリジェネラティブ農業の専門家であるreNatureと協力しています。reNatureは、リジェネラティブ農業の実践方法について具体的なアドバイスを提供する組織です。
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私たちの当初のアイデアは、「世界中からリジェネラティブな稲作の専門家を探し、チームを結成し、ここバリ島でリジェネラティブ農家を育成しよう」というものでした。その構想は実現し、昨年、私たちのチームの12名が、reNatureが紹介してくれた研究者チームから1年間にわたってトレーニングを受けることができました。
研修を終えた私たちは、少数の農家とともにリジェネラティブ農業の試験的なプログラムを開始し、現在ではその規模を大きく拡大しています。バリ島には「スバック」と呼ばれる地元の農家組合があり、私たちは現在8つのスバックと協力しながら、このプロジェクトを推進しています。
現在は主に米農家を支援していますが、地域ごとに異なる作物が栽培されています。例えば、野菜やカカオ、クローブなどがあり、私たちはそれぞれの作物ごとに専門チームを編成し、各地域のニーズに応じたリジェネラティブ農業の支援を提供する予定です。
これこそが、私たちのトレイルと農業のつながりです。私たちのツアーは、単なる観光体験ではなく、農業支援によって成り立っています。農業チームは、トレイル沿いのコミュニティに対するサービスプロバイダーとしての役割を果たし、地域ごとの課題に寄り添いながら、持続可能な農業の実践を支援しているのです。
例えば、隣のコミュニティが主に野菜を栽培している場合、「このコミュニティにどのようなサービスを提供できるだろうか?」と考えます。私たちは彼らと直接対話し、彼らから学びます。「どのような課題に直面していますか?市場の開拓、収量の向上、レストランやホテルが求める作物の理解など、どんなサポートが必要ですか?」と問いかけながら、より持続可能な農業の実践を後押しします。具体的には、堆肥作りやアグロフォレストリーといった技術を導入し、各地域の農業が環境と共生できる仕組みを築いていくのです。
これが、私たちの次の計画です。米農家への支援は、今後も長期的に私たちの活動の中心となりますが、並行して他の作物への拡大も視野に入れています。米の専門チームをさらに拡大し、その後に野菜、カカオといった作物ごとに専門チームを設けることで、より広範な支援を実現したいと考えています。
私たちの長期的な目標は、バリ島全体をリジェネラティブ農業の島へと移行させることです。その成功が農家にとっての新たな道を示し、他の島々や世界各地で再現可能な取り組みになると信じています。
「米の生産は石油に依存している」意外と知られていない事実
Q. 一般的に、バリ島で米はどのように栽培されているのでしょうか?
現在、世界の米の99%は化学肥料や農薬に依存しており、その多くは石油を原料とする化学製品です。一方で、世界人口の半数以上が米を主食としており、米は人類が最も多く消費する作物です。つまり、私たちの食生活は石油に大きく依存しているのです。
しかし、石油は今後ますます希少になり、その価格も上昇していきます。石油の生産量はすでにピークを迎えており、今後は減少する一方です。現在の推計では、石油の埋蔵量は2060〜2065年頃には枯渇するとされています。30年後には石油は非常に高価になり、農家が化学肥料や農薬を買えなくなる可能性が高いのです(※)。
つまり、30年以内に、米の生産を化学製品に頼らない方法に移行しなければなりません。もし移行できなければ、世界人口の半数が十分な米を手に入れられなくなる恐れがあります。食料不足が深刻化すれば、戦争や飢饉などの社会的混乱を引き起こす可能性もあるでしょう。さらに、米の消費量は年々増え続けており、特に人口が急増している国々ではその影響が顕著です。
この問題の深刻さを、多くの人に理解してもらう必要があります。なぜなら、米の生産が石油に依存していること、そしてその石油がいずれ枯渇することを、まだ多くの人が認識していないからです。だからこそ、持続可能な農業への移行は、単なる選択肢ではなく今すぐ取り組むべき課題なのです。

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リジェネラティブ農業は「自然の森の仕組み」からヒントを得たもの
Q. では、有機栽培に移行すれば良いということでしょうか?
有機農業とは、化学肥料や農薬を使わずに作物を育てる方法です。しかし、これが必ずしも持続可能とは限りません。その理由のひとつが「堆肥の問題」です。
例えば、有機農業を行う農場が、牛を飼育する別の牧場から堆肥を購入しているとします。堆肥の需要が高まると、牧場ではより多くの牛を飼う必要が出てきます。そして、その牛を飼うために新たな土地を確保するために森林が伐採されることがあります。つまり、見た目は有機農業でも、システム全体で見ると環境負荷を引き起こしている可能性があるのです。
さらに、有機認証の制度では、「その農場で化学肥料を使っていないか」はチェックされますが、堆肥や他の投入物がどこから来ているかまでは考慮されません。
実際、ほとんどの有機農業は実際には環境にとってマイナスであるという研究結果が出ています。また、有機農業のもう一つの課題は「収穫量の低さ」です。一般的に、有機農法では従来の農法に比べて30%ほど収穫量が少なくなります。収穫量を維持するためには、その分の農地を増やす必要がありますが、これがさらに森林伐採の拡大につながる可能性があります。実際、もし世界のすべての農業が有機農業に切り替わった場合、地球上に手つかずの森林は残らないという研究結果も出ています。つまり、「有機農業だけに頼ること」は、現実的な選択肢にはなり得ないのです。
では、どうすればいいのか。化学肥料や農薬に頼らず、なおかつ安定した収穫量を確保できる農業システムの構築です。彼らがヒントを得たのは、「自然の森の仕組み」でした。「外部からの投入物なしに、肥沃度が長期的に増加している場所はどこか?」という点です。答えは「森林」です。
森林では、誰かが肥料を与えなくても、土壌の肥沃度が自然に維持され、長期的に豊かな生態系が作られています。これが自然の仕組みです。原生林の複雑性と豊かさを見れば、このことが分かります。これらの場所が豊かな理由は、植物、動物、微生物が相互に作用する生態系のダイナミクスが促進され、長い年月をかけてより多くの生態系サービスが創出されるからです。そこで、世界中の研究者が「森林と同じ生態系サービスを構築することで、食糧を増産できるだろうか?」と問います。その答えがリジェネラティブ農業なのです。
Q. リジェネラティブ農業とは、具体的にどのような農法なのでしょう?
米作りの方法を比べてみましょう。あちらの田んぼは慣行農法で育てられたものです。見ての通り、稲だけが植えられています。一方、隣の田んぼには小さな網が張られ、アヒルの鳴き声が聞こえます。これがリジェネラティブ農業を取り入れた水田です。
この農法では、アヒルを田んぼに放つことで、自然の力を活かした米作りを行います。アヒルの糞は天然の肥料となり、土壌を豊かにします。稲の茎についた害虫をアヒルが食べることで、農薬を使わずに害虫駆除ができます。さらに、アヒルが水田を歩き回ることで水の栄養が循環し、雑草が育ちにくくなるため、除草の手間も必要ありません。田植え直後に、まだヒナの状態でアヒルを導入すれば、稲を踏みつけてしまう心配もなくなります。アヒルが産む卵を販売することで、農家の副収入にもつながります。
また、アゾラという浮き藻を水田に加えることで、窒素を自然に供給し、稲の成長を促すことができます。さらに、水田の周囲にマメ科の植物や花を植えることで、生態系全体のバランスが整います。花が昆虫を引き寄せ、それらの昆虫を餌とする天敵が増えることで、害虫の発生を抑えることができます。加えて、マメ科の植物の間にナスやトマト、唐辛子などの野菜を育てることで、農家の収入源を多様化することも可能です。
こうして生物多様性と複雑性を高め、水田を小さな生態系に変えるのです。その生態系では、もはや外部からの投入は必要ありません。なぜなら、森と同じように、その生態系自体が肥沃さを生み出すからです。
このリジェネラティブ農業を導入することで、収穫量が増え、作物が病気に強くなり、より持続可能な農業が実現できます。化学製品を使わないだけでなく、農場そのものが自立した生態系として機能する。このように、自然の力を活かして土壌の健康を保ち、環境負荷を抑えながら食料を生産することこそが、リジェネラティブ農業の本質なのです。
目標は2030年までにバリ島の水田10%をリジェネラティブ農業へ移行させること
Q. 現時点で、どれくらいの農家の方がアストゥンカラ・ウェイのリジェネラティブ農業プログラムに参加していますか?また、目標はありますか?
私たちは2023年にリジェネラティブ農法を学び、2024年の初めから農家の方々とその技術を共有し始めました。最初は13人の農家からスタートし、2024年8月現在では70人の農家と協力しています。参加する農家は毎月増えており、活動は徐々に広がっています。
農家の方々が実際に収穫量の増加や利益の向上を実感することで、導入の動きはさらに加速しています。例えば、米、アヒル、卵を組み合わせると、2サイクル目(約8か月後)には利益が87%も増加するというデータがあります。これはほぼ2倍の増加に相当し、大きなインパクトをもたらします。このような実績を示すことが、農家の意識を変えるうえで重要になっています。
それでも、農家の人々はまだ完全に私たちを信頼しているわけではありません。そのため、現在はすでにプログラムに参加している農家とともに、新しい地域の農家に働きかけるようにしています。私たちのチームがサポートはしますが、この取り組みは徐々に農家自身が主体となり、彼らが自らの経験をもとに他の農家に語りかける形へと変わりつつあります。私たちが「あなたがたの長年の農業のやり方を変えましょう」と言うよりも、同じ立場の農家が「30年間この方法で農業をしてきたが、新しいやり方を試してみたらとても良かった」と話すほうが、はるかに説得力があるのです。
私たちの取り組みはまだ始まったばかりですが、目標は2030年までにバリ島の水田の10%をリジェネラティブ農業へ移行させることです。これは約25,000人の農家と8,000ヘクタールの田んぼに相当します。バリ島の農家の10%がこの農法を導入すれば、他の農家も追随しやすくなり、持続的な変化を生み出すきっかけになると考えています。
研究によると、どのようなグループでも、約4%が新しい方法を採用すれば、それが徐々に広がり、他の人々にも波及していくことが分かっています。そのため、私たちの目標である10%は、リジェネラティブ農業をバリ島全体に広めるための確かな第一歩となるのです。
持続可能なサプライチェーンは「食糧安全保障」の観点で必要不可欠になる
Q. 最後に読者にメッセージはありますか?
近年、持続可能なサプライチェーンを目指す動きが活発化していると感じます。それはしばしば消費者や農家にとって良いこととして語られます。しかし、食糧安全保障の観点から必要であるという観点では十分に認知されていないと思います。
先に述べたように、米の99%は化学薬品を使って栽培されていますが、これらの化学製品の多くは石油を原料としており、近い将来、安定して供給されなくなる可能性があります。私にとって、それが最も重要な点です。私たちは農家や生態系、消費者のためにリジェネラティブ農業を推進していますが、実際には、そうせざるを得ないから行っているのです。こうした大局的な視点を伝えることはとても重要です。
私たちは今、1950年代に確立された食糧システムの終焉を迎えようとしています。現代の私たちは、それ以前の時代をほとんど知りません。しかし、80歳前後の人に聞けば「昔は今ほど食べ物が豊富ではなかった」と話すでしょう。そして、それは人類の歴史のほとんどにおいて常にそうであったことです。人々は、私たちがここ数十年で経験したような贅沢な食を享受していなかったのです。
今日、ヨーロッパではキウイフルーツが食べられますが、キウイフルーツはそこで育つものではありません。また、バリではいつでもアルゼンチン産のステーキを食べることができます。しかし、そういったものは終わりを迎えるでしょう。手頃な価格の化石燃料がもはや手に入らなくなれば、そのような食品を輸送するには費用がかかり過ぎるからです。
今、私たちの食糧システムは大きな転換期にあります。そして、私たちはその変化の一部になるべく行動しています。40〜50年後には、食糧システムは現在とは大きく異なっているでしょう。これは単なる流行ではありません。リジェネラティブオーガニックの食品は健康に良いから選ぶというものではなく、それはもはや科学に基づく必然なのです。私たちはもう化石燃料時代の終わりに差し掛かっているのですから。
※ 化石エネルギーの動向(資源エネルギー庁)
【参照サイト】Astungkara Way
食分野におけるサステナビリティの先行事例を紹介する不定期刊行誌〈ベターフード〉第三号の特集は「エシカルフード最前線(バリ島)」。編集部自らバリ島に3週間滞在し、現地のレストランやホテル、農家から村の司祭まで、注目すべき人々へインタビューを行った。風光明媚なビーチから、熱帯特有のエネルギー溢れるジャングルまで、バリ島にどっぷりと浸かりながら現地の熱気を詰め込んだ一冊。より良いフードシステムを創ろうと奮闘するバリの人々のリアルに迫る。
Edited by Erika Tomiyama