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先週、友人とお茶をしていたときのこと。「毎日、こんなにたくさんの情報を見ているのに、振り返ると何ひとつ覚えていない気がする」。彼女の言葉に、思わず深く頷いてしまった。
たしかに、いつも何かをしているのに、その「何か」が、自分の時間として残っていない──そんな感覚に襲われる瞬間が、私たちの生活には増えているように思う。気づけば、指先は常にスマートフォンの画面の上をさまよい、スクロールすれば、タイムラインにはAIの最新トレンドや「時間を効率よく使うためのTips」が次々と流れてくる。スマートウォッチは締め切りを知らせ、メールの返信文はAIが提案してくれる。私たちの毎日は、かつてないほど「効率的」に設計されているかのようである。
けれど本当に、私たちは時間を「得て」いるのだろうか。社会学者ハルトムート・ローザ氏は、近代社会を「加速社会」と呼ぶ。テクノロジーで時間を節約すればするほど、私たちはその余白にさらに多くのタスクを詰め込み、結果として「いつも時間がない」と感じてしまう。これは、現代社会が抱える矛盾である。AIがもたらす効率化も例外ではなく、むしろ便利になればなるほど、「自分の時間」という感覚は遠のいていくのである。
失われているのは時間の「量」だけではない。AIは私たちの時間の「質」そのものを変えている。つい先日発表されたMITの研究は、ChatGPTに頼って過ごした時間は、脳が深く関与しないため記憶に残らない「空虚な時間」になることを示唆した。効率化と引き換えに、私たちは自ら思考し、経験を血肉にするという、人間的な時間の過ごし方そのものを手放しているのかもしれない。研究者たちはこれを、「認知的負債(Cognitive Debt)」と呼んでいる。
さらに現代のデジタル資本主義では、「時間」そのものが新たな資本として扱われている。SNSや検索エンジンなどのITプラットフォームは、私たちの注意を1秒でも長く引きつけるよう設計され、ユーザーの視線や行動は、予測可能な「商品」として売買されていく。私たちが何気なくスクロールしているあの時間は、誰かにとっての「ビジネスチャンス」でもあるのだ。

Image via Shutterstock
そして、その背後にはもうひとつの時間が隠れている。私たちはChatGPTのような生成AIを「中立的で、倫理的な存在」として受け入れがちだ。しかし、AIが人間にとって「快適」であるためには、莫大な量のデータを必要とする。そのデータを作るのは多くの場合、グローバル・サウスの「クリックワーカー」と呼ばれる労働者たちである。彼らは時給数ドル以下の報酬で、私たちが目にしない無数の有害コンテンツ(たとえば暴力、性的虐待、ヘイトスピーチ)に向き合い、ひとつひとつに「これは有害」「これは非表示にすべき」とラベルを付けていくのだ。
私たちが「得たはず」の時間の裏側には、誰かが「差し出した」時間がある。グローバル・ノースの「快適な画面」の裏には、グローバル・サウスの誰かが地道で過酷な作業をしているという構図。それはまるで、形を変えた植民地主義的な搾取のようでもある。
もちろん、テクノロジーそのものが悪者だというわけではない。問題は、その便利さの裏にある犠牲やコストを、私たちが知らないままに消費してしまっていること。そして、私たちがどれだけの「時間」を差し出し、あるいは奪われているのかという実感を失ってしまっていることである。
だからこそ、いま必要なのは、時間の使い方だけでなく、その設計思想そのものを問い直すことではないだろうか。たとえば、ベルリンのシンクタンク「SUPERRR Lab」のように、利益や成長ではなく「ケア」や「共有財産(コモンズ)」を中心に据えたテクノロジーを探求する動きも始まっている。また、開発者のダリウス・カゼミ氏は、巨大プラットフォームではなく、「自分の家でパーティを開く」ような、人間サイズ(Human-scaled)のデジタル空間の可能性を示している。
時間を取り戻すというのは、ただ予定を減らして余白をつくることではない。それは、誰の時間を使って、誰の時間のうえに自分の暮らしが成り立っているのかを見つめ直すこと。そして、その時間をどう引き受けるかを、自分自身で選び取っていくことなのかもしれない。
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