聴覚障害のある人にとって、視覚や光、色といった情報は特別な意味を持つ。手話を読み取るために必要な視線の確保や、唇の動きを見分けやすい照明、遠くからでも認識できる色のコントラスト。これらは単なる“快適さ”ではなく、学びやコミュニケーションを成立させるための基盤だ。
しかし現実には、そうした条件が十分に満たされない教育環境が少なくない。イギリスでは近年、聴覚障害のある子どもたちのための専門学校が減少し、ここ数年で10校に1校が閉鎖された。現在残っているのはわずか22校。2019年には、英語と数学の学力が健聴の生徒に比べて17.5か月も遅れていると推定され、この「達成度ギャップ」が深刻な問題となっている(※1)。
こうした状況に挑んだのが、英国最大のろう学校「Heathlands School(ヒースランズ・スクール)」だ。2024年に完成した新校舎は、単なる施設の増築ではない。建築そのものを教育の支援装置と捉え、光や音、色、空気の流れといった五感に寄り添うことで、学びの前提条件を一から設計し直した。設計を担ったのはイギリスの設計会社・Manalo & Whiteと、聴覚障害のある建築家が率いるRichard Lyndon Design。聴覚障害のある建築家自身の視点を取り入れたことも、このプロジェクトの大きな特徴だ。
新校舎では、まず鮮やかな黄色の手すりが目に入る。植栽の間から浮かび上がるその色は、遠くからでも簡単に見分けられる。外壁の柔らかな緑と窓枠の黄色のコントラストは、弱視(※眼鏡やコンタクトレンズなどをしても、視力が十分に出ない状態)の生徒にとってもわかりやすく、同時に現代的で遊び心のあるデザインを生み出している。

Image via Manalo & White
内部は、視線が途切れないことが最優先にされた。一般的な廊下はあえてなくし、代わりに広い階段や半屋外のリンクスペースで教室同士を結んだ。広い空間で手話が制限されることなく交わされ、自然な交流が生まれる。

Image via Manalo & White
教室は馬蹄形に机を並べられる広さが確保され、誰もが互いの顔や手の動きを見やすいようになっている。内装は肌のトーンがもっとも認識しやすい柔らかな青で統一された。

Image via Manalo & White
音と光への配慮も徹底されている。各教室には、静かに稼働する自然換気・熱回収システムを設置。窓を開けずに換気できるため、補聴器や人工内耳にとって負担となる雑音を遮断できる。東向きの大きな窓と屋根窓は、自然光をたっぷり取り入れつつ、逆光やまぶしさを抑え、読唇に最適な明るさを保つ。
この校舎は2階建てで、6つの教室と屋外学習スペースを備える。施工費は85万ポンドと決して潤沢ではなかったが、効率的な設計によってろう教育の新しい基準を打ち立てたとして、RIBA JournalのMacEwen Award 2025にノミネートされている(※2)。
重要なのは、この建物が聴覚障害のある人々のためだけの特別仕様ではないということだ。まぶしさを抑えた光の設計や、雑音を避ける静かな換気、視線が通る動線は、誰にとっても使いやすさを高める工夫になる。共同校長のリーブス・コスティ氏はManalo & Whiteのリリースにて、「耳の聞こえにくい子どもがどれほどいるか、あるいは大人になってから聴力を失う人がどれほどいるかを考えれば、建物にこうした自然な工夫を取り入れることがいかに重要かがわかります」
と強調する。
世界ではすでに、視覚障害のある子どもに寄り添ったインドの学校建築や、日本でのインクルーシブな住宅づくりなど、同様の動きが広がりつつある。ヒースランズ・スクールの新校舎は、その大きな潮流の一部であり、教育における「場の正義」を示すものだ。
教育格差を埋めるために必要なのは、最新のデジタル機器だけではない。子どもたちが「見える」「伝えられる」「静かに学べる」──そんな当たり前を建築が支えられるということを、ヒースランズの新校舎が証明している。
※1 Building study: Manalo & White’s new block at a school for deaf children
※2 Introducing the MacEwen Award 2025 shortlist
【参照サイト】Heathlands School
【参照サイト】Building study: Manalo & White’s new block at a school for deaf children
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