「成功」した華々しい成果だけが評価され、「失敗」については語られない。
これは多くの領域に共通する傾向であり、科学研究の世界もその例に漏れない。しかし、その光の当たらない「失敗」にこそ、未来の大きな進歩へのカギが隠されているとしたらどうだろうか。いま、ある学術誌がこの問題に正面から向き合おうとしている。
科学の世界には、長らく「出版バイアス」と呼ばれる偏りが存在した(※1,2)。これは、仮説を証明できた統計的に有意な「ポジティブな結果」を持つ論文は出版されやすい一方で、仮説を証明できなかった「ネガティブな結果(null results)」は論文として出版されにくいという傾向のことだ。研究者自身が「有意な結果が出なかった」と投稿を諦めてしまったり、学術誌側がよりインパクトのある論文を好んだりすることが原因とされる。
このバイアスは、研究コミュニティ全体にとって大きな損失を生む。
例えば、ある研究チームが試みてうまくいかなかったアプローチを、別のチームが知らずに再び時間と資金を投じて繰り返してしまう、といった重複研究の原因となるのだ。 また、ポジティブな結果ばかりが共有されることで、特定の理論や治療法が過大評価される危険性も指摘されている。
このような課題に対し、大手学術出版社シュプリンガー・ネイチャーが発行するオープンアクセスジャーナル『Discover』誌シリーズは、ネガティブな結果を積極的に掲載する方針を打ち出した。同誌は、研究の結論がポジティブかネガティブかではなく、その方法論が科学的に妥当で、倫理基準を満たしているかどうかを評価の主軸に置く(※3)。
この取り組みの背景には、ネガティブな結果の価値を再認識する動きがある。シュプリンガー・ネイチャーが11,000人以上の研究者を対象に行った調査では、98%がネガティブな結果を共有することの価値を認め、実に研究者の53%が主にネガティブな結果しか得られなかった研究プロジェクトの経験があると回答した(※3)。仮説が証明されなかったという結果そのものが、新たな仮説の構築や研究手法の改善につながる重要な科学的知見なのだ。
『Discover』誌の挑戦は、単に未発表の論文を救済するだけではない。それは、何が「価値ある研究」なのかという科学界の評価基準そのものを問い直し、より透明で健全な研究エコシステムを構築しようとする試みだ。
一つの「失敗」を共有することが、未来の誰かの大きな成功へとつながる。科学の進歩とは、本来そうした知見のオープンな積み重ねの上に成り立つものだろう。
※1 出版バイアス publication bias
※2 出版バイアスとはどんな意味?原因や理由、そして問題点も整理する!
※3 The value of null results: How Discover champions inclusive science
【参照サイト】The value of null results: How Discover champions inclusive science
【参照サイト】The state of null results