2021年3月で、東日本大震災から10年。この間、“復興”を目指したさまざまな支援政策が行われ、県外への避難者数は約47万人から4万人、仮設住宅の入居戸数も約12万4千戸から1千戸に減少した(※1)。しかしながら、実際は復興を感じられていない人が現在でも多く、いまだ6割以上の被災者が「被災者意識」を持っているという(※2)。
そんな人々の「心の復興」という課題が残る中、今回焦点を当てるのが「福島のお母さんたち」だ。2019年に行われた朝日新聞の世論調査によると、程度の差はあるが、福島に住む人たちのおよそ6割が「放射性物質が自身や家族へ与える影響を不安に感じる」と回答している(※3)。
原発事故の影響に不安を抱いているけれど、そうした想いを素直に打ち明けられない。そんな福島のお母さんたちと子どもたちに安心できる空間を提供しているのが、京都を拠点に活動する『ミンナソラノシタ』(以下、ミナソラ)だ。ミナソラの代表的な活動の一つ「幼稚園留学」では、福島の母子を京都の幼稚園に招待し、3週間滞在することができる機会を提供している。
「不安なとき、素直に不安だと言える社会にしたい」そう語るのは、ミナソラの代表・林リエさん。今回は林さんに、幼稚園留学のことや京都で活動を続ける理由、活動への想い、これからの挑戦について伺った。
話し手:林 リエさん
京都府在住。3児の母で会社員。着物が大好きで高校生の頃から着付けをしており、着装師としても活動。ミンナソラノシタ代表の他、地元の向日市の子ども宅食の理事も務める。「恩送り」と「出来ることは最善を尽くして生きていく」をモットーに、日々走り回っている。
※1 復興庁 東日本大震災からの復興の状況と取組
※2 NHK 9年たっても復興しない~被災者2000人の「復興カレンダー」
※3 朝日新聞デジタル 世論調査―質問と回答〈福島県、2月23、24日実施〉
「福島の子どもたちが思いっきり遊べるように」。京都で始まった幼稚園留学
Q. ミナソラの主な活動である「幼稚園留学」について教えてください。
2012年、当時自分の息子が通っていた幼稚園の取り組みで、京都の幼稚園連盟の先生たちが福島の幼稚園を視察しました。そこで見られたのは、幼稚園の先生たちが除染作業をし、子どもたちは外遊びもできないといった現実。そんな状況を知り、京都の幼稚園で何かできることはないだろうかと考える中で、我が子が通っていた幼稚園の提案で「幼稚園留学」がスタートしました。
2017年からはミナソラが主体となり行っている幼稚園留学。2011年の原発事故により未だ残るホットスポットへの不安から、自然体験や外遊びの機会が減少してしまった福島の母子を京都に招待し、約3週間地元の幼稚園に通ってもらう取り組みです。目的は、3週間の京都滞在で福島のお母さんと子どもたちに、心身ともにリフレッシュしてもらうこと。留学中、子どもたちは園庭でのびのびと遊び、どんぐり拾いや芋掘りなど、心ゆくまで自然に触れる体験ができます。一方、お母さんたちは放射能の心配事から離れ、ゆったりした気持ちで子どもとの時間を楽しむことができます。
しかし時が経つにつれ、世の中は復興ムード。「せっかく復興してきているのに、今再び放射性物質の問題を持ち出すことで、また風評被害が起こるのではないか」と心配に思う人も多く、そんな雰囲気の中で「子どもを幼稚園留学に参加させたい」と言い出せないお母さんもいます。自分のパートナーや義父母が、放射線物質のリスクについて異なる価値観を抱いていることもあるでしょう。そんな場合でも、幼稚園留学の参加を切り出しやすいように──現状の傷ついた心身を癒すというニュアンスが出てしまう「保養」ではなくあえて「留学」という言葉を選びました。
「神経質なお母さん」で片づけられるのが悔しかった
Q. 福島と縁もゆかりもなかった林さんが、ミナソラを立ち上げたきっかけは何だったのでしょうか?
関西の人にとって、福島は距離もありますし、私も幼稚園の取り組みで福島を知ろうと思わなければ、放射性物質の問題にも無関心のままだったのだろうなと思います。
縁あってこうして福島の人たちと関わるようになり、お母さんたちが「不安を抱えていても他人に言えない」つらさを抱えているのを見て、とても他人事には思えなくなりました。さまざまな情報が錯綜し、何を信じればいいのか分からない中、子どもを想い、放射性物質の影響を心配しているお母さんたち。それなのに「放射脳」という言葉を使って「神経質なお母さん」と揶揄されたり、指をさされたりする。なかには「復興のためにみんなが頑張っているのに、まだ放射能がどうこうと文句をつけて足を引っ張るのか」と悪者のように言われてしまっている人も……そんなお母さんたちのしんどそうな姿を見るのが悔しかったんです。
原発の問題を継続して応援できる仕組みをつくりたい──そんな想いで始めたミナソラの活動。今では継続的に幼稚園留学を行うだけでなく、勉強会や講演会を開催したり、幼稚園で使えるグッズの販売を行ったりもしています。
Q. 大変なことも多くあると思いますが、どのような想いで活動を続けているのでしょうか?
放射線の問題って、実は誰にでも関係のあることだと思うんです。添加物を例にとって考えてみましょう。身の回りの食品や日用品などの多くには添加物が入っていますが、皆さんもなんとなく「添加剤フリー」「無添加」と表記されたもののほうが体にやさしそうだなという感覚はお持ちなのではないでしょうか。また、添加物に過敏に反応してしまう体質の人もいれば、体調がすぐれないときだけ敏感に反応する人もいます。あるいは、添加物の影響を感じることがない人もいるでしょう。「これくらいまでなら大丈夫、これ以上はアウト」というように、それぞれが持っている基準は違うのではないでしょうか。
放射線物質に関しても、同様のことが言えると思うんです。学校の授業やニュースなどで見知った知識から、「放射線をたくさん浴びると体に良くないのだろうな」ということは皆さんなんとなく分かっていると思います。ですが、そのリスクや影響をどう捉えるかは人によって違うはず。「リスクは避けたいな」「万が一のことを考えたいな」と思うのは、自分や大事な人のことを想っているからこそのことですよね。だからこそ、安全性の基準が人よりも高い人が「あなたが神経質なだけだ」と言われてしまうのは理不尽だと感じましたし、同じ子を持つ親としてなんとかしたいと思ったんです。
また、日本中には現在も50基を超える原発があります。いつかまた10年前の福島での原発事故のようなことが起きてしまうかもしれません。専門家の間でも原発事故による放射性物質に関する意見が違っている状態ですから、どの情報を信じればいいか分からなくなるのも仕方がないことだとは思います。ですが、子を持つ親であり、未来の世代に幸せになってほしいと願う人間の一人として「よく分からないけど大丈夫だろう」「何とかなるだろう」で片づけずに、分からないからこそ行動したいと思うんです。リスクから逃げずに、考えることを放棄せずに自分の足で動いてみる、そうした姿を見せることが未来の世代のためになるのではないかと思っています。
Q. 活動を行う中で気を付けていることや意識していることはありますか?
「こういう活動をしたい」という想いを積極的に口に出すことです。講演会などのイベントに参加するたびに口に出していたら徐々に共感してくれる人が増え、「一緒にやりたい」と声をかけてくれる人が少しずつ出てきました。
そしてもう一つ大事にしているのが「YESともNOとも決めつけない」こと。マザーテレサが反戦運動にはいかなかったけれど、平和運動には積極的に参加したように、ミナソラは「原発YES・NO」という会ではないですし、どこの政党ともつながらないというスタンスで活動しています。知る一歩、知ったことで緩やかに連帯していく、お母さんたちによるボランティアの会として頑張っているからこそ、応援してくださる人が増えたのではないかな、と思っています。
あと福島には、賠償金をもらっている人とそうでない人、避難して戻ってきた人、ずっとそこにいる人、復興のために働いている人など色々な立場の人がいるため、一致団結しにくい状況も生まれていると感じています。そんな中で、第三者だからこそ、福島の人たちをつなぐ役割も担えたらいいなと思いながら活動しています。
幼稚園留学が福島のお母さんたちを支える「心のお守り」に。
Q. これまでの活動の中で嬉しかったことや印象に残っていることはなんでしょうか?
参加者の一人が言ってくださった「心のお守りをもらえた」という言葉です。その方は、「幼稚園留学に参加して、同じ悩みや葛藤を持ったお母さんたちや遠くから応援してくれているママがいると分かっただけでも“心のお守り”をもらったような感覚になった。御縁というお守りを心の支えにして福島での子育てをがんばっていきたい。」と伝えてくれました。
そのお母さんは、福島から他の地域へ避難した後、戻ってきて心に折り合いをつけながら生活しようと思っていたけれど、周囲では「原発事故はもう終わったこと」という雰囲気が流れ、なかなか自分の不安な気持ちを話せず息苦しかったそうです。そんなときに幼稚園留学のチラシを見て参加を決めてくれました。「少なくとも自分は皆さんの善意に救われた一人です」とも言ってくださって、私も心のお守りをもらえたような気持ちになりました。
もう一つ嬉しかったのが、福島の人に言われた、「福島のために支援を行う団体が少なくなってきている中、京都のみなさんが福島のことを忘れずにいてくださって、心の支えになっています」という言葉です。そういう言葉を聞くと、小さい団体だけど続けていきたいなと思います。また2019年には、ミナソラの福島支部が福島のお母さんたちの手で立ち上がるなど、少しずつ輪は広がっていて、活動を継続する難しさを感じながらも、その素晴らしさを噛みしめています。
友達になることで自分事化される。原発の問題を風化させないための一歩
Q. 震災からもうすぐ10年。年々福島の原発事故のことが話題になることも少なくなってきた中で、事故のこと、放射線の問題を風化させないために必要なことはなんでしょうか?
幼稚園留学を通して目指していることでもあるのですが、「友達になる」ことが大事だと思っています。実際に、福島の子どもたちと交流して仲良くなった京都の幼稚園の子どもたちは、テレビで福島に関するニュースが流れるたびに、「○○ちゃんがいるところで何があったの~?」と親に聞くそうです。友達がいる地域の問題は他人事には思えなくなると思います。そういう意味でも、福島の人と友達になることで、遠くにいる友達の持つ悩みにも寄り添えるようになるのではないかと感じています。
また来年で震災から10年を迎えるにあたり、このまま何もなかったように過ごすのはいやだなと思い、新たなプロジェクトを企画しました。これまで3月11日に「震災から~年だな」と思いながらも何をすればいいか分からずにいた人と福島をつなぐ「スマイルボタン3.11プロジェクト(※4)」です。協賛企業の3月11日当日の売り上げの一部がミナソラへの寄付になるほか、店頭で寄付ができる仕組みもつくります。さらに、福島のことを知ることができるZoomでのオンラインイベントなども開催予定です。
その店を訪れたひとが数百円からでも寄付できる仕組みづくりや、現地の状況を伝える手紙「福島からのラブレター」などの取り組みを通して、福島に愛を届けることができればいいなと思っています。そういったムーブメントを毎年起こすことで、風化させないようにしたいです。
※4 ミナソラでは、2021年1月11日からクラウドファンディングを開始予定。詳細は、スマイルボタン3.11プロジェクトの特設サイトをご覧ください。
心配なことを心配と言えることが本当の復興へのはじめの一歩
Q. これからの目標や次にチャレンジしたいことなどがあれば教えてください。
スマイルボタン3.11プロジェクトをまず大成功させ、10年後には全国、全世界でこのムーブメントが起こっていればいいなと思います。幼稚園留学の輪も広がり、放射性物質を気にせずに心身ともにリフレッシュできる場を増やしたいです。たまたま私が京都に住んでいるので今は京都で行っていますが、できればノウハウをもっと多くの地域にも広げ、他の地域でもできればいいですね。
京都は福島から距離が遠いのもありますし、3週間自宅を空けてくるのはなかなかの覚悟が必要になるので、誰でも気軽に参加できる訳ではありません。福島県内あるいは福島周辺の県にもっと近くて線量が低いところで、お母さんたちが子どもたちに自由に自然体験させられるような場所があればいいなと思っています。そんな「ミンナソラノシタ子どもの家」という場所もつくっていきたいです。
今でも、放射線の影響を心配し、福島に住んでいるけれど本当は住むことに不安を抱いている人がいて、そういった人たちが非難されることがあります。初めは私もそういう人たちに対して、「なんで避難しないのか?」と疑問を持っていました。しかし、福島に行ってお母さんたちと話していると、旦那さんの仕事のことだったり、家の住宅ローンのことだったり、学校の問題だったり、さまざまな要因がある中で避難することが簡単なことではないと気付かされました。「残っているからと言って放射線の影響を気にしていないわけではないんだ」という友達の言葉も印象的でした。「神経質な人たち」という見られ方をされなくなり、心配なことを心配と言えることが本当の復興へのはじめの一歩なんじゃないかと思っています。
また、風評被害ではなく実害としてさまざまな問題があるのは事実ですし、局所的に高い放射線量が計測されるホットスポットの点在だったり、原発の廃炉や放射性廃棄物の問題だったり、多くの問題が10年経っても解決されていません。そんな中、どうしたら少しでもいい社会に変容できるか考える続けることは、これからの未来を担っていく子どもたちのためにも大切なことではないでしょうか。福島をみんなで見つめながらそれを考えていきたいなと思っています。
Q. 読者へのメッセージをお願いします。
ミナソラを立ち上げ、活動していくなかで、平和は自分たちの手で作り上げていかないと続かない、ということを学びました。社会課題は山ほどあって、「こんな日本で、世界で嫌だなあ」と悲しい気持ちになることもありますが、目の前にあることを必死に行動していった結果、今のこのミナソラがあるので、皆さんにも今置かれている場所で出来ることを行動に移してほしいです。
私は、子どもを授かり地域で子育てするまで、自分一人で生きているような感覚でいました。ですが、地域の活動を始めたことで、本当に多くの人がサポートがあるからこそ、自分が今の生活をできているんだと感じました。道端で落ち葉を掃く人を含め、さまざまな人がいて世の中が成り立っていると知ることができたし、賃金をもらうことの大変さやありがたさなど、ボランティア活動をすることで自分の価値観や感覚が養われた思っています。正社員として働いている人もそうでない人も、是非、自分が少しでも興味のある活動に挑戦してみてもらえたら嬉しいです。
編集後記
取材当日、美しい着物姿で登場した林さん。日本の伝統衣装を身にまとった「しなやかさ」を連想させる雰囲気とは打って変わり、取材が始まるやいなやとても熱く、パワフルに話をしてくださった。そんな林さんだが、幼稚園留学に参加したあるお母さんについて話すときは少し涙ぐみ、言葉に詰まる様子を見せた。遠く離れた人のことを想って怒ったり、喜んだり……自分の感情に真っ直ぐに、毎日を全力で生きているその姿に刺激をもらった。
「自分の命は生かされていると感じています。あと何年こうやって動けるか誰も分からないので、明日死んでも後悔しないように今日できることをする。常に恩送りをしたいと思って生きています。」
たった一時間の取材だったが、林さんがまさにこの言葉通りに生きていることが伝わってくる。そんな時間だった。
最後に、一つ心に残った言葉で締めくくりたい。林さんが福島のお母さんたちに言われた、「私たちは原発事故が起きてから今まで、ずっとコロナ禍で生きている感じ」という言葉。コロナも放射性物質や添加物と同じで、一人ひとりにとっての安全の基準が違う。Go Toキャンペーンで他県に行く人がいれば、外食もダメという考えの人もいる。コロナに対する考え方や行動の個人差は、福島の放射性物質とも重なるようだ。確かに、コロナ禍で私たちは、福島の人たちの生活を少しだけでも想像しやすくなったのかもしれない。
自分と違う考えを持つ人をすぐに拒否してしまうのではなく、一度話を聞いてみる。今私たちが生きているコロナのある世界でそんな空気が広がり、林さんが目指す「素直に心配を心配と言える社会」に近づくといいなと心から願う。
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