Z世代と考える、原子力発電と日本のエネルギー問題【Green Innovator Academy 福島原発フィールドワークレポート】

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朝起きて、充電されたスマホの画面で時間を確認する。暖房をつけたらお湯を沸かしてコーヒーを入れ、電子レンジで朝食をあたためる。

私たちが空気のように日々使い、今やあらゆる仕事や生活を営むために欠かせないものとなっている、エネルギー。地球温暖化に伴う気候変動への対応策として、CO2排出を削減する「脱炭素」が世界的に要請される今、このエネルギーの作り方や使い方をより持続可能なものへ転換させることが、最重要課題として求められている。

火力発電

image via shutterstock

2021年10月末から11月にかけて開催されたCOP26では、欧州が脱石炭火力発電の方向に動きを強め、日本は引き続き火力発電への対応を迫られている。いかに環境の側面に配慮しながら、国内のエネルギー需要を賄っていくのか。これは、昨今ますます難しい問題となっている。

エネルギー問題に限らず、プラスチック問題や格差など、社会のあらゆる側面で根本的な変革が求められている今。より良い社会を作るために何より必要なのは、自らが社会の“変化”となり、将来の日本を担っていく「イノベーター」なのではないか。この考えから始まったのが、未来世代をこれからの社会に必要な「グリーンイノベーター」に育成することを目的とした短期集中プログラム「Green Innovator Academy(以下、GIA)」だ。

プログラムでは、応募者の中から選抜された100名の学生たちが、オンライン講座や現地フィールドワークを通し、半年間かけて気候変動やエネルギーを取り巻く世界情勢、産業構造などをさまざまな角度から学び、リーダーシップやセクターを越えた協働に必要な能力を習得していく。プログラムには、ビジョンに共感する企業数社の社会人も参加し、共に学びを深めていく。

そんなGIAのプログラムのひとつとして2021年11月に行われたのが、東日本大震災、そして原発の事故現場である福島でのフィールドワークだ。脱炭素社会への移行を議論する際に避けては通れない、原子力発電との向き合い方。原発事故が起こった国の国民の一員として、参加者たちは福島第一原子力発電所や帰還困難区域などを訪れ、エネルギー問題について真剣に考え、議論した。

3.11から2021年でちょうど10年となる福島。現地へ訪れた学生や社会人たちは、何を見て、どう感じたのか。フィールドワークの様子を振り返りながら、原子力発電、そしてこれからの日本のエネルギー問題について、考えていきたい。

Green  Innovator Academyが、学生と社会人を福島に連れていく理由

GIAが福島でのフィールドワークをプログラムに組み込んでいるのは、将来世代が脱炭素社会を実現しようとする時に、原子力発電についてきちんと学び、実際の現場を自分の目で見たうえで意見を持つことが欠かせないと考えているからだ。

プログラムを主催する一般社団法人Green innovationの代表理事である菅原聡氏は、福島へ向かうバスの中で学生たちにこう語りかける。

GIAイメージ画像

Green Innovator Academy キャッチコピー

「3.11の事故後は、原発のマイナス面ばかりがクローズアップされがちです。一方で、これまで福島の地元の人と原発は共生してきた歴史もあります。世界を矮小化し、原発を批判するのは簡単だけれど、それは未来のイノベーターのすることではない。悪者探しをするのではなく、歴史をきちんと学んだうえで、日本のエネルギー問題について考えて欲しい」

参加者たちは今回のフィールドワークに備え、原発についての事前学習を行った。たとえば、視聴課題であった高校1年生3人が原発の賛成派と反対派の橋渡しを目的に制作したドキュメンタリー映画「日本一大きいやかんの話」。彼らが行った国内外の原発関係者へのインタビューを通して、原発の歴史から仕組み、福島の事故の原因から現状、核の廃棄物に至るまで、包括的に学ぶことができる作品だ。

また、資源エネルギー庁原子力政策課の中谷絵里氏からは、「カーボンニュートラルに向けた原子力イノベーション」と題し、次世代の原子力発電技術の開発状況や、今後世界各国が原発の利用に対してどのようなスタンスを持っているのかなどを学んだ。

福島へ向かう途中、今回のフィールドワークに期待することを聞くと、印象的な答えをくれた学生がいた。

「小学生のころから、原発には理屈で反対してきました。でも、事故の現場を知らずにそう言っている自分に、どこか後ろめたさのようなものがありました。だからこそ、今回は現場を見ることができるとても貴重な機会だと思っています」

フィールドワークの様子

フィールドワークでは、津波の被害を受けた浪江町の請戸地区や、現在も帰還困難区域となっている双葉町、そして原発事故の起こった福島第一原子力発電所などを2日間かけてめぐった。ここからは、その様子の一部を学生の声と共にお届けする。

津波の被害を受けた請戸地区、東日本大震災・原子力災害伝承館

フィールドワークで最初に訪れたのが、太平洋沿岸部に位置し、3.11で津波の壊滅的な被害を受けた浪江町の請戸地区だ。人口1,800人近くの集落だったこの場所を、あの日15メートル近い津波が襲い、地区全体の建造物はほぼ全壊、150人以上が亡くなった。また、福島第一原子力発電所より10キロメートル圏内に位置しているため、2017年まで避難指示が出されていた。

請戸地区の防潮林

2年程前まではあたり一帯に瓦礫が山のように積まれていたというが、それも今ではほとんど片付けられ、以前6メートルだった請戸地区の防潮堤は7メートルに建設されている。防波堤の内側には小高い台地がいくつも作られ、そこには成長すると津波の速度を弱める役割を果たす「海岸防災林」の苗木が、何十本と植えられていた。

この広大な大地にぽつりと建っているのが、2020年9月にオープンしたばかりの「東日本大震災・原子力災害伝承館(以下、伝承館)」だ。東日本大震災や津波に伴う原子力災害を後世に伝えることを目的として作られ、原発が作られた時代から3.11の原発事故、そして現在の復興への道のりまでが、データや模型を用いてまとめられている。

伝承館外観

東日本大震災・原子力災害伝承館外観

展示の一部には、震災が起こる前の地域住民の生活を表すさまざまな物品があり、ある学生は震災前に福島の子どもが書いた作文が印象に残ったと話してくれた。

「そこにあったのは、“原発は地域を豊かにしてくれたもの”という価値観でした。これまでボランティアで福島に訪れた際には、被災した方々から原発に対するマイナスの感情や意見を直接聞くことが多かったので、同じ原発でも見る視点によって感じ方や捉え方が全く違ってくるのだなと感じたのです」

伝承館館内

東日本大震災・原子力災害伝承館内部の様子

福島第一原子力発電所が運転を開始したのは、1971年。1955年以降、石炭から石油に資源エネルギーが移り変わるにつれ、当時の福島の基幹産業であった炭鉱は次々と閉鎖されていった。仕事がなくなり、過疎化していた福島へ持ち上がった、原発誘致の計画。もちろん、当時から原発反対の運動はあった。しかし、原発誘致に伴う補助金などにより地域は潤い、国道や小中学校、公共施設などが次々と建設されるなど、町は目に見えて豊かになっていった。以来、原発の危険性は常に感じながらも、福島は原発と共存共栄してきた歴史を持つ。

帰還困難区域、双葉町と夜ノ森地区

続いて訪れたのは、双葉町。福島第一原子力発電所があり、ほぼ全域が現在も帰還困難区域となっている町だ。ここには、10年が経った今も住民は誰一人帰ることができず、震災後から放置された建物が残されている。震災の翌日、3月12日に避難した住民たちは、みな数日で自宅に戻れるのだろうと思い、最低限の荷物だけを持って逃げていったのだという。

双葉町の様子

双葉町の民家の様子。軒先が手前に傾いている。

かつて商店街だった通りを歩くと、10年の時を経て劣化し、今にも崩れ落ちそうな家や商店が数えきれないほど並んでいた。10年前のあの日まで毎日誰かが使っていたであろう車や自転車が、家の中にまで入り込んだ植物の合間から見える。時が止まっているかのような町の様子を見て、思わず「うわあ……」と声を漏らし、「この家、どうやって建っているの?」などと話す学生たち。この町の様子は、原発事故が一度起きるとどのようなことになるかを、参加者たちにまざまざと感じさせたようだった。

「自分は、もう少し復興は進んでいるのかと思っていました。福島をずっと見ている人からすると復興は進んでいるのだと思いますが、双葉町や夜ノ森のように人が戻っていない場所がたくさんあったり、災害時の建物もそのまま残ったりしているのを見ると、正直、本当に10年も経ったのかな?と思ってしまいました」

双葉町の薬局の様子

「原子力発電を推進する必要性は、科学的根拠をベースに主張されることが多いですが、それに関するリスクに関しては、人の価値観やローカルな視点まで取り込んで考える必要があるということを、現地の生々しい被害状況を見聞きして感じました」

2日目には、桜をシンボルに発展してきた富岡町の夜ノ森地区にも足を運んだ。桜の名所として有名だったこの地域もまた、福島第一原子力発電所から20キロメートル圏内に位置する警戒区域であるため全町避難指示が出され、今は人が住んでいない。徐々に帰還に向けた準備は進んでいるが、現在もバリケードが張られる区画には立ち入ることができない。

夜の森地区

富岡町の夜ノ森地区の様子。バリケードの向こう側は立ち入り禁止となっている。

双葉町は2022年の春に住民の帰還開始を、富岡町は2023年の春に復興拠点の避難指示解除を目指している。しかし、2020年に行われた双葉町の住民調査では、町に「戻りたい」と答えた人は10.8%、「戻らない」と答えた人は62.1%であった。復興に長い時間を要する原発事故が一度起こると、町をもとに戻すのがいかに難しいかということがわかる。

また、国の除染実施計画に基づく面的除染は2018年で終了したが、除染が終了しても、取り除いた汚染土をどうするかという新たな問題も生まれている。

福島県内に入った行きのバスでは、除染作業で取り除かれた汚染土を、福島県内の仮置き場から、同じく福島県内の中間貯蔵施設に運ぶ何台もの軽トラックとすれ違った。汚染土はインフラ事業や農業に使用される予定もあるというが、その最終的な処理方法は未だ決まっていない。

福島第一原子力発電所、東京電力廃炉資料館

福島第一原子力発電所の見学では、学生たちは廃炉作業が進む構内を周り、原発構内で働く人から事故当時の対応や廃炉事業の進み具合などの話を聞いた。筆者は、2018年に開館した原発事故の反省と教訓や廃炉作業の現状などを紹介する「東京電力廃炉資料館」を見学した。

廃炉資料館では、原発事故の詳細や、東京電力が行う原発廃炉事業の具体的な進み具合などが紹介されていた。とりわけ、2021年に2年後を目処に海洋放出することが発表された「ALPS処理水」については、映像資料も交えて丁寧な説明を受けた。

ALPS処理水とは、原発事故により発生した燃料デブリ(※1)を冷却した汚染水を、「多核種除去設備(通称ALPS)」と呼ばれる除去設備で浄化した水のことだ。ALPSでは、汚染水からトリチウム以外の62種類の放射性物質を、国の安全基準を満たすまで取り除くことができる。

トリチウムを取り除くことができないと聞くと、人体や海洋への影響が心配になるかもしれない。しかし、このトリチウムは水素とほぼ同じ性質を持ち、自然界や水道水、私たちの体内にも存在する物質だ。さらに東京電力は、ALPS処理水を海洋放出する際には国が定める規制基準値の40分の1の濃度に薄める予定であるため、極度に心配する必要はないという。

※1.原発事故により発生し、現在も原子炉の内部に残る、溶けて固まった核燃料のこと。

福島第一原子力発電所貯水タンク

出典:東京電力ホールディングス

廃炉作業が着々と進む原発構内を実際に見学したり、そこで働く人たちの話を聞いたりしたことで、原発へのイメージや見方が変わったと話してくれた学生は多かった。

「福島に来る前は、原発はかなり悲惨な状態なのではと思っていましたし、放射線や汚染水についても、知識がない状態で聞いた時はとても怖いものだと感じていました。でも、実際に原発の近くに行ってみて、そこで働く人たちの真摯な姿勢を見たことで原発への印象が変わりました。また、丁寧な説明をしてくださったことで、海洋放出する処理水も安全なんだということがわかりました」

一方で、少し異なる視点から、原発に対する鋭い意見を述べた学生もいた。

「原発の構内で働いている作業員の方は軽装でしたし、一部を除いて線量系もそんなに高い数値を示すことはなく、廃炉作業が着々と進んでいるんだということが実感できました。東電をはじめ、たくさんの企業の方々が原発を安全に使っていくために挑戦しているのも、すごくよくわかりました。

ただ、原発は事故の始まりのただ一点であるということも言えると思います。原発に向かうバスが林の中を抜ける時には、どんどん放射線量が上がっていき、最初は原発に近づくから線量が上がって行っているのかな、と思っていました。でも、原発構内に入ったとたん、一気に数値は下がった。これは、森林の中は原則除染していないからだと知りました。それを見て、前日に見てきた帰還困難区域などの意味や重さも、同時に感じていました」

日本が抱えるエネルギー問題の難しさ

現地に足を運ぶことで実感できた、原発事故の大きさ重さ、そして復興の難しさ。地震や津波などの災害が多い日本という国での原子力発電には、3.11のような事故のリスクが伴う。

さらに、そういった事故が起こらずとも、原子力発電を行えば必ず排出される核の廃棄処理の問題もある。現在は、それらを青森県六ヶ所村の貯蔵施設で数十年間冷却したのちに地下深くの地層中へ埋める計画となっているが、安全になるまでおよそ10万年かかると言われている核の廃棄物への対応を、将来世代に委ねることには変わりない。

経済産業省が2021年7月に示した第6次エネルギー基本計画の素案によると、国は原子力発電の電力供給の割合を、2030年に20〜22%と原発事故以前の水準近くに戻していくことを目指している。これだけの事故やリスクがあるものを、なぜ使い続けなければいけないのか。ここに、日本のエネルギー供給の難しさがある。

島国で、且つ天然資源も少ない日本は、国内でのエネルギー自給率が13%と、先進国の中では非常に低い。私たちが日々使うエネルギーには、安定的な供給に加え、経済性や環境適合性、安全などのさまざまな側面を満たすことが求められる。これを「エネルギー安全保障」と呼び、国として経済や国民の生活を守るために取り組んでいかなければいけないのである。

しかし、現在国内の電力供給の7割近くを占めるのは、石炭や石油を燃やす火力発電であり、使用する燃料の大部分は海外から輸入している。もし仮に燃料の供給が途絶えれば、日本は電力を作ることができなくなり、すべての経済活動や生活がストップしてしまう。また、海外の情勢が悪化し燃料の価格が上がれば、それに伴って電力の値段も高騰する恐れがある。

再生可能エネルギーはというと、昨今精力的に導入が進められてはいるものの、土地の限られる日本では、太陽光パネルや風力タービンを設置できる場所の限界もある。また、これは日本に限ったことではないが、季節や天候などによる出力発電の変動が大きい再生可能エネルギーのみに電力供給の大部分を頼ることは現在の技術では難しく、さまざまな発電方法のエネルギーを組み合わせて供給する「エネルギーミックス」が原則必要となる。

一方で、原子力発電に使われる濃縮ウランは一度核分裂を起こすと1年間使い続けることができ、少量の資源で大量の電気を安定的に生み出せる。火力発電の比率を減らしながら再エネ比率を増加させていくためには、原子力発電からの電力供給も、一定の割合必要なのである。

原子力発電には、大きなリスクが伴う。しかし、原発なしでは、国内で必要とされるエネルギー需要を安定的に満たすことができない。エネルギー供給のために、原発を簡単に脱するのがいかに難しいかがわかるだろう。

世界を見てみても、気候変動への対応が加速するにつれ、発電時にCO2をほとんど排出しない原子力発電への評価は再び高まっており、今後原発の使用は世界的に増加していく見通しとなっている。

各国の原発利用状況資料

World Nuclear Association ホームページ(2017/8/1)より資源エネルギー庁作成

ドイツ、ベルギー、スイス、韓国、台湾といった国々は将来的な脱原発を宣言しているが、米国やフランス、中国などは、現在、将来共に原発を使用予定、また中東の国々や南アジアの発展途上国なども、将来的に原発を建設していく予定だ。それに伴い、従来の大型原子炉に比べ、より建設コストやリスクの低い「小型モジュール炉(SMR)」の開発も、世界各国で進められている。2022年初頭には、持続可能な経済活動を分類する制度であるEUタクソノミーにおいても、原子力発電を「グリーン」な投資に分類することが検討されはじめた。

このように、エネルギー供給の難しさを知ったうえで原子力発電とどう向き合っていくのかを考えると、より大きな視点から議論を行うことができる。学生たちにそういったことを気づかせるのが、今回のフィールドワークの目的でもあった。

参加者たちが学んだのは、多面的に物事を考える重要性

1日目の夜に行われたワークショップでは、フィールドワークで感じたことや考えたことを共有し合い、福島の復興やエネルギー問題について、真剣に考える参加者たちの姿があった。とりわけ、エネルギー問題を通して、物事を多面的に見る必要性について強く感じていた学生は多かった。

「エネルギー問題は、知れば知るほど難しい。でも、いろんな立場の人の意見を聞いて、今やっと議論ができるスタート地点に立てたと感じている」

「まずは事実を知ることが大事だと感じた。物事は多面的で、何事にも2面3面、もしかしたら4面あるかもしれない。限られた情報だけで自分のスタンスを決めるのはとても危険だと思う」

「自分の力で調べるだけだと、どうしても自分の欲しい情報ばかりを集めてしまうということに、現地を見たりそこにいる人の話を聞いたりしたことで気づいた」

ワークショップの様子

ワークショップの様子。学生と社会人の垣根を超えて、対話を行っていた。

また、震災当時福島の原発で作っていた電気を使っていたのは、福島の人たちではなく、東京をはじめとした関東圏内で生活する人々だったということも忘れてはいけない。これについても、学生たちは福島に来る前と意識が変わったと話してくれた。

「事故当時、福島の原発で作っていた電気のおかげで東京で暮らす私たちの生活は支えられていて、それによって被害を受けたのは福島の人たちだった。誰が悪いわけでもないからこそ、どこに怒りをぶつけたらいいかわからないという人も大勢いると思うし、福島で作られた電気を使っていた私たちにも責任があるんだな、と思いました」

学生の後ろ姿

「原発で働く人の話全体を聞いていて感じたのは、原発事故は、自分たちの身近で起きたものだということです。これまでは、福島の事故はどこか遠くで起こったものとして捉えてしまっていました。でも、自分たちが東京で使っていた電力も原発から供給されていたと考えると、簡単に事故が起こったことを非難することはできないと思いました」

最後に、今回のフィールドワークの感想や、これからどんな社会を実現していきたいかを聞くと、たった2日間の短い間ではあったが、その中でも大きな成長が感じられたと答えた学生や社会人が多くいた。

「自分が取り組む環境問題に関しても、これからはひとりよがりではなく、現実的で、本当の意味でみんなが心から目指したいと思えう社会を目指していきたいなと強く思いました」

「福島へ来る前は、原発にはただ“怖い”というイメージしか持っていませんでしたが、フィールドワークに参加してみて、原発は生活の一部であるということがわかりました。だから、これからは原発をただ悪いものだと批判するのではなく、きちんとわかったうえで、どう対処していくのかを考えたいですね。賛成派と反対派、両方の意見を聞きながら、現地に来た者として自分の考えを世の中に発信していきたいなと思います」

「原発で働いている人にもその人たちの生活があるし、そこにかけるプライドがあることもわかりました。今回は原発だったけれど、どんな場所にもそういった当事者がいるという意識を強く持って、研究や議論に取り組んでいきたいと思います。自分の価値観を絶対だと思いすぎずに、議論していきたいですね」

ワークショップの様子

編集後記

今回フィールドワークに同行した筆者自身も、一部の学生たちと同じく、原発に対しては“怖い”というイメージが先行してしまう部分があった。実際に原発事故のリスクは今回目にしたように非常に大きいものであるし、被害を受けた人々の気持ちは想像しきれない部分があると思う。しかし同時に、命を賭けて人々のために原発で働いていた人たちや、今も廃炉作業に従事している人たちがいることも知り、その人たちへの敬意が足りなかったとも感じたのである。

原発を使い続けるべきなのか、脱すべきなのか。この記事ではその答えを提示することはできない。しかし、エネルギー問題は一部の人たちに任せておけば良いものではなく、どんな人も“自分ごと”として考えなければいけないということだけは、確実に言えるのではないか。本記事を読んだ人には、ぜひ実際に福島へ足を運んでみたり、主体的に原子力発電や日本のエネルギー問題について調べてみたりしてみて欲しい。

また、議論をする際には、自分とは意見や立場の異なる人の話を聞く姿勢、そして知ったうえで対話することが必要だという学びは、エネルギー問題に限らず、すべての社会課題についても言えることだ。

「Be the change」──自らが社会の“変化”になる。

請戸地区を歩く参加者たち

フィールドワークを通してエネルギー問題について考える一歩を踏み出した次世代のリーダーたちが、この先どんな未来を作っていくのか。IDEAS FOR GOODでは引き続き、彼らを応援していきたい。

今回、IDEAS FOR GOODでは福島の様子や学生たちの声を、映像でも記録した。記事では伝えきれない現地の空気感や彼ら生の様子を、動画でぜひ感じてみて欲しい。

【Z世代が訪れる福島第一原発と帰還困難区域のイマ。彼らが描く未来とは?】

【関連サイト】Green Innovator Academy
【参照サイト】一般社団法人Green innovation
【参照サイト】第6次エネルギー基本計画
【参照サイト】東日本大震災・原子力災害伝承館(公式サイト)
【参照サイト】東京電力廃炉資料館
【参照サイト】日本一大きいやかんの話(Youtube)
【参照サイト】経済産業省 資源エネルギー庁

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