日本が誇る、伝統的なものづくり産業が危機に陥っている──。
ものづくりの原点ともいえる伝統的工芸品産業の潮流は、バブル期を境に激減の一途をたどっている。主な原因として、低価格の海外製品やファスト・ファッション/ファスト・ファニチャーの台頭に加え、日本人のライフスタイル、消費環境の変化などが挙げられるだろう。
「伝統的工芸品」は、経済産業大臣の指定を受けた工芸品を意味する。指定の要件には、100年以上の歴史を有し、今日まで継続している伝統的な技術・技法により製造されるものであることや、一定の地域においてある程度の数の者がその製造を行い、又はその製造に従事しているものであることなどがあり、伝統産業を衰退させないためにも「新たなマーケットの開拓」や「後継者の育成」が課題となっている。
今回紹介する「あいくし」は、2021年4月、福島県・会津で誕生した世界初の3Dカーブを持つ櫛(くし)。なぜ会津なのか、どのようにして伝統工芸とヘアケアアイテムが結びついたのか。あいくし誕生に携わってきたヘアスタイリスト、傳礼央那さんから興味深い話を聞かせてもらった。
話者プロフィール:傳礼央那(でん・れおな)
東京都・石神井公園のヘアサロン「REMILIO(レミリオ)」オーナー。Y.S.PARK青山店でヘアスタイリストとして活躍した後、単身でNYへ向かう。トップモデルらのヘアメイクを担当しつつ、世界最先端のファッションや美容を学び帰国。未来へ続く真の意味でのヘアファッションの浸透は「子どもたちにホンモノを知ってもらうこと」という考えから、ファミリー世帯の多い練馬区で開業を決めた。
きっかけは、東日本大震災の復興支援
Q. 福島県出身ではないのに、なぜ会津のものづくりに参加を?
傳さん:きっかけは、「ふくしまみらいチャレンジプロジェクト」という被災地復興支援に参加したことでした。その時にお会いした企業が、会津若松市にある「株式会社サンブライト」という、金属切削加工を専門とする会社だったんです。
ちょうどその頃、サンブライトは自社製品の開発を検討している最中で、ある社員から「櫛はどうですか?」というアイデアが出たことから、美容師である僕に相談がありました。
話を進めるうちに同社の社長からの、「今あるものではなく、これから可能性のある新しいものをつくりたい」という熱い意見がきっかけで、これまで僕が温めていた「過去に類のない形状の櫛」を提案してみたのです。それを社長も気に入ってくださり、「あいくし」のプロジェクトがスタートしました。
Q. サンブライトは金属加工会社ですが、なぜ自社製品をつくりたいと思ったのでしょうか。
傳さん:実は、サンブライトは東日本大震災が起きるまでは、福島第一原子力発電所の1号機から4号機の所在地・大熊町にありました。その後、原発事故の影響で移転を余儀なくされますが、工場を含む施設の建設となるとなかなか話が進まなかったそうです。そんな危機的状況のなか、手を差し伸べてくれたのが現在の所在地である福島県会津若松市だったと聞きました。
震災による移転から現在まで事業を継続できたことへの恩返しとして、「会津が誇る高度なものづくり技術と、今までにないこれからのものづくりを、会津から発信することで未来へつなげていきたい」という社長の想いから、オリジナルの自社製品をつくる話が立ち上がったのです。
温故知新をカタチに
Q. あいくしは立体的な2つのカーブを持つ、珍しい形状の櫛ですね。
傳さん:そうなんです。ヒトの頭は丸いのに櫛は真っすぐなものばかり。それって不思議に思いませんか?そこで櫛歯やフレームにカーブを付けることと、頭皮に当たる櫛先部分にもカーブを付けることで、立体的な湾曲を生み出しました。これこそが、頭にフィットする最高の櫛だと思ったからです。
このフォルムのアイデアは、僕がニューヨークで修行をしていた頃からイメージしていたものです。「世界中で櫛の種類は山ほどあるのに、どうして頭にフィットする形はないんだろう」という素朴な疑問を当時から抱いていました。それと同時に、「いつかこういう櫛と出会えたらいいなぁ」と、漠然とした願望もありました。まさか自分が櫛の開発に関わるとは思いませんでしたが、今回、その願いが叶いました。
Q. ヘアスタイリストのアイデアと、ものづくりの町の職人たち、そして金属加工会社の技術のトリプルコラボ、ということですね。
傳さん:まさにその通りです。僕のアイデアだけでは決して実現できませんでした。サンブライトとの出会いがあったからこそですし、会津という古くからものづくりの町として発展してきた地域だからこそ、実用性だけでなく伝統技術という価値を乗せた究極の逸品が完成したのです。
櫛と聞くと、柘植(つげ)や柞(いす)、みねばり(別名、オノオレカンバ)などが有名です。しかし木材よりも軽くて丈夫な「マグネシウム合金」を使うことで、より長く愛用できます。
マグネシウムは地球上で6番目に豊富な金属であり、リサイクルが可能。それなりに金額もかかるため櫛の素材としては贅沢ですが、後世まで使用できるメリットがあります。さらにサンブライトは極めて高度な加工技術を持っているため、0.01ミリの精度で仕上げられるんです。櫛が肌に触れる最端部の丸みなど、精密機器製造のノウハウの賜物といえますね。
そしてこのプロジェクトは、なんといっても「Made in 会津」がモットー。そこで、古くから漆の産地で有名な会津を代表する「会津塗」で仕上げようと考えました。漆は酸やアルカリ、塩分、アルコールに耐性があるだけでなく、防水性や防腐性にも優れています。なによりも静電気が起きにくいため、櫛にはもってこいの塗料なんですよ。
Q. 「会津由来」は櫛だけではないと聞きました。
傳さん:あいくしは、会津のものづくり企業チーム「AID_U(エイドユー)」の取り組みです。会津の伝統工芸は漆器のほかに、織物、焼物、木材加工品、ロウ細工などがあり、これらの多くが宮内庁御用達・皇室献上品なんです。
そこで、「会津木綿」であいくしを包み、「会津桐」の箱へ収めて届けるのはどうだろうかと。実用性だけでなく、見た目の美しさと手触りは贈り物としても最適ですから。
木綿はハンカチやランチョンマットとして、そして桐箱には蝶番が付いているため、時計やアクセサリーの保管ケースとして利用できます。リユースを前提に設計・製作しているので、単なる包装用ではありません。櫛を買ったら会津の一流工芸品まで付いてくるなんて、ちょっと嬉しくなりませんか?(笑)
あいくしのサステナブルな取り組み
Q. 地域密着型のプロジェクトにするために、どのような工夫をしましたか?
傳さん:商品が売れて、プロジェクトに関わる企業だけが満足するのでは先が見えます。持続可能なプロジェクトにするためにも、まずは地元への貢献を優先しようと考え、その第一弾として2021年の7月に、会津の医療従事者の方々へオーガニックゆずジュースをお届けしました。
また、地域密着を実現すべく、あいくしプロジェクトのロゴを地元の小学生たちに公募しました。あいくし「蒔絵モデル」に同梱されている、小冊子の表紙にも使わせてもらっています。たくさんの作品を見てつくづく思いましたが、子どもが描くものってすべてがアートなんですよね。
Q. SDGsにおける17の目標のうち、8項目をクリアしていると聞きました。
傳さん:SDGsありきではなく、計画を進めていくうちに「あれ?これって当てはまるんじゃない?」という感じで、書き出してみると8項目に該当していました。小難しいこと抜きにメンバーのアイデアをまとめたところ、SDGsが掲げる目標と一致していたんですね。
「持続可能な開発目標」と言うと、とても難しく聞こえますが、伝統文化・産業を守ること、職人さんたちを衰退させないこと、今までにないアイデアや商品を生み出すこと、地域全体で盛り上げていくこと、などを分解していくと、SDGsって「目の前の課題を解決する方法」のことを言っているんです。きっと世界のあらゆる課題の解決方法にも通じているんだろうなと思いました。しかもその結果として「あいくし」という最高の櫛ができたわけで、利益度外視で嬉しい限りです。
編集後記/ヒントは日常にある
筆者も初めて「あいくし」を手に取り自らの頭へ当てた時、櫛歯すべてが頭皮に触れるという不思議な感覚を味わった。前後左右どの方向へずらしても、頭皮にピッタリフィットして離れない。なぜ今まで頭皮にフィットする櫛は存在しなかったのだろう──。今思えば不思議だ。
この立体的なカーブを完成させるのに100本を超えるサンプルをつくり、傳さん自身の直観的な感覚で、櫛歯の角度や湾曲の微調整をくり返したのだそう。
そして2年の月日をかけて完成した「あいくし」。2年という期間が長いか短いかは別として、美容師歴20年を超える傳さんが常日頃から感じていた「素朴な疑問」こそが、数字では表せないフィット感を生み出したといえる。
日本人の美しい髪にさらなる輝きを与えるためにも、そして日本が誇る精密機器製造レベルの高さと伝統工芸職人のプライドを体感してもらうためにも、「あいくし」が多くの人々の頭皮に触れ、髪の毛を梳かすことを期待する。
【参照サイト】Aikushi あいくし
Edited by Kimika
寄稿者プロフィール:浦辺里香(うらべ・りか)
大学時代、雀荘のアルバイトに精を出しすぎて留年。社会人になり企業という狭いハコに辟易した頃、たまたま社労士試験に合格し独立。現在はライターと社労士を生業とする。ブラジリアン柔術紫帯。クレー射撃元日本代表。■ URABEを覗く時、URABEもまた、こちらを覗いている。■ SNS:Twitter / Instagram / Facebook