2021年6月、ロンドンのキングスクロス駅付近にThe Mills Fabricaが誕生した。古き良き外装の建物の中は、色とりどりのモダンな家具や最新のプロダクトが並び、そこで働く人だけでなく、偶然通りかった人までもが行き交う。
1階にはカフェとショップが併設され、上層階は会員制のオフィスエリア・ラボエリアだ。一見何のための建物かわかりにくいこの場所は、いま世界中でサステナブルな事業を手がける人々の新しいハブになろうとしている。
香港で生まれたThe Mills Fabrica。彼ら・彼女らはいままでどのような活動をしてきたのか。またロンドンでどのようなコミュニティを作ろうとしているのか。ロンドンの拠点を担当するエイミーさんにお話を聞いた。
話者プロフィール:エイミー・ツァン(Amy Tsang)
シニア・オペレーション・マネージャー。パートナーとの関係の構築と管理から、スタートアップとのミーティング、スペースの管理、業界やコミュニティ向けのイベントの開催まで、会社の英国拠点のサポートを行う。
香港の古い紡績工場が、イノベーション施設へ
The Mills Fabricaにファッションやテキスタイル系の事業を手がけるメンバーが多いことには、その歴史が関係している。The Mills Fabricaの親会社であるNan Fungグループは、1950年代に香港で紡績工場として設立され、1950年代から60年代にかけて、香港で綿紡績業者を所有していた。その時代、香港の繊維産業はGDPの30%を占め、主要産業の一つとして数えられていた。
しかしその後、他のアジア諸国でのアパレル産業が栄え、香港はその競争力を失っていく。そして、Nan Fungグループも2008年には香港の紡績工場を閉鎖することに。Nan Fungグループ創設者の孫娘であるヴァネッサ・チャン(Vanessa Cheung)は、古い紡績工場と倉庫をなんとか新しい用途で活用しようと考えたそうだ。ヴァネッサ・チャンは古い繊維工場を、イノベーションのための新しいセンターに変えるよう家族に説得。そうして香港にThe Millsが誕生することになった。
スタートアップを支援するための「三つの柱」
アジア屈指の金融都市である香港。The Millsはそうした経済的基盤に加え、技術革新が生まれることが香港社会をさらに活気づけると考え、アパレル業界を中心とするスタートアップ企業の支援に踏み切った。
The Millsは様々な交流の中で新たなテクノロジーを生み出すべく、下記の「三つの柱」を掲げている。
- CHAT (Centre for Heritage, Arts and Textile)…芸術と文化、知識の伝達に焦点を当てたギャラリースペース
- The Mills Shopfloor…体験型および実験型の小売を専門とするブティックショッピングモール
- The Mills Fabrica…実際にスタートアップ企業をビジネスインキュベーター・投資ファンド・コミュニティ構築などで支援
三つそれぞれの機能を担保するための空間が用意されているのがThe Millsの特徴だ。
香港で実際に生まれたコラボレーション
The Millsでは、ラボ会員である個人や企業間のコラボレーションはもちろん、そうではない一般の人々が参加できるイベントやワークショップやイベントも実施されている。一つの事例は、HKRITA、H&M Foundation、Novetex、Innovation and Technology Commissionとのコラボレーションだ。
The Millsの体験型小売モールには「G2Gシステム」と呼ばれる機械が設置されている。これは古くなった衣服を衣服へ織り直すものだ。損傷したり、着用しなくなったりした古い衣類を一般の人々が持ち込むと、そのマシンを使って衣類の繊維を分解し、新品に変えることができる。
そこを訪れた人は実際にその機械を使用し、自分の古い服からできた新しい衣類を家に持ち帰ることができる。このワークショップは企業と一般の人がThe Millsの設備を使って交流をした印象的なケースだったとエイミーさんは話す。
ロンドンへの進出
香港で様々なイノベーションの機会を生み出してきたThe Millsは、スタートアップ企業のサステナブル事業を支援する「The Mills Fabrica」の初国外拠点をロンドンに設立した。香港でThe Millsが強みとしてきたファッションやアパレル関連の企業はもちろん、食、テック、コンサル、広告、メディアなど、様々な企業がコミュニティに参加している。
香港で実績を築いたThe Millsは、これからロンドンでどのように活動を拡大していこうとしているのか。設立の経緯から今後の展望までを詳しく伺った。
Q. なぜ香港に次ぐ拠点としてロンドン、その中でもキングスクロスのエリアを選んだのでしょうか。
ロンドンを選んだのは、この都市が持つ素晴らしいテクノロジーが大きな理由ですね。ロンドンからは非常に多くの革新的なアイデアが生まれており、起業家精神にあふれた場所でもあります。また、キングスクロスのエリアには、「ナレッジ・クォーター」と呼ばれているものが存在します。これは、世界で最も優れた知識クラスターの一つです。ナレッジ・クォーターには、大英図書館、大英博物館、Google、ウェルカムトラスト、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン、ロンドン芸術大学などが含まれています。素晴らしい隣人たちとのコラボレーションが見込めるということもこの地区を選んだ大きな理由です。
Q. 新型コロナ禍でイノベーションを生み出すようなコミュニティの一部はオンラインに移行しているという状況があると思います。人が集まることが難しい時期に、The Mills Fabricaという物理的な拠点をオープンした理由を教えてください。
自発的なコミュニケーションが生まれることが、イノベーションによって非常に大きなことだからです。物理的なコワーキングスペースで作業することの主な利点の一つは、ずばり「交流」「ネットワーク」だと思います。自宅で働いていると、すぐ隣に座っている人と突発的に会話が始まることはありませんよね。特にスタートアップなど、小さな組織で活動している場合、自分のチームだけでできることは限られています。だから私たちは、コラボレーションが生まれやすい空間を用意することにしました。
Q. The Mills Fabricaにはオフィスだけではなく、ラボやショップなどもありますよね。
そうなんです。ラボエリアでは実際にミシンで裁縫をしたり、3Dプリンターでプロトタイプを作ったりすることができます。そして、そこで完成した商品はグランドフロアのショップで展示・販売することができます。つまり、実験をして、コラボレーションをして、生まれた商品を世の中に送り出すところまでが、The Mills Fabrica内で完結するようになっているのです。そして、ショップではお客さんが店に入って歩き回り、最初から最後まで商品が出来上がるまでのプロセス全体を見ることができます。
Q. The Mills Fabricaの内装も非常に印象的です。インテリアデザインには、どのようなこだわりがありますか?
サステナブルなイノベーターの後押しをする組織であるからには、空間もサステナブルな素材でできるようこだわる必要があると思っていました。そして同時に、それがパッと目を引くデザインであることも重視しましたね。
Q. 最後に、The Mills Fabricaの今後の展望を教えてください。
当分は、他の拠点への進出は考えておらず、香港とロンドンに集中していこうと思っています。それら二拠点で企業をサポートし続け、持続可能性のためのイノベーションを加速し、世界のパートナーとの関係を深め、スタートアップコミュニティも成長させることが私たちの目的です。ロンドンでは、まず新型コロナの状況でしばらく休止していたイベントやワークショップを主催し、スタートアップの学びの場を作っていきたいと思います。
編集後記
時代が変わると、産業の存在意義も変わっていく。ファッション業界はいままで多くの人々に「楽しみ」「自己表現の手段」「快適性」などの悦楽を与えてきた一方で、現在では業界全体が生み出す環境負荷の大きさが注目されるようになり、「二番目に汚染された産業」と名指しされるようにもなった。いまのファッション業界は、これまでと変わらず人々に情緒的な楽しみを与え続けなければいけないのと同時に、本質的なサステナビリティを更新し続けなければならないという、非常に難しい局面に立たされている。
The Millsもそうした時代の流れの中で、変革を迫られた企業の一つだ。彼らの取り組みで印象的なのは、その変革のプロセスを自社で完結させようとせず、外へと開いていったことだった。大小問わない他企業とのコラボレーションが、香港そしてロンドンのイノベーションのシーンを盛り上げようとしている。The Mills Fabricaで生まれたアイデアがこれからどのように実装されていくのか、さらに国際的な動きも生まれていくのか、引き続き注目していきたい。
【参照サイト】The Mills
【参照サイト】The Mills Fabrica London