渋谷や原宿、表参道。そして日本全国のまちで毎日緑のビブスを着て、ごみを拾っている集団がいる。ごみ拾いボランティアNPOの「greenbird(グリーンバード)」だ。
2002年から「きれいな街は、人の心もきれいにする」をコンセプトに、いつ誰でも気軽に参加できるごみ拾いを行なってきたgreenbird。当初は5人で表参道をきれいにするだけだった清掃活動が、今では地域を超えて、日本全国、そしてフランスのパリやタイのバンコクなどの海外も含め約70チームにまで広がっている。
そんな同団体は、今年活動20周年を迎える。IDEAS FOR GOODでは、現在の理事長を務める福田圭祐さんに加え、同団体の初代理事長であり、今は「渋谷区長」として活躍する長谷部健さん、そして二代目理事長で、今は「港区議員」としてまちづくりに関わる横尾俊成さんが一堂に会する鼎談を取材した。
歴代理事長の観点から、今この活動はどう見えているのだろうか。20年の歴史を振り返る。
話者:長谷部健(はせべ・けん)
greenbird初代理事長(2002年〜2010年)。1972年生まれ。株式会社博報堂を退職後、2002年にNPO法人green birdを原宿表参道に設立。以後、日本各地にチームを展開。2003年に渋谷区議会議員に初当選。3期連続当選後、2015年渋谷区長に当選。現在に至る。
話者:横尾俊成(よこお・としなり)
greenbird二代目理事長(2010年〜2019年)。1981年生まれ。株式会社博報堂を退職後、2010年にNPO法人green birdへ参画。以後、代表となり国内だけでなく海外にもチームを展開。2011年に港区議会議員に初当選後、3期連続当選。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。博士(政策・メディア)。
話者:福田圭祐(ふくだ・けいすけ)
greenbird三代目理事長(2019年〜現在)。1990年生まれ。株式会社アサツーディケイを退職後、2016年にNPO法人green birdへ参画。副代表を経て、2019年に3代目の代表に就任。タピオカ専用BOXやラグビーW杯でのごみ袋プロジェクト、海洋プラスチックごみ問題に取り組むアップサイクル事業や子供向け環境イベントなど、アイディアや知見を活かし、団体の新たな可能性に挑戦中。
ポイ捨てはカッコ悪く。ごみ拾いはカッコよく。
greenbirdは、若者のカルチャーが生まれる原宿・表参道で始まった。当時議員を目指していた長谷部さんが表参道商店街の活動の一環で、朝の掃除をしてみようと考えたのだ。
朝の表参道は心地がいい。5人ほどで集まり、45リットルのごみ袋を20袋以上。2時間かけて丁寧にごみを拾った。しかし次の日に来てみると、また道がごみで溢れかえっていたという。
そんなことが何日も続いたときに、長谷部さんが考案したのが、まちに「ポイ捨てしづらい空気を作る」ことだ。ごみ拾いをする人たちを目立たせ、「自分が汚したまちを、きれいにしようとする誰がかすぐ近くにいる」という状況を作るために、普段はスポーツの試合などでしか身につけないようなビブス(=ゼッケン)を身に着けるようになったのだ。
そこから、まちには度々、緑色の若い集団が現れるようになった。ネット検索で、知り合いからの口コミで、会社の課外活動の一環で、さまざまな人がごみ拾いに参加し始めたのである。
当時は広告業界に勤めていた横尾さんや、高校生(当時は最年少)だった福田さんも、このときgreenbirdに出会っていた。ボランティアに参加した経験を、福田さんはこう語る。
「僕の場合、大学の推薦入試を受けようと思ったのですが、応募の際に『ボランティア経験』の欄に書けることがなかったんです。だからネットで『東京 ごみ拾い』と検索し、上から3番目くらいに出てきたのがgreenbird。かなり不純な動機から参加することを決めました。
いざ当日参加してみたら、普段はそういった活動に参加しなそうな人たちが、一斉にごみを拾っている姿が面白くて。1時間ほどでパッと解散するところも潔く、かっこいいなと。そこから関わり続けて15年。まさか自分が、このNPOの代表になるとは思いませんでした」
greenbirdの価値は「社会課題の敷居を下げる」から「居場所」に
Q. 理事長として活動されていたときのテーマを、それぞれ教えてください。
長谷部さん:活動の入門編というのでしょうか。原宿・表参道のまちを綺麗にするために、まずは社会貢献の敷居を下げることを意識していました。
「2・2・6の法則」というものがあります。2割がすでに日頃から清掃活動などに取り組んでいる層、次の2割はまず興味がなくネガティブな感情を持っている層、最後の6割が、興味はあるけれどやったことがない層。私たちがアプローチしたのは、最後の6割の人たちでした。実際に集まってくるのも、特別環境意識が高いわけではない人たちだったんです。
また、ごみ拾いを通じた「アナログな出会い」の場作りも意識していました。ごみ袋は、参加者1人につき1枚。燃えるごみ、燃えないごみの担当を決めて、参加している人同士で助け合うことが、コミュニケーションツールになっていました。
横尾さん:私のテーマは、創始者の長谷部さんだったらどう考えるか?を念頭に置きながら、どんどんチームを広げること。代表になった当時は全部で40チームでしたが、そこからさまざまな地域に活動が広がっていき、全国で100チームを目指す、という目標もできました。
また、英国の雑誌メディア『MONOCLE』に取材されたことをきっかけに、greenbirdの活動が海を渡っていったのもこのときです。パリをはじめとして、今ではさまざまな国でごみ拾いのチームができています。
参考:【欧州通信#04】より 「なぜ?」と疑問を持ってもらうことで、パリ市民の「ポイ捨て文化」を変える
福田さん:横尾さんから理事長の役割を引き継ぐときには、「これまでのコピーはせず、自分がやりたいことをしてくれ」と言われました。僕は、創業当初からのミッションは踏襲しつつも、あえて組織を縮小して本当にコアなメンバーだけで再スタートしたり、まちのごみに対する新しいアプローチを身につけていったりすることをテーマとしています。
タピオカが大流行していた頃、多くのタピオカ容器が街中にポイ捨てされ溢れかえっていました。解決策は拾うことではなく、正しく捨てさせようと。そこで、捨てたくなる仕掛けを考案し、タピオカ容器を模試したゴミ箱を原宿に設置しました。映えを意識し、SNSを中心に若い世代での拡散を狙ったのです。
また、2019年に行われたラグビーワールドカップでは、試合後に会場のごみを拾うのではなく、「ごみを拾う人がいないスタジアムを作ろう」と、こちらも捨てたくなる仕掛けを考案し、ラグビーボールを模したごみ袋を会場で配布し、観客たちが楽しみながら一緒に取り組めるようにしました。
横尾さん:側から見ていると、圭祐(福田さん)が理事長になってからの時代では、ファッションブランドとコラボしたり、本人が雑誌に載ったりしてるのがユニークだなと思います。彼自身がおしゃれ好きだし、クリエイティブの才能があるのがまた、良いなと。
Q. この20年間で、拾うごみや、参加者との関わりなど、どのような変化がありましたか?
長谷部さん:捨てられるごみの内容は、実は時代が変わってもあまり変わりません。表参道に落ちているタバコはメンソールが多いだとか、新橋は飲食店で提供される爪楊枝が多いとか、そういった地域ごとの違いはありましたが。
しかし、この20年間活動していて、日本全国にコミュニティができたことは何よりの価値だと思っています。NPOの活動自体は、お金にはなるものではないのですが、もし自分の身に何かあっても、それぞれの地域にいる誰かしらが泊めてくれて、ご飯を食べさせてくれて。そういったことって、大事なのではないかと。
福田さん:そうですね。自分のいるまちをちょっと綺麗にすることがコミュニケーションの機会となり、いつの間にか、学校でも部活でも職場でもない、第三の居場所になっていると感じます。実際、greenbirdの活動で出会い、結婚したカップルもいました。
全国に濃いつながりができたことで、2011年の東日本大震災や、2018年の西日本豪雨といった非常時でも、現地の人と連携してすぐにボランティアが動き出すことができました。20年間にわたって、多くの人にとっての居場所が増えたからこそできることだと思います。
「多様性」を学ぶ場ととしてのグリーンバード
Q. ごみ拾いという誰もが気軽に参加できる体験だからこそ、職業や年齢などの立場を超えて参加でき、普段会えない人とも会えるのですね。
福田さん:はい。僕たちの活動は、基本いつ、誰が参加しても良いものです。今はコロナで事前登録が必要になっていますが、基本的には当日集合場所に行くまで、誰が来ているかもわかりませんし、一度参加したら続けてなくてはいけない、というルールもありません。
これまで色んな人とごみを拾ってきましたが、今までで一番印象に残っているのは、全盲の方とごみ拾いした時です。ごみ拾いは誰にでもできるアクション。彼女がその言葉の定義を広げてくれました。
福田さん:頭や運動神経の良し悪し、仕事の立場など、ごみ拾いに関しては何も関係ありません。みんなが同じ立ち位置、フラットな関係です。そういった意味でgreenbirdは、今のように色々な企業や自治体が「多様性(ダイバーシティ)」をとなえる前からずっと、無意識に多様性を体現していたのかもしれません。
Q. 20年間、活動を続けることができた秘訣は何でしょうか?
長谷部さん:適度に、理事長が交代していることでしょうか。10年に一度くらいの頻度で、それぞれの時代に合った運転手に役割を受け渡していることは大きいと思っています。
受け渡したあとに様子を見ていて、時々「私だったらそれはしないんだけどな」と思うことも正直あります(笑)。ただ、組織も変化しながら成長していくものなので、これで良いのだと見守っています。今後さらに活動を続けるなら、停滞はできませんね。
長谷部さん:これからの近未来的な話ですが、たとえばNFTで楽しくごみ拾いができる仕組みを作るのも面白いかもしれません。ごみを拾うと「1bird」というデジタル通貨になって価値が生まれるとか。時代が変わればアプローチの仕方も変わりますよね。
「ごみ拾い」の先にある未来
近年、ごみ拾いに取り組む団体が増えてきた。東京のまちはもちろん、プロギング(ジョギングをしながらごみを集める活動)や、ビーチクリーンなどさまざまな手段が増える一方、増え続ける海洋プラスチックなど、社会課題もますます深刻になっている。
greenbirdは、そんな世の中で「ごみ拾い」活動を起点として新たな価値を提供する方法を模索している。拾った海洋プラスチックごみに価値を与えるアップサイクル「RETTER」を実施してみたり、スポーツアパレルブランドAllbirdsと協働し、履きやすい靴でまちのごみ拾いをしたり、全国のチームが子供たちのための教育ワークショップを行なったりしているのだ。
20周年を迎える今、彼らはどのような未来を見ているのだろうか。
Q. ここからまた20年後のgreenbirdは、どのような団体にしていきたいですか?
長谷部さん:「きれいな街は、人の心もきれいにする」や「KEEP CLEAN. KEEP GREEN.」といった共通の合言葉はあるものの、全国にいるチームリーダーたちはそれぞれ目的も違えば、取り組みも違います。ごみ拾い、という活動を軸に、もっと多様に、さまざまなことにチャレンジしたら良いのではないかと思います。
横尾さん:私たちが本当に目指しているのは、この団体がいつでも解散できる状態(=拾わなくていいほど まちが綺麗な状態)になること。だけど、ごみは今のところ消えていません。長谷部さんの言うように、団体が持つ根本的な価値さえ変わらなければ、あとは各々がモチベーションが上がることをしていけば良いと考えています。
福田さん:最近僕が懸念してるのは、greenbirdの活動内でも世代を超えたコミュニケーションが減っていることです。みんなそれぞれの友だちと来ていて、横のつながりはできても、縦ができない。
この活動のユニークさは、「職場や学校といったコミュニティなら絶対会わないであろう」人と偶然出会い、ごみ袋を持ちながら話をしてみることだと思います。だからこそ、当時高校生だった僕も長谷部さんや横尾さんと出会えて、一緒に仕事ができるようになったんです。
今は、似たような意見や考えを持つ人といくらでもつながることのできるSNSの時代ですし、「上司と飲み会はしたくない」意見を持つ人も多い時代です。しかし、今後のgreenbirdはあえてこういったアナログな、世代や立場を超えた出会いの面白さを提案していきたいと考えています。
Q. greenbirdに関わってくれた人や、IDEAS FOR GOODの読者、そして「活動が少し気になっている」未来の参加者へのメッセージをお願いします。
長谷部さん:ごみ拾いはささやかな活動ですが、誰でもできるし、いつからでも地域に貢献できるアクションです。今まで参加してくださった人には、ありがとうと伝えたいし、単純に「面白かった?」と聞きたいなと思っています。
横尾さん:長谷部さんをはじめ、みんなで作ってきたgreenbirdという団体。自分自身もだいぶ育ててもらって、圭祐(福田さん)という心強い後継者もいて。感謝しかありません。今この記事を読んでいる方には、「騙されたと思ってやってみたら?」と伝えたいです。
福田さん:原宿・表参道に住んでる人も、働いている人も、ただ街を通りかかった人も。もっともっと、色々な人に気軽に参加してほしいと思います。友達と待ち合わせてランチする前や、ヨガに通う途中でちょっと拾っていく、といった日常のルーティーンに組み込んでいただければ。
「ごみ拾い=意識が高い、真面目に活動してえらい」ではなく、もっとカジュアルでライフスタイルの一つのようなアクションになるになる時代が来ると信じています。
【参照サイト】greenbird(グリーンバード)
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