絵で伝える「原爆展」渋谷で開催。広島と長崎のことを“自分ごと”に

Browse By

上京して初めての夏、8月6日がいつもと違うと感じました。
テレビをつけても、いつも通りの朝のニュース。
黙祷のための町内放送も聞こえてこない。
自分の中に根付いている広島を意識するきっかけになりました。
ー原爆展への想い(西原理佐子さん・広島出身)

8月6日午前8時15分。8月9日午前11時2分。

毎年、あなたにとってこの日は、どんな日だろうか。78年前のこの日、広島、そして長崎に原子爆弾が投下された。いま、それを想いながら黙とうを捧げる人や、平和について考える人はどれほどいるだろうか。

関東にいると、原爆のことを忘れようと思えば忘れることができてしまう。広島や長崎の人々と、関東の人々の間には、大きな意識の差がある。関東でも、原爆を「広島のこと」「長崎のこと」ではなく「日本のこと」「自分の国で起きたこと、続いていること」と、若い世代の人々が捉えられるにはどうしたらいいのだろうか。

「横浜出身の私は、大学で広島から上京してきた友人と出会い、初めて自分との、原爆や戦争に対する意識の違いを強く感じました。どの地域であっても、知りたいと思ったときに知ることができる場が身近に用意されていることが必要。関東の若い人たちにも原爆を自分ごとにしてもらい、知りたいと思ったときに立ち寄ることができる場所を作りたい、そう思ったんです」

そんな課題感から、2023年8月25日(金)〜27日(日)の3日間、若者が多く集まる渋谷で原爆に関する絵の展示「絵で知る原爆展」が開催される。展示主催者である、大森美穂(おおもり・みほ)さんに、話を伺った。

原爆展

原爆展 Gallery HITCH HIKER TOKYO

関東でも感じてほしい「同世代の子たちが広島でどう原爆に向き合っているか?」

「絵で知る原爆展」で展示される絵は、10点。広島市立基町高等学校の創造表現コースの生徒が、被爆者から当時の話を聞き、何度も絵を見せて細かい修正を重ねながら半年から1年もの長い月日をかけて完成させたものだ。広島平和記念資料館の「次世代と描く原爆の絵」プロジェクトより複製画を借りての、東京での展示となる。

原爆のことを伝える目的を果たすために「絵」を選んだのだと、美穂さんは話す。

「原爆の経験者の方々も高齢化しており、証言を直接聞くことができる機会もどんどん減ってしまう中で、何よりも大事なのは伝えること。写真だと見ることができない、という人も、絵であれば見ることができるかもしれない。これからの将来、実際に体験した人ではない人が世に伝えていかなければいけない中で、高校生が被爆者の方々からの体験を絵を通してつないでいく、その過程がいいなと思ったんです」

今回の展示が行われるのは、多くの若者が行き交う東京の渋谷・原宿。若者世代に伝えていく重要性を考える中で、関東の人々が「広島の同世代の子が描いた絵に何を感じるか?」「同世代の子たちが広島でどう原爆に向き合っているか?」と、自分ごととして考えやすくなるかもしれないと思い、“高校生が描いた”絵を展示することにしたのだという。

「8月6日の空」  作:坂本茜 所蔵:広島平和記念資料館

「8月6日の空」作:坂本茜 所蔵:広島平和記念資料館

180点以上ある絵の中から厳選された、今回の展示作品。絵の選定基準には、美穂さんなりのこだわりがあった。

「爆心地からの距離で被曝の様子や火傷の状況も変わるので、さまざまなシーンを用意しています。絵のバランスも、衝撃の強い絵だけを選んでしまうと見ることができない方もいるかもしれないので、血や火傷の表現の細かい絵とそうでない絵を織り交ぜて用意しています。そして、希望。原爆の中でも希望を感じられるような、亡くなったと思った家族との再会など──さまざまな視点で絵を選んでいます」

「このシーン、もし自分だったらどうするかな?」「自分だったらどう思うんだろう?」「どう行動するんだろう?」と、想像してみてもらえたら嬉しいと美穂さんは話す。

広島や長崎ではいまも「日常」の中にある平和学習

横浜出身である美穂さんが今回、原爆展を開催しようと思ったきっかけの一つに、大学で出会った広島出身の友人、西原理佐子(にしはら・りさこ)さんの存在がある。

「大学時代、広島出身の西原さんと関東出身の自分の間に、原爆に対しての想いに差があると感じたことを覚えています。私は小学生の頃に原爆の話を聞く機会はあったのですが、正直記憶に残っているとは言い難いものでした。語り部さんのお話も当時の私にとっては知らない言葉や難しい言葉が多く、わからぬまま終わってしまった記憶があって。一方で、広島や長崎の学生は幼い頃から一度きりではなく継続して平和学習があり、原爆について知る機会が関東の子どもたちより圧倒的に多いと知りました」

「広島や長崎では、知る機会が多くあるので『小学校のときはわからなかったけど、中学校のときに聞いたら、理解が少し前よりできるようになった』『高校生になったらより興味が湧いた』など、自分にとって原爆や戦争と向き合うタイミングを測るきっかけがたくさんあるということだと思います」

「人にはそれぞれ、知るタイミングと知りたい範囲と内容と角度があり、それを選択できるべき」それが、美穂さんの考えだ。

「どの地域であっても、知りたいと思ったときに知ることができる場が身近に用意されていることが必要だと思い、関東の若い人たちにも原爆を自分ごとにしてもらい、知りたいと思ったときに立ち寄れる場所を作りたい、そう思ったんです」

展示の準備をする美穂さん

展示の準備をする美穂さん

人にはそれぞれ、知るタイミングがあっていい

美穂さんが今回原爆のことを改めて学び、人々に伝えようと動き出したことにはもう一つきっかけがあった。それが核保有国でもあるフランスへの移住が決まったことだったという。

「移住前に日本人として知る必要のある『原爆』について学び始めるうちに、これはまずいぞと思ったんです。なぜ今までこんなに知らなければいけないことを知らなかったんだろうと。今の世界の話でもあるし、唯一の被爆国である日本から発信していかなければいけないと、焦る気持ちがありました」

広島の風景

美穂さんが広島を訪れた際に、その日見た風景を絵はがきにしたもの。今回の展示会場で販売予定(売上は、広島平和文化センターへ寄付される)。

「また、今年5月にギリシャに行き、火山に登ったときに、『この山の火山噴火の威力は広島原爆の100万個分だった』と説明されて、周りの人は曖昧な反応でした。そのとき、もしかしたら、広島や長崎の人々が感じている他の地域への落胆ってこういうことなのかと思ったんです」

決して自分たちだけの問題じゃないのに、自分ごとにしているのは自分たちだけで、他の人にとってはあまり知られてない。原爆を「長崎や広島のこと」だけではなく、「日本のこと」「世界のこと」にしていかないといけない──美穂さんは、そう強く思った。

「そうして、Instagramで原爆展を開催したいことを声に出し、きっかけをくれた広島出身の友人(理佐子さん)と10年の時を経て原爆展を開催することになりました。10年経ってやっと私は動き出しましたが、今回展示に関わる3人のなかでもそれぞれのタイミングがありました」

今回の展示に関わるもう一人の協力者は、美穂さんが大人になってから出会った、関東育ちの上澤美樹(かみざわ・みき)さんだ。

社会科見学等で行った原爆の展示も想像するだけで胸が痛くなり、怖くて見られないほどでした。
知れば知るほど怖くなり、戦争や原爆のことを深く知ることをずっと避けていました。
東京に住む祖父の戦争の話も怖くて聞けませんでした。
そんな中、今回主催者の原爆展への思いを聞いて「彼女となら一緒にやりたい。今回を自分が学ぶきっかけにもしよう」と思いました。
ー原爆展への想い(上澤美樹さん)

広島出身、関東出身、それぞれのバックグラウンドを持つ3人が、展示を作るプロセスを通して、学び続ける。その過程で、美穂さんにはこんな気づきがあったと言う。

「知識がないことは恥じることではないと、今回周りの方々から教えていただきました。広島の方、長崎の方、原爆を落とされるかもしれなかった福岡の方。協力できることがあればお話ししますよ、とたくさんの方が言ってくださり、そうした想いに触れられたのがすごく大きかったです」

一方で、原爆や核などを話題にし、声を上げることの難しさもあるだろう。広島や長崎出身でないからこそできる発信がある。そう思いながらも、美穂さんのなかでも未だ葛藤はあるという。

「学びながら展示の準備を進めていますが、どんなに学んだとしてもまだまだ足りません。被爆地で幼い頃から平和学習して学んで考えてきた広島や長崎の人々に対して、自分は最近興味を持ち始めて勉強し始めました。そんな人が東京で展示をやることは、被爆地の方や自分の周りの人にどう映るんだろうと。でも、そんな自分だからこそできることもあると思うので、これからも自分なりに学んでいくという意思も込めた展示でもあります」

左から美樹、理佐子さん、美穂さん

展示に関わる3人。左から理佐子さん、美樹さん、美穂さん

原爆と自分との距離を認識する・縮めるきっかけに

8月末に開催される「原爆展」。外は当時のように暑く、蝉の声が鳴り響く真夏日になるかもしれない。

「インターネットで見たい情報だけを選べる今の時代で、興味のないものを目にする機会は少なくなっています。そんな中で、“実際訪れる場所”があることで、記憶に残りやすく、興味のない人の目にも入り、存在だけでも認識してもらうことができる。それが大事だと思っています。暑い中、みなさん汗をダラダラかくなかで来てもらうことになると思うんですが、『8月6日はこんなに暑かったんだろうな』『外は蝉の声のする中で展示会場に入ると静かだな』など、展示をとおしてそういう記憶に残る五感を使った体験をしてほしいなと思うんです」

「感じることは自由で、全部正解だと思っています。展示会場に入って絵を見て何か感じていただけたら嬉しいですが、もし展示の前で通りすぎたとしても『原爆展をやってるんだ』と思うだけでもいい。『今は入れない』と思うのでもいい。何かしらの形で、原爆との距離を認識して縮めるきっかけになり、いつか『2・3年前のあの展示は行けなかったけど今なら入ってみたい』と思えたり、未来でなにか行動に移そうと思う方が出てくるだけでも嬉しいです」

原爆展

原爆展

一人ひとりが誰かのきっかけに必ずなれる

「大切な人と悲しい別れをするのはものすごく辛いことだし、大事な人や愛する人と、幸せに生きたいから」

それが、美穂さんが今回の展示に力を入れる理由だ。

「原爆の証言集を読んでいると、恐ろしさを感じると同時にたくさんの愛があることにも気づきました。大火傷していても、人は家族を探すし、原爆症になるから行くなと言われても、爆心地付近の家があった場所に戻る。極限の状態でも、人は愛する人のために、家族のために動くんです」

「朝目覚めて大切な人がいて、帰りたいときに帰る家族がいて。そういう日常が一瞬にしてなくなってしまうのが戦争です。やはりそれはない世の中の方がいいし、誰に対してもどういう理由があったとしても、自分も隣の人も他の国の人も、人の人生を一瞬で終わらせてしまうものは使ってはいけない。核は戦争に勝てるかもしれないけれど、その先で人類が滅亡してしまうもの。どっちが勝つ負けるではなくて自滅してしまうもの。そう思うんです」

広島

美穂さんが広島を訪れた際の写真。当時この川を埋め尽くすほど、亡くなった方や火傷を負った方がいたという描写を覚えていた美穂さんは、川幅の大きさに驚いたと言う。

「一人ひとりが、『原爆展に行きました』『今日は長崎の原爆の日です』『難しい』や『わからない』だけでも何か一言つぶやくことで、『その人のおかげで興味を持つことができた』という人が必ず出てきます」美穂さんは、取材の最後にそう力強く言った。

「一人ひとりが誰かのきっかけに必ずなれる」「みんなが主催者」。原爆や戦争に対して、そう思う人が増えたら、いつの間にかその輪は広がっていく。それが、原爆展のメッセージだ。ぜひ、期間中に渋谷・原宿を立ち寄る際は「絵で知る原爆展」に足を運んでみてはいかがだろうか。

絵で知る原爆展 展示情報
展示開催場所 Gallery HITCH HIKER TOKYO
住所 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6-16-5 1F
日程 8月25日(金) 14:00-19:00
8月26日(土) 12:00-19:00
8月27日(日) 12:00-18:00
入場料 無料
URL https://sites.google.com/genbakuten.net/2023/home

【参照サイト】原爆展を東京の若者の街でも開催したい!
【参照サイト】絵で知る原爆展
【参照サイト】「次世代と描く原爆の絵」「原爆の絵」について
【参照サイト】「基町高等学校の生徒と被爆者との共同制作による「原爆の絵」」ページより |広島平和記念資料館

FacebookTwitter