戦争が、続いている。ロシアの軍事侵攻のことが連日報道されている。ロシアが何人動員したとか、ウクライナが一部の領土を取り返したとか、他の国がその間どんな動きをしたとか。断片的な情報ばかりが流れ込み、私たちはその理由も背景もわからないまま、不安になったり疑ったりしている。

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私たちが、世界で起こっている出来事に対して何か関与できることはあるのだろうか。今はあまり気にしすぎず、日々の仕事や勉学に粛々と励むべきだろうか。本当に、それでいいのだろうか。
そんなことを考えていたとき、長崎に行く機会があった。1945年の8月9日に原爆が落とされた長崎では、今でもその被害や、戦争の悲惨さを伝えるための活動が積極的にされている。過去に起こった戦争を風化させず、いま身の回りにいる人々に伝えていくことなら、筆者でもできるかもしれない。
本記事では「戦争を伝える」ことに焦点を当てる。記事前半では長崎の被爆地を巡り学んだことを書き記し、記事後半では「世界で起こったさまざまな争いの記憶を遺していく方法」に着目していく。
長崎で出会った「平和案内人」の記憶
朝9時20分。原爆資料館の入り口で、長崎の「平和案内人」に出会った。原爆被爆者の高齢化が進む中、被爆の実相と平和の尊さを次世代に伝えるために活動するボランティアガイド、草野さんだ。
草野さんは、満州出身。親の仕事の都合で日本を離れていたが、2歳のときに日本に原爆が落ち、それからすぐに親戚が住む長崎にやってきた。親の兄弟たちは被爆しており、2人が亡くなったという。
当時の記憶を持つ平和案内人として、草野さんはさまざまなことを教えてくれた。原爆に使われた素材や、当時の被爆範囲、自分の家族のこと、被爆した小学校で働いていた先生のこと、そして地元の人々が、これから世界で起こるかもしれない核使用について憤っていること。人々の共通の願いとして「長崎を、最後の被爆地に(=これ以上、被害を出さないように)」があるからだ。

1945年、長崎での核使用が最後であってほしい、という願いを込めて
悲劇を繰り返さないためには、過去から学び、その記憶を次世代に伝えていくことが欠かせない。現地で育った子供には、当時どのようなことが伝えられていたのだろうか。
「私は小中高で、平和学習と呼ばれる授業を受けたことを覚えています。被爆した子どものための特別学級もありました。ただ当時は、授業で先生に『平和』について教えられても正直ピンとくることはなく、適当に考えていました。家の周りには被爆した跡があって、肌がケロイド(皮膚が赤く盛り上がっている)状態になった人たちも見ていたはずなのですが」
しかし数十年経ち「自分の経験を使って何かをしたいと思った」と続ける草野さん。今はこうして、個人旅行で訪れる人々や、修学旅行で訪れる学生たちに向けたガイドをしている。
原爆資料館のあと、草野さんと共に訪れた原爆死没者追悼平和祈念館では、「平和へのメッセージ」を書けるタブレットが置いてあった。資料館を訪れて考えたこと、感じたことを文字や絵で表現できるものだ。そこには、小学生から大人、そして訪日観光客の人々が書いたと思われるメッセージがあった。
被爆の現地に行くと、人々のさまざまな努力が見えてくる。原爆死没者追悼平和祈念館では、海外で行われた原爆シンポジウムの記録が残してあった。また長崎市が運営する子ども向けサイト「キッズ平和ながさき」では、以下のような戦争をテーマとしたデジタル紙芝居(アニメーション)が掲載されている。あらゆる方法で、過去に起こったことを風化させまいとしているのだ。
一方で、筆者は草野さんがふとこぼしていた言葉も印象に残っていた。「案内をしていると、最初は資料館で展示されている被爆者の写真を見て、ショックを受ける人が多いです。これまで、体調が悪くなってしまう人もいました。ですが、大抵は2〜3年経てば忘れてしまうんですよね」
争いの記憶を忘れないための、世界の取り組み
草野さんの言うとおり、現在の世界情勢を見ると「人は過去から学ばない」ということをリアルタイムで学んでいる気分になることがある。それでも世界では、次世代への希望を持って、これまでの争い(大きな戦争から、人権を勝ち取るための抗議デモまで)の記憶を残そうとする動きがある。
ここからは、そんな世界の事例を5つご紹介する。
01. 音声で伝える
デモや抗議活動は、その時代を生きる人々が何を考え、何を理不尽だと感じているのかという世相を最も色濃く映し出す鏡だ。「Protest & Politics」は、世界で起こったデモ・抗議活動の現場にいた人たちが録音した音声をマッピングできるウェブサイト。
ベトナムの選挙デモや、アメリカの反トランプ政権デモ。ギリシャの反緊縮デモなど世界中の現場の声を聞くことができるだけでなく、その抗議活動はなぜ起こったのか、原因はなんだったのか、という背景も一緒に学べることが良い。
02. 硬貨で伝える
イギリス領フォークランド諸島政府の50ペンス硬貨には、4種類のペンギンが、まるで絵画のような色合いで刻まれている。「ペンギンの首都」と呼ばれるこの地は、かつてアルゼンチンの軍事侵攻を受けた。
イギリスとアルゼンチンの血みどろの戦いは、島のなかに「地雷」という傷跡を残した。埋められた地雷は人を傷つけるが、ペンギンの体重では作動しない。そうするうちに、いつの間にか人の代わりにペンギンの首都になっていた、という歴史を残す取り組みである。
03. バーチャル体験で伝える
国際人権章典は、すべての人が持つべき権利の一つとして「移動の自由」を掲げている。「Finding Home」と名付けられたこのアプリでは、迫害を免れるためにミャンマーから逃げ出す16歳の架空の少女、Kathijahが手にしているスマートフォン画面を疑似体験できる。
アプリの主人公であるKathjiahは架空の人物だが、難民問題はフィクションではない。自分の使い慣れたスマートフォンを通して現状を知ることは、かなりショッキングな体験ではあるものの、私たちの問題への関心を強めるきっかけとなる。
04. 身に着けるアクセサリーで伝える
ラオス東部には、ベトナム戦争で埋められた8,000万個以上の地雷が今でも放置されている。戦争で使用された爆弾や地雷──“負の遺産”をジュエリーに変えるのは、イタリアのアクセサリーブランド「NO WAR FACTORY」だ。
イタリアのジュエリー加工技術を、ラオスの村の職人たちの技術と組み合わせることで、村の雇用創出にもつながっている。
05. デザイン・展示で伝える
世界で最も有名な家具ブランドの一つ、IKEA(イケア)が、ノルウェーにあるフラッグシップストアのショールームに、25㎡の小さな部屋を設置した。灰色に煤けたレンガブロックで覆われた、薄暗い小部屋だ。壁には何枚かの子供たちの写真が掛けられており、床には薄汚れた毛布、ぬいぐるみなどが置かれている。
シリアの首都、ダマスカスで暮らす人々の家を模して作られたショールーム。訪れた人々には、普段は目にすることのないシリア難民の現実を肌で感じてもらい、難民支援を行っている団体への寄付をしてもらう、という取り組みだ。
自覚的でいること。戦争を伝えること
「平和の原点は、人間の痛みがわかる心を持つこと」という言葉は、長崎でたびたび使われている。
そんな長崎には、「原爆の被害者としての日本」を語るだけではなく、アジア諸国への侵攻の歴史の資料を展示することで「加害者」としての側面も遺す「岡まさはる記念長崎平和資料館」もある。
アジア諸国への対応は現在でも論争になっているが、私たちができることは、多くの場所に足を運び、話を聞き、歴史をさまざまな側面から学ぶこと。そして過去から生まれた現在の自国、そして自分自身の立ち位置に、“自覚的でいること”ではないか、とその平和資料館を訪れたときに考えた。
ロシアとウクライナ、日本、そして世界中の争いを記憶し、記録していく。そして何かの形で、次世代が繰り返さないように遺していく。それは、「戦争は嫌だな」と感じたことのある、すべての人ができることだ。もし戦争を伝える上で何か「この取り組みは良いと思った」というアイデアがあれば、ぜひ教えてほしい。
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