地球沸騰化時代とも呼ばれるようになったいま。長期間続く夏の猛暑や自然災害を経験し、気候変動の影響を身近に感じている人も多いのではないだろうか。しかし、気候変動の現状を把握することはおろか、各国政府がそれに対してどのような政策を生み出しているのか、世界の国々が気候変動を緩和するためにどのような取り決めをしているのかなどを個人で調べ上げ、正確に把握することはなかなか難しい。
「自分が気候変動の影響を受けていることはわかっている、けれど本当のところ何が起こっているのかはよくわからない」そう感じることは、環境に関する話題を敬遠することにもつながってしまうかもしれない。
そんなとき、人々の助けの一つになるのがクリエイティブだ。数字を並べられてもわからないけど、それがよくデザインされたグラフになっていればその変化がわかる。IPCCの報告書を読んでもわからないけど、それがイラストを交えて説明されていれば概要がわかる。親しみやすいクリエイティブによって、私たちはその問題に一歩近づくことができるのだ。
シンガポールのクリエイターであるQiyun Woo(キーユン・ウー)さんは、「気候科学」をわかりやすく伝えるため、インスタグラムのプラットフォームを中心に発信をしている。「The Weird and Wild」という名のアカウントに投稿される彼女のイラストは「わかりやすい」「ポップな色味が元気になる」と人気を博し、キーユンさんは2023年にNational Geographic Societyのヤング・エクスプローラーにも選出された。
彼女はどのような想いでこうした活動を始めたのだろう。インタビューでその裏側を聞いた。
話者プロフィール:Qiyun Woo(キーユン・ウー)
シンガポールを拠点に、気候アクティビスト、ストーリーテラー、サステナビリティ・ストラテジストとして活動。コミックやコンテンツ制作、教育のためのリソースデザインなどを通して、人々をエンパワーメントしている。インスタグラムの「The Weird and Wild」を運営。
複雑なことを多くの人に知ってもらう。インスピレーションになったのは小さい頃に読んだ漫画
キーユンさんは、シンガポール国立大学で環境学を専攻していた。そして大学生のときに「The Weird and Wild」のアカウントを立ち上げたという。
「多くの人がサステナビリティに興味を持ち始めて、私にどのように情報を集めればいいのか聞いてきました。簡単なところでいうと『このプラスチックってリサイクルできるんだっけ?』『これはどうやって捨てたらいいの?』と聞かれることが増えたのです。それなら、そういう情報が一気に見られるアカウントを作ろうと思いました。それから今まで、インスタグラムの投稿をやめたことはありません」
環境学を学んだものの、グラフィックデザインについては独学で進めてきたというキーユンさん。彼女にインスピレーションになったのは、13歳の頃に出会ったシンガポールのアーティストだった。
「漫画が大好きで子供の頃からよく読んでいました。13歳のときに両親からシンガポールのアーティストであるチャーリー・チャン・ホック・チャイの描いた漫画をもらったのです。それは筆者自身の視点からシンガポールの歴史を書いたもので、読み進めるのがとにかく楽しくて。そのときに『漫画は単なる娯楽ではなく、教育にもなるのだ』ということに気づきました。複雑なストーリーを簡潔に伝えられるというのがグラフィックの力だと思います」
「もともと絵は好きで書いていましたが、専門的に勉強したことはありませんでした。でも、発信するにはこれで十分だと思っていました。インスタグラムのアカウントでは、もっと多くの人に関心を持ってほしいため、できるだけ明るい色を使ってポップな雰囲気で発信をするようにしています」
自分のクリエイティブの役割は環境トピックの「表紙」をつくること
The Weird and Wildの投稿を見ているのは、18〜40歳までの人々が中心であり、全体の70%がシンガポールに暮らす人、残り30%のほとんどがアジア太平洋諸国・アメリカ・イギリスの人々だという。しかし、フォロワーの割合が最多のシンガポールで気候変動の話題が「浸透」しているかというと、まだ課題もあるようだ。
「シンガポールの人は気候変動のことは知っています。けれどそれにどれくらい関心を払うか、行動するかは別の問題です」
気候変動のトピックにまったく興味がない人にこそ投稿を見てほしいと語るキーユンさん。そう感じたきっかけとしてIPCCによる報告書をあげてくれた。
「IPCCの報告書を読んだことありますか?IPCCは気候変動に関する政府間パネルのことを指し、その報告書はとても長くて、読んでいてとても退屈なんです。とても重要な指針なのですが、その報告書がたとえ無料でアクセス可能になっていたとしても、それに興味を持つ人は多くないと思います」
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「私はそうした複雑な事柄の『表紙』を作ろうと思っています。まずは興味を持ってもらい、それで実際の問題について記事や文書にアクセスしようと思ってもらう。そのために、インスタグラムの投稿も『IPCC』などの単語を前面に出さず、むしろどちらかというと『政治』『環境』っぽくないンデザインにしています。あまりキーワードを並べすぎると、逃げてしまう人がいますから」
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アカデミアから企業まで、色々な人コラボするなかで生まれるクリエイティブ
キーユンさんがそうした投稿をつくる際に、大学で環境学を学んでいたときのつながりが大事になるようだ。実際に、キーユンさんの投稿は様々な人の支えのもと成り立っているという。
「IPCCのような専門的な話題を扱うとき、参照元としてはサマリーレポートを読んでいるのですが、IPCCに実際に参加している先生が大学にいたので、最後は『誤解を生む情報を発信していないか』チェックをお願いするときもあります。今はすべての投稿を一人で管理しているため、リサーチからアウトプットまで、大体一つのクリエイティブを作るのに2週間くらいは必要ですね」
さらに、他の人々とコラボレーションする機会もあるようだ。
「『Climate Commons(クライメイト・コモンズ)』という団体では若手のリサーチャーやデザイナーと一緒に感気候変動の話題について語る場づくりをしていますし、環境問題を専門にしている他の友達と『Climate Cheesecake(クライメート・チーズケーキ)』というポッドキャストも主催しています。『クライメート・チーズケーキ』とはその名の通り、気候変変動の問題をケーキのように『カット』して分解し、簡単にすることを目指したポッドキャストです」
Climate Cheesecakeのポッドキャスト
「その他にも、ときどきフォロワーの人から『この映画見ましたか?』『こういう情報を発信してください!』など質問やリクエストをしてもらうこともあります。そういう交流がたんに情報を集める上で有用というだけでなく、精神的にも支えにもなっています」
そうした熱心なフォロワーもいるなか、キーユンさんが情報を届けたい相手はあくまでも「環境問題にまったく興味がない人」だという。
「環境問題にまったく興味がない人にも、『なんか面白そう』と思ってもらいたいんです。まずはコンテンツを見てもらえるように色使いやレイアウトなどデザインを調整しています。扱うトピックにも気を遣っていますね」
「例えば、今年(2023年)シンガポールは酷暑に見舞われました。みんなが異常気象を意識しているタイミングで、エルニーニョ現象がなぜ起こるのかの投稿をしたのです。先ほどもお話しした通り、IPCCレポートなどが出たタイミングにはそれに言及するなど、人々が興味を持ちやすいタイミングにも注意を払っています」
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実際にキーユンさんがエルニーニョ現象について説明している動画
環境アクションをするときに圧迫感を感じてほしくない
キーユンさんが担当するのはデジタル上のクリエイティブだけではない。かつてシンガポールのビーチに設置するとある標識づくりを担当したこともあった。
「新型コロナ禍では、行動制限もあった中、少しでもリラックスすためにビーチを訪れる人が増えました。そこで生物を捕まえて家に持って帰る人がいたのです。シンガポール政府はそれに警告を出そうと、クリエイティブを募集していました。私たちのチームが作ったのは『持ち帰り禁止』のサインではなく、生物たちが『持って帰らないで』と話しているようなサインです。とにかくキュートにすることを意識しました。注意されてもそれを守らない人はいるけれど、かわいいクリエイティブにしたら、人々の情に訴えかけることができると思ったんです。実際にその標識はビーチに設置され、私にとって印象的なプロジェクトの一つになりました」
彼女は環境問題を考えてもらうためのデザインで、徹底的に脅迫的なメッセージを使わないようにしているようにも見受けられる。それがあらゆる人の「入り口」を準備するためのコツなのかもしれない。
編集後記
あなたは、キーユンさんのグラフィックをみたとき、どのように感じただろうか。情報を追っているというよりは、絵を鑑賞しているような感覚になった人も多いかもしれない。「難解な」情報の代表格でもあるIPCCに関連する情報でそう感じたのは初めてだった。
気候変動は人間が一人で抱えるのには大きすぎる問題だ。そもそもあまり触れないように気を付けている人もいれば、関心はあるものの考えすぎてバーンアウトしてしまったり、一つ一つのアクションが面倒になって遠ざかってしまったりする人もいるだろう。個人の関心の度合いに関わらず、向き合うのに「ストレスのかかる」トピックであることには違いない。
グラフィックデザインが気候変動の問題を完全に解決することはないだろう。しかし、それが疲れたときにふと立ち寄りたくなるような場所を提供したり、環境問題から距離を置いていた人々が再び関心を持つきっかけを作ることがある。デザインは多くの人にとっての「ターニングポイント」を提供するのではないだろうか。
【参照サイト】The Weird and Wild – Instagram
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