兵庫県・丹波篠山市の立杭(たちくい)。この地は、850年もの歴史を誇る丹波焼の里として知られている。山々に囲まれた静かな谷間に広がる立杭には、どこか懐かしさを感じさせる日本の原風景が息づいている。
人々の暮らしと自然が調和したこの地には、今なお息づく陶芸家たちの情熱と、土に触れ、火を操ることで生まれる器たちがある。
丹波焼は、日本六古窯(ろっこよう)のひとつに数えられる伝統的な焼き物だ。日常使いに適した器から、茶道具として愛される逸品まで、幅広い用途を持ち、使う人の手に馴染み、暮らしに温かみを与えてくれる。

Image via 陶泊
また、丹波焼のもうひとつの特徴は、問屋を介さない直販スタイルが一般的であるということ。職人たちは自らの手で作り上げた器を、自らの言葉で伝え、販売している。そのため、訪れる人々は、器そのものの美しさだけでなく、作り手の人柄や想いにも触れることができる。丹波焼を手に取ることは、単なる買い物ではなく、この地の文化や物語に触れる体験でもあるのだ。
しかし、この美しい地もまた、現代の課題に直面している。後継者不足や地域の過疎化……伝統と未来をつなぐべき橋は、今まさに再構築が必要とされているのだ。
そんな中、新たな取り組みとして注目を集めているのが、2024年の春より始まった「陶泊」だ。焼き物と宿泊を組み合わせたこのプログラムは、丹波焼の魅力を余すことなく体験でき、地域活性化と持続可能な未来を見据えた新しいツーリズムの形としても期待されている。
今回は、企画のキーパーソンとなる、丹波焼の産地の文化観光活性化の取り組みを行う一般社団法人Satoyakubaの田林信哉さんと、陶泊の宿泊場所となっている、窯元・昇陽窯を経営する大上裕樹さん、そして立杭で活動する若手陶芸家の二人に話を聞いた。
価値観が揺さぶられる体験。陶泊プログラムとは?
陶泊は、丹波焼の里・立杭の陶工たちの暮らしや伝統に深く触れる1泊2日の体験型プログラムだ。訪問者は陶工たちの生きた歴史や日々の営みに近づき、丹波焼の魅力を五感で味わうことができる。

陶泊プログラムの様子
参加者は事前にオンラインで陶工たちと顔合わせを行い、交流を深める。これにより、訪問前から互いの理解が深まり、まるで親戚の家に遊びにいくようなアットホームな感覚で現地を訪れるのだという。
ツアー1日目は「陶の郷」の展示場「窯元横丁」からスタート。51軒の窯元が手がける多彩な丹波焼の作品が一堂に会する展示場で、立杭の若手陶芸家が務める「さとびとガイド」とともに、「丹波焼の表現の幅広さを体感し、それぞれにお気に入りの窯元を見つける。その後は、現役の陶工を訪ねるツアーへ。ツアーでは、作業場の空気を肌で感じ、作陶の現場に息づく手仕事の精神を知ることができる。そして夜は、宿泊先の昇陽窯で地元の食材を使った夕食を陶工たちとともに囲む。ここでは、作品だけでは見えてこない陶工たちの人柄や美意識、創作の背景に触れる時間が広がる。

ツアー1日目の夜。参加者と陶芸家たちが食卓を囲む様子。
2日目の朝は、丹波焼の器で楽しむ朝食から始まる。器を通じて伝わる温かみと、立杭の静かな朝の空気が調和するひとときを味わう。
その後は陶工の日常を体験する時間。土に触れ、作陶のプロセスを学ぶことで、単なる作品以上の陶芸の奥深さと陶工たちの営みへの理解が深まるのだ。プログラム終了後には、立杭の郷を自由に散策し、気に入った作品との出会いを楽しむことができる。
これまでの参加者からは、「陶工たちの人間性や丹波焼の奥行きを知ることで、自身の価値観が揺さぶられる体験だった」という声や、「陶工が自然と向き合いながら作り上げる作品を目の当たりにし、自分自身も自然や環境について深く考えさせられた」「職人たちが器に込める思いやその背景を知ることで、自分の日々の暮らしに新たな価値を見出した」という感想が多く聞かれたそう。
また、陶泊を機に訪問者と陶工の間で手紙や贈り物が行き交い、交流が続くことも珍しくないという。
筆者自身、これまでの数々の旅行を振り返ったとき、深く心に残っているのは高級なホテルに宿泊したことよりも、現地の人々との交流であることが多く、そういった場所にはまた訪れたくなるものだ。そんな体験を自然につくりだすこの魅力的なツアーが実現するまでの道のりには、企画者の情熱と地元の人々の深い想いが織り交ざっていた。
100年後も200年後も立杭で伝統が続いて欲しい。「陶泊」が生まれた理由
陶泊がスタートするきっかけとなったのは、2023年春にミテモ株式会社とトランクデザインから、丹波焼の産地の文化観光活性化の取り組みを行う一般社団法人Satoyakubaの田林信哉さんへ寄せられた提案だった。
これまでに焼き物や工芸のツーリズムを推進してきた両社は、丹波焼の里で農泊のような陶芸版ツーリズムを実現できないかと考え、田林さんに声をかけたという。
田林さん「丹波焼の魅力を器だけでなく、その背景や職人の思いを含めて伝えたいと常々考えていた私にとって、このプログラムはまさにその思いを実現するものでした」
この提案を受け、Satoyakubaと両社の協力体制が築かれ、陶泊の構想が具体化していったという。しかし、陶泊を実現する上で何よりも重要だったのは、地元の人々の協力だったと田林さんは語る。
田林さん「丹波焼の里には、問屋を介さずに人と人とが直接つながる文化が息づいています。そんな背景もあって、陶泊の構想が地元の人に伝わると、『里全体を良くしたい』という共通の思いを胸にみなさんが、快く協力を申し出てくれたことは本当に心強かったです」
その一方で、宿泊場所の確保にはかなり苦戦したそう。元々、宿泊施設がない立杭。現在、宿泊場所となっているのは、大上裕樹さんが経営する窯元・昇陽窯の一軒のみだ。この場所は、約3年前にとある窯元が廃業し、空き家となっていた場所を大上さんが購入したが、当初は陶泊のために活用しようとは考えていなかったそう。しかし、新型コロナウイルスの流行をきっかけに、立杭全体の未来を見つめ直すようになったという大上さん。
大上さん「それまでは、自分のブランドを成長させることに集中していましたが、コロナ禍で立ち止まらざるを得なくなったとき、自分の足元である地元に目を向けるようになったんです」

昇陽窯のみなさん。前列右が大上祐樹さん。
大上さんは、息子が小学校に入学し、「4代目として跡を継いでほしい」という次世代への思いが強まったこともあり、故郷の風景と自分の活動を結びつける必要性を強く感じ始めたという。
大上さん「100年後も200年後もこの場所で伝統を守っていくためには、丹波焼の里全体の価値を上げる取り組みをしなければいけない。後継者不足が深刻化する未来に備え、雇用を生み出し、次世代が挑戦できる土壌を整えたい」
そのためにはまず、人を受け入れる場所が必要だと考え、購入した空き家を丹波焼を学びに来る人のための宿泊施設へとリノベーションすることを決意。ちょうど大上さんが宿泊者を受け入れ始めたタイミングで、陶泊の話が持ち上がったそう。
大上さん「正直、宿泊を一軒だけで引き受けるのは少し荷が重かったのですが、陶泊を通じて生まれる人と人とのつながりが、丹波焼とこの里を支える一助になれば嬉しいですし、この場所を訪れた人々が、何かを感じ取り、それを持ち帰ってくれる。そんな場を作りたいと『月に1件』という条件のもとに引き受けることにしました」

宿泊をになっている昇陽窯の前で。陶泊プレ体験の際の写真。
今後、宿泊を担ってくれる窯元が少しずつ増えてほしいと語る大上さん。
大上さん「約1年間やってきての感想は、手応えしかありません。時代もどんどん変わってきていて、こういったスタイルのツーリズムの需要が増えていくはずです。長い時間がかかっても継続的にやっていきたい。とにかく焦らないこと。自分たちが楽しんでやっていれば、後に続いてくれる人たちも増えてきてくれると思っています」
陶泊をきっかけに立杭に吹いた新たな風
陶泊が始まって以来、立杭の里には新たな風が吹き込み、窯元たちの間に革命ともいえるような流れを生み出している。
大上さん「陶泊のおかげで、これまで少し遠慮がちだった同業者同士の関係が変わりつつあります。特に若い陶芸家たちが気兼ねなく訪れてくれるようになったのが嬉しいですね。彼らとの交流から新たなアイデアや刺激をもらい、私たちも日々学びがあるんですよ」
丹波焼の産地には比較的若い陶芸家が多いという特徴がある。後継者不足や技術継承の課題は存在するものの、「丹波の土を使って丹波で焼いている」ということ以外に厳しい決まりのない自由さが、この地で新しい世代を惹きつけているのかもしれない。窯や世代によって作られるものは全く異なり、それぞれの個性が丹波焼の多様性を支えている。
陶泊の際、立杭の窯元を訪問者に案内する役割を担うのが「さとびとガイド」だ。このガイド役を務めるのは、10名ほどの若い陶芸家たち。陶泊の取り組みを通じて、彼らが地域と外部をつなぐ架け橋として活躍している。

さとびとガイドを務める若手陶芸家。左が市野耕さん、右が大上恵さん。
さとびとガイドの一人、市野耕さんは初めてのガイドをこう振り返る。
市野さん「最初のツアーでは右も左も分からず大変でした。でも、回を重ねるごとに訪問者がどんなことに興味を持つのかが見えてきて、内容を工夫するようになって。その結果、訪問者の喜ぶ顔を見るたびにやりがいを感じるようになりました」
また、同じくさとびとガイドを務める大上恵さんも、やりがいと楽しさを語る。
大上さん「ガイドとして活動する中で、他の窯元を訪れる機会も増え、互いの仕事場を見せ合ったり、技術を学び合ったりすることがとても楽しいんです。実際、参加者から『窯元同士の会話を聞くのが面白かった』という感想をいただいたこともあります。これをきっかけに窯元同士が気軽に話せるようになり、新しい関係性が築けていると感じています」
陶泊の取り組みを通じて見えてくるのは、立杭の人々の丹波焼への深い愛情と、この地を未来へと受け継いでいきたいという強い想いだ。丹波焼の文化を守りながら、新たな時代に即した形で進化させようという気概が、この小さな里で静かに燃え上がっている。
日本の未来を紡ぐ新たなモデル
陶泊の取り組みは、立杭という小さな里を起点に、現代日本が抱える大きな課題への解決の糸口を提示している。少子高齢化や地方の過疎化が進む日本では、伝統工芸や地域文化が次々と消えつつある。その中で、丹波焼の里が示すのは、伝統と未来を両立させる新たなモデルだ。
田林さんは、「里全体を活気づけ、持続可能な地域モデルとして他地域にも広がっていけば嬉しい」と語る。この取り組みには、日本各地の伝統や技術を見直し、再び輝かせるヒントが詰まっている。単に観光地としての価値を高めるだけでなく、地域の人々が誇りを持ち、次世代にその文化をつなぐ仕組みを作り出すこと。それは、立杭だけでなく、全国の地域が目指すべき未来の形ではないだろうか。
筆者自身も、立杭での取材を通して改めて感じたことがある。それは、「地域と人とのつながり」が生み出す温かさと、そこに宿る無限の可能性だ。陶泊の体験を通じて触れた陶工たちの想いや、彼らが紡ぐ丹波焼の物語は、単なる観光体験を超え、人生を見つめ直す契機となるものであると感じた。さらに、現代日本が抱える人と人との関係の希薄化という課題に対しても、陶泊は一つの解決策を提示している。このプログラムを通じて生まれる陶工と訪問者、参加者同士の深い交流は、互いを知り、共感を育む貴重な機会となっているからだ。
この静かな谷間から始まった挑戦が、やがて日本全体に広がり、次世代へと受け継がれる新しい文化の形を生み出していく。その先には、地方が再び輝きを取り戻し、地域、自然、人とが共鳴し合う未来が待っているだろう。
850年の伝統を未来につなぐこの取り組みが、さらに多くの人々に伝わり、日本全体の未来を明るく照らす一助となっていくのかもしれない。
【参照サイト】陶泊
Edited by Erika Tomiyama