ある朝、いつものように満員電車に乗り込み、手元のスマホを見つめ揺られる。もしくは、車が渋滞にハマり、間に合うかとそわそわしながらアクセルとブレーキを交互に踏む……そんな、本当は居心地が良くないけれど“変えようのない”都市の日常を、もっと自由に、もっと心地よいものに変えようと働きかける人たちがいる。
彼らは、自転車に乗ることをアクションとして、まちに変化を起こしているのだ。その名も「Bicycle Mayor(自転車市長)」。
これは、本物の市長ではない。オランダ・アムステルダムに拠点を置くNGO「BYCS」が2016年から運営するグローバル・ネットワークであり、自転車フレンドリーな都市づくりを推進している。すでに世界40か国で144人がBicycle Mayorとなり、それぞれの地域でコミュニティ形成や政策提言などに取り組んでいるのだ(2023年時点)。BYCSは、各都市の自転車市長たちに対し、ネットワーキングやノウハウの共有を通じて支援を行っている。
Bicycle Mayorとは、自治体の役職ではない。自転車を通してその都市に変化をもたらしたいと願う市民がBYCSに応募すると、地域のサイクリングコミュニティとの関わりを判断基準に任命される。自身がBicycle Mayorにならずとも、BYCSからツールキットを受け取り、Bicycle Mayor選出のキャンペーンを立ち上げることも可能だ。
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具体的な活動の様子も見てみよう。インド・ニューデリーのBicycle Mayor、ダリップ・サバーワルさんは、2016年の大気汚染をめぐる交通規制を機に車通勤から自転車に切り替え始めた。「ビジネスパーソンに自転車は無理」という風潮から、あえてスーツを着て往復400キロの啓発ライドを行うなど、ユニークな活動で人々を引き付けている(※1)。同国ナグプールで「India Pedals」を立ち上げたアミット・サマースさんは、「企業を自転車フレンドリーにするためのツールキット」を作成するなど、分野を横断して働きかけている(※2)。
また、ブラジル・リオデジャネイロのヴィヴィアン・ザンピエリさんは、安全なサイクリングを促進するモビリティネットワークの実装に向けた市のサイクリング計画策定に参加するなど(※3)、実際に行政のまちづくりに関与する事例も出ている。
アルゼンチンやエチオピアでは、女性が中心となったサイクリングコミュニティが生まれている。まちのインフラは、男性視点でデザインされることで、女性にとって快適でないことも多い。女性が自転車を通じてまちづくりに働きかけることは、誰でも暮らしやすいまちに向けて必要な視点を届ける一歩となるだろう。
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BYCSが掲げるのは、2030年までに都市部の移動の50%を自転車でまかなう「50×30」というビジョン。ある研究によれば、1日に1回、車移動を自転車に置き換えることで移動時のCO2排出量が62%削減されることから(※4)、これが実現すれば気候変動対策としての効果も期待される。
世界の都市は、車中心の構造から歩行者・自転車中心の都市へと舵を切り始めた。その先頭を駆け抜けているのは、必ずしも大きな権限や予算を持っているわけではない一人ひとりの市民だ。Bicycle Mayorは、自然環境だけでなく市民の「心地よさ」に都市に向けた道標であるかもしれない。
※1 Cycling and the city: Meet your local bike mayor|Imagine5
※2, 3 Action from the Bicycle Mayor Network|BYCS
※4 Christian Brand et al. (2021) The climate change mitigation effects of daily active travel in cities,Transportation Research Part D: Transport and Environment, Volume 93, https://doi.org/10.1016/j.trd.2021.102764.
【参照サイト】Annual Report 2023 | BYCS
【参照サイト】What Feminism Has Taught Urban Cycling: with Marti Frutos Gabioud | BYCS
【参照サイト】Meet the ‘Bicycle Mayors’ Making Cities Around the World More Bike-Friendly|Reasons to be Cheerful
【参照サイト】Bicycle Mayor Launches Femmes & Friends Group to Confront Cycling Barriers | Momentum Mag
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