「学校を1年間休んでいた」と聞いたら、その人にどんな印象を持つだろう。何か事情があったのかなと想像するだろうか。それとも、その人がどんな活動をしてきたと想像するだろうか。実は今、こうして学業の間に長期休暇を取る「ギャップイヤー(Gap Year)」のあり方が変わり始めている。
このような中、「ギャップイヤー」の発祥地であり支援制度が発展しているイギリスでは、近年新たな潮流と共に、ギャップイヤーをとる学生が急増。ギャップイヤーは、学生が社会貢献やサステナビリティに関連する価値観に触れ、実践する重要な機会と捉えられるようになってきたのだ。さらに企業の間でも、自己成長志向の高い人材を確保する手段としてギャップイヤーの経験を評価する傾向が広がり始めている。
学業に専念するのが学生の仕事──そんな考えは変わり始めているのかもしれない。その変化が起きつつあるイギリスの現状をもとに、ギャップイヤーの概要、メリットとデメリット、そして社会への影響を見ていこう。
ギャップイヤーの歴史
ギャップイヤーへの注目が高まる背景を探るために、まずはその歴史を振り返ってみたい。
ギャップイヤーの起源は17~18世紀にさかのぼる。当時のイギリス上流階級の若者は、成人前に欧州主要都市を巡る「グランドツアー」を経験することが一般的だった。この旅は教養を深め、人生の次のステップに備えるための重要な儀式とされ、社会的地位を示す手段でもあった。
一方、現代のギャップイヤーの概念は、1963年のイギリスにおける徴兵制度廃止を機に広まった「GAP(Gap Activity Project)」を根幹とするもの。これは、オックスフォード大学とケンブリッジ大学の男子生徒が入学前の9カ月間の空白期間を有意義に過ごせるようにと、名門校であるウェリントン・カレッジの校長フランク・フィッシャー氏が発足させたプロジェクトで、学生に様々な体験を通じた社会性・人間性の育成を推奨すると同時に、社会貢献を促すことが目的だった。
このモデルが、イギリス全土から欧米諸国、オーストラリアなどへと広がり、今日のギャップイヤー文化を形成した。
世界に広がるギャップイヤーの「今」
こうしたギャップイヤーの歩みを踏まえた上で、現代のギャップイヤーについて掘り下げてみたい。
現代のギャップイヤーは性別や年齢、進学先を問わず、高校卒業後や大学入学前・在学中に長期間(一般的には1年間)の休暇を取り、社会活動や旅行、自己探索などに充てる期間を指す。誰もが自分の意志で「人生の休暇」を取ることができ、活動内容に明確なルールはない。
長期間学業を離れるという意味では「休学」と似ているが、休学(Leave of absense)が学籍を維持したまま一時的に学業を離れるのに対し、ギャップイヤーは通常、「1年以内に学業をスタートする」という条件下で入学を延期する(Defferal)。在学中にギャップイヤーをとることも可能だが、この場合は厳密に言うと休学ということになる。
ギャップイヤーの目的は、若者が一時的に学業を離れて実社会で経験を積むことにより、視野を広げ、将来の進路を見直す機会を得ること。アメリカやカナダ、イギリス、ドイツ、フランスなどでは広く定着しているが、すべての国で導入されているわけではなく、国によりアプローチは異なる。日本においては、東京大学や神戸大学などが数カ月~1年間のギャップイヤー制度を導入しているなど制度化が進んでいる例も見られるが、依然として「空白期間」として扱われることも多く、欧米と比較すると認知度はまだまだ低い。
活動内容とメリット・デメリット
ギャップイヤー期間の活動は旅行や趣味といった個人的なものから、ボランティア活動やインターンシップ、スキル習得など、自己成長やキャリア形成につながるものまで多様化している。様々な活動を通して期待出来るメリットと考慮すべきデメリットとして、次のようなものが挙げられる。
メリットとして挙げられるのは、第一に心身のリフレッシュと学習意欲の向上だ。学業から一時的に休息することで心身共にリフレッシュ出来るほか、社会経験を通して将来のキャリアや目的が明確になり、学業に対するモチベーションが高まる。実際に、イギリスの学生住宅センター、Fresh Student Livingの調査では、ギャップイヤーを経験した若者の過半数が「ギャップイヤーを通して、大学で学びたいことが明確になった(60%)」「学業により真剣に取り組めるようになった(66%)」などと回答。また、イギリスやアメリカの研究によると、ギャップイヤーをとった学生は、大学での平均成績が高い傾向があることも報告されている。
また、異なる文化や価値観を持つ人々と関わることで、視野が広がり、固定観念に囚われず多角的に考える力が養われる。実務経験からチームワークに必要な能力なども身に付くだろう。一方ギャップイヤー中は、自分の興味や、長所・短所とも向き合う機会が増え、自己理解が深まるため、人生設計やキャリアプランにおいても、主体的に判断・行動できる基盤が築かれる。
一方、ギャップイヤーを取ることのデメリットも指摘される。一つ目は、経済的な負担。ギャップイヤー中の活動には費用がかかり、家庭・自分の経済状況によっては実現が難しい場合もある。例えば、ギャップイヤー中の渡航先として人気が高い10カ国それぞれで、ギャップイヤーにかかる月間平均費用は2,258ポンド(約44万円)。これは、イギリスの平均的な税引後所得とほぼ同じ額である。このような経済的負担は、選択を躊躇させる要因の一つとなっている。
同様に、将来の所得への影響も免れない。ある調査結果によれば、ギャップイヤーをとった人が30~38歳になった時に得る時給・週給は、高等学校卒業後すぐに進学した人より低い傾向がある。学業やキャリアの開始が遅れることが、その一因だと考えられている。
また、学業リズムが中断されることの影響も考えられる。長期間学業から離れると、再び学業に戻った時に集中力や習慣を取り戻すのが難しく、前述のポジティブな変化に反して、学習意欲が低下する可能性もゼロではないだろう。
イギリスのギャップイヤーに変化。持続可能性・社会貢献の実践へ
このように、メリットとデメリットどちらも与えうるギャップイヤーが、若者の意識の多様化に伴い、近年改めて注目を集めており、その目的も変わりつつある。特に、発祥の地であるイギリスにおいては、持続可能性や社会貢献への関心の高まりがギャップイヤーの具体的な過ごし方にも大きな影響を与えている。以下、大きく3つの変化を見てみよう。
ギャップイヤーをとる学生の急増
顕著な変化の一つは、ギャップイヤーをとる学生の増加だ。イギリスのオンライン出願機関・UCASによる統計データ「Daily Clearing Analysis」によると、大学進学を遅らせてギャップイヤーをとった学生は2012年(※1)から2023年(※2)にかけて1.4倍になり約2.7万人に達し、全体(約43万人)の6%以上を占めた。
ピーク時の2021年には2.8万人(2012年比44%増)を突破したことから、コロナ禍が多くの人々の価値観に影響を与え、さらに行動規制の影響で「自由」への要求が高まったことなどが増加の要因となっているようだ。
ギャップイヤーの目的は「自立」と「経験」
しかし、「自由な時間」を求める若者の増加=のんびりと気ままに過ごしたい若者が増えているわけではない。実際のところ、ギャップイヤーをとる理由として、41%が「自立すること」を挙げており、「学業から休養すること」は25%に留まる。「お金を稼ぐこと(16%)」「仕事の経験を得ること(9%)」がそれに続くが、いずれも親に頼らずに自分で大学や旅行の資金を稼ぐことや、仕事や旅行を通じて有益な経験を得ることを目的としている点が共通する(※3)。
具体的にどのような活動をしているのかと言うと、ギャップイヤー中の若者の大半(83%)が国内で就業する期間がある一方で、海外で過ごしたり(56%)、国内でボランティア活動を行う(20%)期間を設ける若者も多いという。
持続可能性・社会貢献への関心の高まり
もう一つの大きな変化は、ギャップイヤーが単なる「自己啓発の旅」に留まらず、環境問題や社会課題に向き合うきっかけとして位置付けられ、「自ら持続可能な未来を築く」という意識が高まっていることだ。
例えば、かつてはユースホステルに宿泊し、資金が尽きるまで「自分探し」をするといった気ままな旅を好む若者が多かったが、近年は目的意識を持った計画的な活動が支持を集めている。環境保護や地域貢献に取り組むNGOでのボランティアから、飛行機や車を使わないスロートラベルまで、ギャップイヤーはサステナビリティを実践する場として広がりを見せているのだ。
このような流れを受け、ダイビングや語学を習得しながらコスタリカの海岸を清掃したり、コロンビアの地域森林再生プロジェクトに貢献したり、南アフリカの学校で子ども達に英語を教えるといったプログラムへギャップイヤー中に参加する若者が増加傾向にある。
一方で、サステナビリティに関わるキャリアを目指す観点から、インターンシップなどを介して、環境・社会問題の解決に取り組む分野の研究に携わることを志望する学生も増えている。
ギャップイヤーを推奨する環境整備が後押しに
このような変化を後押ししている要因の一つは、ギャップイヤーを推奨する環境だ。
イギリスでは、多数の教育機関がギャップイヤーを前提とする入学猶予制度や、ギャップイヤーを有意義に過ごすためのプログラムやコンサルティングなどを提供している。その一方で、経済的な理由でギャップイヤーを断念することがないよう、活動資金の助成金・奨学金制度が確立されるなど、制度面での支援も充実しつつある。
多様な取り組みにより、ギャップイヤーは特定の層に限られた選択肢ではなく、より多くの若者が自分に合った形で「一度立ち止まって、将来について考える時間」を持つことが可能な社会づくりが推進されているのだ。
雇用にもポジティブな影響?
さて、このような変化は、イギリス社会にどのような影響を与えているのだろうか。ギャップイヤーが再注目されて間もないため、その影響を評価するには時間を要するが、最近の調査では、ギャップイヤー経験を前向きに評価する傾向が高まっていることを示すデータがいくつか報告されている。
ある調査では、ギャップイヤーを経験した若者の80%が「ギャップイヤーの経験が就職に役立った」と回答。一方、イギリスの2,000社を対象にした調査では、44%がギャップイヤー経験者を採用したことがあり、94%がその経験を持つ候補者を採用する用意があると回答した。
こうした結果は、学歴だけでなく実社会での経験が重視される時代の到来を示唆しているのではないだろうか。
休むことは、社会と繋がり直すこと
ギャップイヤーを、単なる休暇ではなく、自己成長と社会貢献を両立させる機会と捉える若者が増えていることは、時代の価値観の変化を象徴する流れである。
一方で、キャリアや子育てが一段落した成人の間で「大人のギャップイヤー(Adult Gap Year)」、余生を楽しむ高齢者の間で「老後のギャップイヤー(Gray Gap Year)」への関心が高まっていることも、非常に興味深い傾向だ。このような潮流は、進学・就職・家庭・定年退職といった典型的な一本道を進むことにとらわれず、多様な人生設計を模索する姿勢が同国で強まっていると見ることも出来る。
持続可能な未来への関心の高まりは、「何の為に時間を使うのか」「どのように社会と関わるのか」といった問いかけを促し、それにより、人生の選択肢をより意義深く責任のあるものへと進化させているのだ。
ここでは、そんな動きの一例として、イギリスのギャップイヤーについてレポートした。しかし、ギャップイヤーを経験しなくても、持続可能な未来への意識を育み、社会に貢献する道は無数にある。大切なのは、自分なりのカタチで社会や環境との関わりについて考え、行動に移していく姿勢なのだ。
※1 Statistical releases – daily Clearing analysis 2021|UCAS
※2 Statistical releases – daily Clearing analysis 2023|UCAS
※3 Gap Year Statistics UK 2023|Teaching Abroad
【参照サイト】Gap Year Statistics UK 2023|Teaching Abroad
【参照サイト】A Short History of the Gap Year|Gap Year Assosiation
【参照サイト】FRY Program|東京大学
【参照サイト】神戸グローバル・チャレンジ・プログラム|神戸大学
【参照サイト】63% of HR pros say gap year helps applicants stand out|PA Life
【参照サイト】Mind The Gap (Year)|Fresh
【参照サイト】Gap Year Statistics: How Many Students Take a Gap Year?|Tilting Futures
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Edited by Natsuki