創造性は社会を豊かにする一方、その担い手であるアーティストは常に経済的な不安と隣り合わせ──これはいま世界の各所で問題になっていることではないだろうか。

アーティストの仕事は、その性質上、社会情勢の波を直接受けやすい。記憶に新しいパンデミックでは、劇場やライブハウスが扉を閉ざし、多くのアーティストが活動の場と収入を同時に失ったことは、その脆弱性を浮き彫りにした。経済的な危機において、文化や芸術は「不要不急」と見なされ、真っ先に公的な支援が削られがちだ。しかし、私たちの心に潤いやインスピレーションを与えてくれる文化や芸術のない世界を、本当に望む人がいるだろうか。

この、才能が生活の不安の前にすり減ってしまう根深い問題に、アイルランドが一石を投じた。芸術家に「無条件の定期収入」を保障する、ベーシックインカム制度の導入である。

2022年に始まったこの試験的プログラムは、2,000人のアーティストに週325ユーロ（約5万7,000円）を3年間支給するというもの。それは単なる経済支援にとどまらず、アーティストたちに息継ぎをするための時間と、安心して挑戦するためのセーフティネットを与えた。この実験が大きな成功を収め、2026年から恒久的な制度として根付くことが決まった。

この制度の真価は、参加したアーティストたちの声にこそ表れている。ある若手のダンサーは、Creatives Uniteの記事で「以前より良いものを食べ、心の状態も良くなった。それが、より多くの作品を生み出す力になっている」と語った。目先の収入にとらわれず、本当にやりたい仕事を選べるようになったことで、じっくりと自分と向き合い、創作の質を高める。そんな「心の余白」が生まれたのだ。

その影響は、心の健康にもはっきりと表れた。ある参加者は、長年の不安から解放され、夜ぐっすり眠れるようになった。初めて心療内科のドアを叩くことができた人もいる。またある人は、「この制度が『あなたはアーティストなのだ』と社会から認められた証のように感じた」という。その承認は、お金と同じくらい大きな支えになっただろう。

今回の試験プログラムでは、プロのアーティストであることを証明した応募者の中から受給者が無作為に選ばれた。運によって明暗が分かれたことで、選ばれた者と選ばれなかった者の間に心の溝が生まれたり、既存の福祉制度との軋轢が生じたりと、新たな問題も浮かび上がっている。それでも、この制度が一部のアーティストにもたらした好影響は、既存の仕組みでは生み出しにくい、新たな支援の第一歩として意義があったのではないだろうか。

アイルランドの試みは、単にアーティストを救うだけではない。「創造性」とは何か、私たちはそれを社会のなかでどう位置づけるのか問いかけるものだ。誰もが「好き」を諦めることなく、それを生業とし、自分らしく生きられる社会。その一つの可能性が、今この国で芽吹いている。

【参照サイト】The Basic Income for the Arts in Ireland enables artists and creative workers to break the cycle of precarity
【参照サイト】Basic income support scheme for artists to be made permanent and opened to new entrants in budget
【参照サイト】Three Years After Trial Launch, Ireland Is Making Basic Income for Artists Program Permanent
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