効率化が生むのは、進歩か、それともさらなる消費か。AI時代の「ジェボンズのパラドクス」 

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私たちの身の回りには、「エコ」「省エネ」を謳う製品が溢れている。エアコンや冷蔵庫、電気自動車、LED照明など、エネルギー効率は年々向上し、企業の生産プロセスもかつてないほど効率化された。これだけ技術が進歩しているのだから、当然、地球環境への負荷は減っているはずだ──多くの人がそう考えたことがあるのではないだろうか。

しかし、現実は直感に反している。科学誌『Nature Communications Earth & Environment』に掲載された論文によると、過去10年間で世界のGDPあたりの炭素排出量は大幅に改善された。しかし、その改善効果は世界経済の成長によって完全に相殺され、結果として世界の総排出量は減るどころか、むしろ増加し続けている。

なぜ、効率が良くなっても環境問題は解決に向かわないのか。この厄介な問いに答える鍵は、150年以上も前に指摘されたある経済学のパラドクスにある。その名も「ジェボンズのパラドクス」だ。

150年前から変わらない「成長の罠」。ジェボンズのパラドクスとは?

このパラドクスは、1865年にイギリスの経済学者ウィリアム・スタンレー・ジェボンズが著書『石炭問題』の中で提唱したものである。当時のイギリスは産業革命の真っ只中にあり、蒸気機関がその動力を担っていた。多くの人々は「蒸気機関の燃焼効率が上がれば、燃料である石炭の使用量は減るだろう」と楽観視していた。

しかし、ジェボンズは全く逆の現実を喝破した。「燃料を経済的に使用することは、消費量を減らすことにはつながらない。真実はその正反対である」と彼は述べた。効率化によって石炭を利用するコストが劇的に下がると、蒸気機関はこれまで採算が合わなかったような、より多くの工場や機械、輸送船にも導入されるようになった。結果として、個々の機械の燃費は良くなっても、イギリス全体の石炭消費量は爆発的に増加したのである。

これがジェボンズのパラドクス、あるいは「リバウンド効果」と呼ばれる現象の核心だ。効率化で得られたコスト削減分が、さらなる消費拡大に使われてしまうのだ。

そして、論文が示すこの構造は、現代の最先端技術であるAIにも当てはまる危険性をはらんでいる。AIは再生可能エネルギーの発電量を最適化するなど、環境問題の解決に貢献する大きな可能性を秘めている。しかしその一方で、現状では社会的に不可欠とは言えない動画生成サービスなど、膨大なエネルギーを消費する方向にも投資が集中している。もしAIによる効率化の恩恵が、新たな消費の拡大によって食いつぶされてしまえば、それはまさに現代版のジェボンズのパラドクスと言えるだろう。

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効率化が支えた、社会の進歩。パラドクスのもう一つの顔

では、ジェボンズのパラドクスは単に否定されるべき「悪」なのだろうか。デジタル分野のサステナビリティを牽引するトム・グリーンウッドとアシム・フセインによるポッドキャスト『House of Life』のエピソードでは、このパラドクスが持つ、もう一つの重要な側面を提示している(※1)。それは、資源消費の増加が、皮肉にも「社会の進歩」と密接に結びついてきたという歴史の事実だ。

ジェボンズが指摘した石炭消費の急増は、当時のイギリス社会に何をもたらしたか。それは、劣悪な環境で1日12時間以上も働かされていた5歳の子どもたちを鉱山から解放する法律(1842年鉱山法)であり、すべての子どもに教育の機会を与える英国初の国民教育制度(1870年初等教育法)であった。石炭が生み出した莫大な富とエネルギーが、人々の生活を向上させ、残酷な児童労働を過去のものにする社会的な余裕を生んだのだ。

この構造は、現代でも見られる。例えば、1960年からのインドにおける灌漑技術の効率化は、地下水の使用量を増加させた(※2)。環境面だけを見れば、これは問題である。しかし、その水は食料生産を劇的に向上させ、飢餓に苦しむ人々を救い、乳児死亡率を大幅に下げることにつながった。

これらの事例が示すのは、ジェボンズのパラドクスが顕著に現れる背景には、飢餓や貧困、過酷な労働といった、人間が生きていく上での「根源的で巨大な需要」が存在したという事実である。この文脈において、効率化がもたらした資源消費の増加は、人々の福祉を向上させるために不可欠なプロセスだったとも捉えられる。

消費をあおるものは、「ニーズ」から「アディクション」へ

過去の消費が「生存のための必要(ニーズ)」に根差していたとすれば、現代の私たちの消費はどうだろうか。『House of Life』のエピソードでは、現代の消費の多くが、企業のマーケティング戦略やSNSのアルゴリズムによって巧みに「作られた欲求」や、一種の「依存症」によって駆動されているのではないかと問いかける。

人々がカジノでスロットマシンにのめり込むように、私たちは「翌日配送」のボタンをクリックし、次々と新しいモデルが発売されるスマートフォンに「乗り遅れてはいけない」という漠然とした不安を掻き立てられる。それは本当に私たちの内側から湧き出た欲求なのだろうか。

なぜ企業は、私たちの欲求をそこまでして刺激する必要があるのか。その一因は、私たちの経済システムが「GDPの永続的な成長」を至上命題としていることにある。成長が最優先される限り、企業は常に新たな消費を生み出し続けることを強いられる。そして、技術の効率化によって得られた利益は、環境負荷の削減ではなく、「さらなる生産・消費」のために再投資されていく。このシステムの中にいる限り、私たちはジェボンズのパラドクスから逃れることはできないのだ。

「成長の質」を問い直し、パラドクスを超えられるか

小手先の効率化だけでは、この強力な「成長主義経済」というエンジンを止めることはできない。もし私たちが本気で持続可能な社会を目指すのであれば、根本的なパラダイムシフトが必要だ。それは、GDPという単一の指標を絶対視するのではなく、人々と地球の「ウェルビーイング(幸福、豊かさ)」を経済の羅針盤として、より重視していくことに他ならない。

重要なのは、技術効率化によって生まれた余剰(コスト、時間、エネルギー)を、何に再投資するのか。その「使い道」を、私たち自身が意識的に選択することだ。例えば、AIの効率化を、より中毒性の高いサービス開発や消費を煽るマーケティングに使うのではなく、再生可能エネルギーの安定供給、資源を消費しない新たな医療・教育サービスの創出、あるいはサプライチェーン全体の脱炭素化といった、明確な社会的価値を持つ領域に向かわせる。企業の利益を、短期的な株主還元だけでなく、長期的な研究開発や従業員のスキルアップ、そして環境再生へと振り向ける。

これは必ずしも「成長」そのものを否定するものではない。むしろ、これからの時代における「質の高い成長」とは何かを問い直す試みだ。市場の「見えざる手」が常に最適解を導くわけではない以上、社会全体で「どのような未来のために技術を使うのか」という目的を共有し、その方向にインセンティブが働くよう、ルールや制度を設計していく必要があるだろう。

ジェボンズのパラドクスが突きつけるのは、技術はあくまで中立であり、その価値は私たちの目的に依存するという、ある種の「鏡」である。AIという強力な鏡に、消費の拡大という欲望を映し出し続けるのか。それとも、持続可能で真に豊かな社会というビジョンを映し出すのか。その選択は、私たち一人ひとりの手に委ねられている。

※1 #010 – Is the Jevons Paradox a genuine limit to sustainability?
※2 緑の革命とは?メリット・デメリットや問題点を紹介!各国の取り組みを簡単に解説

【参照サイト】Jevons Paradox in the 21st Century: Rethinking Sustainability Strategies
【参照サイト】Mitigation efforts to reduce carbon dioxide emissions and meet the Paris Agreement have been offset by economic growth
【参照サイト】#010 – Is the Jevons Paradox a genuine limit to sustainability?
【参照サイト】利益優先のサステナビリティ事業からの脱却

Featured image created with Midjourney (AI)

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