「ペンは剣よりも強し」という表現は、一般的に「知性や学問に勝るものは無い」という意味で使われる。武力で解決するのではなく対話を積み重ねて物事を解決しようとする、平和の象徴のような言葉でもある。
だがここで気を付けたいのは、ペンも剣も「力(権力)」であるという点だ。力を持つ者と持たざる者の差はどちらの場合も出てくるし、ペンの力で支配しようと剣の力で支配しようと、そこに「支配しよう」という目論見がある点に変わりは無い。
2014年にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイが、タリバンの銃撃から一命を取りとめた後、国連本部で演説をしたことがある。彼女はそこで、「ペン」の部分を「教育」ととらえ、タリバンは私たち女性が受ける教育の力を恐れたからこそ私を襲ったが、それでも私は沈黙しない、と「剣」に屈しない姿勢を表明した。つまり自分こそは「ペン」の代弁者である、という認識だ。
その演説に応えるかたちで、あるタリバン幹部がマララ宛てに送った手紙がある。その中で彼はこう述べる。「昨日のスピーチであなたは『ペンは剣よりも尊い』と言った。だから彼らはあなたの剣(力)を理由に撃ったのだ。学校や本が理由ではなく」と。彼はマララに、「あなたも剣を振りかざしている」と伝えている。ここで言う「剣」とは、つまりプロパガンダのことだ。そして、そのプロパガンダで傷を負う者がいることを知っておかなければならない、と諭す。
どの解釈が正しいとか間違っているということではなく、そもそも言い回しや格言といったものは比喩をふんだんに用いているため、意味が一様に定まらないというのは十分起こり得ることだ。「ペン」も「剣」も比喩なのだから、それぞれの単語に何をあてがうかは、語る人の立場や状況によって変わる。
言い回しを使うと話が綺麗にまとまりやすく、人々の印象にも残りやすいため、「ペンは剣よりも強し」といった格言が重宝されるのはよく分かる話だ。だが、そこから一歩踏み込んで、では何が「ペン」で何が「剣」なのかまで追求する姿勢が無いと、「敵はモノが分かっていないだけ」という一方的な決めつけが発生してしまう。言い回しはあくまでも言い回しに過ぎないことを心得て、プロパガンダに手を貸さない、謙虚な発信力を身につけたいものである。
【参照サイト】マララさん タリバン銃撃乗り越え国連演説全文「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペンでも世界を変えられる」
【参照サイト】HERE’S THE FULL TEXT OF THE TALIBAN LETTER TO MALALA YOUSAFZAI
【参照サイト】タリバーン幹部からマララへの手紙、全訳
(※写真:shutterstock)