「2016年3月13日3:00、自ら命を絶った姉のスマホです。」
「祖父はこのダルマに私の幸福を願ったけれど、私は祖父に何も祈りませんでした・・・・・・祖父が亡くなるまで。」
「最後に使っていたゴム手袋を送ります。家事労働に勤しんだ証として。これで、ようやく自分の人生を生きていくことができそうです。」
「他に何人も女の子がいたみたいだから。さすがに目が覚めました。もし正式に付き合えたら、誕生日プレゼントにしようと考えていたものを寄付します。」
これらの文章はすべて、別れを展示する世界で唯一の博物館ことMuseum of Broken Relationships(別れの博物館)で、忘れ形見と共に展示されるストーリーに書かれていた内容だ。この博物館では、別れの経験を共有するアイテムとそれにまつわる話を一般の人から募り、展示している。それはまるで、美術館に展示された絵画を解説するキャプションのように、アイテムを引き立てる。
2006年にクロアチアの首都ザグレブで誕生した同博物館は、世界30カ国あまりを巡回する博物館へと成長し続けている。悲しい体験にスポットライトを当てた「別れの博物館」が、国境を越えて人々を惹きつけるのはなぜだろうか。日本での開催を主催した株式会社カネコ・アンド・アソシエイツ・ジャパンの親盛ちかよさんにお話をうかがった。
「ひとりの人間が心からポジティブになるって難しいことだと思うんです」と親盛さんは語る。今回の展示でアイテムを募集した時も、一度は応募したものの最終的には忘れ形見を手放すことができなかった人たちが一定数いたという。いったんは自分の中で区切りをつけると決めても、そこから完全にくぐり抜けるまでには時間がかかる。
悲しいこともあって当然の人生だ。それなのに今は、ポジティブでない部分に蓋をする社会になっていないか。元気で充実した日々を送る自分ばかりを演出するのは、逆に不自然ではないか。そういう疑問が親盛さんのなかにはあったし、それに共感する人は多いと思う。
壊れてしまいそうな感情、腐ってしまいそうな感情を引き受ける受け皿が世の中に不足している。そういうときに「別れの博物館」のような企画がすっと現れれば、足を運びたくなる人が多くいるのもうなずける。
別れの経験は、ただマイナスの痛みになるだけではない。悲しみを咀嚼し、そっと葬ることで、次の幸せにつなげられる。「別れの博物館」のプレスリリースでは、「別れの経験を共有することで、人は慰められ、癒され、また人間同士の真の交友を得ることができると私たちは信じてやみません」という創設者の言葉が寄せられている。
「人間同士の真の交友」とは何だろうか。そのヒントは創設者であるOlinka VišticaとDrazen Grubišicがたどってきた道のりから得られるかもしれない。2人はもともと恋人関係にあったが別れ、残された思い出の品々の新しい居場所をつくりたいと思ったのが、この博物館の始まりだった。今では、世界中に広まるお別れ展の輪を共に盛り上げる同志だ。
創設者の2人はもう恋愛関係にはなく、そしてただのビジネスライクな繋がりにあるわけでもなく、まだ名前のない人間関係を模索している最中なのかもしれない、と感じた。恋愛感情が結ぶ関係とは全く異なるかたちで、互いの幸せを願い、互いを高め合い、求め合おうとしているのではないか、と。そうやって自分たちの大切なものを探し続ける姿が、世界中の人たちの希望となり支持を集めたのかもしれない。
お話を聞き終わり、展示室にたたずむ人たちを再び見つめた。涙を流す人、晴れ晴れとした表情の人。あの人は今、とても寂しいのだろうか。あの人は今、ほんの数センチ前に進んだのだろうか。私は心の中で来場者たちに問いかける。「別れの博物館」は来場する人々の感情に優しく寄り添いながら、アイテムに込められた応募者の思いを大事に大事に、扱っていた。
【参照サイト】Museum of Broken Relationships
【参照サイト】日本初開催! 「別れの博物館」あなたとわたしのお別れ展がスタート!