働き盛りを襲う病、うつ病。
厚生労働省が3年ごとに実施する「患者調査」によれば、うつ病の患者数は、平成26年時点で110万人にものぼるという。平成23年の調査では95万人で、わずか3年間で16%も増加した。20年ほど前の平成8年の調査と比べると、うつ病で苦しむ人が2.6倍に増えたことになる。
年代別に見てみると、うつ病になった割合が19.6%と全体で最も多く占めているのが、40代だ。働き盛りのこの年代でうつ病の発症が多い事実は、やはり仕事との関連性を考えずにはいられない。
40代というと、一般的な会社では管理職として活躍し始める人も少なくなく、経営層の意思を受け取り、現場を引っ張っていく部門リーダー的な役割が期待される。上からも下からもプレッシャーがかかる、まさに中間管理職として多くのストレスに見舞われやすいのが、この年代だ。
現代のメンタルヘルス対策の限界
その一方で、世間では「働き方改革」が叫ばれている。また、過労死やうつ病による自殺者が増加していることもあり、労働環境の改善やメンタルヘルス対策に乗り出す企業が増えてきていることも事実だ。同じく厚生労働省が平成29年に実施した「労働安全衛生に関する調査」では、調査対象となった1万4千の事業所のうち、58.4%が何らかのメンタルヘルス対策に取組んでいるという結果になった。
対策の内容はというと、調査票を用いたストレスチェック、メンタルヘルス対策に関する労働者への教育研修や情報提供、相談体制の整備、健康診断後の保健指導などへの回答が多く寄せられている。40代社員はもちろんのこと、全社員のメンタルヘルスを守るべく、多くの企業が策を講じているようにも見受けられる。
だが、多くの企業で実施しているとされる上記のメンタルヘルス対策を見ていて気付くこともある。それは、対策の多くが、発生後の社員による自己申告に頼らざるをえない点だ。
ストレスチェックやパワハラ相談室などはたしかに多くの企業に導入されているが、これらは事前に兆候を発見するというよりも、「調子が悪い」「気分が憂鬱だ」「労働環境が合わない」などの回答・意見が表になって初めて機能する。
言い換えれば、事前の防止という役割ではなく、うつ病にかかった社員を発見するという事後的な色が強い。起こってみないと対処できないのが、近年のメンタルヘルス対策の現状であり、限界なのだ。
会話から、AIがうつ病のサインを見つけ出す
マサチューセッツ工科大学(以下、MIT)の研究者たちが研究するニューラルネットワークを活用したテクノロジーが、うつ病患者の早期発見に転機をもたらすかもしれない。うつ病の発見は、これまでも特定の質問への回答を分析して判定するなど、機械学習を用いた方法が開発されてきたが、AI技術を研究するMITコンピュータ科学・人工知能研究所(以下、CSAIL)が進める方法は、決まった質問ではなく、自然な会話の中からうつ病の兆候を発見するという。
ニューラルネットワーク(Neural Network)とは、AI領域の一つで、人間の神経回路を人工的な数式モデルによって表現したものだ。それまでの機械学習が、人によって決められたルールに基づき答えを導き出すのに対して、人間の脳を模したニューラルネットワークは、訓練することによって学習し、答えを出すためのルールを自ら発見することができるのだ。
昨今、よく耳にするディープ・ラーニング(深層学習)は、簡単にいえば、このニューラルネットワークを何層にも渡って構築し、より複雑な回答を導き出すことを可能にしたAI領域と言える。
CSAILの研究者たちが研究しているうつ病発見のためのニューラルネットワークでは、シーケンス・モデリングと呼ばれる音声処理に用いられる技術が使われている。うつ病の人とそうでない人の音声データをAIが蓄積・分析し、うつ病患者に多い特徴、たとえば話すスピードがゆっくりであることや、言葉と言葉の感覚が長いこと、また使用する言葉、あるいは会話全体の印象から、うつ病のサインを見つけ出す。
まだ研究段階ではあるものの、この革新的な技術は、テストでは80%程度のスコアの精度が示されている。つまり、このテクノロジーの精度がより高まれば、通話で交わされる自然な会話のちょっとした違いや、SNSで投稿した言葉遣いなどから、うつ病の兆候を発見できるようになる可能性も出てきたということだ。
うつ病を見つけたあとの対策は?
社員の自己申告に頼りがちであった、企業のメンタルヘルス対策。CSAILの研究が実用化されれば、事前のうつ病のサインを見つけ出すことできるようになる。企業としても素早いリスク対策となるだろうし、上司の立場であれば、部下に対していち早くフォローができるようになるだろう。多くの社員を抱える企業にとっては、夢のようなテクノロジーかもしれない。
だが、忘れてはいけないことがある。AIがある社員にうつ病判定を下したとしても、最終的にうつ病かどうかを断定するのは、やはり人だということだ。もし、あなたが管理職だとして、信頼できる優秀な部下の一人に対して、AIがうつ病サインを発見したとする。ガイドラインに従えばすぐに病院に向わせ、場合によっては休職を進めるところだ。
だが、彼は「自分は大丈夫です!頑張れます!やらせてください!」とハツラツと主張している。このとき、あなたは彼を休ませることができるだろうか。「君がそう言うなら、応援するよ!」などと誤った優しさを発揮してしまわないだろうか。
あるいは、ある日突然コンピュータによって「あなたはうつ病の傾向があります。」という警告メッセージが出されたとしたら、あなたはそれを受け入れることができるだろうか。
うつ病は、怪我のように見た目には表れにくく、判断が難しい病気だ。だからこそ、対応が事後になるケースが多く、CSAILの研究のような事前発見を可能とするテクノロジーは貴重なものになる。
しかし、その診断結果をもってどのように対処するかを、自分自身あるいは会社がルールとして決めておかなければ、結局、うつ病の社員が減ることはないだろう。メンタルヘルス対策にとって重要なことは、うつ病を発見する最新テクノロジーだけでなく「うつ病に対する正しい理解」であることは変わらないのかもしれない。
【参考サイト】厚生労働省 患者調査
【参照サイト】厚生労働省 労働安全衛生に関する調査
【参照サイト】ニューラルネットワークとは?人工知能の基本を初心者向けに解説!
【参照サイト】Model can more naturally detect depression in conversations