「パレスチナ」と聞いてどのようなイメージを持つだろうか。
紛争や難民といったワードを思い浮かべ、どちらかといえばネガティブなイメージを持つだろうか。もしくは、あまり馴染みがなく、正直「どんな場所かよく知らない……」という人もいるかもしれない。実際、日本で中東地域のことを耳にすることは決して多くはなく、どのようなところか「知ろう」と思わなければ知ることが難しいだろう。
ヨルダン川西岸地区とガザ地区に分かれるパレスチナは、日本では現在、独立国家として承認されていない。1948年のイスラエル独立宣言、建国に伴って第一次中東戦争が勃発、およそ70万人以上のパレスチナ人が故郷と家を失い、ヨルダン川西岸地区、ガザ、ヨルダン、レバノンなどに逃れた(※1)。以来、パレスチナ難民の数は増え続け、2020年には世界中で約629万人。その数は2019年時点でのパレスチナの人口約497万人を大幅に超えている。さらに、人口だけでなく面積も減り続けている(※2)。
そんな深刻な状況に直面していることもあり、ニュースや世界史の授業などでパレスチナに触れるとき、その内容は暗い話である場合が多い。しかし、そんな負の側面ばかりに注目するのではなく、パレスチナの「明るい面」を知ってほしい。そんな想いから立ち上がった人がいる。「架け箸」の代表・髙橋智恵(たかはし ちえ)さんだ。
「これからパレスチナという場所がもっと小さくなったり、もっと人が移動して、いなくなってしまったりするかもしれない。だから、今やらないといけないと思ったんです」そのように話す髙橋さんは、パレスチナの刺繍や食といった「豊かな文化」を人々に伝えることで、パレスチナと日本をつなぐ“架け橋”になることを目指している。
「人々のパレスチナに対する心理的なハードルを下げたい」そんな目標を掲げて活動する髙橋さんに、どうしてパレスチナに関わる仕事を始めたのか、活動内容、活動にかける想いを伺った。
話し手:髙橋智恵(たかはし ちえ)さん
兵庫県生まれ。自然に囲まれて育つ。英会話をきっかけに世界に興味が湧き、大学時代はロシア語にはまりスラブ圏のブルガリアに留学。エコと菜食にも目覚める。パレスチナ問題の実情と紛争下の暮らしを知りたいと在学中にパレスチナに渡航、英語塾のインターンシップとホームステイを経験した。その時出会った美しい刺繍に魅せられて卒業論文のテーマに選び、2019年度神戸大学国際文化学部優秀卒業論文賞を受賞。2020年2月に起業、架け箸の活動をスタート。
※1 認定NPO法人 パレスチナ 子どものキャンペーン
※2 外務省 パレスチナ基礎データ
きっかけはホストファミリーに言われた、「わざわざ来てくれてありがとう」
大学卒業直後、2020年2月に架け箸を立ち上げてから約1年間、架け箸の存在を知ってもらうべく今日まで奔走してきた髙橋さん。ウェブサイトやSNSを通じたパレスチナ・中東地域に関する情報発信、オンラインとオフラインでのイベントや写真展の開催など、一人で幅広く取り組みを続けてきた。イベントは今はオンラインが多いが、パレスチナにいる現地の人と中継をつないで行うなど、日本に居ながらもパレスチナを身近に感じることができる仕掛けを作っている。
Q. パレスチナに関する活動を始めたきっかけを教えてください。
きっかけは、高校生のときにパレスチナ問題を知ったことです。それからパレスチナに興味を持ち始めました。初めてパレスチナを訪れたのは大学時代。ブルガリアに留学をしていたときに旅行で行きました。最初は、社会と文化の状況を知りたいという純粋な好奇心から訪れたのですが、そのときに「もっとパレスチナと関わりたい」と強く思いました。
そのきっかけとなったのが、パレスチナ滞在中にお世話になったホストファミリーに言われた「わざわざパレスチナに来てくれてありがとう」という言葉。これまで世界のどの国を訪れても、そのような言葉を言われることはなかったので驚きました。それと同時に、パレスチナの人たちがそういう言葉を発すること自体が、悲しいことだと感じたんです。
この言葉の背景にはおそらく、「こんな複雑で大変な国を選んで、来てくれてありがとう」そんな感情があると感じました。政治的な事情などを理由に訪れる人が少ないパレスチナ。そもそも日本では、パレスチナに関するニュースを耳にすることは少なく、どのような国か知らない人も多いです。仮に知っていても、戦争や難民といったワードからネガティブな印象を持つ人たちも少なくありません。
でも、実際に行ってみると本当に温かくて魅力的な国だった。だから、その魅力的な面を伝えることで、暗い面ばかりが切り取られてしまいがちなパレスチナのイメージをもっとポジティブなものに変えたいと思いました。パレスチナが、もっと多くの人にとっての旅の選択肢の一つになればいいなと思ったんです。
パレスチナの象徴であるオリーブにポジティブなイメージを
そんなきっかけづくりの一つとして髙橋さんが今取り組んでいるのが、パレスチナの特産品であるオリーブの木を使ったお箸と伝統の刺繍製品づくり。現地の人たちと共に企画し、現地で制作してもらっているそうだ。パレスチナで作られたこれらのオリジナル商品の販売を、今後活動の中心にしていく予定だという(※3)。
Q. 現地の人の手仕事を生かした活動を主軸に置いているのはどうしてでしょうか?
これまでメインで行ってきた情報発信やイベントはもちろん大事なことなので、これからも続けていきます。ですが、こういった情報やトークって、簡単に人に見せることが難しいと思うんです。それに比べてモノって、人が身に着けていたり、お店に飾ってあったりすることで目に見えやすい。見えることで気になったり関心を持ったりする人も出てくると考えました。
また、商品を現地の人に作ってもらうことで、パレスチナの伝統技術を守ることや人々の収入向上にもつながります。そういった理由からモノづくりとその販売を軸にしようと考えました。
そして何をつくろうかと考えたとき、まず思い浮かんだのがパレスチナの象徴的な植物であるオリーブでした。オリーブの木はパレスチナ人が大事にしているものだからこそ、紛争の際に標的になりやすく、破壊されることが多い。そんな負の要素を持つものからプラスのものを生み出したいと考え、思いついたのがオリーブの木でつくるお箸でした。
理由はいくつかあります。一つは日本文化との接点をつくりたかったこと。ヨーロッパなどでよく使用される木の食器やカトラリーは既にパレスチナのオリーブを使って作られていますが、日本らしい製品はまだなかったんです。もう一つは、現在パレスチナで収入源になっているオリーブの実とオイルに加えて、枝も収入源にすることができると考えたこと。さらに、無駄になってしまう部分を少しでも減らすことができると思いました。
美しい面を知って距離を縮めることで、どんなことでも受け入れられる。
Q. 架け箸のことを知ってくださった人に、活動を通してどのようなことを感じてもらいたいですか?
私の役割は、人々とパレスチナの心理的な距離を縮めること。そのために美しい面を伝えることです。より多くの人にパレスチナの良さに気付いてもらい、パレスチナをもっと身近に感じてもらいたいです。身近な存在になると、パレスチナの抱える課題が見えてくることもあると思うのですが、そんなときでも距離が縮まっていれば、受け止めることができる思っているからです。
例えば、私たちが誰かに初めて会うとき、いきなりその人の家庭のことは聞かないと思います。ある程度距離が縮まって仲良くなってからの方が、「私実は片親なんだよね」「私の家族病気なんだよね」といった家庭の事情も打ち明けられる。聞く側も、出会ってすぐに言われるよりも親しくなってから言われる方が受け止めやすいのではないでしょうか。
パレスチナの問題も、美しい面を知り心理的な距離が近い状態で背景を知ることで関心を持つことができ、自分事化できると思います。最初に社会課題などネガティブな側面を伝えて「それらをどうにかしましょう」と訴えても、実際に行動に移す人は限られていますが、もしパレスチナのポジティブな面を知っていたり現地の人とつながったりしていれば、パレスチナのために何かしようと思う人も出てくるかもしれない。また、一人ひとりの日々のニュースや情報の受け取り方も変わるのかもしれません。
環境問題など他の社会課題にも言えますが、伝えたいメッセージがあるとき、課題にフォーカスするよりも明るい側面を伝えるほうが良いと思っています。そんなこともあって、パレスチナの豊かな文化を知ってもらうこの活動をしています。日本での中東への印象はあまりよくない。だからこそ、良い面を知ってもらうことで、イメージと現実のギャップを埋めていきたいと思っているんです。
「わざわざ来てくれてありがとう」――そんな言葉を言う必要がなくなるくらい、もっとたくさんの人にパレスチナの魅力を感じ、足を運んでほしいと思っています。こんな小さな活動だけど、色々な場所で伝え続けることは意味のある活動だと信じて続けています。
人々の懐の深さと歴史の奥深さが魅力。いつか日本とパレスチナをつなぐ場所を
Q. 髙橋さんにとってのパレスチナの魅力、そして活動の展望を聞かせてください。
パレスチナの一番の魅力は、人々の「懐の深さ」。助ける精神がすごくあって、初めて出会う人でもすぐに自分の家に招き入れてもてなします。また、歴史の深さが感じられる豊かな文化も魅力の一つ。今、現地の方につくってもらっているパレスチナ伝統刺繍も、時代によって込められている意味が違っていたり、デザインが違っていたりします。日本の文化も海外では魅力的なモノとして取り上げられることがありますが、パレスチナの文化もとても奥深いんです。
今はオリーブの木を使ったお箸がメインですが、今後は日本らしい湯飲みなども製品化したいと思っています。また将来的には、地元にパレスチナ料理のお店兼地域の人が立ち寄って井戸端会議できる場所を作るのが夢です。パレスチナの刺繍などを使って雰囲気を出しつつも、老若男女誰でも入りやすい雰囲気のお店にできたらいいですね。
全国どこからでもアクセスできるという点でオンラインでの活動や販売も良いのですが、人々の居場所となるような場所をつくりたいと思っています。食や雑貨など低いハードルで触れてもらうことから始め、日本に居てもパレスチナを感じてもらうことで、距離を縮めてもらいたいんです。
取材後記
人が輝くのは、心から好きなことしているときだ。髙橋さんを見てそう感じた。なぜなら、パレスチナへの熱い気持ちと魅力を広めたいという熱意が、髙橋さんの口から出てくる言葉と共に溢れ出ていたから。
取材中に髙橋さんは、現在制作中のオリーブの木のお箸に刻む予定の言葉を教えてくれた。日本語で「笑い」、英語のテキストメッセージでよく使われる「hahahaha」という言葉をアラビア語で刻むつもりだという。文字をつなげると植物っぽいデザインになるのが良い、と話していたが、加えてこんなことも言っていた。
「『このお箸何?』と他の人から聞かれたときに、『爆笑っていう意味らしい』って一言で説明しやすい。あとは食卓で使う箸なので堅い言葉ではない方がいいなあと思ったんです。難しいこと書いてもピンとこないじゃないですか。」
異文化を理解するときの一つの入り口となる「食」。その食に欠かせない「箸」の存在が食卓を、そしてパレスチナの未来を明るくするのかもしれない。
架け箸の英語名は「Bridge not wall」。「壁ではなくて橋を築こう」――そんな想いが込められている。この名前の通り、これから架け箸は、日本とパレスチナを結ぶ橋になっていく。そう確信した。
※3 「一周年の小さな地域特化ブランドが、中東のパレスチナから心のこもった手仕事の製品を届けたい!」
現在髙橋さんは、パレスチナの作家と共に企画、制作している商品を軌道に乗せるための資金集めとしてクラウドファンディング挑戦中。興味を持った方はこちらのサイトを覗いてみてほしい。支援は2021年3月23日まで。
【関連サイト】架け箸
【関連サイト】クラウドファンディングページ 一周年の小さな地域特化ブランドが、中東のパレスチナから心のこもった手仕事の製品を届けたい!