抜毛症のボディポジティブモデル・Genaさんに聞く、「そのまま」の自分を受け入れるヒント

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ボディ・ポジティブという概念をご存じだろうか?ボディ・ポジティブとは、自分のありのままの体を受け入れ、愛そうとするムーブメントのことだ。特に、「痩せた体型=キレイ」という従来の美の定義から外れ、プラスサイズの体をありのままに愛そうという動きを指すことが多い。

そんななか、「抜毛症」のボディ・ポジティブモデルとして活動を行うのがGenaさんだ。Genaさんは、自分で自分の髪の毛を抜いてしまう「抜毛症」の当事者であり、SNSやブログなどでの発信を通して「自分の体を受け入れよう」というメッセージを発信している。

今回の記事では、Genaさんにこれまでの経験や、シャンプーの開発に込めた想いなどを伺いながら、「美しさ」や「自分を受け入れること」について想いを馳せていく。

ありのままの自分を受け入れて

Q.Genaさんの活動について教えてください。

私は、2021年から抜毛症のボディ・ポジティブモデルとして本格的に活動しています。ボディ・ポジティブモデルの仕事は、社会に対して、多様性の一例を見せ、「ありのままの自分の体に対して良いイメージを持とう」「自分の体を受け入れよう」というメッセージを発信すること。具体的な活動の内容としては、ブログやコラムで自分の経験や考えてきたことを発信したり、自分の姿を隠さずにSNSで発信したりしています。

「ボディ・ポジティブ」は、もともと体型について使われることが多い言葉です。実際に私もアメリカのプラスサイズのモデルが好きで、SNSでフォローしていたのが「ボディ・ポジティブ」概念との出逢いでした。あるときふと、「自分の抜毛症もボディ・ポジティブの対象になるのではないか」とひらめいたことから、活動を始めることにしました。

Genaさん

Q.そもそも抜毛症とは?

抜毛症は、自分で自分の体毛を抜いてしまう病気です。抜いてしまう毛の部位は、眉毛、まつげ、ひげなど様々。抜く部位が移動していくこともあり得ます。発症するのは思春期の頃が多いと言われていて、9:1で女性が多いというのが特徴的です。

実は、人口の1~2%が抜毛症と言われているのをご存じでしょうか。100人に1人か2人いると考えたら、かなり身近な病気に思えますよね。しかし、現時点では専門の医療機関や確立された治療法などもありません。お医者さんでも抜毛症の存在を知らないことが多いくらいで、まだまだこれからの研究に期待がされている分野なんです。

眉毛の形を整えるために毛を抜くことがあるように、毛を抜く行為はわりと身近なものです。だからこそ、抜毛行為もただの「癖」だと思われがちなのですが、抜毛症の場合、本人は抜きたくて抜いているわけではありません。ですが、それがなかなか理解してもらえずに、家族や周囲の人からは「意志が弱いから抜いてしまうんだ」「いい加減にしなさい」などと言われてしまうことが多いですね。本人もそう言われ続けることで、「自分が悪いんだ」と考えるようになってしまう。それがつらいところだと思います。

私の場合、昔ひどかったときは、1本抜き始めたらとまらなくなってしまって1時間~2時間毛を抜く行為に没頭してしまっていていました。そのときは痛みもなく、気持ちが良いという感じなのですが……ふっと我に返ったときに机の上に髪の毛が山盛りになっているのを見て、血の気が引きました。

そうすると「何をやっているんだろう」「本当にハゲてしまうかもしれない」と後悔の念が押し寄せてきて、勉強も手につかないし、落ち込んでしまって……そうするとまた髪を抜きやすくなってしまうし、とにかく悪循環でした。心理士さんからは、毛を抜いているとき、一種の乖離状態にあるんじゃないかと言われましたね。

髪の毛

Q.「抜毛症は自己責任だ」という考え方について、どう思われますか。

私の場合は、周りから自己責任だと攻められることはそう多くありませんでしたが、何よりも自分自身が「私が悪いんだ」と思ってしまっていました。やはり自分の手で毛を抜いてしまっていて、その結果として、毛がなくなってしまっているというのがあるので……私と同じように抜毛症を「自己責任だ」と感じたことがある人は多いように思います。

ですが、いま私は抜毛症を「100%自己責任だ」とは思っていないんです。それは、髪を抜くことでしか生き抜けない状況に追い込まれてしまっていた、という背景があると思うからです(※)

抜毛は一つの「逃げ道」や「やり過ごし方」のようなものだと思うんです。毛を抜かなければならないほどに追い込まれてしまった背景や構造的な問題を考えると、100%本人だけの責任とは言い切れないのではないかなと思っています。

※ パークサイド日比谷クリニック院長の立川先生の言葉より「子どもの場合、小学生から高校生までは自分で環境をコントロールできないケースが多いのです。住む場所も選べないし、親の都合で引っ越しすることもある。学校のクラスも1年間変わらないから、友人関係が悪化しても、理不尽な目に遭っても、同じ環境で過ごさなければならない。大人になると転職や独立という選択肢が出てきますが、子どもはそうはいきません。コントロールレスの環境下で不安を抱えた子どもが“自分でコントロールできること”の一つとして抜毛があります。抜こうと思ったら抜けるということは、努力に対する報酬が必ずもらえる行為なのです。」──まゆ毛やまつ毛、髪を抜く原因はストレス? 子どもの「抜毛症」を正しく知る(朝日新聞EduA)

Q.Genaさんが自分を傷つけてしまう自分を少しずつ受け入れられるようになったきっかけは?

ある日、出社できなくなったことからメンタルクリニックに通い、そこで始めて髪を抜いていることを告白できたことでした。

カウンセリングを重ねる中で、「抜毛症は病気だ」ときちんと認識できたこと、どんな環境に置かれていたことがストレスになっていたのかを理解したこと、身近な人に少しずつ話せるようになっていったことがきっかけだと思います。とくにプロの力を借りたこと、周りの人に少しずつカミングアウトをし、受け入れられるという経験を繰り返したことはすごく大きかったですね。

Genaさん

ボディ・ポジティブを精神論で終わらせたくない

Q.シャンプー「慈生(じう)」を開発しようと思った理由は?

これまで抜毛症のモデルとして、セルフケアの大切さや、自分で自分を受け入れることの重要さについて発信してきたけれど、どうしてもそれを精神論で終わらせたくないなと思ったんです。ボディ・ポジティブってどうしても精神論になりがち。自分の体が好き、と素直に言えるのであれば悩んでいないはずですよね。気持ちや考え方も大事だけれど、手に取れる具体的な形のヒントがあればいいなと思ったんです。

そう考えたときに、裸で自分の体のメンテナンスをする場所でもあり、自分と親密になれる時間・バスタイムに使ってもらえるアイテムを作りたいなと思いました。また、抜毛症は髪にかかわることなので、髪をケアするアイテムがいいなという想いもあり、今回シャンプーを作ることにしました。

また、抜毛症だと毛を抜いたところにばい菌が入ってしまって、炎症をおこしたり、そこが気になってまた抜いちゃったりということがあるので、それに少しでも何かアプローチできればという想いもありました。

慈生シャンプー

Q.開発時にこだわったことは?

一番こだわったのは固形のシャンプーにすることですね。固形なので自分で泡立てる必要がありますが、固形シャンプーは液体のものを使うよりも少し手間がかかります。頭皮で泡立ててもらうときに指で自分をたくさん触ると思うので、自分の体との接点を増やして自分の体を解きほぐしてほしいな、という想いがありました。

また、石鹸は普通アルカリ性なのですが、肌に優しい弱酸性になるように調整してもらっています。リンス・トリートメントも不要です。抜毛症の場合、抜いたところから生えかけている毛と普通の毛で長さが違います。頭皮に近いところにトリートメントをつけるわけにはいかないので、生えかかっている毛も残っている毛も大事にケアできるようにこだわっています。

例え、毛を抜いてしまった日でも、お風呂でこうしてケアができると違ってくると思うんです。慈生を使って自分をいたわるうちに、毛を抜く本数が減っていってくれたらとても嬉しいなと思います。

慈生シャンプー

Q.慈生(じう)という名前に込めた想いは?

今回のシャンプーの全体のテーマが、「再生」なんです。私は、どれだけ傷ついても、自分で自分のことを傷つけてしまっても、「私たちは再生していくことができる」と思っています。

安心できる環境にいくことで自分自身を再生させることができる──そんな意味を込めてまず「生きる」という字を入れました。

そして、「慈しむ」という字ですね。自分の体を「愛する」っていうと、日本人的にはちょっと仰々しく感じられてしまう。けれど、「慈しむ」っていうと、大事に育てる、ケアしてあげるというようなイメージで、すこし身近な感じがしませんか?「慈しむ」なら日常の範囲内にあるものとして取り組めそうだなと思い、この字を入れることにしました。

大事なのは「自分の体は大切で、自分は重要な人間なんだ」と思えるようになること。これを自分で自分に繰り返し教えてあげることが大事です。そのために、ちょっと立ち止まって、日常の中でないがしろにしがちなルーティーンを、深呼吸しながら、ゆったりやってみてもらえたらいいな、とそんな想いを込めています。

慈生シャンプー

誰にも代替されない、私だけの美しさを目指して

Q.ルッキズム(外見至上主義、見た目で判断すること)に対して思うことは?

女性の体に商品価値を見出す風潮があるなど、日本の社会には根強いルッキズムがありますよね。そして、それを人々がなんとなくそれを受け入れて内在化してしまっているというか……ルッキズムの価値観に自分を照らし合わせているようなところがあると思います。

また、ルッキズムは世界共通ですが、日本独特だなと思うところもあります。それは、「普通であれ」という呪いのようなものが存在していることです。まず「平均的」「大衆的」「無難」でなければならない、という風潮が存在していて、そのうえで「普通のなかでの最上級」をみんなが目指そうとしているんじゃないかな、という感じがするんですよね。

また今、多くの人が変に自分を客観視してしまっているような気がするんです。年齢がいくつだから、パーソナルカラーがこうだから、骨格がどうだから……というように、客観的に見てベストのものを選ぶという流れがあるのかなと。

でも、その基準って「あなたのものではないんだよ」と思うんです。自分にしか似合わないものがあるはずだし、それを探し出して身にまとったり、それを自分のものにしようと工夫していく過程が「美しい」ということなんじゃないかなと思います。そうすると、その美しさは、若さだけで保たれるものでもなくなるし、比較されるものでもなくなる。自分だけの美しさを追いかけていけば、自分は誰にも代替されないものになるんじゃないかなと思っています。

美しくなりたいというと、「髪も顔も体型も全部ひっくるめて自分をまるごと作り替えたい」と思う人も多いと思います。でも、私は自分の本質を無視した上で成り立つ美はとても脆弱なものだと思っているんです。

例えば抜毛は、自分が苦しんできた記録でもあるし、髪を抜くことでしか生き延びられなかった繊細な自分の本質を示してもいると思います。その本質は今後も無視できません。そういうものをひっくるめた美を探すことで、誰にもとってかわられない美しさにたどり着くことができると思うし、多少のことを言われたところで揺るがない自分になれるんじゃないかなと思っています。

Q.Genaさんにとって「痛み」とは?

実は、髪の毛を抜いているときは、痛いと思ったことが一度もなかったんです。気持ちのいい刺激という感じで。でも、部屋で一人で髪を抜き続けていく中で、自分への考え方が歪んでしまったんですよね。健康な体に病んだ魂が入っている、私の体は傷つけても構わない、私は痛みに強い、というように。

背中に、お守りとしてタトゥーを入れたのも、自分が痛みに強いと思っていたからです。実際は、想像を上回る激痛で、吐いてしまうほどでしたけどね(笑)。業務用のミシンで分厚いデニムの生地と一緒に縫われているような感じで、「あ、私痛みに強くないわ」と思いなおしました。

Genaさん

印象的だったのは、安心できる環境に身を置けるようになった近年、髪を抜いたときに20年近くで初めて「痛い」と思ったこと。前は血が出るまで髪を抜いていても「痛い」と思ったことがなかったのに……それはすごく覚えていますね。

痛みは心と体からのヒントだと思うんです。根底にあるのは「生きている実感がほしい」「生を確認したい」みたいなところだと思うのですが、若いときには「痛み」でしか乗り越えられないつらさもあるのかなという気がします。人によっては必要なものなのかな。あのときあれでつらかったんだなというように、痛みに対して、あとから振り返って答え合わせができるというか。自傷行為を肯定するわけではないけれど、自分が作った傷から学べればそれはそれで一つの財産かなと思います。

Q.同じ抜毛症で悩んでいる人へ声をかけるとしたら?

まずは自分にとって安心できる環境を選択してほしいです。社会人か学生かによってとれる行動は違うと思いますが、自分が置かれた状況のなかで最大限、自分が安心できるほうに行くようにしてほしい。それは、楽することとはまた違います。安心できるほうを選んで、そういう選択をする自分を許してあげて、と伝えたいですね。

また、髪の毛を抜いてしまう「背景」を探ることに時間を使ってみてほしいです。髪の毛を抜くのは表面的な事象。その背景にあることを探っていくことが、遠回りに見えて、実は一番近道だと思うんです。髪の毛を抜いてしまう自分とどう向き合うか、どう慈しんであげるかというのが重要なテーマになると、自分の経験を振り返って思います。

Q.自分の嫌いな部分も含めて自分自身を愛してあげる、受け入れてあげるためには何が必要だと思いますか?

自分を責めるのをやめるのが一番だと思います。私も含め、多くの人が「良い子ちゃん」すぎるような気がします。「大人が言っているから」「世間ではこうだから」など、外の基準に照らし合わせて、そこに合致できない自分が悪いと責めてしまうことはよくありますよね。

「こうすべき」「こうしないべき」というものが強く自分のなかにあればあるほど、自分を責めてしまう。だからこそ、そもそも「こうすべき」「しないべき」という目標が正しいのかを疑うことにエネルギーを使うのが大事だと思います。

大切なのは、人間らしい自分を愛することではないでしょうか。例えば、夜中にチョコを食べちゃったとしても「これでぐっすり眠れるからいいか」とか、髪の毛を抜いちゃったとしても、「今日は抜く毛が少なくて済んだからいいか」とか、テストの点が悪かったとしても、「今日1日友達と楽しく過ごせたからこれはこれでいいか」とか。効率とか合理性に注目するのではなくて、「今を楽しむ」「人間っぽい自分も愛する」ことはすごく大切だと思います。

私も以前は、髪の毛を抜いて、自分で自分を醜くしている自分を責めていました。でも今は、髪の毛を抜くことでしか生き抜けなかった自分や、鬱屈とした気持ちを周りに向けなかった自分をちょっといとおしく思えるようになりました。今でもメンタルがぐちゃぐちゃになることもあります。でも、自分にとって大事な自分だからあきらめない。自分の人生の主人公でいたいなと思っています。

自分にやさしくする。ついでに相手にもちょっとやさしくしてみる。それができたら、自分を取り巻く世界はどんどんやさしくなっていくはずです。

Genaさん

編集後記

Genaさんは、取材の最後にこう言った。

「私の伝えるボディ・ポジティブは、他の方が言っているものとは少し違っています。それは、『自分の体を愛す』まえに、自分で傷つけてしまったぐちゃぐちゃの自分を『許してあげる』という最初のステップがあるからです。でもこの『許す』ステップって、抜毛症の話に限らず、みんなにとって大切なことだと思うんですよね」

「もっと目が大きかったらいいのに」「もっと鼻が高ければいいのに」「なんで私はこんなに仕事を進めるのが遅いんだろう」「ダイエット中にお菓子を食べちゃうなんて、なんて意志が弱いんだろう」……私たちはつい、そんなことを考える。そしてそのたび、無意識のうちに、自分をほんの少し傷つけてしまっているのだろう。

自分が嫌いな自分を、いきなり愛するのは難しいことだ。だからこそ、まず自分が嫌いな自分や、自分を嫌ってしまう自分を許すことから始める。それこそ、シャンプーをしている間、ハンドクリームを塗っている間、歯を磨いている間……日常のうちのたった数分間だけでも良い。そのままの自分に〇をあげる練習をしてみてはどうだろうか。

※ まゆ毛やまつ毛、髪を抜く原因はストレス? 子どもの「抜毛症」を正しく知る(朝日新聞EduA)

*Genaさんのクラウドファンディングは、2022年5月29日まで。気になった方はぜひのぞいてみてほしい。
誰もが自分の身体を恥じることのない世界へ。抜毛症モデルから生まれた固形シャンプー(Good Morning)

【参照サイト】抜毛症のわたしのボディポジティブジャーニー(美しいアジアのカケラと、日常のものがたり Pieces of Asia)
【参照サイト】Gena | Twitter
【参照サイト】Gena | Instagram
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