週のはじめの月曜日、朝8時。池袋のグリーン大通りで通勤途中の人々に紛れ、赤ちゃんからお年寄りまで多様な人々が混ざり合う集団が見えた。
その日は、「Cleanup and Coffee Club(以下、CCC)」の開催日だった。東京都・豊島区を中心に全国各地で毎月1回ずつ行われる、ごみ拾いとコーヒーのイベントだ。筆者もさまざまな地域で開催されるごみ拾いに参加したことがあるが、CCCは参加者が多様で、どこか熱気が違う。話を聞くと、なにやらCCCは単なる「清掃イベント」ではないという。
「究極、全ての人が自分の住まう街に居場所を持つことができる社会をめざしています」
代表理事の1人である高田さんは、そんなふうにCCCのミッションを掲げる。2022年2月、コロナ禍を期に豊島区で発足したCCCは、現在ではなんと全国20箇所以上にまでその活動を広げている。参加者が続々と「自分の地域でもCCCをやりたい」と思うほど、CCCが人々を魅了する理由は一体なんなのだろう。「ごみ拾い」と「コーヒー」が地域に生み出すものとは?
新型コロナをきっかけに「ローカル」が重要視されるようになった昨今、居心地の良いローカルを生み出すヒントを求めて実際にCCCに参加し、代表理事の高田さんと夏井さん、そして今年4月に新たに運営メンバーにジョインした伊東さんの3人にお話を聞いた。
話者プロフィール:高田将吾(たかだ・しょうご)さん(写真・左)
代表理事。平日は会社員の31歳。コロナによって暮らしの中における「地域」という存在が大きくなる事を感じておりCCCを立ち上げる。学生時代には、新潟県の限界集落のシビックプライド向上を目的に地域の生産物をD2Cで消費者コミュニティへ届けるECサービスを立ち上げ、地域組合へ移譲。その後、デザイナーとして企業へ就職し、地域への関与を促すサービスの開発をすすめる。
話者プロフィール:夏井陸(なつい・りく)さん(写真・中央)
代表理事。平日は会社員の27歳。留学から帰国後、2018年に池袋のエリアブランディングを掲げるユースコレクティブ「NoRooF」を主宰。以降シェアハウスや会員制ラウンジの運営、コロナ禍での地域密着型フードデリバリーサービスの開発など、豊島区内にて活動の幅を広げる。
話者プロフィール:伊東裕(いとう・ひろし)さん(写真・右)
理事。CCC参加後に、埼玉県杉戸町でCCCを展開。2023年4月に運営メンバーにジョイン。埼玉県杉戸町で空き家のリノベーションやまちづくりに取り組み、同町にてCCCを始める。池袋でアートを通して子どもの感性や可能性を伸ばす教育プロジェクトSTUDIO201運営メンバー。お客さんがマスターとママのお悩みを聴く「逆スナック」を企画。
CCCに実際に参加してみると?
その日は、20名ほどの人がCCCに集まった。何かとバタバタしがちな月曜の朝8時であることを考えると、その人気の高さがうかがえる。時間になると、ゆるりと自己紹介が始まった。どこからきたのかを順番に話していくのだが、意外にも豊島区以外の地域からきている人もいた。それを知るだけで「今日はなにをきっかけでCCCに?」と、ごみ拾い中の会話の種となった。
ごみ拾いは、3〜5名ほどのグループに分かれて始まる。街を歩きながら同じグループの人とのおしゃべりとごみ拾いを、交互に楽しむ。その時間は20分ほどで、他のごみ拾い活動と比べると、かなり短い。それでも袋にはペットボトルや吸い殻など、たくさんのごみが集まっている。
ここから始まるのが、コーヒータイムだ。参加者は、持参したマイカップにコーヒーを淹れてもらい、ほっと一息つく。近くにいる人と、自然と会話が始まるのが嬉しい。
会話が弾み、場の雰囲気があたたまってくると、参加者の告知タイムが始まる。来週地域で開催されるイベントや、自分の活動についてなど、思い思いにそれぞれが紹介していく。もちろん、聞くことをただただ楽しむだけの人もいる。筆者自身は初参加だったが、その自由で多様な空間が心地よく、不思議とその輪に馴染むことができた。
「ごみ拾い」と「コーヒー」で、地域に友だちをつくる
カジュアルでゆるやかな繋がりのローカルコミュニティ。
この一連の流れを体験すると、運営メンバーがCCCをそう説明するのも頷ける。CCCの目的は街の美化ではなく、あくまでも「地域で友だちを作ること」。そしてこれを達成するためには「ごみ拾い」と「コーヒー」どちらか一つではなく、その二つが組み合わさることが大事なのだという。時間配分もあえて半々にすることで、どちらがメインなのかわからないようにしている。
高田さん「友だちをつくることを大事にしたいから、ごみ拾いをメインにはしたくないんです。実はごみ拾いは、なあなあでもいいと思っています。ごみ拾いの後にちゃんとコーヒーを飲んで、そのときにみんなが話せるようコミュニケーションを促すところを大事にしています」
CCCが立ち上がったのは、今から2年前、2022年のコロナ禍だ。人々もまだマスクをしていて、対面でのコミュニケーションやリアルの場での会合が制限されていた時期だった。そんななかCCC代表理事の高田さんと夏井さんの2人は、都市生活において若者が抱える孤立・孤独に課題感を持っていた。
高田さん「僕の周りでも、コロナ禍で人とのつながりが途絶え、メンタルをやられてしまい休学休職する人が増えました。僕にとっても、人と顔を見ながらコミュニケーションを取ることは生きていく上で欠かせない行為ですし、多くの人がそうした必要性にコロナ禍で気づいたはずです。コロナが明けた今もリモートワークのままの会社が多いですが、これでは会社の縁が戻ることは考えにくい。今は単身世帯も増え、血縁も距離が離れてしまっています。こうして無縁社会がくると考えたとき、電車に乗らずとも気軽に会いに行ける距離でつながる『地縁』こそが大事だと思ったんです」
そうして2人が何かを始めようと思い立ったとき、コロナ禍にぴったりなのが「ごみ拾い」だった。屋外でできるごみ拾いであれば、対面で集まっても誰からも咎められず、むしろ地域の人に褒めてもらえる。
一方でごみ拾いだけでは、地域の奉仕活動に留まってしまう。そこで、ごみ拾い後に参加者への感謝の気持ちを込めて無料でコーヒーを振る舞うことにした。オープンスペースでコーヒーを飲めば、コロナ感染の心配も低く、談笑することもできる。こうして、ごみ拾いをしてコーヒーを飲む、CCCが生まれたのだ。
2人の活動から始まったCCCが、これほど多くの人に認知され、全国に拡大するまでになったのには、大きなきっかけとなる出来事があった。その一つが、「としま会議」だ。としま会議とは、2014年8月にスタートした、豊島区で面白い活動をしている人がゲストスピーカーとして毎月5人ほど登場する定期イベント。参加者のほとんどが同地域に住む人々で、ローカルなつながりを増やすことができる。
高田さん「としま会議で、地域の人にCCCを認知してもらうと、夏には40〜50人が一気に集まりました。その人数だと全員と話せないので『じゃあそれぞれが、家の前でCCCをやってくれ』と、のれん分けを始めたんです。するといろんな地域で手があがりました。その後『IKEBUKURO LIVING LOOP(※)』という活動が11月にあり、スペシャルマーケットの後にCCCをやろうと、このグリーン大通りで活動が始まり、大学生もどんどん参加してくれるように。若い世代が来てくれると、ちょっと上の世代も楽しくなり、どんどん輪が広がっていきました」
※ 池袋東口エリアを中心に、リビングのように居心地の良いまちなかを目指す“まちなかリビング”プロジェクト。2017年から池袋東口グリーン大通りをメイン会場として開催してきた。
「ごみ拾い」が都市の中のローカルで果たす、その“意外な”役割
CCCの「ごみ拾い」を深掘りしていくと、実はそれがCCCの「地域で友だちをつくる」という目的に対して、不可欠な役割を果たしていることがわかってくる。夏井さんはCCCの企画に際し、約1年間、都内のさまざまなごみ拾いに参加し、研究を重ねたという。しかし今になって思えば、ベルギーでのある経験が、この「ごみ拾い」の原点となっているのではないかと話す。
夏井さん「大学時代にベルギー留学をしていたとき、朝3時まで飲んだ後、ごみ拾いをして解散するクラブに出会ったんです。そういうことしてるクラブには、やっぱりいい人間が集まるんですよね……今思うと、それが原点だったかもしれません。これはよくCCCを端的に紹介する際に使う言い回しですが、朝早くにごみ拾いに来る人に、悪い人はいない、と」
高田さんは「ごみ拾い」という活動が「居場所づくり」に大きく寄与していると話す。
高田さん「ごみ拾いって、Doingではなくて“Being=あなたがそのままでいていいという状態を大切にするもの”なんですよね。たとえば、社会人のテニスサークルなどは、テニスが上手い下手で行きにくくなることもありますし、読書サークルも本好きじゃないと行こうと思えない。でもごみ拾いは、別に拾わなくていいし、一緒に歩いてコーヒーを飲んでるだけでもいいんです。そこに、ただいてくれるだけでいい。
この前、CCCに参加してくれた大学生が『自分は話すのが得意ではないけど、誰かが話しているのを聞くのが好きで、その空間に自分がいることで居心地のよさを感じる』と言っていて、まさにこれはBeingな状態だと思ったんです」
伊東さんも、もともとはコロナ禍で発足したCCCの参加者だった。そして、実際にこの「ごみ拾い」に救われた一人でもある。
伊東さん「僕も参加した当時、実はちょっと元気がなかった頃で、ほとんど喋らなかったんです。でも、高田さんや夏井さんが話しかけてくれたりもして、それがすごくありがたかった。それで僕も、初めてCCCで見かける人には話しかけるようになりました。CCCには、そんな優しい輪が広がっています」
伊東さんはCCCに参加した後、初めて埼玉県の杉戸町へと取り組みを展開し、現在は理事として活動している。伊東さんの話を聞いていると、CCCの関係性のよさが伝わってくる。
伊東さん「今では、会いにいけばそこに誰かしらいる安心感もあるし、かといって粘着したコミュニティでもない。離れていたとしても、何の気も使わなくていいし、健全さがあるコミュニティ。その懐の深さが豊島区にあると感じます」
CCCが生み出す「地域内関係資本」が、街を魅力的にしていく
こうしてCCCが生み出していくのが、「地域内関係資本」だ。高田さんはこれを「思い浮かべると勇気が湧く人と人の関係性」だと説明する。
「街の誰かが『よし活動をはじめよう』と思うときに、その活動に参加してくれそうな人が15人ほど思い浮かんで始められるような、勇気が湧くような街にしたい」というのがCCCの願いだ。
そんな地域内関係資本を増やすために、CCCはその活動の幅を広げている。豊島区にゆかりのあるアーティストとコラボして毎月カレンダーを配信する「Cross Culture Calendar」では日常的にCCCを思い出す機会を作ったり、CCC参加者の「やってみたい」ことを資金・会場・集客等の面からサポートするイベント企画「C-Change Project」が行われたりしている。
街の「やってみたい」を応援する「C-Change Project」
C-Change Projectは、Cleanup Coffee ClubのCを入れ替えて遊んでみる、という企画だ。これにより、20代店主の悩みをお客さんに聴いてもらうという伊東さんの企画「逆スナック(Cheers & Chat Club)」や、お抹茶と日本酒、花を使ったワークショップ「wabichabi(Casual tea & Cycle crafts Club)」などの人気コンテンツがうまれた。
高田さんは、こうして地域内関係資本を増やすことが、街の魅力向上につながると話す。
高田さん「地域内関係資本をどんどん増やせると、人々が街で新しい活動をやってみようと思うようになる。ローカルの活動がどんどん生まれたら、自然と街の魅力も向上すると思うんです。そしてローカルのお店を持続的に営むためには、やっぱりコミュニティみんなでその場所を使い、愛していくという関係性が必要なんです」
街の人の好スキルや得意を可視化する「NEIGHBORGOOD Cafe」
他にも、実験的な取り組みを行っている。コミュニティメンバー個々人が地域社会に対して提供できるスキルやアクションをカードに記入してもらう代わりに、コーヒーやスコーンなどのカフェのメニューと記入済みのカードを交換する「NEIGHBORGOOD Cafe」だ。
高田さん「お店を持っているようなまちのプレイヤーは目立ちますが、そうではなく、みんな何かしらスキルや得意だとするものは持っているはず。それにもみんながなにか渡しあえるような仕組みを作りたいと思ったんです。必ずしも目立つプレイヤーである必要はないと思っています」
NEIGHBORGOOD Cafeの開催により、さまざまな人がギブし合えるようなコミュニティをつくっている。カードの内容はInstagramで公開しており、CCCに普段どんな人が参加しているのかが、これを見てわかるようになっている。
独自の地域通貨「CLN (クリン)」で地域をつなぐ
さらに、そうした地域のつながりを、独自の地域通貨「コミュニティコイン CLN (クリン)」でつなぐことも始めた。豊島区の各拠点で開催されるCCCに参加すると、「CLN(クリン)」が貯まる。そして貯まったCLNを贈ることで、だれかの「やりたいこと」を応援することができるのだ。溜まったCLNは、C-change Projectなどで使うことができたり、応援したい人に渡したりすることができる。
夏井さん「正直これからも続けていくかは未知なのですが、まずはやってみることが大事だと思っています。実際にやってみると、『アプリじゃなくて物理カードがいいな』とか、『スタンプの方が良かったな』といった学びを得られるので」
CCCの活動は常に学びながら進んでいる。豊島区が、さまざまな活動の実験場になっているともいえるだろう。
CCCの仕組みをオープンソースに。誰もがまちづくりに参画できる仕組み
「自分が住んでいる街でCCCができたら、どんなに楽しいだろう」。CCCに参加すると、自然とそんな想いが込み上げてくる。豊島区から始まったCCCは、今や池袋だけではなく、鹿児島や金沢など全国に展開している。CCCは拠点依存性が低く、展開しやすいことも特徴だ。
ユニークなのが、CCCを他の地域で展開する人々は、必ずしもまちづくりやコミュニティづくりのプロだけではないということだ。CCCに参加して「自分の地域でもやってみたい」と思った人が、気軽に始められるマニュアルが用意されていることが理由である。
CCCのメンバーによって用意されたマニュアル「CCCのはじめかた・活動ガイドライン」には、活動のプロセスが丁寧に書かれている。運営メンバーで何度も議論を重ね、全国各地の開催拠点から毎月共有されるノウハウを集約して作り上げたものだ。もちろん、日々更新され続ける。
また、CCCが大事にしているクリエイティブも、ロゴや資料を誰でも簡単に編集ができるGoogleスライドを使ってフリーで配布。色や開催日を変えるだけで、それぞれの拠点で使うことができるのも嬉しいポイントだ。誰がやっても「CCCのかっこよさ」を再現できるというわけだ。
「学生や子育て世帯などの若年層が急増する地域」は、特にCCCと相性がいいという。CCCが、その土地に長く根ざしてきた人々と、新規住民を繋ぐきっかけになりうるからだ。「なにかアタマでっかちなスキームを組み上げる前に、カジュアルに集って交流してみることが大事。その装置として、CCCを気軽に活用してもらえたら」と、夏井さんは話す。
伊東さん「僕がやっている杉戸町では、CCCを街への入り口にしています。杉戸町は豊島区と比べると東京ほど遊ぶ場所があるわけではなく、子どもの参加者も多いので、あえて街のイベントがある日にCCCの活動日を被せ、その後にみんなで遊びに行く流動性をもつなどしています。杉戸町で1年CCCをやっていると、隣町でもやりたいと言ってくれて、先月から隣町の宮代町でもCCCが始まりました」
地域の特徴や参加者の色によって、CCCの展開の仕方にはさまざまなバリエーションがあることがわかる。
「CCCに参加して、本当に同世代の友だちが急に増えたんですよ」伊東さんが嬉しそうに教えてくれた。
CCCを、池袋の「景色」にしたい
「CCCをはじめたときからよく言っているのが、『CCCは景色である』ということなんです」
夏井さんは続ける。「なにかあったときに、この人になら相談できるなとか、この人は応援してくれるなとか、この人のことを応援したいなとか、なんか最近この人元気かなって心配だなって思ってあげるとか、そういうふうに思い合えることって──実にいい景色なんですよ。拠点とか空間とか人間関係とか、あるいはクリエイティブとかではなく、そういう『景色』が作れたらいいなと思います」
高田さん「実は僕、12月に子どもが生まれるので、今後数ヶ月間の活動は2人に任せるつもりなんです。次からは第2フェーズに入るわけですね。でも、最終的に願うのは、僕ら3人が池袋からいなくなったとしても、CCCがずっと残り続けて欲しいということ。子どもと一緒にできる活動として続いていったら、自分も幸せだと思うから。長い時間軸で、子どもたちに対して『池袋のいい景色』を残してあげたいなと思います」
自分の住んでいる地域に対してそう思えることを、羨ましくも感じた。3人の言葉からは、CCCへの、そして池袋・豊島区への愛が伝わってくる。そしてきっとこの活動は、そんなふうにこれからも関わる人々から、愛され続けていくのだろうなとも。
編集後記
東京の主要な地域の一つである、池袋。流入・流出人口が多い土地であると同時に、昔から長く住んでいる人も多くいる土地だ。夏井さんは「昔から職住遊空間が近接するこのエリアでは、ほどよい距離感でひとと関わるマインドが根付いていて、それが地域コミュニティの懐の深さにつながっている」と教えてくれた。
取材を通して、豊島区の一体感が想像以上に強く、すでに多くのコミュニティが存在することも知った。今回のCCCの取材の中でも、豊島区で活動するさまざまなプレイヤーの名前が出てきたのも印象的だった。CCCにも「としま会議があったから地域に広がった」というきっかけがあったように、CCCの活動も、これから多くのローカルな活動がうまれる「きっかけ」になっていくのだろう。
また、CCCは豊島区とも連携している。豊島区では、区長が発起人となり、若者の居場所作りのために生きづらさを感じる10代から20代の若い女性を支援するすずらんスマイルプロジェクトなども広がっているのだという。決してボトムアップだけではなく、トップダウンのアプローチも進んでいる。
CCCの活動が気になった人は、Instagramで開催日程を確認し、ぜひ一度その活動に参加してみてはいかがだろうか。きっと快く迎えてくれるはずだ。
【参照サイト】Cleanup & Coffee Club
【参照サイト】地域でのフリーコーヒーとゴミ拾いを初めて1年が経った話(note)
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