企業はもはや、事業と自然との関係を無視できない。
2023年9月、自然関連財務情報開示タスクフォース(以下、TNFD)の最終提言となるv1.0が公表された。TNFDとは国際的なイニシアティブの呼び名であり、開示提言やガイダンスを通して、企業や金融機関に対して自然への影響や自然資本に関するリスクと機会についての情報開示を促し、各組織が適切な意思決定をおこなうことを目指す。
情報開示の軸には、①ガバナンス ②戦略 ③リスク&インパクト管理 ④指標&ターゲット、という4つが提示された。これらは企業が自然といかに関わっているかを特定・評価・開示するための起点として位置付けられる。
さらに、2024年1月16日に開催されたダボス会議でTNFDの早期採用者(Early Adoptor)が発表され、日本企業は世界最多の80社に及んだ(※1)。日本社会においても、企業と自然・生物多様性に対する関心が決して低くはないことを示しているだろう。
企業、ひいては人間が自然環境に与えてきた影響は計り知れない。いま世界で起きている気候危機は、人間が行動を変えずして解決に近づいていくことはないだろう。TNFDはその行動変容や解決に向けた一手に見えるが、これはあくまでも開示を促し自主的な行動変革を期待するものだ。TNFD開示提言を採用する動きの広がりは、必ずしも行動を変えることに直結する訳ではない。
そんな中でも、具体的かつ効果的な行動変容を求める声は大きくなり、気候危機や生物多様性をめぐる議論はすでに法律の分野にまで広がっている。果たして私たち人間は、気候危機を止めるために「法廷」という場を通じて私たち自身の行動を律することができるのだろうか。
自然物に人間と同じ権利を。世界で拡大してきた「自然の権利」
自然物と法律の関係性において最も知られている概念のひとつが、「自然の権利(Rights of Nature)」だ。「あらゆる自然物に権利がある」という認識のことを指しており、法分野においては、1972年に南カリフォルニアで法律評論記事として出版された書籍『Should trees have standing – toward legal rights for natural objects(木には権利を – 自然物への法的権利に向けて)』によって初めて認知された。
国家として世界で初めてこの権利を認めたのは、エクアドルだ。2008年に「自然の権利(Rights of Pechamama)」を明記した憲法案を承認したのだ。2010年にはボリビアで「母なる大地の権利法」が公布され、母なる大地は7つの権利(※2)を有すると定められた。
こうした動きは現在まで拡大し、近年では欧州でも実際に自然の権利が認められる事例が見られるようになった。2022年にはスペイン議会でマール・メノール塩湖に権利を与えることが可決され、欧州で初めて自然物に権利が与えられた事例となったのだ(※3)。
※2 ボリビアで母なる大地に与えられた7つの権利:生命への権利、生命の多様性への権利、水への権利、清浄な大気への権利、均衡への権利、回復への権利、汚染から自由に生きる権利
権利の認可から、権利に基づく「訴訟」へ
自然保護をめぐる議論は「権利の付与」に留まらず「法廷」という場にまで広がった。たとえば、気候変動に関する訴訟は2017年には884件だったのに対し、2022年には2,180件まで増加した。その多くはアメリカでの訴訟だが、アジアでの訴訟も増えてきている(※4)。
さらに、その法廷に人間ではなく「自然そのもの」が立つ事例も見られる。世界各地で、山や川といった自然が原告となり企業や行政を訴える訴訟が起きているのだ。
こうした権利に基づいた世界初の訴訟は、2011年にエクアドルで起きた(※5)。同国を流れるビルカバンバ川の代弁者として非営利団体Global Alliance for the Rights of Nature(GARN)などが地元政府を相手どり、道路開発や瓦礫の投棄によって川の権利が脅かされているとして訴訟を起こしたのだ。その結果、原告側、つまり川の勝訴となり開発プロジェクトは休止された。
このように単に権利を認めるだけではなく、その権利を行使するべく自然が法廷に立つ事例は、中南米から始まり、ネパールやインド、アメリカにも広がってきたのだ。
原告の名が、環境保護団体ではなく「川」「山」といった自然そのものである点からは、アニミズム的な性格が見てとれる。アニミズムとは、植物や動物、岩、滝などあらゆる自然物に霊魂的存在が宿ると考える思想のこと。1871年に人類学者のエドワード・タイラーが著書『原始文化(Primitive Culture)』において定義した言葉だ。
この思想に通ずる視座があることから、自然の権利やそれに基づく自然による訴訟の動きは「法的アニミズム」とも呼ばれている(※6)。気候変動に関する訴訟が増えていることは、このように自然に精神性を見出し、人間が自然物の視点を理解しようと試みる動きが強くなっていることを示すと言えるだろう。
自然の声を「代弁する」人間の限界
自然の権利や法的アニミズムに見られるように、自然は“保護の対象物”ではなく人権と同様の権利を有する“生ける存在・声を持つ存在”である、という認識が少しずつだが着実に高まっている。
しかし、この考え方には限界も存在する。過去の事例にあるように、「自然」が法廷に立つといえども実際に選好を定め言葉を選んでいるのは、人間だ。人間も自然の一部だと捉えることも可能だが、エクアドルの事例で考えると、人間はビルカバンバ川そのものでなく、人間が川の声を完全に汲み取れるとも限らないだろう。
どんなに研究や調査を重ねても、どんなにその土地に根ざした人であっても、自然の“代弁者”に過ぎない。法廷で発せられるの言葉は、人間の視点から理解した自然の声であり、決して川や海や山そのものの声ではないのだ。
あくまでも自らは“代わり”という立場であり、主観が混在しうることを忘れてはいけない。人間が自然のすべてを理解することはできないのだという前提に立った、俯瞰的な視点が大切であるはずだ。その姿勢を心得た上で、「法廷に立つ自然」改め「自然の代弁者となる人間」は気候危機を止めることができるだろうか。
「自然を資源と捉える」価値観から抜け出せるか
人間の進化は、自らのグループ拡大とより多くの資源を手に入れて活用することで促進されてきたが、気候変動という今世紀の課題においては資源を多く利用することが逆に状況の悪化を招くため、今まで通りの方法論や考え方では解決に至らない(※7)。自然を人間だけのものと捉え、管理しようとする姿勢では、気候変動を止めることはできないのだ。
つまり、人間が「自然の代弁者」として法廷に立ち、気候危機を止めたいと願うならば、人間が“資源”として捉えてきた従来の自然観を乗り越えなくてはならない。自然界と人間界というように切り離すことができ、経済活動のエネルギー源として取り込むことができ、植樹によって二酸化炭素を吸収してくれる存在、などという単純化された自然の姿は、気候危機の現実からかけ離れている。いま必要とされるのは、文明を発展させながらも地球のバランスを崩してきた世界へのレンズに代わる、新たな世界の見方であるはずだ。
国際的な宣言や条約、目標設定を超えて、拘束力を持つ法廷という場に気候変動対策が広がっていることは、大きな前進であるかもしれない。しかし、気候危機を「止める」ところにまで踏み込むには、地球全体のバランスに対して、その一部を成す者として人間自身の限界を自覚して声をあげる姿勢が重要だ。人間目線という限界と向き合い続けることで、私たちは本当の「自然の代弁者」に近づくことができるのではないだろうか。
※1 日本から世界最多の80社がTNFDアーリーアダプターに登録|WWF
※2 文中に記載
※3 El mar Menor será el primer ecosistema de Europa con derechos propios|EL PAÍS
※4 Climate litigation more than doubles in five years, now a key tool in delivering climate justice|UNEP
※5 The first successful case of the Rights of Nature implementation in Ecuador|GARN
※6 Waring Timothy M., Wood Zachary T. and Szathmáry Eörs, 2024, Characteristic processes of human evolution caused the Anthropocene and may obstruct its global solutions, Philosophical Transactions of the Royal Society B, Vol. 379, Issue 1893
※7 ‘Legal animism’: when a river or even nature itself goes to court|The Conversation
【参照サイト】Animals, plants have their day in court: “Rights of Nature” makes a legal case for climate change | Salon.com
【参照サイト】Final TNFD Recommendations on nature related issues published and corporates and financial institutions begin adopting
【参照サイト】Rights of Nature timeline|GARN
【参照サイト】Living in a World Where Nature Has Rights|Earth Law Center
【関連記事】「これ以上、未来を汚さないで」米国の気候変動裁判で若者が州に勝訴
【関連記事】森や空気が「ヒトと同じ権利」を持つ未来があったら?アイルランド市民会議の提案