美しい場所を旅する、フランスのノマドレストラン「Ventrus」

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※本記事は、「BETTER FOOD(ベターフード) VOL.2 リジェネラティブ・フード・ビジネス」掲載記事を、一部IDEAS FOR GOOD向けに編集したものです。

パリ19区にある、パリ市内で最も大きな公園La Villette(ラ・ヴィレット)。青々と茂る芝生で遊ぶ子どもたちの声と、風のささやき、そして公園の真ん中を通る運河。夏には多くのパリジャンたちが運河の川べりに座り、夕日が沈むのをただただ眺めるような、美しい場所だ。

そんな息を呑むような景色の中に、一風変わったレストランが佇む。レストランの名前は「Ventrus(ヴェントルス)」。「いつか行こう」と、そのレストランを訪れることを先延ばしにしてはならない。なぜならVentrusは、ある日足跡さえ残さず、その場所から風のように消えてしまうからだ。

Ventrus

Photo by Anne-Claire Héraud

人々はVentrusを「ノマドレストラン」と呼ぶ。一週間で組み立て・分解ができる木造のモジュール式で、景色の美しい場所を旅する。2021年10月にパリのラ・ヴィレット公園のウルク運河に初めて現れ、夏の間は自然の聖地とも言われる南仏プロヴァンス・カマルグに“出かけて”いた。その後、2024年3月現在はラ・ヴィレット公園に戻ってきている(2025年6月までパリに滞在予定)。

「世界に欠けているのは美しい景色ではなく、それを楽しむためのレストランです」

ノマドレストランVentrusの創設者であるGuillaume Chupeau(ギヨーム・シュポー)氏は、そんな想いを胸に、長年続けた広告主としてのキャリアに幕を閉じ、世界を旅した。そうして生み出したのが、レストランVentrusのコンセプトだった。

ギヨーム氏 Photo by Masato Sezawa

ギヨーム氏 Photo by Masato Sezawa

環境汚染を最小限に抑えた「足跡を残さない」ノマドレストラン

「きれいな景色を見て地域を想いながら五感を使って食べるレストランが、その美しさを提供してくれる場所を傷つけてはなりません」。Ventrusは、その明確なコンセプトに基づいている。

土地の環境などが理由になり、非日常で美しい場所にレストランを作れないことはよくある。そこでギヨーム氏のアイデアに賛同した哲学者であり建築家のFrançois Muracciole(フランソワ・ムラシオル)氏と協力して生まれたのが、Ventrusの構造だった。

移動式なだけではなく、ガラスの大きな窓が特徴的で、眺めがよい。さらに営業中もできるだけその土地に痕跡を残さない。ギヨーム氏は、レストランの運営による環境汚染を最小限に抑えるにはどうすればよいかを考えた。

Ventrus

Photo by Anne-Claire Héraud

廃棄物ゼロのポリシーに基づき、食材をそのまま使用することへのこだわりも。レストランで出た生ごみは、フランスの食品廃棄物堆肥化の専門企業であるLes Alchimistesによって回収され、堆肥化して10キロ圏内の農園で使用される。また、使用済み食用油はバイオ燃料に変える企業Quatraに提供する。

他にも、水のろ過を行うInovayaが提供する、川の水を飲料水にできるろ過システムの採用や、下水道に水を流さない自律的なトイレを実現するフランスのスタートアップWecoとの協力により、一般的なレストランに比べ水の使用量を80%削減。エネルギーも自給自足するなど、循環の仕組みを取り入れている。

「私たちは、これまでのレストラン業界とは異なる、新しいレストランを一から作りました。最初からできるだけ環境への影響を少なくしたいと思っていました。そのため、フランスのスタートアップと一緒に水のリサイクルを検討し、持続可能なトイレなども取り入れました。Ventrusは、実験室なのです」

レストラン中

Photo by Masato Sezawa

足を踏み入れた土地に深く根ざす

非日常の景色で人々の感性を刺激し、テロワールを大切にする──それが、Ventrusの原点である。テロワール(terroir)とは、「土地」を意味するフランス語terreから派生した言葉で、風土やその土地の個性を意味する。ワインの世界で用いられることが多く、「ブドウ畑を取り巻く自然環境要因」のことを指して使われるが、各地の特産食材などを語るときにも使われる。

Ventrusは、その足を踏み入れた土地に深く根ざし、常に地元の生産者から厳選された食材を仕入れることを心がけており、パリにいる間は市内の都市農園でできた作物を味わうことができる。また、メニューには季節ごとの食材が取り入れられているため、3週間おきに変わる。

さらに、「地元の土地と、愛情を込めて仕事をする生産者を称賛したい」という想いを持つ、Ventrusのコンセプトに共感したシェフたちが、およそ2か月ごとに交代して調理を担当するのもユニークだ。最近までは、イギリス、フランス、イタリアを行き来しながら、持続可能な農業と小規模サプライヤーとの関係構築に情熱を注ぐシェフ・Chris Woolard (クリス・ウーラード)氏が厨房で腕を振るっていた。ギヨーム氏は、こうした理由から、Ventrusを「飽きることのないレストラン」と表現する。

Ventrus料理

Photo by Masato Sezawa

ギヨーム氏は言う。「私たちは、食べ物に対する対価を支払うことの重要性を理解し、受け入れるべきです。農家に適正な報酬が支払われ、消費者がその価値を認識することで初めて、真のサステナビリティが実現します」

「この問題に関する教育の強化が急務です。大手メディアが報じるのはインフレ問題ばかりで、スーパーマーケットは最低価格を追求する競争に明け暮れています。しかし、その代償は一体何でしょうか?それは、農家の苦境を深め、大量販売を通じてのみ利益を享受する産業巨人たちのみが得をする世界です。正しい行動を取ろうとする農家たちが直面する現実、それは彼らが負担するコストを私たちが理解し、支える必要があるのです」

人間を取り巻くものへの「優しさ」を引き出す

「クレイジーなアイデアでしょう?」

ギヨーム氏がVentrusについて語るときはいつも、そう言いながらも微笑みを浮かべる。それを見るたびに、彼がレストランを心から愛する気持ちが伝わってくる。

「私は、人々がどこか別の場所に運ばれるというアイデアが好きです。私にとって、レストランでの体験は、美味しい食事、笑顔、そして素敵な装飾がすべてです」

「レストランは、食事を楽しむだけでなく、特別な場所で特別な時間を過ごすことができる、安らぎの場所である必要があります。確かに食事は第一に必要なことですが、せっかく外に出て、キッチンを離れて時間を過ごすのであれば、食事以上のことを経験するべきだと思いませんか?」

ギヨーム氏

ギヨーム氏 Photo by Masato Sezawa

「美しい場所で食事をすることで、人々に新しい体験をしてほしい。パリのラ・ヴィレット公園での食事は、もはや都市にいる感覚はありません。賑やかで忙しい都市の中で、『禅』を感じる瞬間です」

Ventrusでは時間がゆっくりと流れ、自然を前にして感性が研ぎ澄まされる。大きな窓から外を眺めると、運河の水面は穏やかな風によって優しくゆらゆらと揺れ動き、木々の枝もまた、風に合わせて静かに揺れている。芝生で寝転ぶ人々は、気持ちよさそうだ。そうして、地元の食材を味わいながら、私たちを生かしてくれている自然への感謝の気持ちが溢れてくる。

Photo by Masato Sezawa

「移動するレストラン」は、まるで自然や食材、人、そしてさまざまな出会いのリズムに息づく生命体のようだ。周囲の自然と調和し、風景に溶け込むその存在は、一方で儚い自然の前での、人間としての優しさや、ケアの精神を引き出してくれる。

そんな人々に特別な体験を提供するVentrusの次の目的地はどこなのだろう。現在、フランス北部の街リールの公園内に、1日で設置できる小さなイベント用の新しいレストランの計画もあるのだという。そしてギヨーム氏は、目を輝かせて言うのだ。「もし日本で眺めの良い場所を見つけ、周りに良いレストランがなかったら、私に連絡してください」と。

※本記事は、「BETTER FOOD(ベターフード) VOL.2 リジェネラティブ・フード・ビジネス」掲載記事を、一部IDEAS FOR GOOD向けに編集したものです。
食分野におけるサステナビリティの先行事例を紹介する不定期刊行誌〈ベターフード〉第二号の特集は「リジェネラティブ・フード・ビジネス」。リジェネラティブ農業で作られたコーヒーを売る米国発ロースター〈Overview Coffee〉、世界中の小規模農家にリジェネラティブ農業への移行支援を行うオランダの〈reNature〉、そして千葉で自然酒づくりを行う〈寺田本家〉のインタビュー記事を掲載。他にも、フランスのノマドレストラン〈Ventrus〉や、幸せ・繋がり・思いやりを追求する〈Pizza 4P’s東京店〉といった飲食店をはじめ、バー業界のサステナビリティを牽引する〈Trash Collective〉や、外来水草からジンを作るカンボジアの〈MAWSIM〉といったスピリッツ関係の記事、さらにルワンダコーヒーをめぐる分断と和解のストーリーなど、持続可能な食の未来を描く。
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