シェフが挑む環境再生型農業。パリ郊外、“超”地産地消のレストラン「Le Doyenné」

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※本記事は、「BETTER FOOD(ベターフード) VOL.3 エシカルフード最前線(バリ島)」掲載記事を、一部IDEAS FOR GOOD向けに編集したものです。

フランス・パリ中心部から南へ41キロ。もはやパリから小旅行といっても過言ではない旅路の先に、世界中の美食家が目指す場所がある。

決して「簡単に行ける」とは言えない場所にあるレストランに向かうため、筆者はバスを待っていた。たまたまバス停で出会った地元の女性が、不思議そうな表情で「パリからわざわざここまで来て、どこに行くの?」と尋ねてきた。行き先がレストランであることを伝えると、彼女はすぐさまこう返した。

「ル・ドワイヨネ?」

筆者が驚きながらうなずくと、彼女の方は特に驚く様子もなく、むしろ納得したような表情を浮かべた。この村にとってそのレストランが、すでに特別な存在として定着しているのかもしれないと感じた。

フランスのサン=ヴランという小さな村に位置する「Le Doyenné(ル・ドワイヨネ)」は、2022年6月にオープン。建物はシャトー・ド・サン=ヴランという歴史的な敷地内にあり、フランス革命時にマリー・アントワネットのライバルであったデュ・バリー伯爵夫人や、イタリアの名門貴族ボルゲーゼ家など、多くの歴史的な人物や貴族が受け継ぎ、大切に守られてきた。

Le Doyenné

Image via Le Doyenné

オーストラリア出身のシェフ、ジェームズ・ヘンリー氏とショーン・ケリー氏は、この歴史的な建造物をレストランとゲストハウスに改装した。敷地内には菜園が広がり、再生型農業の手法を活用して野菜を栽培している。

Le Doyennéのゲストハウス

Image via Le Doyenné

Le Doyenné のゲストハウス

Image via Le Doyenné

これらの野菜は、Le Doyennéの料理の基盤となるだけでなく、訪れる人々にここでしか味わえない特別な体験を提供しているのだ。彼らの哲学は「農場から食卓へ」というシンプルで力強い理念に基づいている。

ジェームズ・ヘンリー氏とショーン・ケリー氏

ジェームズ・ヘンリー氏(左)とショーン・ケリー氏(右)Image via Le Doyenné

2024年には「世界のベストレストラン100」の70位にランクインしており、ミシュランガイドの持続可能なガストロノミー「グリーンスター」も獲得したLe Doyenné。その実績は、訪れた多くの人々を納得させるものだ。人々は「このレストランは、直にもっと有名になるだろう」と口を揃えて言うのだ。

パリから高速郊外鉄道に揺られること約50分、さらに最寄り駅からバスを乗り継ぎ、Le Doyennéに到着すると、その広大な敷地が目の前に広がり、思わず息を呑んだ。手入れの行き届いた菜園や放し飼いされた鶏を横目にレストランの建物に入ると、シェフ兼オーナーのショーン・ケリー氏が笑顔で迎えてくれ、「菜園を少し散歩しよう」と提案してくれた。

Le Doyenné

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自然のリズムに寄り添うレストラン「Le Doyenné」

ヘンリー氏とケリー氏は、荒廃していた歴史ある建物を改築し、現在のレストランにゲストハウスを併設したLe Doyennéを作り上げた。二人の挑戦が始まったのは、2017年のこと。まず取り組み始めたのが畑の再生だった。

レストランの前に広がる菜園は、60年間手つかずのまま壁に囲まれていた庭を改修し、新たに果樹園と菜園として蘇らせたものである。雑草や荒れ地だった場所が、今では色とりどりの野菜や果物で満たされ、土地の再生が見事に実現されている。この壮大なプロジェクトを完成させるまでに、二人は6年もの歳月を費やしたという。

Le Doyenné

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「ゲストには、まるで自分の家にいるようにリラックスしながら、自然とのつながりを感じてほしい」

レストランの空間には、かつての馬小屋が改装されて利用されている。アーチ型の天井と大きな窓を特徴とするこのスペースは、歴史的な趣を残しながらも、開放的な雰囲気を生み出している。広々とした窓からは菜園を一望でき、食事をしながらその景色を楽しむことで、ゲストに自然との深いつながりを実感してもらう工夫がされている。

Le Doyenné

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ケリー氏は菜園を歩きながら、そこで育てている作物一つひとつについて丁寧に説明してくれた。その語り口から、彼の農業への情熱が伝わってきた。

「菜園は、2,500平方メートル。現在、約200本の果樹や低木を植え、在来種の野菜やハーブを数百種類栽培しています。この時期はブルーベリーが全面にあり、他にはイチゴやラズベリー、ブラックベリーも育てています。また、リンゴや洋ナシは良い出来です。壁沿いには桃やアプリコットの木があり、古いイチジクの木も元気ですよ」

ケリー氏と共に菜園を歩いていると、その日のディナーを予約しているゲストたちとすれ違った。ここでは、ゲストが今夜自分が食べる食材を自分の目で確かめることができる。菜園には、その日に収穫される新鮮な野菜や果物が育ち、訪れる人々にその豊かさを伝えているのだ。

季節ごとに移り変わる菜園の景色は、ゲストたちに新たな発見や楽しみを提供する。春には若々しい緑が広がり、夏には色とりどりの作物が目を引く。秋には熟した果物が豊かに実り、冬には土壌を守るための工夫が見られる。自然のリズムに寄り添ったこの菜園は、訪れるたびに異なる魅力を見せ、ゲストを惹きつけてやまない。

ケリー氏

ケリー氏

「ただ、レストランで最高の食材を使いたかった」環境再生型農業への道のり

ケリー氏とヘンリー氏は今、シェフとしてだけでなく農業にも取り組んでいる。これほど広大な土地で農業を営む二人だが、実は農業の経験は全くなかったというから驚きだ。もともと、二人はパリの美食家たちから高い評価を受けていた人気シェフであり、料理のプロとして活躍していた。

ケリー氏は、シェフとして11年のキャリアを持つ熟練の料理人である。ロンドンの有名店「St. JOHN(セント・ジョン)」で英国料理の基礎を学び、続いてパリの「Saturne(サチュルヌ)」で経験を積んだ。その後、Le Doyennéのビジネスパートナーであるジェームズ・ヘンリー氏が立ち上げたパリ11区の「Au Passage(オ・パサージュ)」で働き、共にその評判を確立した。また、ビストロ「Yard(ヤード)」をパリの定番店にし、さらにはパリのオーストラリア大使館の総料理長として指揮を執るなど、多彩な経験を持つ。ヘンリー氏は、「オ・パサージュ」の立ち上げで一躍注目を集めた後、自身のレストラン「Bones(ボーンズ)」をオープン。ハイパーシーズナルな固定メニューや活気あるバーが話題を呼び、瞬く間に人気シェフとしての地位を確立した。

そんな二人が、今は自らの手で土を耕し、作物を育てる農業者としての顔も持つようになった。さまざまなガーデニング方法に関する本を読み漁り、インターネットなど活用しながら知識を蓄えたという。「ただただ、レストランで最高の食材を使いたいという思いがきっかけだったんです」と、ケリー氏はあっさりと語る。

Le Doyenné

Image via Le Doyenné

「Le Doyennéの菜園では、農薬や化学物質は一切使用していません」

Le Doyennéでは、現代農業で一般的に行われている土を深く掘り返す「耕起」を避け、代わりにコンポストや家畜糞、マルチ(草やわらを土の表面に敷く方法)を利用して有機物を穏やかに分解する手法を採用している。この方法により、土壌中の炭素を固定し、何百年もの間育まれてきた微生物の生命を守りながら、土壌の健康を維持しているのだという。廃棄物が発生した場合は、家畜の餌になる。

「毎年、土壌がより良くなり、作業しやすく、力強く、深みが増していくのが分かります。ナメクジに関しては一部対策を取らざるを得ませんが、害虫には防虫ネットを使用しています。農薬を使わないので、鳥や昆虫が自然に生息する環境が作られています。化学薬品がないことで、人間も安心して作業できます。自然の中で働くのは、とても気持ちが良いですよ」

フランスでは、環境再生型農業はまだ広く普及しているとは言い難い。マルシェ(市場)では見かけることがあるものの、スーパーマーケットでの取り扱いはまだ限られているのが現状だ。そんな中、2019年には、レストランの建設が進む最中に、この菜園で収穫された新鮮な食材をパリのトップシェフたちに提供する取り組みが行われ、環境再生型農業の可能性を広げる一歩として注目を集めた。

Le Doyenné

Le Doyenné内のショップで販売されている採れたて野菜

「これまでのレストラン業界は非常に無駄が多く、環境への影響も大きいと感じていました。だからこそ、小規模農業や地域の生産者との協力も欠かせません」

現在Le Doyennéでは、一部の肉、また季節によってはキノコや柑橘類などを南フランスの生産者から仕入れている。一方、提供される料理に使う野菜は、完全に自家栽培でまかなっているという。

「野菜や鶏肉、豚肉については、すべて敷地内で育てているものです。将来的には、卵を自家生産することが大きな目標です。また、農場を少し拡張し、年間を通して完全に自給自足ができる体制を整えたいと考えています」

彼らの取り組みは、持続可能なレストラン運営の新たなモデルを築きつつある。

ショーン・ケリー氏

Image via Le Doyenné

季節を感じる菜園が、シェフのインスピレーションとなる

Le Doyennéが何よりも大切にしているのは、「季節性」である。菜園を歩くことは、シェフたちにとってメニューのインスピレーションを得る重要な時間でもある。

「メニューは頻繁に変わります。例えば、エンドウ豆は収穫期が短く、良い状態で楽しめるのはわずか2週間程度。そのため、その時期に合わせてメニューを変更する必要があります」

季節ごとの新鮮な食材を最大限に活かし、ゲストにその瞬間だけの特別な味わいを提供することが、Le Doyennéの哲学なのだ。

エンドウ豆が収穫されると、シーズンの初期には生のままその新鮮さを活かして提供し、シーズンが進むにつれてさまざまな新しい調理方法を試みる。シェフのジェームズ氏とキッチンチームは、野菜を見てその場でアイデアを考え、メニューにするのだという。

「crudités from the garden」

「crudités from the garden(庭からの野菜)」と呼ばれるオードブル。どれだけ野菜が豊富に育てられているかを象徴している。

Le Doyennéのワインリストも、常に進化する季節のメニューに合わせて厳選されている。自然派ワインを中心に、従来型のワインやバイオダイナミック(有機農法に基づく)に近いワインまで、幅広い選択肢が揃っている。そのため、訪れるゲストは自分の好みに合ったワインを気軽に楽しむことができるのだ。

「食」「自然」「文化」が融合するレストラン

パリでシェフとして成功を収めていた二人が、郊外の広大な土地に移り、新たな取り組みを始めてからの5年間。不安や困難はなかったのだろうか。

その問いに対し、ケリー氏はこう答える。

「フランスには、農村文化やマルシェ(市場)文化が深く根付いており、それが私たちのようなレストランを支える土台になっています。多くの人がスーパーマーケットよりも市場の方が品質が良いことを理解していて、実際に自分の目で見て、どちらが良いかを判断する力を持っているのです」

彼の言葉からは、フランスの食文化がLe Doyennéの基盤を形作っていることが伝わってくる。そうした文化を背景に、彼らは持続可能な未来を見据えた新たな価値観をレストランに取り込む。目指すのは料理の提供だけではなく、自然とのつながりを体現すること。そんなLe Doyennéでは、農業を営みながら、詩人・小説家・哲学者として環境保全のメッセージを発信していたウェンデル・ベリーの言葉が大切にされている。

「土壌は命をつなぐ偉大な連鎖であり、すべての源であり行き着く先である。それは癒し、回復し、再生する力を持ち、病気を健康へ、老いを若さへ、死を命へと変える。適切に土壌をケアしなければ、私たちには共同体も命も存在し得ない」
ーWendall Berry

「食」「自然」「文化」が交わるレストラン。目の前の菜園で育まれた季節の食材、自然派ワイン、そして歴史を感じる空間。そのすべてが調和し、訪れる人々に「食べる」という行為の本質的な意味を問いかける。Le Doyennéで過ごした時間からは、そんな情熱を感じた。

【参照サイト】Le Doyenné

※本記事は、「BETTER FOOD(ベターフード) VOL.3 エシカルフード最前線(バリ島)」掲載記事を、一部IDEAS FOR GOOD向けに編集したものです。
食分野におけるサステナビリティの先行事例を紹介する不定期刊行誌〈ベターフード〉第三号の特集は「エシカルフード最前線(バリ島)」。編集部自らバリ島に3週間滞在し、現地のレストランやホテル、農家から村の司祭まで、注目すべき人々へインタビューを行った。風光明媚なビーチから、熱帯特有のエネルギー溢れるジャングルまで、バリ島にどっぷりと浸かりながら現地の熱気を詰め込んだ一冊。より良いフードシステムを創ろうと奮闘するバリの人々のリアルに迫る。
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