今こそ私たちが、利他的に生きるとき。生物学者・福岡伸一先生が「いのちとは何か」を問い続ける理由

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「生命って、何だと思いますか?」

いのちをつなぐ学校

写真提供:いのちをつなぐ学校

教室の前に並ぶ5人の高校生の一人が、問いかけた。会場からはさまざまな答えが飛び交う。

変わりゆくもの
動くもの
意志のあるもの
つながり
必ず滅びるもの
輝いていて尊ばれるもの、守りたいと思うもの
お互いを助け合っているもの

2024年5月、東京都中野区にある新渡戸文化学園で、人間と地球のいのちについて考える特別授業「いのちをつなぐ学校」が開催された。衛生や環境、健康を柱に事業を展開するサラヤ株式会社が、2022年に始めた教育プロジェクト。その目的は、気候変動や環境破壊、地球全体のいのちを守る大切さを全国の学校に届けることだ。

いのちをつなぐ学校

写真提供:いのちをつなぐ学校

いのちをつなぐ学校の校長を務めるのは、「フクオカハカセ」こと福岡伸一先生。日本を代表する生物学者だ。これまで、福岡先生によるいのちに関する動画コンテンツの配信、サラヤ社員による出張授業などを通して学びの機会が提供されてきた。その3年目となる2024年、より生徒たちの好奇心を刺激しながら、知りたくなる学びを促したいと開催されたのが、この特別授業。冒頭、高校生5人が、自然の不思議「センス・オブ・ワンダー」を感じた瞬間について発表したのち、福岡先生による講義が始まった。

テーマは、「生命とは何か?」

福岡伸一氏

福岡伸一氏/ 写真提供:いのちをつなぐ学校

幼少の頃から昆虫が大好きで、友だちは人ではなく虫。あらゆる昆虫を知るため、毎日図書館の書庫に通い詰めていた福岡少年は、やがて日本を代表する生物学者となった。そんな福岡先生が、書籍や講演など、あらゆる場所で問いかけるのが、「生命とは何か?」という問いだ。先生はその問いに、こう答える。「生命とは、流れです」と。

なぜ、福岡先生は、生命とは何かを問い続けるのか。本記事では、福岡先生が生命哲学や生命科学の観点から語った「いのち」に関する講演内容に加え、IDEAS FOR GOODの個別取材で聞いた「福岡先生の目に映る今の世界」「いのちある私たちに今求められていること」について、お伝えしていく。

話者プロフィール:福岡伸一(ふくおか・しんいち)氏

福岡伸一氏生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て青山学院大学教授・米国ロックフェラー大学客員教授。サントリー学芸賞を受賞し、88万部を超えるベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)など、“生命とは何か”を動的平衡論から問い直した著作を数多く発表。

「生命は機械ではなかった」マウスの実験が教えてくれたこと

まだ昆虫少年だったときのこと。ある日、好奇心からアゲハチョウのサナギの体を開けてみた福岡先生は、なかに詰まっていたドロドロとした液体を見た。それが、実は壊された幼虫の細胞だと知り、「なぜ、生命は破壊されたあと創造されるのか」と不思議に思ったという。それが、福岡先生が最初に感じた「センス・オブ・ワンダー」。それから、分子生物学者となり研究を行っていくなかで、福岡先生は再び、少年時代のこの疑問に立ち返ることになる。

かつて福岡先生は、自身が発見した「GP2遺伝子」という新たな遺伝子の役割を解明するための実験を行った。遺伝子操作によって、すべての細胞からGP2遺伝子が消去された「GP2ノックアウトマウス」というマウスをつくり、遺伝子が欠けたことで現れうる異常から、その役割を突き止めようとしたのだ。

「GP2ノックアウトマウスは、例えるならば、携帯電話の部品が一つ欠けたマウスです。部品を一つ抜くと携帯電話は壊れるので、その壊れ方を調べることでGP2遺伝子の役割を突き止めようとしました。仮に、そのマウスが糖尿病になれば、GP2には血糖値の乱れを抑制する働きがあることになり、もしがんになれば、GP2にはがんを抑制する役割があるということになります。生み出されたGP2ノックアウトマウスにどんな異常が現れるのか、固唾をのんで見守っていました」

しかし、そこで福岡先生は大きな壁にぶつかった。

福岡伸一氏

福岡伸一氏/ 写真提供:いのちをつなぐ学校

「生まれてきたGP2ノックアウトマウスは、元気いっぱい走り回っていて、どこにも異常がありませんでした。五体満足で健康。どこかに異常が隠されているに違いないと思って調べても、細胞の機能も形態も行動も何も異常がありませんでした。年を取ってから現れるのかもしれないと思って待ちましたが、異常は現れない。それどころか、子孫にも異常がなかったんです」

多大な費用と時間を費やして挑んだ研究。驚くべき結果が出てくると思ったのに、何も出てこない。研究者として大きな壁にぶつかったと福岡先生は感じた。しかし、その“失敗”を通して、あることに気が付いたという。

「近代科学では、細胞や遺伝子を携帯電話や自動車の部品のように捉え、その詳細をミクロに調べていく機械論的な研究方法が当たり前でした。マウスという生命体を『機械』だと捉えていたから、一つ部品がなくなれば壊れると思っていたんです。でもそうじゃなかった。一つ部品がなくても、ないなりに何とかやっていけるのが『生命』だったのです。それ以来、生命を『機械』ではなく、もっと大きな動きとして捉えることが大切なのではないかと思うようになりました」

変わらないために、変わり続ける「動的平衡」という生命観

GP2の実験を通して、「生命の不思議」を目の当たりにした福岡先生は、ある人の言葉を思い出した。今から100年ほど前に研究していた、ユダヤ人の科学者、ルドルフ・シェーンハイマーが言った「生命は機械ではない、生命は流れだ」という言葉だ。

「彼が発見したのは、食べ物を食べることは、エネルギーを補給しているのではなく、『自分の体を入れ替えている』ということ。食べたものは自分の一部になるけれど、その代わり、体をつくっていた分子や原子は、分解されたり燃やされたりして捨てられている。ものすごい速度で、合成と分解が起こっていて、その流れを変えないために食べ物を食べ続けているのです。つまり、一瞬姿をつくるけれど、それはまた流れていきます。ですから、われわれの体は常につくり変えられていて、個体というより流体に近いわけです。そこから生まれたのが、『動的平衡』という生命観でした」

いのちをつなぐ学校

写真提供:いのちをつなぐ学校

「動的平衡とは、『動的=絶えず動いている』『平衡=バランスをとりなおしている』ものとして、生命を捉える見方です。というのも、私たちの体は、つくることよりも壊すことを一生懸命に行っています。大きく変わらないために、小さく変わり続けているのです。秩序あるものは秩序ない方向にしか進みません。整理整頓されていた机は油断すると汚れ、ピラミッドも風化していきます。細胞膜は酸化されようとするし、体のなかには老廃物がたまっていきます。放っておいたらあっという間に生命は成り立たたなくなってしまう。そこで、先回りして自分自身を壊し、つくりなおすという『動的平衡』作用を行っているのです」

動的平衡の「相補性」と「利他性」

生命をミクロな視点で「機械論的に」捉える近代科学とは違い、大きな流れとして捉える「動的平衡」。その見方によると、私たちの体は絶えず動いている。だが、なぜ変わり続けながらも、ずっと同じ自分であり続けることができるのだろうか。その理由について、福岡先生は、体の中の細胞と細胞の関係が、「ジグソーパズルのピースのようだから」と説明した。

「我々の細胞は、前後左右上下、周りの細胞と支え合っている。それを相補性というのですが、相補性が保たれながら、どんどん細胞が入れ替わっているんです。ピースは常にリニューアルされているのですが、相補性が保たれている限り、全体としては、ある程度一定でいられるのです」

福岡伸一先生

「このことは、地球全体の生態系についても言えます。微生物と生物の関係、種と種の関係、食う食われるの関係も、互いを支え合いながら存在している相補的な関係です。一つの個体の中の細胞レベルでは相補性と言えますが、地球全体の生態系を考えると、その関係性は、他を利するという意味で『利他性』とも呼ぶことができます。

その生命の利他的な性質はまた、生命の進化全体においても言えます。弱肉強食の世界で、常に競争があり、勝ち残ってきたものが進化してきたと捉えられがちなのですが、むしろ利他的な共生がおきたときほど、進化が大きくジャンプしているのです。原核細胞から真核細胞になったとき、単細胞が多細胞化したとき、無性生殖が有性生殖になったとき。互いに助け合うことで、より複雑な多様性あるものがつくられるようになりました。進化の中では、利他性がすごく重要になっているのです」

蝶々

もう一つ、これは『死』というものにも通じています。ある個体が死ぬから新しい変化が生み出されます。例えば、ある個体が占有していた場所で、新しい生命が繁栄することができます。また、私たちの体に流れ込んでくるさまざまな物質は、排泄物や呼吸によって絶えず環境や生命の中に戻っていきます。それで終わりではなく、そこからまた新たな生命が生まれている。これがずっと繰り返されているのが進化の大きな流れであり、地球環境の多様性なのです」

利己的でない「利他的な」選択へ

かつて、進化生物学者であるリチャード・ドーキンスは、著書『利己的遺伝子論』のなかで、生物とは遺伝子の乗り物であり、遺伝子の目的はただ一つ。自己を複製して増殖することだから、遺伝子は基本的に利己的にふるまうものである、と語った。しかし、福岡先生は違う見方をする。

「確かに、生命の進化の在り方を『遺伝子が自己増殖を唯一の目的として進んできた』と捉えることはできます。しかし、その見方では見逃してしまう重要な側面が多くあります。それが、『利他性』。人間以外の生物も、遺伝子が自己の利益だけを追求しているわけではなく、むしろ他の個体や種に利益をもたらす利他的な行動をしていることが多いのです。

例えば、植物は太陽のエネルギーを使って光合成をして有機物を生み出します。そのとき、自分が芽を出し、子孫が増えるのに必要な分だけ光合成すればいいはずなのに、植物はそうしていません。過剰に光合成をして、余分な葉や実、穀物などを作り出します。これらは昆虫や鳥などの他の生物に提供され、それらを肉食動物が食べるという食物連鎖が成り立っています。さらに、有機物の原料は二酸化炭素なので、植物が光合成をすれば、大気中の二酸化炭素の量を減らすことにもつながります。植物のこの『利他性』は、地球環境全体の基盤になるわけなのです。なので、生命というのは、利己的ではなく『利他的にふるまうもの』というのが私の見方です」

植物

進化の局面も含め、さまざまな場面で垣間見られる生命の利他性。だが、人間はというと、あらゆる場面で利己的にふるまい、環境に負荷を与えている。そんな今、私たち人間は、生命が持っている本来の姿、「利他的な姿」をもう一度見つめ直さないといけないのではないか──そう福岡先生は言った。では、人間がより利他的に生きるようになるためには、どのようなことが必要なのだろうか。

「『食べる』という行為は、自分自身の動的行動を支える行為です。他の生命体のいのちを頂かないことには生きていけないので、食べ物を食べざるを得ません。でも、そのときの選択としてどういうあり方が必要なのかがもう少し問われないといけないと思っています。私は、ベジタリアンやヴィーガンといったあり方が、必ずしも唯一の解決策になるとは思ってはいません。植物も生命をもって生きているので、動物や家畜を殺すのはかわいそうだけど植物だったらいい、というわけにはならないからです。

ただ、家畜を育てるためには、大量の飼料や水、土地が必要です。そのために、熱帯雨林が開発されてしまい、本来は利他的にふるまってくれているはずの植物が失われるという現状があります。また、特に先進国の人々は、過剰なほど贅沢な食事をしています。肉食中心で、廃棄物も多い。動物の肉であっても植物のたんぱく質であっても栄養的には等価なはずなので、少しだけ普段の食事を植物性のたんぱく質のものに変えてみるだけでも、食糧不足や地球環境への負荷は今よりも減るわけです。そういうふうに、消費行動を変えていくことが不可欠です。

さらに、今の食は、『その食材がどこからどのように来ているか』というプロセスが遮断されて見えなくなっており、それが想像力を欠如させてしまっていることも問題です。わざわざ遠くの国から運んできたミネラルウォーターを飲むのではなく、身近な日本の水を選ぶなど、自分の食の消費行動の『見える化』を考えること。利己的な選択ではなく、できるだけ地球環境に負荷を与えない『利他的な選択』へ切り替えていくことが大事なのではないかと思っています」

分断と停滞を乗り越えるために。「生命とは何か」をもう一度問い直す

「人類は、進歩も調和もしていません」

最後に、今の世の中について想うことを尋ねると、福岡先生はこう答えた。「人類の進歩と調和」。それは、1970年に大阪で開催されたEXPO70で掲げられたテーマだ。2025年の大阪万博で、プロデューサーの一人としてパビリオンをつくることになっている福岡先生は、それからこう続けた。

「70年万博の跡地に唯一残るモニュメント『太陽の塔』は、近代主義、進歩主義、テクノロジー第一主義に対するアンチテーゼとして、岡本太郎によって建てられました。古代の生命のパワーをもう一度見直さないといけない、生命の根源に対する問いかけをしないといけないという想いが、そこには込められていたんです。現在はあの塔だけが残って他のものは全部なくなり、70年万博で展示された動く歩道や携帯電話などは、今では普通のテクノロジーとなり陳腐化してしまいました。

そういうふうに考えると、今回の万博で特に問われているのは、テクノロジーやソリューションを提示することではなく、ビジョンや哲学を提示することだと考えています。人類は進歩もしていないし調和もしていない。もっと本質的に生命のことを考えないといけないと思っています」

太陽の塔

Gondronx Studio / Shutterstock

そんな想いを口にしながら、福岡先生は、最後にこう言い残した。

「前回の70年万博から50年以上の月日が流れましたが、人間は進歩、調和をしているかというとますますしていません。むしろ、かつてなかった紛争が起き、エネルギー問題が起こり、気候変動が喫緊の課題になり、『分断と停滞』がおこっています。それは、生命やこの世界に対する哲学、ビジョンの問いが成り立たないまま、目先のソリューションやイノベーションだけでなんとかなると考えているからではないでしょうか。

私は、生命のあり方、生命というものをどう捉えるかが、未来を考えていくうえで大事なポイントだと思っています。だから今、そこに焦点を当てなおして、『生命とは何か』を問い直さないといけないと考えています。そうすることでしか、分断や停滞を乗り越えていけないと思うんです」

編集後記

「なぜ、ホタルはこんなにも美しくはかないのだろう」「なぜ、貝殻は絵に描いたような綺麗な模様をしているのだろう」「なぜ、道端の花は、踏まれても踏まれても元気に咲くのだろう」「なぜ、なぜ……?」

都会の真ん中から小さな田舎町に移り住んだ私は、毎日さまざまないのちに触れるようになった。ホトトギスのさえずり、カエルの合唱、路肩に咲く名も知らない小さな花、道路を歩くシカやイノシシに、夏の短い期間だけ川の上に現れる小さな小さなホタル。すぐ隣にいのちを感じるようになり、世界には数えきれないほどの「センス・オブ・ワンダー」が溢れていると気づいた。そんなふうに小さないのちの不思議に目を向けるようになって、そのいのち一つひとつの尊さを感じるようになった。

雑草もテントウムシもトリも人間も。それぞれが生かし合って存在していると気づけたとき、「じゃあどうふるまうべきか?」という問いが生まれてくる。そのとき、パズルのように、周りと生かし合いながら、ピースをぎゅっとはめていくことができれば、地球全体の「真の調和」が生まれるのだろう。そのためには、あなたが今どこにいても、身近にあるいのちに少し目を向けてみること。そこから、分断や停滞を乗り越える道が拓けていく気がする。

最後に、この記事で繰り返してきたこの言葉で締めくくりたい。

「あなたにとって、生命とは何でしょうか?」

【参照サイト】いのちをつなぐ学校ウェブサイト
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