「ここに生まれて良かった」と誰もが思える世界に。ルワンダのエンジニアを育てるZ世代社会起業家の挑戦

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住む家があり、食べるものがあり、通える学校がある。水道からは綺麗な水が出て、病気になったら病院に行ける。毎日、当たり前に平和な日々が続いていく。

一方で、世界には今日食べるものも手に入らず、学校に通えず働かなければいけない子どもたちもいる。綺麗な水が出る水道がなく、汚れた水を飲んで病気になり、それを治す病院がないために命を落とす子どもたちも、たくさんいる。

多くの人は、最初はこうした現実に驚き、純粋にこう思うかもしれない──どうしてこんなことになっているのだろう?

子どものころに誰もが一度は抱いたであろうこうした疑問は、多くの場合、成長すると共に薄れ弱まっていく。残念ながら、私たちはそういう世界に“慣れてしまう”のだ。しかし、彼女はそうではなかった。

「必死で頑張っても、『生まれた場所がそこだった』という理由で仕事を見つけることができない。だから、貧困の連鎖からも抜け出せない。これは『おかしいな』と、ずっと感じていました」

こう話すのは、こうした社会の理不尽さへの疑問を出発点に、今、ルワンダと日本をつなぐビジネスで“世界の歪み”を解決しようと奮闘する起業家、西郡琴音さんだ。

彼女が展開するのは、ルワンダのIT人材を日本のIT企業とつなぎ、実践を通したトレーニングを提供することで彼らの将来の可能性を広げる「Ready to Bloom」という事業だ。2023年7月から2024年初頭にかけて行われた社会起業家アクセラレーションプログラム「ゼロイチ」を通して事業を磨き上げ、2024年2月28日に行われたファイナルピッチでは、優秀賞を受賞した。

西郡さんが起こそうとしているのは、どんな社会変革なのか。Ready to Bloomで作ろうとしているのは、どんな未来なのか。次世代のために立ち上がる若手起業家の挑戦に迫った。

ファイナルピッチの様子

ファイナルピッチの様子

幼少期から感じていた、“世界の歪み”への強い違和感

「アフリカや貧困問題には子どもの頃から興味がありました。小学生のとき、国語の教科書に載っていた『ハゲワシと少女(※)』という写真を見て衝撃を受け、『どうにかしてこの子を助けられないの?』とお母さんに聞いたのを覚えています」

※ ハゲワシと少女:1993年にニューヨーク・タイムズに掲載されたケビン・カーターの写真。目の前の少女を助けることよりも報道を優先したとして非難され、ピューリッツァー賞を受賞後に写真家が自殺したことで知られている。

なぜ、アフリカの貧困問題に取り組むのか。そんな問いに、西郡さんはこう答えてくれた。当時は、中学受験のための勉強を嫌だなあと思い始めていたころ。そんななか、紙も鉛筆も手に入れられない子どもたちがいると知り、自分との違いにショックを受けたという。

子どもの頃に受けた衝撃を出発点に、大学ではボランティアに参加したり国際問題を学んだり、実際にケニアやトーゴといった国々にも訪問したりと、世界の貧困を解決するための探究を続けた。そんななかで、欧米諸国の植民地主義が支配する世界の構造を知り、今貧しい国が豊かな国に“使われる”搾取の構造に気づいていった。

「アフリカの資源や労働力が列強国に利用されていたり、一部には今でも貨幣が欧州にコントロールされている国があったり……日本を含む先進国は、この『搾取の構造』のおかげで経済発展を遂げ、豊かになっています。

例えば、私たちが日々使っているパソコンを作るための資源を採掘できるのも、ほとんどがアフリカの国々ですよね。にもかかわらず、たまたまヨーロッパや日本に生まれたというだけで、私たちはパソコンを自分で買うことができる。一方でアフリカにはパソコンを買えない人たちがたくさんいます。これって、おかしなことだと思うのです」

アフリカが強い国に使われる世界の歪んだ構造は、絶対におかしい──そんな強い違和感が、アフリカの課題を解決するビジネスを立ち上げたいという想いにつながっていった。

大学卒業後はビジネスの経験を積むためベンチャー企業に就職。また、働きながら「Rise of Africa」と題したイベントを企画し、日本人や日本に住むアフリカ出身の人たちと定期的にディスカッションを行い、アフリカの課題や今後について理解を深めていった。

Rise of Africaの様子

Rise of Africaの様子

ゼロイチへの応募をきっかけに、ルワンダへ。起業を決意したアサナーゼさんとの出会い

そろそろ事業を始めたい──そう感じていた2023年の夏にタイミング良く開催告知が出ていたのが、18歳以上の学生(※)を対象とした社会起業家アクセラレーションプログラム「ゼロイチ」だった。

※ 要件を満たさないが応募を強く希望する場合は、事務局への個別相談が必須。西郡さんは既卒者として個別相談を実施した上で、学生と同様の選考を通過して合格に至った。

プログラムの中で実際に事業創出も叶うことを知り、西郡さんはすぐに応募したという。すると、選考面接で「まずは現地に行ってみたら?」と面接官に言われ、その日にフライトを予約。プログラム開始前の1か月間、ルワンダでの調査を行った。

まずは、ルワンダで開催されているテックカンファレンスへ足を運んでみた。ICT立国を進める同国では、こうしたカンファレンスが頻繁に開催され、欧州をはじめとした国外のIT企業やその領域を学ぶ学生が大勢集まる。そこで出会ったのが、Ready to Bloom創業のきっかけとなる、アサナーゼさんだ。

アサナーゼさんは、当時ICT教育で有名なルワンダの最難関校であるルワンダ大学に通う大学生だった。農村部出身の彼は、貧困から抜け出すために必死で勉強し、やっとのことで国内トップ大学に入学した。

「彼の話からは、エンジニアになるためにとても熱心に勉強している様子が伝わってきました。そこで、どんな企業に就職するの?と聞いてみると、『仕事は全然ないんだ。みんな困っているんだよ』と言うのです」

アサナーゼさんと西郡さん

アサナーゼさんと西郡さん

“生まれ”で人生の選択肢が決まってしまう状況を変えたい

就職先を探し始めたアサナーゼさんを待ち受けていたのは、100社受けても全て不合格という、あまりにも厳しい現実だった。

現在のルワンダのIT企業では、入社してすぐに案件を担当できる人材が求められる。一方でアサナーゼさんのような学生が通う国立大学では実際にシステム開発を行う実践的な学習を行っておらず、試験もコードの意味を問うたり定義したりすることを求めるペーパーテストがほとんどだという。これでは大学を卒業しても、システム開発を手がけることは難しい。自分のパソコンを持っていない学生も多いため、個人で挑戦するにも限界がある。

一部の家庭環境に恵まれた学生は施設や教育環境の整う私立大学に通うことができるが、ルワンダの大学生の7割(約30万人)は、アサナーゼさんと同じような境遇にあるのだという。

「ルワンダでこうした話を聞く中で、やはり“生まれ”がその人の人生の選択肢さえも決めてしまっていることを感じました。一方で、使える時間は全て使って必死に勉強したり、就職につながるカンファレンスが開催されれば必ず参加したりと、そこから抜け出そうとする彼らの意気込みや熱量には驚かされました。『ルワンダの人たちってとてもパワフルだな』と。だからこそ、本人たちにはどうしようもない理不尽な理由によって報われない努力がある状況を、なんとか改善したいと思ったのです」

ルワンダの首都・キガリの様子(キガリ・コンベンションセンター)

ルワンダの首都・キガリの様子(キガリ・コンベンションセンター)

ルワンダのエンジニアと協働しながら模索した、最適な方法

アサナーゼさんのような学生たちの課題を、解決したい。こう決心した後、彼女はゼロイチを通した本格的な事業化に向けて動き出した。課題を最速で解決するソリューションとして考え出したのが、日本企業から受注した実際の案件を通した実践的なトレーニングプログラムを提供する「Ready to Bloom Academy」だ。

ここでは、大学を卒業したてのトレーニング生数人とルワンダで活躍するルワンダ人のプロエンジニアがチームを組み、実際の案件を回しながらトレーニングを積んでいく。

Ready to Bloom Academyの様子

Ready to Bloom Academyでのトレーニングの様子。高いレベルが要求される日本企業からの案件を担当した経験は、学生の就活時のアピールポイントにもなるという

「トレーニング生は先輩エンジニアに教わりながら、一部の機能を追加するなど、できるところから少しずつ仕事を始めていきます。5段階のレベルを作り、6か月ごとに評価を与えるなど、プログラムを通してシステムエンジニアに成長していけるようなモデルを構築し、どこにいても勉強できるように、動画コンテンツも制作しています」

現在は計17人がトレーニングを受けており、これまでに学生の収入を月100ドル(約1万5,000円)アップさせることができたという。

「私が知っているルワンダの学生たちはもとからやる気に満ち溢れていますが、Ready to Bloom Academyで経験を積むことで、日本と仕事ができるということが自信につながり、より積極性が強まっているのを感じます」

日本企業から受注する開発案件は、実際にアカデミーを運営する中で最適なものを探していった。

「いくつか企業の案件を実際に受けてみたところ、日本企業から要求される細かいニュアンスの伝達が求められるデザイン系の案件は、ルワンダとの協働では難しいことがわかってきました。そこで、文化慣習や国籍にあまり左右されないバックエンド寄りの開発にシフトしていきました」

試行錯誤の末行き着いたのは、SAP(ERP)の開発だ。日本企業としては、作業量の多いSAP(ERP)を請け負える人材を獲得できることがメリットとなっている。そのほか、ウェブサイトやウェブアプリケーションの開発をローコード、ノーコードで行っている。

西郡さん

時には厳しい言葉も。本気でぶつかり合える、かけがえのない仲間に出会えたゼロイチ

ルワンダへの渡航から実際の事業創出まで──ゼロイチとの出会いから約7か月間、Ready to Bloomの事業を実現するため、走り抜けてきた。そんな中、共に社会企業の創出に向けて挑戦し、励まし合ってきた学生の仲間たちの存在は、今では人生においてかけがえのないものになっていると西郡さんは話す。

ゼロイチプログラム前半で行われた、東京・拝島での合宿の様子

ゼロイチプログラム前半で行われた、東京・拝島での合宿の様子

「これまでは、周りに事業の話をすると、『アフリカかあ、すごいねえ』とか、『意識高いね!』なんて言われて終わってしまったりして……。会話のその先が、ずっと欲しかったんですよね。

でも、ゼロイチの仲間とは、もう一歩踏み込んだ本気の議論ができる。みんなが自分ごととして自分の話を聞いてくれるし、本気のフィードバックをくれるんです。ときには厳しいことも言ってくれるし、つなげるべき人も惜しみなくつなげてくれる。事務局の人もゼロイチ生も、関わってくれた人みんながそうでした。

学生のみんなとは、プログラムが終わった今でも2週間に一度は会議をしています。一生語り合っていきたい“熱き仲間”ができたと感じています」

ただでさえ困難が絶えない、「起業」という選択。経済性で評価しきれない価値に重きを置くソーシャルビジネスとなると、その難易度はさらに高くなる。だからこそ、共に志を語り合い、高め合い、ときには助け合える仲間の存在が、何よりの支えになるのだ。

ファイナルピッチ 授賞式の様子

ファイナルピッチ 授賞式の様子

「生まれた場所がここでよかった」と全ての人が思える世界を作りたい

2024年2月28日に行われたファイナルピッチで、第一回目のゼロイチは終了。10組12名がプログラムを卒業し、旅立った。しかし、本当のスタートはむしろここからだ。西郡さんは、数か月後にはルワンダに拠点を移し、本格的に事業の拡大に取り組んでいくという。

「指示されたものを機械的に作れるようになるだけでは、次のイノベーションは生まれないと思っていて。それでは、指示者がいなくなった途端に何もできなくなってしまうし、結局はお金を払う、払われるという関係性を変えることはできないからです。ですから、自分で考えてより良い方法を提案できたり、新しい事業を作れたりする人がいること。それができて初めて、本当の意味で搾取からの脱却を実現できると考えています」

西郡琴音さん

西郡琴音さん

「Ready to Bloomが実現したいのは、世界中の人々の人生の選択肢を無限に広げることで一人ひとりの人生に花を咲かせ、『生まれた場所がここでよかった』と全ての人が思える世界です。

そのためにまずは、教育を通してアフリカの人がきちんと稼げる状態を作ること。その次に、花開いたポテンシャルを社会に還元し、彼らが自身が次世代リーダーとなっていけるような社会の仕組みを作り、他国に使われる社会構造そのものを変えていくこと。

400年以上かけて作られてしまった世界の搾取の構造を、すぐに崩すことはできません。なので、それを使いながら少しずつ変えていくこと。今やっていることは、作りたい社会を作るための、最初の小さな一歩なんです」

編集後記

取材当日、大きな花柄をあしらったレースのスカートとタイトな黒ニットで現れた西郡さん。

「ルワンダの人に、『わざわざアフリカっぽい格好しないでよ』って言われて。だから私は、私が好きな服を着ているんです」

現地の人たちと近い距離にあるからこその、彼女らしい言葉だ。ルワンダの人たちといると、自分らしくいられる。“世界の歪み”への違和感に向き合い続けて始めた旅は、彼女自身にエネルギーを与える人たちに出会わせ、それが歩みを前進させているのだろう、と感じた。

その旅の先に、どんな花が咲いていくのだろう。Ready to Bloomと西郡さん、そして彼女がこれから咲かせる花を見るのが、楽しみだ。

【参照サイト】Ready to Bloom
【参照サイト】ゼロイチ(公式)

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