あなたは、あなたらしく──多様なセクシュアリティが認識されるようになり、かつての“常識”に縛られない考え方や活動の場が徐々に広がってきた。「女性だから」「男性なのに」などの発言は、時代にそぐわないジェンダー観であるとして指摘されることも、もはや珍しくない。
その固定観念の一つが、男らしさ。「女性なんだからお淑やかに」という考えへの批判と同様に、「男性なんだから泣くな」という考えにも批判の声が高まっている。これは有害な男らしさ(Toxic masculinity)と呼ばれ、男性優位の意識やタフであることが規範として求められることに、男性が過度なプレッシャーや不安を感じることが指摘されてきた。これを受け、「男性も弱さを見せて良い」という考えが広がっているのだ。
ただ、「頭では理解しているんだけど……」と思う人もいるだろう。固定観念を難なく超えていきやすい若い世代に比べて、上の世代になるほど、言葉で理解するだけでは長らく当たり前とされてきた考え方を変えることは難しいかもしれない。
では、啓蒙の言葉よりも小さなアクションからジェンダー規範や“男らしさ”について考え直してみよう。そんな提案をおこなったイギリスの「Hard As Nails」という参加型の実験企画が、今注目されている。これは、男性が1週間ネイルをして過ごしてみることで、「男性であること」の意味を考え直すきっかけを生む社会実験だ。一般的に女性がするものだと思われているネイルを通じて、“当たり前”から抜け出す一歩をサポートしている。
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最初の実験は2024年5月頃におこなわれ、ロンドンで15人の男性にネイルサロンでネイルをしてもらった。その場が良い対話の機会となっただけでなく、その後ネイルをして過ごしていると、参加者は職場やジムで褒め言葉をかけられ、自分自身や他人に対する見方も変化したという声があがった。
その後、パリオリンピックでも、陸上競技で金メダルを獲得したノア・ライルズ選手がネイルをしていたことが話題に。この流れに背中を押され、2度目の実験を経て、その研究成果をリサーチペーパーとして公開した。次回2025年2月〜3月頃におこなう実験では規模を大幅に拡大し、イギリス全土から参加者を募る予定だ。希望者はウェブサイトから事前に登録しておくと参加できる。
2024年の実験成果によると、参加者の80%が、“man box(男性の箱)”から一歩踏み出し、感情にふたをすることやジャッジされることへの恐れなど、男らしさについての固定概念を問い直し議論する場を持つことができたという。
こうした発見がまとめられたリサーチペーパーは、参加型デザインになっており、誰でも閲覧できるだけでなく変更提案やコメントを残すこともできる。
そして実はこの取り組み、立ち上げ人の一人である作家のSam Conniff氏が、家に除光液がないのに娘にネイルをされてしまったという実体験から生まれた。同氏は、SNSでこんな投稿をしている。
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私はネイルをし続けるだろうか?週末、私の子どもが私の片手にネイルをした。彼らの“実験”で、すでに除光液を使い切ったことを言わずに。
そして今、6日が経って、私は道端やバス、店内で、よくネイルを褒められる。私はその会話をとても楽しんでいる。新しい除光液を手に取らなかったのは、自分が本当にそれに夢中になっているからなのだと気づいたほどだ。ネイルをするってこんな感じなのか? なんて楽しいんだ! 驚いたよ。
まあ、多くの人が知っていたとは思うけど。でも誰も教えてくれなかった!
ネイルをしている人は秘密結社にいるみたいだった。 キャサリンはいつもネイルを褒められている。でも、ネイル・クラブを垣間見た今、私もネイル・クラブに入りたくなったんだ。
── Sam ConniffのInstagramより(一部抜粋)
Sam氏と同様、人生で初めてネイルをして外出した参加者の多くは、最初は戸惑いながらも「身の安全を気にしながら生きる人々の気持ちに気づけた」「ネイルの違和感が、アライとしての行動は自分を理解することから始まるという気づきをくれた」
など、その経験から得た驚きや学びを語っている。さらに、共感力の向上からメンタルヘルス改善までさまざまな効果を生み出しているそうだ。
2025年の実験からは、参加者の地理的条件・障害・メンタルヘルス・教育バックグラウンド・職業などを広げ、定量的なデータも取り入れた本格的な実験をおこなう予定とのこと。結果もさることながら、実験の時点で既に多くの人がネイルを通じていつもと違う感情や視点と出会い直し、内側から常識を打ち破っていくことが、心踊る変化に感じられる。
「騙されたと思ってネイルしてみて」と誘って、ジェンダーを問わずネイルを楽しむことから、社会の“当たり前”を変えていくなんてことも、起きうるのかもしれない。
【参照サイト】Hard As Nails
【参照サイト】With Hard As Nails, bold coats of polish chip away at rigid norms of masculinity|TrendWatching
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